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セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画 (No: 1)
スレ主 リトル 投稿日時:
小説は状況描写をやり過ぎると展開が遅くなって退屈になりますよね。
一方、動画は2次元で表現するので、状況描写が小説の数千倍は速いですよね。動画の優位性は、状況描写が速い分、展開をたたみかけられるところにあると思います。
ですが、動画は状況描写が優れているといっても、すべての情報に意味があるとは限らないと思います。
例えば「普通の町並み」を動画で表現したら、赤色屋根の家があって、黄色屋根の家があって、家がずらっと並んでいて、電柱があって、止まれの標識があって、カラスが居て、閑静で、山があって、太陽があって、そして普通の町並みで友達と話す主人公、話し相手の表情……という感じで膨大な情報量を一瞬で表現できると思います。でもそこで表現したいのは「普通の町並み」が主題です。
セリフ対地の文1:1は主題だけ、もしくは焦点だけ状況描写して展開を進めていると思います。
だから状況描写を主題か焦点に絞り、地の文を削る。できれば地の文でも展開を進める。そして、セリフの方も展開を進めるものにしたら、ほぼ動画という認識です。
カテゴリー: 流行分析(なろう研究)
この質問に返信する!セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信 (No: 2)
投稿日時:
描写と説明がごっちゃになってる。
映像は映像で情報量が多いからこそ大変で、その情報量が多い中どこに注目させるか、つまりどうやって「普通の街並みを描写するか」って技術が必要になってくる。
視聴者側はそんなこと考える必要はないので完成品を見てるだけだと「適当に街並みのカットを流してる」と思いがちだけど、制作側にしたらそんな簡単な話じゃない。
そしてそれは情報の出し方・表現の仕方が違うだけで、小説も同じ。
「普通の街並み」の画のカットを映してるだけだとこれは「映像で説明してる」って状態で、描写してるとは言い切れない。
じゃあ何が描写かというと、描写したいものに注目してそれをどう表現するかの工夫に依ってくる。
つまり、スレ主さんが言う
>焦点だけ状況描写して展開を進めていると思います。
>状況描写を主題か焦点に絞り
これをやってる。
映像は情報量が多いからいいよね、じゃなくて、映像でも同じことをやってて、ただ映像は情報が多いしパッと見で映像の意図まで理屈で理解するような下手な映像表現はしてないから、見てるだけだと「普通の街並みを流してるだけ」に見えてるってだけ。
>でもそこで表現したいのは「普通の町並み」が主題です。
ただの適当な例だと思うけども、そもそも「普通の町並み」を主題にして表現したい場面ってのが、『always三丁目の夕日』というか「その普通の町並みを舞台にしてる人情話」って物語でないとそんなに無くて、
ラノベ的エンタメで言うと例えば「そんな普通の町並みに潜む悪意」とか、この場合「潜む悪意」のほうを描写すべきで、前座の「普通の町並み」は軽く説明で流しちゃうってのもあると思う。
「普通の町並み」が「どう普通なのか」とか書く必要はないので。
これもスレ主さんが言うところの「状況描写を主題か焦点に絞り」って話ですよね。
映像と文章では表現方法が違うから、同じく「普通の街並み」を小説で表現する場合、その普通の街の外観を説明するのではなく、「普通の街並みにありそうな場面を短く書いていく」とか、伝わりにくいかもしれんけど、その場の「空気感」を書いていくって考えたほうがいいと思う。
「普通の町並み」をシーンの主題にするなら、「どう普通なのか」を書かなきゃいけないから、登場人物の母親が世間話をしていたりとか、そこに近所で有名な野良猫を登場させたりとか。
でも、「そんな普通の町並みで生活してる主人公」が主題であるなら、むしろその場面は普通の町並みではなく「主人公の生活環境」が主旨だから、主人公と比較できる部分だけピックアップして主人公に描写させてしまったほうがいいと思うし、
最終的には「何をどう書くか」っていう工夫の話だと思うかな。
で。
それを極限まで短くして主旨が伝わることを最低限に短く素早く書いていけば動画と変わらないのではないか、という事だけど、
動画と小説とで決定的な違いは、そういうことではなく、「勝手に再生されてるか」「自分で読んでいるか」の違いです。
受動的か能動的かの違い。
動画は興味がそがれてもほっとけば勝手に流れる。小説は読もうと思わないと読まない。
自動音声で読んでくれるサービスが浸透すればその垣根もなくなるけど、現状はコレが決定的に違うので、「動画と変わらない」は無いと思う。
ただ、「漫画と変わらない」は、有り得る話だとは思う。
なろう小説とかで、ちゃんと頭使って文章を読み取らなくても、流し読みで飛ばしつつ適当に読んでても内容がわかるような空っぽな作品なんかは、その域に一歩踏み込んでると思うかな。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信 (No: 3)
投稿日時:
共有したかったことはそれです。「展開の速度」という観点に立つと、主題からかけ離れたところまで書くとか、そういったところを克服すれば映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。映像は膨大な情報量の中から表現したいことに注目させ、小説は主題が伝わるように書く。
決定的な違い→能動的/受動的
確かに、これは超えられない壁ですよね。ちょっと曲解するなら「自分の意志じゃないのにページをめくってしまう」というところまで持っていけたら、ある意味受動的ではないでしょうか。でもさすがに曲解すぎますね。
漫画の方が近いというのは納得しました。
流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
しっかりとしたアクション/リアクションの連鎖があって、小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
とはいえセリフ対地の文1:1は極端ですけどね。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信 (No: 4)
投稿日時:
>流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
あえて「中身空っぽ」ってあまり良く思われないような言い方をしたけども、というのも実際そう言われるような作品に多いからで、そんな作品が何故人気なのか、なぜ自分も読んでられるのかって考えた結果の回答だからなんだけども、
でも、別に蔑むような感情からそう書いたわけではなくて、
そもそも流し読みや読み飛ばしても内容把握できるって、つまり「読まなくても内容がわかる」って実は結構凄い事なんじゃないかって思ってます。
読者が頭空っぽにして、スマホをスクロールする親指が惰性で動いてるだけ(=受動的)で読んでいるなら、それは暇つぶしにYoutube動画を見てる状態と変わらないだろうな、とは思います。
でもこの解釈のポイントは「読まなくても内容がわかる」ってところだから、ストーリーが動く要所を明確にして作者が意図的に「読んでほしい要所」と「読み飛ばしてもいい装飾部分」を書き分けたり、まあ、現状そこまで考えてる作者さんはいないと思うけど、現状からもう一歩踏み込もうと思ったら一気に難しくなると思います。
