ごめんなさい。お礼と主観を通したリアルな一例を提示したかったのです。
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誰も知らない物語の返信(元記事)
我が強すぎます。
ここは小説の書き方を考える場所であって、障害に関する相談をする場所ではありませんよ。それはそれ専用の場所があるはずです。
自分の辛さを他人にも味会わせたいだけなのでしょうか? 本当は「世間に障害を理解させたい」なんて建前で、「辛い体験をした自分を優しく認めてほしい」のでは? 一般的な厨二病患者と変わらないというか…。下手に「アスペルガー症候群」なんて半端に重たいバックボーンがあるせいで大上段から言いたい放題ですね。
というか、武道やってて未だにそれでは、一年前に知恵袋で質問してた頃からさほどメンタルが変わっていないのでは? いやまあ、自分があなたと比較してわりと幸福ってことはわかったんですが、それでも「不幸な身の上だけど遅れを小説書いた承認欲求で取り戻したい」って欲望がギラギラし過ぎてて、そりゃ健常者は胸焼けしますよ。希釈しないなら、ここで小説の書き方を律儀に勉強するふりより、自伝書いたほうがマシです。
まさかここまで滅茶苦茶やれるのに成人していらっしゃるなんて、しかも同じ病気の方なんて……世の中広いもんですね。
ごめんなさい。お礼と主観を通したリアルな一例を提示したかったのです。
スレ主 壱番合戦 仁 投稿日時: : 0
ああ、パクトポーさんも発達障害をお持ちなんですね。後で読み返したのですが、確かにそう受け取られても仕方ないと思います。ですが、誤解を恐れずに言えば、作家同士が自らについて語り合うことと、作品のアイディアに決定的な核を埋め込むことは密接に関係していると思うのです。
小説は、誰かの体験を通して物事を学ぶ機会を与えてくれるものでもあります。
お話の形式にすれば、より伝わりやすいのではないか、と思い至り、筆を執った次第です。
忠告しますと、ラノベは日本の伝統的な純文学にその端を発する媒体です。
日本で純文学というと、それはすなわち私小説の事も同時に指しました。
夏目漱石の銀河鉄道を語る際を例に挙げても、私小説というジャンルであることを考慮すれば、夏目本人のパーソナリティに触れることは当然のことです。
そもそも、キャラクターの正体とは一体何でしょうか?登場人物をどれだけ妄想を材料に作ったとしても、作者のパーソナリティとキャラクターの性質を切り離すことはできません。
なぜならば、作者は複数のキャラクター設定を作った後、一人ですべての役を演じ分け、その会話劇を文面に書き記すことで表現しているからです。無論、情景描写や場面転換などを通して、舞台装置の操作も全部一人でやっています。でもそのいずれにしても、作者の自我に端を発するものばかりです。
小説の執筆と、自らの在り方を切り離せると思ったら大間違いです。
トラウマができてそれにまつわるシーンが書けなくなったとか、そもそも特定のジャンルに興味を沸かせたいのに無理だから書けないとか、作家自身の心理的な問題に関するあれこれは、この掲示板でも見聞きしますよ。
小説家は、作品の主題に合わせてあらゆることに関わり、一人で考えます。
ええ、普通は一人で考えます。でも、せっかくこうして相談できる場があるのだから、不特定多数の人たちとあらゆることに関して知識を深めることは決して無駄ではないと思いますが?
いかがでしょうか。
詳しくは、大塚瑛氏の著書、「キャラクター小説の作り方」を参照してください。
カテゴリー : キャラクター スレッド: 目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとは