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連作短編形式で、全編通しての主人公と、各話の主人公は別にいるという形でしょうか?
その形式は、各話ごとでは通しの主人公が主人公らしくないことがあるのはむしろ普通です。なので問題ないかと思います。
で、そういう作品では、第1話、最終話、途中の要となる数話などのみ、通しの主人公が主人公らしく振舞うことによって全体の統一感を作っていることが多いように思います。
追記
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
もう少し本質的な話をするなら、「キャラの目的意識」について考えてみるとよいかもしれません。
御作の各話の基本パターンは、通しの主人公が「導く側」なんですよね?
「導く側」というのは、言葉を換えると「サポート役」ということです。もっと言うと、通しの主人公にとって各話の主人公が抱える問題や悩みは、所詮は「他人事」ということになります。
通しの主人公に主人公らしさを感じにくい理由は、おそらくここにあります。
物語の主人公というものは、何かしら目的があったり、何かにつまづいて悩んでいたりするのが基本です。そうした悩みを乗り越えるために行動し、その結果どうなったのかというのがストーリーです。
そう考えると、御作の通しの主人公がサポート役にとどまるなら、導かれる側の方が主人公にふさわしいんですよ。ストーリー論的にはね。
>ただ書いていると「導く側が本来の主人公なのに違う話になってる」に見えてしまって
これは、実際に書いてみると、導く側ではなく導かれる側の物語になっているように見える、ということですよね? でも、本来そういうものなんです。
でですね。
以上のことを踏まえた上で、「視点人物」ということを意識するとよいです。
御作の各話では、語り手は誰にしているのでしょうか?
ひょっとしたら三人称で書かれているのかもしれませんが、その場合は誰寄りの視点になっていますか?
例えば通しの主人公Aが旅をしていて、あるところでB話の主人公C(目的や悩みをかかえたキャラ)と出会い、その悩みを聞いたとします。そこからB話のストーリーが動き出すとしたら、視点人物はAになります。
もう一つのパターンとして、B話の冒頭をCの描写からはじめ、彼(彼女)が悩んでいるところにAが現れるという書き方なら、Cが視点人物です。
前者ならAの本当の主人公っぽさは強まりますし、後者ならCが主人公らしくなります。
しかし、ストーリーの骨格から言うと、どちらも本筋はCの物語なんですよ。悩んで、行動して(行動の過程でAの影響を受けて)、何らかの結末に至るのはCなんですから。
以上を踏まえて、B話のストーリー上の目的意識はキャラCと共にあると捉えられます。
そして。
各話の主人公の目的意識とは別に、連作作品全体を通してのAの目的意識を別に設定するとよいかと思います。
AはAで旅をすることによって何かを求めている。それはCなどの各話の主人公の目的とは無関係ですが、時には各話の経験によって目的に近づくこともある、みたいな感じですね。
結論。
・視点人物を誰にするか。
・各話の目的と、通しの主人公の目的意識を別に設定して、併行させる。
この2点を意識すると良いのではないかと思います