現状の「中身空っぽ」は、大したことしてないし良くある異世界テンプレに沿った王道だし、その流れだなと確認できる程度の流し読みで把握できるので、だから「読まなくても内容がわかる」が成立してるだけだと思うので。
なので、そこを変えたら成立しなくなるため、成立させつつ一歩踏み込むとなるとまた別のアイディアが必要になってくるからかなり難しいと思います。
今は「中身空っぽ」でありながら設定が好みに合えば読んでられるという程度で、まだ技術には昇華できてないし、少なくとも私には技術に押し上げるだけのアイディアはないから分析以上のことは出来ないし、たぶんコレはここまでで技術にはならんかなと思ってます。
また、「アニメや漫画のような小説としてライトノベルを書く」という挑戦をした作家は過去にいて、「サクラ大戦」なんかで有名になった あかほりさとる という作家は凄い数のタイトルを手掛けてきたけど、その中のラノベはほぼ全てが、曰く「アニメや漫画を見るような感覚で読めるよう書いた」と答えています。
もう20年くらい前の作品で、当時の感覚と当時の技術なので、今になって何も知らない人が読んだら「これのどこが? てか文章力クソすぎ」ってなると思うけど、少なくとも挑戦した人はいて、それは当時の大物作家で、スレ主さんとは違う角度からの切り込みだったと思います。
セリフと地の文の比率の話はよくわからないけども、そんなにセリフと地の文で差を感じるのだったら一人称で全部主人公のセリフにしてしまえばいいじゃない、と思います。
その先駆者が『スレイヤーズ』の神坂一で、彼は一人称という技法を崩しまくってほぼ主人公の独白で周囲の状況やストーリーを描写し、それまでの一人称とは別物の「ライトノベルの一人称」を作ったと言ってもいい感じの人です。
>映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。
「表現方法が違う」だけで、つまり表現するための道具が違うだけで、同じ土俵というか、別に小説が漫画アニメより劣ってるということはないですよ。
道具が違うからこそアニメや漫画の表現が小説には出来ないけれど、絵も音もないからこそ、小説は文字だけで勝負できて、
アニメや漫画が持ってる武器を小説は持ってないから劣ってる、アニメや漫画と同じ武器を持つにはどうしたらいいのかって考える人は結構いる感じはあるけど、
武器の違いを理解してないから優劣でものを見てるんだと思う。
そこを目指すと小説としての武器を捨てることになるので、そんなにアニメや漫画と同じ武器を持ちたいならアニメ・漫画原作で頑張ればってなっちゃう。
少なくとも私は、かつて あかほりさとる を読んでそう思った。
アニメや漫画のような読書感を目指しましたって、聞こえはいいけど、いやコレ話は面白いんだから漫画にしてよ、って。まあ あかほりさとる 原作はだいたい漫画化アニメ化されてるんだけども。
小説としての、というか自分が持ってる作家としての武器をちゃんと確認したほうがいいと思うかな。
>小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
いけるいけないで言ったら、たぶんいけると私も思います。
あかほりさとる とは違う方向性で一歩先へいけないことは無いと思う。
けど、行った先で待ってるのは、ほぼ間違いなく当時の私と同じ反応で「なら漫画描けよ」になると思う。
読者にとって、我々が小説を書いてるとか漫画描いてるとか、漫画的な小説を書くために頑張ったんだとか、そんなん関係ないんですよね。
出来上がるのは、読者にとっては「質の悪い小説」か、「漫画未満で絵描きを捕まえられなかった漫画原作のリメイク作品」ってとこで、水差しちゃって申し訳ないけども、その方向性は時間を無駄にするから目指さないほうがいいと思うよ。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信 (No: 5)
投稿日時:
例えるなら釣ですかね。「読まなくても内容が分かる」つまりテンプレの段階は魚が食いついたけど、まだとれていない状態で、釣り上げるには設定とかの好みに合わせることが必要。だから1ページでも読んでもらって好みが合致しているか確認してもらう段階を作れる「読まなくても内容が分かる」というところのすごさ、みたいなところですかね。
「読まなくても内容が分かる」ってのはテンプレの流れで決まったことしか書かないということで、そこを崩すけど成立させる、ってのはちょっと矛盾があって無理な技術ですよね。それで成立したらそれが新たなテンプレになってますよね。
漫画アニメの武器って展開速度の速さだと思うんですよね。でもそこを小説が目指すと出来上がるのは漫画アニメの劣化版で、だから小説の武器を推さないと劣化版にしかならないんですね。あと水を差すなんてとんでもないです。それが欲しかったのでありがたいことです。
セリフと地の文の比率についてですが、セリフは短い文でも確実に存在感が出る、という所が地の文との決定的な差だと思います。セリフは短い時間で存在感を伝えられるから、1:1は極端にしてもそこの比率を工夫することで展開の速度をコントロールできそうです。その結果小説の武器を捨てることになったら元も子もないですけど。それにただセリフだけ、地の文だけでストーリーが実質進んでいないというのも避けるべきところだと思います。
全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信 (No: 6)
投稿日時:
>全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。
あぁ、わかった。そういうことか。展開の速度をコントロールって意味では、言ってしまえば前のスレッドの「情報量が多いが短い文はスピード感のある文?」から話は続いてるのね。
うーん……
スレッドが違うけど前スレの「情報量の多い・少ない」を絡めて答えると、
演出の一つとして結果的にそういう効果はあるし、意図してすることもあるけれど、でもそれは「文字が少ないからスピード感がある」というわけではなく、逆も然り。
例えばダラダラした戦闘を書いてしまったなと思って、じゃあ改行多めに短く余白が多いページに書き直したところで、その戦闘シーンがスピード感出るかっていうと出ない。スッカスカな戦闘シーンって言われるのがオチ。
ただ、現実問題として「1ページを読む速度」は明らか違うし情報の濃淡は目に見えるから、何らかの演出で意識することはあるし、スピード感を出すにおいても意識はする。
けど、前述した通り「短けりゃ・情報量少なければスピード感がある」ってわけじゃないから、じゃあどうすればスピード感出るんだろうって考えると、
そもそも「展開が早い」って言葉は文章量が少ないことを指してるわけじゃないよね?
一つの展開が始まって終わって次の展開が始まる、そのスパンが短いことを指してる。強いては読者の理解が追い付く前に次の展開へ行ってしまうことにもなりかねない事だけども。
これを一つの展開からその中のワンシーン(戦闘シーン)に落とし込むと、これは「アクションが早い」に言い換えられるんじゃないかと考えてる。
つまり、文章や情報の量の如何によらず、アクションからアクションへの流れが止まるような事が無ければ、そしてそれが連続していれば、スピード感のあるワンシーンになってると思う。
例えば、敵と対していて剣で切りつけるってシーンでは、文章を短くするだけだと、下手するとこうなる。
主人公は剣を構えた。
切っ先を真正面の敵に向ける。
柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
敵にとっては一瞬だったろう。
剣は右肩から入って左に抜ける。
主人公の剣には返り血もつかないほど鋭い一閃だった。
これ、スピード感ないっていうか、逆にスローじゃない?
