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確かに拝読させていただきました。学園青春モノばりの輝かしい実話だと思います。

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目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとはの返信(元記事)

期待されるようなことは書けませんが、所感を。

>ベタ目なのはなぜ?

デフォルメであり漫画的記号でしょう。
目が見えないと一口でいっても原因は様々です。
加齢が重大な要因となるものを除いても、症状によって眼球の状態は変わります。
正しく表現するなら、ベタで塗ったような状態より、白濁したような眼球に見えることの方が多いです。(多い少ないで語るはなしではありませんが)
ベタで塗ったような目で表現するというのは、ある種の記号(漫画的)として成立している部分が強いように思います。

このベタで塗ったような目は、漫画的記号でいうと『無感情』も表します。
『目は口ほどにものをいう』とはよく言ったものですが、目というのは感情を表しますので『そこに光を宿さない=感情を宿さない』状態の漫画記号ですね。

>目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。

(目を閉じて)(微笑んでいる)というのが、そのままではないでしょうか。
(感情を表さない記号であるベタ塗りの目)と、(微笑み)という相反する状態を避けるために目を閉じるという状態にしているように思います。

ただ、目を閉じるという行為そのものは記号だけでもありません。
全盲の方が目を閉じるのは、大きくは『空気の乾燥(目が乾かない)』つまり楽だからだそうです。本人は笑って仰っていましたが「(目を)開けても閉じても景色は同じだから」とのこと。
もうひとつは『主に音に集中している』これは日常生活で我々も普通にやりますね。ピアニストは演奏に集中すると上を向いたり、目を閉じたりといった仕草を(おそらくは無意識に)しますが、音に集中するときに視覚が邪魔になるためでしょう。さほど特殊なことではなく、我々も全神経を集中させるレベルで小さな音を聞き逃すまいとするとき、自然と目を閉じます。

さて。
本題を書きますが、私としても大切な思い出ですので若干の躊躇があります。正しく伝わるか解りませんが、ご了承を。

萌えた訳でも、キュンキュンした訳でもなく、友人です。
小学生の時、特別支援学校の運動会に参加したことがあります。学校教育、授業の一環としてクラス全員で参加したのですが、出発前に態々校長先生が教室に来て訓示をしていたことから、おそらく特別に許可を得ていたはずです。
子供ながら感じたことは、担任教師が相手側の学校教師と親しげにしていたので、おそらく先生同士の繋がりが発端だったのでしょう。

先生からは「出来る範囲で手助け」ということを聞かされていましたが、おおよそは応援。
特別支援学校の生徒さんと席を同じくして応援するのですが、率直には楽しくはありませんでした。今思えば、そもそも初めて会った子供同士が教師という大人の介入で「仲良くやれ」というのも無理があります。子供なんて大なり小なり自然発生的に摩擦があり、そこから仲が良くなっていくものでしょう。そういった摩擦もなにもなく、けれど教師の指示で応援するというのは、子供心にスベった感覚だけが妙に強かったことを覚えています。
入学式直後のような、仲良くしようとは思うが、相手がどのような人物なのかと探るような状態が精一杯だったのは、多分クラスメイト皆が感じていたのではないでしょうか。

激しい運動には不向きな子が多いので、玉入れだとか、ダンスが多かったのですが、(おそらくは)メインイベントの徒競走、リレーが始まったときです。
その子は転倒時に危険がないようヘッドギアを被っていました。
ヘッドギアはこの学校の生徒さんでは珍しくありませんが、他の子はラグビー選手のような頭や耳部分だけを保護するタイプなのに、その子はボクサーがスパーリングをするときに付けているアゴまで衝撃をクッションできるものでした。
子供心にそのボクサースパーリング姿が「カッチョエエ」と思ったものです。
足も悪いらしく、バトンを受け取るスタートラインまで片足をずるずると引きずり、それなのに腕は何かを抱くように胴体にピッタリくっつけていました。
動く足の一本でケンケンをし、そのケンケン足と顔だけが前へ前へと急いている。残る不自由な手足は、まるで飼い主を必死で追いかける犬のようだと、不謹慎ですがそう思ったんです。
ほとんど惰性と義務感だったのですが「がんばれ」と叫んだ私の声に、その子は振り返りハッキリと満面の笑みを返しました。

当時から、声は、まあ人並み以上に大きかったので妙に目立ち、またこれが妙な位置関係で座っていた教師が振り向きざまに「おい」と呼び、私に目配せをしてきました。
狡っ辛いワルガキだった私は、クソガキならではの能力で教師の望む反応に敏感でもありましたので、担任が望んでいる展開も理解できます。
当時を思い返すと赤面の至りですが、私はその子に駆けよりましたが、手を引く事が出来ません。そうしようとしても両腕は胴にピッタリとくっつき、どうも手をとると痛みがあるように思えたのです。

