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能力バトルの筈が脳筋になりがち (No: 1)

スレ主 バッキー 投稿日時:

一応は能力バトルを書いていた筈が、どうも自分が優遇しがちなキャラというのがどの作品でも似通ってしまっている事に気付きました。
「そういう作風」と言えばそれまでですが、その対象のキャラクターが「理屈抜きのフィジカル特化タイプ」または「格闘主体のマッチョ」である事が多々あり、我ながらワンパターンにも見えてしまって少し気にしています。

例えば以前のスレッドで話題にした転生者vs転移者においては、転移陣営で魔法少女の次に存在感を持たせていたのが(魔法少女よりはまともという事情もあって)刃牙やケンガンアシュラの文脈の格闘漫画らしき世界から来た格闘家の男で、さらに彼には転生陣営に「攻撃力チートによって下手な魔法や武器が必要ない武闘家の男」という専用のライバル枠を用意し、この二人がガッツリ雌雄を決する回まで設けた位です。

この上で小説家になろうでやろうとしている話の主人公でありその世界の「隠しボス」とした人物の能力も、スキルは全て耐性のみで魔法の類は波動拳のような小技しか使わない、話の進行に合わせてちょっとずつリミッターを外していく格闘メインのキャラという造形でした。
彼に関しては豪鬼や神咒神威神楽の第六天波旬がイメージソースだったのも大きい要因ではあります。

他、過去に書いた物にもあと三作くらいは「力こそパワー」がコンセプトの範馬勇次郎もどきを最強格に添えた事が多々あります。

逆にこういうアプローチにならなかった「最強キャラ」というのが『「Sanチェック」が必要か』で話題に出した全能の神というそもそも規格外の存在か、それ抜きでも同作ヒロインの姉(マイクロブラックホールの出現や隕石の召喚を行う)くらいでした。

ひとえに範馬勇次郎や第六天波旬の「誰にも負けないフィジカルがあれば小難しい技や能力は不要」「どんな能力もゴリ押しがすれば無問題」というコンセプトに感銘を受けたのが発端で、大抵この手のキャラを使う時は絡め手を使う敵を正面突破するカタルシスを心がけてはいます。
ただちょっと使いすぎていい加減この思想から脱却した方がいい気がしています。
何か違う角度から強さを演出できないでしょうか。

カテゴリー: キャラクター

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人気回答!能力バトルの筈が脳筋になりがちの返信 (No: 2)

投稿者 サタン : 4 No: 1の返信

投稿日時:

えー、そのままでいいのに。むしろ極めようよ。そうしてこそ「あなたの作風」になると思うけども。
例えば、もともとエロゲ界で有名だったけど、まどかマギカで一般にも知れ渡った虚淵玄は「上げて落とす」って展開がめっちゃ好きで、ほぼほぼ毎回やってるよ。
死んだり失敗したりするキャラはその前に活躍したりする見せ場を作って、読者に「このキャラが活躍して話が終わるんだろうな」「助けた人質と一緒にトラップ抜けて生還するんだろうな」って予想をさせて、予想させる展開を作って、そんで一気に裏切る。
そういう上げて落とす展開が凄く上手いね。

というか、
>この手のキャラを使う時は絡め手を使う敵を正面突破するカタルシスを心がけてはいます。
それをメインにしましょうよ。「力こそパワー」がテーマの主人公で魔導全盛時代の異世界で徒手空拳で無双する筋肉質のイカれたおっさん。可愛い女の子の魔術師に華麗なアッパーカットを見舞って「力こそパワー」を力説し肉体言語で魔術のことごとくをねじ伏せてゆく。
超おもろそうやん。

ただやっぱりオーソドックスな「どんな能力でもゴリ押しで解決」が通用するのは最初の数話までで、そのあとはゴリ押しするにしても「何を」「どう」ゴリ押しするか工夫しなきゃいけないから、そこで苦労して頭ひねれば「フィジカルでゴリ押し」というパターンの幅が広がると思うよ。
例えば、力で解決しない問題を、どうやってゴリ押し展開にするか?
「好んで使ってた展開」ってのは、言い換えると「使いやすい場面を想定して展開させてた」ことがほとんどで、それ以外の使う機会がない・使う必要がない場面では想定したことないと思うので、そうやって切り込み方を変えればやれることが広がると思う。

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タイトル:能力バトルの筈が脳筋になりがち 投稿者: バッキー

一応は能力バトルを書いていた筈が、どうも自分が優遇しがちなキャラというのがどの作品でも似通ってしまっている事に気付きました。
「そういう作風」と言えばそれまでですが、その対象のキャラクターが「理屈抜きのフィジカル特化タイプ」または「格闘主体のマッチョ」である事が多々あり、我ながらワンパターンにも見えてしまって少し気にしています。

例えば以前のスレッドで話題にした転生者vs転移者においては、転移陣営で魔法少女の次に存在感を持たせていたのが(魔法少女よりはまともという事情もあって)刃牙やケンガンアシュラの文脈の格闘漫画らしき世界から来た格闘家の男で、さらに彼には転生陣営に「攻撃力チートによって下手な魔法や武器が必要ない武闘家の男」という専用のライバル枠を用意し、この二人がガッツリ雌雄を決する回まで設けた位です。

この上で小説家になろうでやろうとしている話の主人公でありその世界の「隠しボス」とした人物の能力も、スキルは全て耐性のみで魔法の類は波動拳のような小技しか使わない、話の進行に合わせてちょっとずつリミッターを外していく格闘メインのキャラという造形でした。
彼に関しては豪鬼や神咒神威神楽の第六天波旬がイメージソースだったのも大きい要因ではあります。

他、過去に書いた物にもあと三作くらいは「力こそパワー」がコンセプトの範馬勇次郎もどきを最強格に添えた事が多々あります。

逆にこういうアプローチにならなかった「最強キャラ」というのが『「Sanチェック」が必要か』で話題に出した全能の神というそもそも規格外の存在か、それ抜きでも同作ヒロインの姉(マイクロブラックホールの出現や隕石の召喚を行う)くらいでした。

ひとえに範馬勇次郎や第六天波旬の「誰にも負けないフィジカルがあれば小難しい技や能力は不要」「どんな能力もゴリ押しがすれば無問題」というコンセプトに感銘を受けたのが発端で、大抵この手のキャラを使う時は絡め手を使う敵を正面突破するカタルシスを心がけてはいます。
ただちょっと使いすぎていい加減この思想から脱却した方がいい気がしています。
何か違う角度から強さを演出できないでしょうか。

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