これがなぜスローかっていうと、「剣で敵を切りつける」ってただそれだけの事を6行もかけて書いてるから。
スピード感を出したいならこの逆をすべきだから、
つまり、「剣で切りつける」「切りつけたあとどうなる」「それを切っ掛けに次の事が起こる」って感じで、アクションの連続で畳みかけてやるのが大事だと思う。
それで言えば「剣を構える」も「切っ先を敵に向ける」もアクションなんだけど、「何をしたら次に進むか?」というのが物語の流れの中にはあって、特に説明も前振りもなければ戦闘シーンにおいては「敵が出れば敵を倒すこと」「剣を構えたらそれを振るうこと」が「次」になるから、「敵を倒すまで」「剣を振るうまで」が長いと、短い文章の連続でもそれはスローに感じてしまう。
「展開」で言えば、「いつまでたっても次の展開に進まない」っていう状態と同じ事になってる。
その「次」はどう考えたらいいのかっていうと、
それはもう単純にその場面その文章で読者の興味がどこに向くかってのを考えるしかない。
例えば「主人公は剣を抜いた」って書いたら「その剣でどうするのか」に興味が向く。
興味っていうか、単に「はじまり」があれば「おわり」が気になるよねって程度の話ね。
一方で「主人公は剣を抜いたが、敵を切れなかった」と書いたら、「敵の反応」に興味が向くでしょ。
この場合、「剣を抜いた」「敵を切れなかった」と書くのと、「剣を抜いたが敵を切れなかった」と書くのでは、今回のスレッドの主旨においてスレ主さんの言う「スピード感」は違うのではないか、と思う。
もし、この回答にピンと来るものがあるのであれば、少なくとも私はそうやってコントロールしているよ、という感じ。
結論として、文章を短くすりゃスピード感が出るってわけじゃない。
「アクション」の連続、ないし「次」への切り替えに流れがあってスムーズなことが大事だと思う。
そして、その流れというのは言ってしまえば物語の流れなので、地の文だろうとセリフだろうとストーリーは進められるし、そこについてもつまりは「何をしたら次の展開に進むか」を考えられていれば、展開の展開するスピード感もストーリー進行のコントロールも自在に出来ると思う。
確かにセリフには地の文より存在感があるけども、少なくとも書いているものは物語であって自分の仕事はストーリーを進めることなので、地の文だけでもセリフだけでもそれは出来ると思うため、だから私にはその比率の話にピンとこないのかもしれないです。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
地の文とセリフの比率がどうって話は、1:1というのはセリフ、地の文、セリフ、地の文……で書くから、1:1で書く作家さんは強制的に展開の速度が速くなるのかな、と思ったんです。なぜかというと、地の文からセリフに移るときに自然とアクションを考えることになっている、と推測したからです。それで、そういう小説を読むとまるで映像を見ている気分だったのでこのスレを立てました。
物語の流れを意識するんですね。敵が出れば倒すこと、剣を構えたら振るうこと。
で、剣を構える→剣を振る。
敵が出る→敵を倒す。
その矢印が長いとスロー、という感じですね。ああー納得しました!
「剣を抜いたが敵を斬れなかった」と
「剣を抜いた」→「敵を斬れなかった」
というのは矢印のありなしですね。そうやってコントロールするんですね。
続いて「情報量が多いが短い文はスピード感のある文?」についてですが、
考え直してみると「情報量」というより「アクションの回数」で見た方がいいですね。
明文化すると、
アクションの回数/文字数
これが展開速度だと言えそうです。
あと「アクションをたたみかける」というのは「文字数」で表現されていると思います。重点を置くべきはアクションの流れで、そこが止まる事無く連続すればスピード感が出るんですね。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
追記です。
主人公は剣を構えた。
切っ先を真正面の敵に向ける。
柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
敵にとっては一瞬だったろう。
剣は右肩から入って左に抜ける。
主人公の剣には返り血もつかないほど鋭い一閃だった。
これをスローにさせないためには【敵が出た】→【倒す】の矢印に別のアクションを入れるということですよね。今の動きは全部敵を倒すためにやっていることだから。
敵を倒すために、主人公は剣を構えた。
敵を倒すために、切っ先を真正面の敵に向ける。
敵を倒すために、柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
敵を倒すために、剣は右肩から入って左に抜ける。
【敵を倒すために】を変えると、
敵を倒すために、主人公は剣を構えた。【敵が出たら倒す】
人質に目をやる
人質を助けるために、切っ先を真正面の敵に向ける。【人質がいたら助ける】
敵は侮辱する
自身の名誉を守るために、柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。【侮辱されたらやり返す】
敵は不敵に笑う
人質を死なせないために、剣は右肩から入って左に抜ける。【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】
多少文がおかしくなりましたけど、こういう認識で合ってますか?
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 9)
投稿日時:
>こういう認識で合ってますか?