手持ち無沙汰になった私は、その子の肩に手を回し、抱き寄せるようにしてスタートラインまで一緒に歩きました。
リレーといってもトラック半周ほどを数人交代で走る競技でした。
生徒によって障碍も、その程度も様々な学校です。速い生徒は既にゴールしていますし、⒉番手3番手の生徒も横を抜けていきます。正直なところ、どうにも居心地の悪さを感じますが、今更その子を放置するわけにもいかず、ずっと肩を抱いてバトンを待っていました。
その子のタスキと同じ色をしたバトンが手渡されたのは、他の全員がゴールしてしばらくしてからでした。

手渡された、と書きましたが、それはバトンで殴られたような具合でした。
前走者に悪気があったわけではありません。
バトンを手渡した前走者の子も、手が不自由で押しつけるようにぶつけるのが精一杯。
私に肩を抱かれてる子も、手で受け取ることができないというだけのことです。

その子が自分で立っていられることを確認し、私がバトンを拾いました。
もうこうなったら一緒にゴールするしかありません。
ところがその子は「んっ! んっ!」と不機嫌そうな声を出すだけで、一向にゴールに向かおうとしません。
目だけが必死に訴えてきましたが、なにがしたいのかサッパリ。それどころか肩を振り回して私の手をふりほどくと顔から地面に倒れ込みました。
慌てて助け起こすと顔の真ん中から下が真っ赤。
倒れたときに、したたか鼻を打ったらしく、噴出した鼻血が校庭にちっこい水たまりを作り、私はわけもなく「ごめん、ごめん」を連呼し、教師はかけつけクラスメイトはどよめき、リレーはそれで終わりました。

というのがあらまし。
これには後日談があり、学校に手紙が届きました。
その子からの手紙だったのですが、ぐにゃぐにゃの字で「うれしかった。ありがとう」あとは、その子の名前が書かれていました。
余計なのは担任教師が私をわざわざ教壇に呼び寄せ、クラスメイトの前でお褒めの言葉と、追加の両親からの手紙を紹介したこと。
要約すると『自分でゴールまでバトンを運びたく、それを持とうとして転んだ。本人は意固地になってしまったことを後悔し謝りたく思っている。相手の両親は大変に喜んでいる。出来れば逢いに来てやって欲しいらしい』
クソガキだった私は担任教師に”後々まで語るであろうネタ”を提供したことに苛立ちはしましたが、ちゃんと謝りたい気持ちの方が強かったので、担任と一緒に相手を訪ねることをその場で了承した次第。
気に入らんかったのは、女の子を訪ねることをクラスメイトが囃し立てたこと。

『できすぎ』と思われるかも知れませんが、本当なので仕方ない。
失礼ながら、手紙の名前を読むまで女の子だったことに全く気がついてなかったんです。
スパーリング用のヘッドギアの印象が強くて顔なんて見てなかったし、髪も短かったし、背もちっこいし、そもそも私自身が思春期前だったので男女をあんまり意識してなかった。
初恋は済ませてたが、これも二次元で、現実では恋知らずの時期。(なんと家にあった美術書に載ってたベアトリーチェ・チェンチの肖像(笑) 不幸な人だがメチャクチャ可愛い。理想のタイプです、はい)

その後、数年間短い手紙のやりとり、いわゆる文通ってのをやりましたが、大切な思い出で友人です。
彼女はお母さんのお腹で事故が起きて、手足と発語が不自由になったのですが、普通の女の子と同じように勝ち気で我が儘で優しくてぬいぐるみが大好きでした。

>ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

頑張って下さい。
毎度、視点はよいと思うのです。

最後にお勧め作品を。
【リュックベッソン監督:レオン(完全版)】
完全版を名指ししたのは、この感覚。
公開時とは異なり、マチルダという12才の少女との愛情に踏み込んでます。
まぁ、普通に劇場公開しずらいわな。
『レオンはロリコンかよ!』と非難するのは簡単。
ですが、マチルダというヒロインと愛情を育んだのであって『マチルダがたまたま若かっただけ』という見方、この感覚を掴んで欲しく思います。
たぶん今後の壱番合戦仁さんに、一滴のヒントをくれるように思います。

確かに拝読させていただきました。学園青春モノばりの輝かしい実話だと思います。

スレ主 壱番合戦 仁 投稿日時: : 0

 正直に申し上げますと、あざらしさんは素晴らしい方だと思います。
 このような状況下において、一方的に嫌悪感を覚えて暴行に及ぶ輩は一定数いるだろうし、そういった者どもでなくとも嫌悪感を覚える人は、事実存在してしまっているのですから。

 もし僕がお聞かせ下さった逸話の彼女を前にして同じ立場に立ったなら、労わらなきゃとか、気を使わなきゃとか、そういったことで精いっぱいで、彼女を一人の人間として見ることを、きっと忘れてしまうだろうことが容易に想像できるからこそ、貴方様は素晴らしいと思います。

 翻って、幼き日のあざらしさんの代わりに、幼き日の僕が、その例の彼女の目の前に居て、僕がその彼女の立場だったら、きっと不甲斐ないのと、下に見られたことで、羞恥と怒りで顔が真っ赤になるでしょうね。
 僕がもし、彼女の立場に立って、あざらしさんとそこで逸話通りの展開を迎えたら、同じように後で貴方様を誇りに思ったことでしょう。