私の言が正解ってわけじゃないけど、たぶん私の理解は伝わってると思います。
ようは、読者が「スムーズに文章を追える」ようにすべきで、そのためにはアクションで流れを作るのがラノベ的エンタメには良いだろう、という感じ。
アクション、つまり行動があるとその行動を追えばいいとわかりやすいですから。
逆にアクションを作らずに文章を続ければスローに思えるし、アクションを挟む頻度をコントロールすることで、あくまで読書感の速度はコントロールできるだろう。という考え。
なので、一文を短く改行多めにすることはアクションを挟む頻度を短くできるし、長ければ長くなる。だから、前レスで書いたように短く改行多めにすることでそういう効果はあると思う。
けど、文章を短く改行多めにしてもアクションが無ければ意味がないし、逆に文章が長くても文章の中で複数のアクションを取ってたり長すぎず適度にアクションを起こしてれば読書感にスローは感じない。と思う。
でも、これはあくまで「わかりやすいように」の最たるものとして「アクション」を挙げてるまでで、
つまり「敵が出る」なら読者は「敵を倒す」を追えばいいと言わなくてもわかるわけで、一番わかりやすいわけで、
前レスでも一応書いたけど、この「アクション」の本質は「読者の興味」を指しています。
その場面で興味ある事柄があればアクションでなくても流れは作れる。
例えば主人公の技量は明らかに敵より劣っているのに敵を圧倒した、みたいなシーンなら「その種明かし」に読者の興味は向かうわけで、その説明をするためにいちいち登場人物が行動を挟んできたら逆に鬱陶しいでしょ。その説明において読者の興味は「種明かし」にあるわけだから。
それで言うと、「人質」を挟んできたのはいいね。
白状すると私は単純に「剣を構えて敵に切りかかる」「いなされるが敵の脚に傷を与えられた」「速度を奪えたので、二の太刀で敵を切り捨てる」とか、戦闘のみで考えてた。
でも人質を入れることで「敵を倒す」ための障害として人質が役立つから、そっちのほうが面白い。
私の戦闘のみの例だとスピード感を出すには長く書けないから、スピード感を出す代わりに味気ないシーンになりかねない。
人質を挟むことで読者の興味は「敵を倒す」から「人質を助ける」に変化するから、そういう障害を絡めるのは良いと思う。
けど、そしたら以降の文章は「人質」に興味が向いてしまうわけだから、それに関係するアクションが望ましいと思う。
すると「敵からの侮辱」は人質を絡めたセリフになるだろうし、自身の名誉は関係ないんじゃないかなと。「不敵に笑う」はそれを油断と取って主人公が行動開始する起点=主人公のアクションになって、「敵を倒した」でまとまる感じか。
ただ、私も常にこんなこと考えて執筆してはいないです。「ここはスピード感を出したいな」とか「ここは印象付けたいからスローな展開にしたいな」とかという場面で文章を再構成するときに考えたりして、主に推敲でやってます。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 10)
投稿日時:
むっちゃ勉強になりました。主題は読者の興味で、アクションはそれを導く手段、だから種明かしとかでも読者の興味を引くことができるんですね。
あとあの例はテキトーに書いたので、あまり気にしないでください。
とても参考になりました。ありがとうございます。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 11)
投稿日時:
追記です
あの例がちぐはぐになったわけって、アクションが前のアクションを上回っていないからだと思います。だから流れを作るには、「人質の安全」<「自身の名誉」という主人公が望ましくて、人質の命を助けるのは自身の名誉を守るため、という事前の根回しが必要だと思います。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 12)
投稿日時:
ごめんなさい。もう一回追記です。
物語の流れというのは同時に複数個存在し得ると思いました。なぜなら当然のことで、人は同時に複数個の興味を持てないわけないからですね。
サタンさんのお話を借りてさっきの例に当てはめてみると、
敵は不敵に笑う
人質を死なせないために、剣は右肩から入って左に抜ける。【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】
こうなりますね。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 13)
投稿日時:
>同時に複数個存在し得ると思いました。
複数の「興味」を与えることは出来るけど、「同時に」は正確には無理で、そして出来れば一つに絞ってあまり詰め込まない方が良いと思います。
というのも、確かに複数の事柄に興味を持つことは出来ますが、それらを同時に思考することは出来ないからです。普通は一つのことを処理してから次の事を処理する。つまり一個づつです。
日常生活においてはその処理感覚が数秒内であれば「同時」と人は認識しますが、正確には同時ではない。
なぜ同時ではないことにこだわるのかと言えば、それは、並行処理は単純に読者に負担がかかるからです。
一つのことを考えるのと二つのことを考えるのでは、「わかりやすさ」の面で言えば確実に一個に絞った方がいい。
だから、掲示板で出せるような例文の範囲内であれば簡単だから複数の興味を散りばめた文章でも読み取ることは容易いが、これが長文の小説となると「わかりにくい文章」の素になりかねない。
そして何より、二つのことを考えるのと一つのことを考えるのでは、一つのほうが集中力は高い。
なので、例文の場合、確かに複数の興味を与える余地はあるけど、私の解釈は違って、
【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】ということを伝えたい文章なのか、【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】ということを伝えたい文章なのか、読者に与える印象がフワッとしてしまう。と考えます。
あまり意識したことなかったけど、こういう話題なので改めて自分が執筆するときの文章を考えてみると、
主人公は剣を構えた。正眼で敵を真っすぐにとらえ、呼吸を整える。
こう書いた場合、複数の「興味」があるように思えるけど、この一行全部で「剣を構えてる様子」を書いているので、アクションとしては「構えた」の一個だけ。あとは構えた事に対する装飾。
一方で、
敵は短剣をこちらに向けていた。――あれは毒が塗ってあるな。短剣の形状を見て主人公はそう判断し、警戒した。
と続く場合、こちらは「興味」まあここではアクションでいいか。アクションが「構えた」から「敵の武器」に移ってるから改行してるし、こんな感じで基本的に「別のアクション・別の興味」に移る場合は一個の文章にまとめることはせず、句点で閉じて複数の文章にしたほうがいい。
この文章も一行の中で「敵の様子」「武器・毒」「主人公は警戒する」と変化しているけど、それぞれの要素は句点で閉じて短い文で分けてる。
それを改行するかどうかは好みによると思うけど、個人的には、この文章は「敵の短剣を見た主人公が瞬時に判断した」って文章のつもりなので、その「瞬時」という枠組みで一行にまとめた。
言い換えると、その「枠組み」が変わるときに改行してる。
ただこれは、強調するけども、あくまで「私個人の書き方」ね。
普通に日本語の文章作成の勉強で出てくる話の個人解釈で、ようは主語が変わる場合は句点で区切る、話題が変われば改行する、みたいな話を個人的な創作論にからめて難しそうに語ってるに過ぎないです。
まあ、それで言っても例文は、前半は主語が省略されてるけど「主人公は」が主語で、後半は「主人公の剣は」が主語になる文章だから、二つの文章にわけたほうがいいと思うけども。
ともかく、確かに複数の興味を与えることは出来るけど、それは同時にやると「わかりにくい文章」になりがちで(例文は指摘したように主語が変わってる)でも、私も例文で返したけども、句点で区切って複数の文章にしてしまえば問題ないと考えている。
けどそれはやはり一個づつの処理なので、一行に書かれてても同時ではないかなと。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 14)
投稿日時:
正確には同時ではないんですね。だから読者の負担にさせないためにも一個ずつ処理した方がいいんですね。
敵の様子→武器・毒→主人公は警戒する、をそれぞれ句点で区切る。そして枠が変わったら改行する。これがサタンさんの書き方なんですね。
今示された例文とあの例文を混ぜて整理すると、
敵を倒すために、主人公は剣を構えた。【敵が出たら倒す】
≪≪≪ここから≫≫≫
枠:【主人公は剣を構える】
【敵を倒すために】剣を構える
【敵を倒すために】態勢を整える
〈〈〈改行〉〉〉
枠:【敵の短剣を見た主人公が瞬時に判断した】
【敵を倒すために】観察する
【敵を倒すために】判断する
【敵を倒すために】警戒する
≪≪≪ここまで≫≫≫
人質に目をやる
人質を助けるために、切っ先を真正面の敵に向ける。【人質がいたら助ける】
敵は侮辱する
自身の名誉を守るために、柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。【侮辱されたらやり返す】
敵は不敵に笑う
人質を死なせないために、剣は右肩から入って左に抜ける。【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】
≪≪≪ここから今考えた例文です≫≫≫
枠:【どうやって人質を助けるか瞬時に考える】
【人質を死なせないために】人質を見る
【人質を死なせないために】助かるルートを考える
〈〈〈改行〉〉〉
枠:【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】
【人質を死なせないために】敵が油断していると判断する
【人質を死なせないために】攻撃する
≪≪≪ここまで≫≫≫
最初は「興味が同時に複数個存在している」=奥深い
と思ってたんですけど、同時を目指すと逆にその奥深さが分かりづらくなるから、句点や改行で分けて書くんですね。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 15)
投稿日時:
追記です。
物語の流れ未回収=伏線、目的
だと思います。
というのも、物語の流れは普通はすぐに回収されます。
【敵が出たら倒す】【剣を出したら使う】【立ち上がったら何かする】
こういうのはすぐに回収されます。ですが伏線や目的というのは、
【銃があったら使われる】【元の世界に帰るために魔王を倒す】
こういうものだからすぐには回収されません。
物語の流れを未回収にすると、興味が残ったまま進むことになります。これが伏線とか目的とかですね。
具体的な状況を想像してみます。このシーンの前に銃が登場するシーンがあり、それは回収されていません。【魔王を倒す】も解決されてないです。
【敵が出たら倒す】【銃があったら使われる】【元の世界に帰るために魔王を倒す】
このシーンでは物語の流れは三つあると思います。
さっき登場した銃は使うのだろうか、この敵を倒すと魔王討伐にどう影響するのだろうか、あと敵が出たらどうする? という三つです。
それぞれ現状枠と伏線枠と目的枠なんですけど、それぞれ解決と未解決のスパンの長さは、
現状枠<伏線枠<目的枠
ですね。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 16)
投稿日時:
だいぶ話が変わってきてると思う。
もとはと言えば情報量の多い少ないでスピード感を演出できるかって話の中での回答なので、整理して再度回答すると、
読者が文章をスムーズに追えるようにすればスピード感は得られやすいと思う。読者は興味の対象を中心に文章を追うのだから、この興味を作者側がコントロールできればそれは実現できる。
ではその手段はと言えば、「剣を構える」のであれば「構えた剣をどうするか」が気になるのは道理なわけで、そうしたアクションを用いることがわかりやすいと思われる。
であれば、あくまで「スピード感」という点で言えば、このアクションを次から次へと畳みかけるようにすればスピード感は得られると思う。
という回答をしました。
でも、その後のスレ主さんの追記から話が「スピード感」からズレてるような気がします。
私の回答はあくまでスピード感を演出するためにはどうするかという質問に対する回答の一つなので、文章作成そのもののコツとか秘訣とかそういうのじゃないです。
まあ、もともとはスピード感の話でもなく動画的な文章作成の話なので、そっちに話を戻してるのかもしれないけど、枠だとかアクションだとかって例え話はあくまでスピード感を出す話なので、別の事にまで通用する例え話ではないと思います。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 17)
投稿日時:
ごめんなさい。つい脱線しました。
【物語の流れ】という概念が新鮮で、ついいろんなことを考察・共有したくなったんです。
ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
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セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 18)
投稿日時:
「物語の流れ」というのは、身近な事で言えば「問題解決の手順を考える」って事とほぼ同じです。
「パソコンが壊れた、動かない」という問題に対して、
「原因を突き止める(ハードの問題かソフトの問題か)」→「原因を特定したら、それが治せるか買い直すかを判断」→「古いパーツを使って応急処置」→「一応パソコンは動くようになった」
こんな感じで、「問題」に対して「それを解決させる手段」には流れがあるでしょ?
文章にも流れがあるとそれに乗りやすいから、読みやすい。
これを私の論に当てはめると、「パソコンが壊れた」のだから「それを直す」という興味があるわけです。前レスの例文にすれば「敵が現れた」から「敵を倒す」になるのと同じ構造だとわかりますよね。
で、この考えで重要なのは、そもそも「パソコンが壊れた」という『解決すべき問題』が前提にないとグダグダになってしまうってことです。
一行二行の短い文章を書く上で 文章の流れ を意識するって程度ならそこまで気にすることじゃないけど、ワンシーンや物語全体で考える 物語の流れ になると、これは重要です。
なので、物語を考えるときはオチから考えるし、オチから逆算して展開を考える。
そうすると「パソコンは動くようになった」に対する「問題解決の流れ(物語の流れ)」が自然と成立させられる。
繰り返し、これは「問題解決の手順を考える」とほぼ同じ思考なので、では仮に、ここでスレ主さんの提案や疑問である「目的を複数与えられる」「伏線として機能する」といった思考を取り入れてみましょう。
「問題解決の手段」として「その行程が複数あったら混乱しないか?」とか「伏線っていうか伏せるなよ」とか、思いません? あくまで問題解決の手段として考えた場合は。
別の例えをすれば、組み立て式家具の説明書に、手順通り組み立ててたら終盤で伏線が発覚してネジが一本足りなかったとか私ならキレそうになります。
「流れ」というのは、あくまで「大枠」です。「だいたいこんな感じの流れ」ていう大雑把なもので、今回スレ主さんが深く考察なさったような細かい部分を考えるものじゃないです。
この「大雑把なもの」「大枠」ってのは大事なことで、
例えば、
「パソコンが壊れた、動かない」→「原因を突き止める(ハードの問題かソフトの問題か)」→「原因を特定したら、それが治せるか買い直すかを判断」→「古いパーツを使って応急処置」→「一応パソコンは動くようになった」
という大枠をまず決める。
そして、この大枠は動かさないよう、ブレないようにして、この中の「原因を突き止める」だけを更に噛み砕いて考えて、この「原因を突き止める」の枠の中だけで話を複雑にするも良し複数の問題があると書くもよし。
ここで失敗しても「大枠」は無事で「原因を突き止める」だけ考え直せばいい構造にできる。
伏線については、こうして全体の流れを最初に考えてるからこそ出来ることで、
「古いパーツを使って応急処置」っていうオチに説得力を持たせるために、「古いパーツがあるという事を序盤に書く」って伏線の判断ができるようになる。
なので、「流れ」ってのは大雑把なもので大枠で、そんなに細かく考えないです。
ごくごく単純に考えるなら、「(だ)から」で繋げて文章が通じる内容になればだいたい流れは通ってる。
パソコンが壊れた「だから」壊れた原因を突き止める。突き止めた「から」それが直せるか判断する。判断した「から」古いパーツで応急処置をする。応急処置した「から」直った。