 これは、僕の創作にもかかわる重大な事実なのですが、重い障害を持った人を一人の人間として接することができない自分がどこかにいるのです。
 児童養護施設に居た頃、重度の自閉症を抱えた青年に「東海道線の電車は?」と突然聞かれました。
 アスペルガー型自閉症の僕と違って、カナー型自閉症の方は、重ければ重いほど、同じ会話、同じ運動、同じ遊びを強く好む傾向にあることを僕はきちんと知っていました。
 だけど、僕はまだその頃新入りで、彼の望むお約束の回答を知らなかったのです。そして、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 それもあって、せめて誠意を込めて謝ろう、自分は遊びに付き合えないんだと断ろうと思いました。
 「(年上の方なので敬語)ごめんなさい。僕は○○さんと違って電車のことは詳しくないんです。堪えられなくてごめんなさい」と、頭を下げました。
 すると彼はパニックを起こし、「プアーンッ!!」と叫びながら、電車の真似をして『僕の頭を轢きました』。
 いえ、正確に言えば、人に襲い掛かる鶏のように、僕の頭を執拗に叩きつづけ、食堂を逃げ回る僕をひたすら追いかけられたのです。
 不幸なことに、僕はその体験をする以前に、知的障害をお持ちの車いすの方に初めてお会いして、顔を目線の高さに合わせてさしあげました。そして「初めまして。僕の名前は竹牟禮基と申します」と丁寧にあいさつすると、「相手に唾を吐きかけて、微笑む」という斬新な挨拶をしてくださいました。
 それが、もぅ、嬉しくて嬉しくて~wあまりの光栄でしたので身にあまりましたよぉ~w(激怒)
 
そのことが響いたのでしょう。僕は、自らが持つありとあらゆる武術を余すことなく駆使して、その自閉症を持った男性を【排除】しました。

 今思い返せば、本当につらい思い出です。僕は最大限の誠意を彼に示しました。ですが彼から帰ってきたのは衝動と特殊性癖に任せた純然たる暴力でした。それに対して、同レベルの暴力を彼に振るい返して、僕は「何をやっても障害だからと彼らが許されるなら、同じように別ベクトルでの重症性を抱えた僕も、同じように扱われなくては不公平だ!!」と喚き散らし、心の闇に堕ちました。

 【彼らの横暴が赦されるのだから、僕の暴挙も許せ!――――否、僕は彼らの横暴の被害者なのだから、その分も暴れさせろ!というか、貴様らも俺を手伝え!モラルの観点から言ってもこれは社会義務ですらあるぞ!!】

 今からすると、そんな頭にウジ虫がわいたとしか思えないような主張を繰り返している内に、社会に僕の居場所は消えていきました。
 思えば僕の思春期とは、自らの発達障害に、人生を真っ黒に塗りつぶされた時期だったといえます。

 今でも、リアルな重障碍者を書く時には苦悩します。どうやっても彼らを、より狂気的に、黒く、悪し様に、好くても蒼味がけて、哀れにしか書けないのです。

 だからこそ、あざらしさんがうらやましいです。

 だって、自己責任が取れないレベルの障害を持った方と接して、暴力や窃盗、器物損壊を働かれても、保護者の方がきちんと誤ってくれさえすれば、「仕方ないな」とは思えますよね?

 僕はそのいずれにも被害を受けましたよ?
 ある晩、施設にあてがわれた自室に戻って、母から送ってもらった大切な雑誌を読もうとしたら、部屋が空っぽだったんです。
 となりの部屋が全開になっていたのでまさかと思い、隣人の様子をうかがうと――――。

 隣人はこういう状態でした。

                
 三三( ^q^)彡(アバァーw)
      ❘ ❘
   / ̄ ̄   ̄ ̄\
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  \ \ | | | |
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       「ア|
        |セ|
|モ|
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     \「ジ||プ」 \
      \ ||ニュロローン!\
       \(山盛りあせも\ グチャミチョォ。
  \クリーム)  \
         ____________________

 はっきり言って、この光景はショックでした。誤解のないように言いますが、このアスキーアートは事実をもとにしています。僕にとってはジャンプを台無しにされたことが一番ショックだったのですが、彼は僕の部屋に侵入したついでに、僕の所持品をすべて自室に持ち込み、窃盗しました。

 無論、本人からの誠意ある謝罪などありませんでした。解っているのかわかっていないのかも判然としない、よだれがたれた間抜け面で、謝罪の言葉をオウム返しするだけ。本人はなぜ悪いのかもわかっていません。
 その幼稚園児レベルのモラルに呆れ果てました。

 ずっと、言わないで疑問に思っていたのですが、彼らに対して偏見のない人はこれらの屈辱に出会ったとしても、まだ好きでいるのが義務なのでしょうか?それが正義なのでしょうか?
 彼らを一人の人間とみなすなら、あまりにも程度の低い人が多すぎる。勿論、人は十人十色ですから、あざらしさんが出会ったような人々もいることは実体験から知っています。でもまれにしか出会いません。

 どこまでも恵まれた貴方様がうらやましいです。
 小生は、心から尊敬致します。

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