このあたりは文章の流れを作るときも同じ話で、目的が複数あるとか伏線になるとかあんま複雑に考えない方がいいと思います。
複雑に考えるとしても、それは「大枠の流れ」とは別の話で、別のテクニックだと思って分けて考えるべきだと思う。
大枠はあくまで大雑把な、文字通りただの「流れ」でしかないし、そうであること、大雑把であることが重要なので。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 19)
投稿日時:
【敵が出たら倒す】は大枠で、【剣を構えたらどうする】とかまで考えると細かすぎるんですね。【剣を構えた“だから”剣で敵を斬る】【剣で敵を斬った“だから”敵は倒れた】これで流れは通るんですね。
それで【剣で敵を斬る】の枠の中だけで複雑にするのはあるんですね。ここで失敗しても大枠は無事だから、失敗を修正するためには【剣で敵を斬る】だけを考え直せばいい構造になるんですね。
伏線の作り方として【剣で敵を斬る】のだから「剣を持っていることを序盤に書く」という判断ができるんですね。
【物語の流れ未回収=伏線、目的】についてですが、これはシーンをまたぐようなものを想像していました。今まで話の流れとしてシーン内のことを話していたので、私の話が跳躍していました。
例えば【元の世界に帰るために魔王を倒す】の【魔王を倒す】は終盤で魔王を倒すので、終盤で解決します。
【主人公は異世界転移し、魔王を倒さないと元の世界に帰れないと言われる】という物語があったら、魔王は終盤まで倒せないはずです。
なので終盤までは【魔王を倒す】の未回収状態が続きます。つまり【魔王を倒すために、〇〇する】とか【目の前の敵を倒すと魔王討伐にどんな影響がある?】とかの興味が読者の頭の片隅に存在している状態です。
頭の片隅にあるということは【元の世界に帰るために魔王を倒せと言われる】のシーン以降から魔王を倒すまで【魔王を倒すために】というのが大黒柱的に付きまとっている状態だと思います。
この頭の片隅に興味があるということは、当たり前ですがその小説に興味を持ってもらっている状態です。これを生み出すのが物語の流れ未回収という状態だと推測しました。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 20)
投稿日時:
また余計なこと書いて誤解を与えそうではあるんだけども、
>例えば【元の世界に帰るために魔王を倒す】の【魔王を倒す】は終盤で魔王を倒すので、終盤で解決します。
「普通に考えると」そうなる。
だから意図的にそこを外すってことをやったりする。
つまり、物語的にはまだ中盤なのに魔王が部下の裏切りで退場したり、急展開で主人公が倒してしまったり。
そうすっと、話はまだ終わらないハズなのに魔王が死んじゃったら、これ元の世界に帰ることになるわけで、どうすんの? って感じで興味が強くなる。
そもそもこの例はただの例で単に終盤で回収される問題提起の例を言ってるだけだと思うから、これは揚げ足取りにもなるんだけど、この例の場合は「元の世界に帰る」が大枠で「魔王を倒す」はその手段になってるから、「元の世界へ帰る準備が整ってない」のに「魔王が倒されてしまう」っていうハプニングが作れる。
そういうハプニング、まあつまり、
いままでは「流れ」の話をしていたけども、その流れっていうのは何度も書いた通り「わかりやすさ」を考えてのこと。つまり「わかりやすい」もっと言えば「展開が読みやすい・読まれやすい」、悪い言い方をすれば読者に先の展開を予想されやすい。
だって「敵が現れた」ら「倒す」ってのは「普通の流れ」でしょ。誰でもわかる。
「文章の流れ」って意味であれば問題ないけども、複数シーンをまたぐような「流れ」の場合は、「わかりやすさ」はデメリットにもなる。
だから、物語の要所では意図的にこの「流れ」に逆らうようなものを置いて読者の注意を物語にグッと引き付ける。
ちなみにこの要所とは三幕構成で言えばターニングポイントやミッドポイントにあることが多い。
「興味」とは、ここでは「人が文章を読み続ける動機」のようなものを便宜上そう書いてただけで、言葉の通り読者が興味を持ってる状態を指してるわけじゃないから、これを名実共に文字通りの「興味」にしなきゃならない。
その行程は今回のレスでハプニングの例を出して少し触れたけど、これまでのレスにおいては触れてないので、そこは注意が必要だと思う。
「主人公が魔王を倒す」って話なら確かに「魔王を倒す」が最終目標になりますし、読者はその過程を追うことになります。
けれど、その「魔王を倒す」って事に読者が魅力を感じるかどうかは別の話で、それはちゃんと文字通りの「興味」に昇華できるよう作らないと、今回スレ主さんが書かれた内容は成立しないと思う。
興味持てなかったら「魔王を倒す」なんて読者の頭の片隅にも居場所がないかもしれんしね。
だから、この「主人公は元の世界へ帰るために魔王を倒す」って例の場合、
物語の中盤か序盤の終わりあたりで「主人公は元の世界へ帰る手段を手に入れてしまった」とかあるいは「魔王を倒してしまった」とかって展開させると、
今回スレ主さんが想定されたような「魔王を倒して元の世界へ帰る話なんだから、魔王が倒されるのは当然のこと終盤」って考えてる読者の思考を壊すことが出来るので、予想外の展開と思われて、本当の意味で読者の「興味」を獲得できると思います。
「魔王を倒すために」ってのが真実読者の興味に昇華できているのならその通りだと思うけど、「こうすることで興味になるんだ」って思考だとすると、それは違うと思う。
構造としてはそう。というか、そういう考え方もあるっていう回答の一つではあると思う。
けど、それとは別に「興味を持たせる工夫や努力」はすべきだし、それとこれとは別の話じゃないかな。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 21)
投稿日時:
ちょっとまとめますね。
今まで言ってきた【物語の流れ】というのは=【文章の流れ】で、
シーンをまたぐ【流れ】はそれとは別。整理するために、シーンをまたぐ流れを【物語の流れ】として話します。
物語の流れと文章の流れがあって、文章の流れでは分かりやすさを優先し、物語の流れでは分かりにくさを優先する。
分かりにくさって言うと語弊があるかもしれないですが、このまま書きます。
分かりにくさと一言で言っても色々ありそうですが、読者の思考の裏切りとか、不確実性とかですかね。この分かりにくさで読者の注意を引き付ける。
ここでの興味=人が文章を読み続ける動機
私はそのままの意味の興味だと受け取っていました。ここで誤解が生まれたんですね。
【元の世界に帰るために魔王を倒す】【魔王を倒すために】→これがそのまま実の興味になるわけではなく、ここに興味を持たせる工夫や努力が必要。その手段として物語の流れの分かりにくさですね。
【物語の流れ未回収=伏線、目的】というのはあるんですね。例えばTP1で物語の流れに逆らって魔王が倒されたとしても、TP1に至るまでは【魔王を倒すために】という目的が存在するので。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 22)
投稿日時:
>ここでの興味=人が文章を読み続ける動機
もともとは文章についての話をしている中での表現だったので、
たった一行二行の文章にそこまで強い興味は持たないでしょう。でも読み続ける以上は何かしらの動機があるわけで、それを指して興味とかアクションとかいろいろ言葉を使ってました。
だから、「剣を構える」とあれば「その剣をどうするか」に「興味」が向かうので、という言い方をしてました。
ちなみに、それについては最初に
>>例えば「主人公は剣を抜いた」って書いたら「その剣でどうするのか」に興味が向く。
>>興味っていうか、単に「はじまり」があれば「おわり」が気になるよねって程度の話ね。
と書いてたりします。
自分の中でしっくりこなかったからいろいろ言葉を変えてたけど、一番最初に書いた「次」ってワードで統一したほうがよかったね。
で、そういう「流れ」の考え方自体は文章も物語も変わらないんだけど、
ああそうだ。いっそ最初に戻って動画で例えると、
1分のショート動画って、別に強い興味を持って見ちゃいないでしょ? でもパッと「男が走ってる様子」があれば「その男が最終的にどうなるのか」まで見ちゃったりする。その男に興味があるわけでもないけど、1分程度なら見続ける動機としてあるわけじゃん?
これまで言ってた「興味」というのはソレ。
つまり、「文章」っていうショートなものならこれが通用するし、ここから「動機」と言葉を変えるけども、文章単位であればこの動機を次から次へと畳みかければ文章にスピード感を出すことは出来ると思う。
けど、これが1分のショート動画ではなく120分の長編映画だとすると、「動機」だけじゃ120分も人の目をむかせることは出来ないでしょ。
だから「文章の流れ」と「物語の流れ」では規模が違うだけで考え方は同じだけど、扱い方が変わってくる。
ただ、
>文章の流れでは分かりやすさを優先し、物語の流れでは分かりにくさを優先する。
そういう0か1かって事じゃなく、「予想通り」のものに「予想外のもの」があるとそこに注意が向くのは当然じゃん?
そういう人の心理を利用してるだけのことだから、優先するとかじゃなく、あくまで要所のポイントで注目させたい事・興味を向けてほしい事に対して使うテクニックみたいなもの。あくまでワンポイントであって優先するしないの事じゃないです。
伏線に関しては、正直その話題はあんま好きじゃないし、よくわからんかな。
個人的には伏線ってのは、「あとに起こる都合のいい展開」に対して「前もって言い訳を書いておく」ことで説得力を増すって技術だと思うので、
そもそも、他の人が伏線がどうのって言ってる議論の大部分が理解できないっス。
読者目線で言えば「あとの展開」を知らないで「言い訳(伏線)」を読むわけだから、あとで伏線の意味を知ったときにスゲーって思うけども、
作者目線で言うと、これも最初のほうのレスで書いたけども、そもそも作者は最初に大雑把な流れで全体像を考えてるわけだから、「オチ」の内容を考えてそれを無理なく展開させるために、その説得力増強のために「言い訳」を序盤中盤に差し込んでるだけ。
そこに一体どんな議論があるんだろうと、伏線テクニックの考察的なものは私には一切わからないです。
この単純な構造のどこを語るんだろう、と。
ほんで興味については、別に「わかりやすさを裏切る」って手段だけしかないわけではないから、なんだかスレ主さん素直すぎるんで、意地悪にも「――とも言い切れない」って例を挙げた感じで、読者の興味を獲得する工夫は、それはそれで分けて考えてみるといいと思う。
例えば、前述したけども1分のショート動画は興味なくても最後まで見れる、じゃあ、その1分のショート動画が連作で連続性を持った計10個のショート動画作品だったら、10作目の最後まで見るだろうか?
その動画の内容が「同じ内容の繰り返し」だったら、最後までは見ない。でも3個目あたりで「予想外の内容」だったら次も見ちゃう(これは前述した「裏切り」の例)。
その動画が、一作見るごとに「新しいもの」を提供してくれていたら、次はどんなものだろうと最後まで見ちゃう(勉強系動画とか雑学動画とか)。
その動画が、絶妙に「自分が好きなもの」を話題に上げて持ち上げてくれたら、気持ちよくなって最後まで見ちゃう(人によるけど政治系動画とか趣味系の動画とか)。
これを小説に当てはめると、
「新しいもの」を用意するパターンは「サバイバル知識をテーマにした作品」とかテーマを絞ってその知識や雑学を毎回短編で紹介したりする。物語自体はヒネリもなくテンプレ―トだとしても「知識」が読者の興味を獲得する。
「好きなものを持ち上げる」パターンは、解釈で否定意見もあろうけど、主人公をヨイショしてひたすら承認欲求を満たす作品がこれに当たると思う。
とまあ、こんな感じで「ショート動画の連作を10個見た場合、どこで飽きるか、どういうシリーズなら最後まで見るか」って考え、それを物語に応用した場合どういう作品が考えられるかって考えれば、それが自分に実行可能かどうかは置いといて、構造として「興味の作り方」の理解や発見は得られるんじゃないかと思います。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 23)
投稿日時:
瞬間的興味と長期的興味があって、
瞬間的興味は【男が走っている。この後どうなる】というもので、これが連鎖することで物語の基礎のような役割を担う。ショート動画に例えると【男が走っている。この後どうなる】くらいで1分持ちますが、これが120分とかになってくると瞬間的興味の連鎖だけでは乗り切れないので、ここに乗せるのが長期的興味ですね。
長期的興味は瞬間的興味と似ているのですが、規模が違うんですね。瞬間的興味だけで長くはもたないので、瞬間的興味の連鎖という土台に長期的興味が乗っているようなイメージだと思います。
長期的興味を引く一つの手段として「予想外」がある。だからほかにもいろいろ手段があって、お示しされたのは「新しいもの」「読者が好きなもの」を提供するという方法ですね。
「ショート動画の連作を10個見た場合、どこで飽きるか、どういうシリーズなら最後まで見るか」この一文にはかなりのものが詰まってますね。
伏線についてですが、
例えば「俺この戦いが終わったら結婚するんだ」というセリフがあったら「こいつ死ぬんだろうな」という予想が出ます。この予想はそのキャラの生死が分かるまで解決されません。だからこういうところが物語の流れ未回収という状態だと思います。
説得力増強のための伏線と興味を引くための伏線と、多分どっちもあると思います。
例に示した「俺この戦いが終わったら結婚するんだ」というセリフは伏線というよりフラグといった方がニュアンスは正しいかもしれないです。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 24)
投稿日時:
たぶん、瞬間的興味と長期的興味というのはスレ主さんなりの理解として、そうなるのかな、と思います。
ただ問題はそれを知ってたところでどうやってその興味を作って深めていくかっていう、自分にそれが出来るのかってトコなので、こういう仕組みの考察は結局のとこ具体性に乏しく具体性がなければ再現性も低いので、理解したところで本人に地力がなければ意味が……って感じになっちゃいます。
伏線については、ご自身でもフラグと言ったほうが正しいかもと書かれてますが、前レスで書かれた「魔王を倒すために」はただ目的の提示をしただけで、
確かに「伏線」というのは後の展開のために前もって触れておくことを指しますが、フラグとか目的の提示とかいろんなことをごっちゃににして伏線って言ってるような気がする。
それより前のレスで「銃があったら使われる」って書かれてたけど、正直このあたりから ん? とは思ってて、たぶんそれはミステリ用語として使われるチェーホフの銃の解説を読んだから例に出したのだと思う。
チェーホフの銃は確かに伏線技法の面もあるけど、これ創作用語ではなくミステリ用語なのがミソで、まあ正確には舞台用語だと思うけど、どっちかっていうと「最初に銃を出したなら凶器かトリックで使わなきゃダメだよ。でないと読者に対してアンフェアだ」って話。
例えば「序盤に銃が出てきて重要なアイテムのように書かれている」のに、「凶器はナイフで銃は関係ありませんでした。銃は読者を惑わすために書いただけです」ってなったら、ミステリを読んでる読者はキレるでしょ。
だから、「銃を出したならちゃんと使いなさい」ってことでミステリ用語として残ってる言葉。
チェーホフは確かに「銃があったら使われる」とは言ってるけど、同時に「使わないなら出すな」とも言ってて、むしろ後者を強調してたりする。
スレ主さんの伏線の定義だと、ハリーポッターなら1作目で ヴォルデモート って名前が出ただけでこれは伏線ってことになりそう。
確かに最終的に戦う相手の名前だから「あとの展開のために前もって触れておく」って意味では伏線と言っていいのかもしれませんが。
でもこれは「このラスボスを倒したら終わりだよ」って物語の着地点を提示したに過ぎない事で、物語の大枠を決定しただけの事だと思うんで、個人的にはこういうのは伏線とは言わないと思う。
伏線っていうのは、まあ私は専門用語の講釈垂れるほど偉くはないけども、
例えば、詐欺師がいるとして、儲け話で人を騙すとする。
そのとき詐欺師は「良い投資がある。利回りがよくて配当は月10万くらい。でも投資額は500万から」と人に声をかける。実際に最初の2・3か月は配当金が送られてきて人は30万くらい儲けが出たと騙される。そんで詐欺師は「仲の良い友達とかも誘って、みんなで儲けましょうよ」って被害者を増やして、ある程度集まったところで消える。
実際送られてきた配当金は被害者が投資として預けた500万から出ていて、結局は差し引き470万と被害者の数✕500万円って金がだまし取られたって形になる。
これポンジスキームって有名な詐欺の手口ね。
このとき、被害者は「でも、最初に本当に配当金が送られてきて、儲かってるって思ったんだよ」って言うわけだけど、それは、そうやって信用させてカモを増やすための「伏線」なのよ。
ポンジスキームは凄く古い詐欺の手口なんだけどいまだに現役で、この恐ろしいところは「被害者一号が信用しきって、自分の友人に声を書けちゃう」ってとこで、友人は友達の言葉だから簡単に信用しちゃって、被害者が簡単に増えちゃう。
詐欺師の本命は、被害者の470万円ではなく、被害者が集めたカモが10人なら10人から集めた5000万の方が本命なのよ。
その「線」を「伏して」被害者を騙すわけだから。
最初から被害者に「友達も誘ってくださいよ」って言っても信用されないでしょ? だからそれが無理な言葉にならないよう、前もって「実際に配当金を渡す」って伏線を置いて信用させる。
まあこれは例え話だしこれが正しい認識だって言うわけじゃないけども、つまり伏線ってのはそのままじゃ無理がある展開に対して、それが無理にならないような事を前もって書いて説得力をつけるってテクニックだと思うよ。
後の展開について少しでも触れれば伏線って言うわけじゃないと思う。
だから例えば、
漫画ワンピースとかで 10年前の伏線が回収された! とかってのをたまに見かけるけど、白髭に傷をつけたのがシャンクスのそっくりさんだったとか、これ別にそもそもその伏線いる? って思っちゃう。
それ伏線じゃないよね、本来不要なものを作者の遊び心で取り入れただけであって。
で、初心者とかはこういうのに憧れたりして、作者の独りよがりな意味不明のセリフとかを意味ありげに書いたりするでしょ。
別に独りよがりでもやりたいならやればいいしダメじゃないけど、それは伏線じゃなくて遊び心でやるもん。
というか、物語はオチから考えるのが基本だし、作者の頭の中では現実とは時系列や因果関係が逆になってるハズなんよ。
こういうオチに持ってきたいから、こういう流れで書く、っていう感じね。
ってことは、そもそも「伏線と回収」っていう言葉の使い方自体が作り手として間違ってると思ってて、それは「回収」が先でしょと。
「回収」を思いついてるから、プロットとかで決めてあるから、その回収シーンのための「伏線」を考えるんだよ。
「回収と伏線」ってならないとおかしいと思う。なので、「未回収」ってのは「物語の進行的にまだ回収シーンまで到達してない」って意味だとはわかるけど、そもそも未回収って言葉が出てくること自体がちょっとわからんかな。
回収が先なんで。
その回収がなければ、そもそも伏線は伏線として機能してないハズだから。
ワンピを読んでるかわからんけど、例えばシャンクスのそっくりさんが出てこなかったとして、そしたら白髭の傷は普通にロジャーと戦ったときの傷なんやろなで終わる話で、伏線になってないでしょ?
そもそも回収がなけりゃ伏線は機能しないのよ。
あえて伏線を強調して読者には理解できないセリフや行動で謎を作ったりもするし、設定や演出で未来を見せたり知らせたりして作る伏線もあるけど、それはサブカルの忍者が全然忍んでないのと同じで伏線なのに全然伏してないって感じ。個人的には、これは伏線っていうより演出に近いかなぁと思ってる。
スレ主さんが言ってるのは、目標が未達成の状態って意味だと思う。
でもそれは、全て達成されるのは物語が終わるときにしかないから、言ってしまえば常に何かしら未達成の状態ですよって事になるわけで、そこについて考える意味が、やはりよくわからない。
物語が進行してる以上は常にその状態にあると思うけども。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 25)
投稿日時:
瞬間的興味と長期的興味の構造は分かったんですけど、技術がないと意味がないというのはその通りだなぁと思います。興味を獲得し、継続し、解決する技術なんですけど、これはずっと付きまとう問題だと思います。
私の伏線の定義が「後の展開について仄めかす」ことだったからいろんなものがごっちゃになったんでしょうね。こういう考え方でいいのかなぁ、と自分でもなんとなく思っていました。
また誤解があるかもしれないんですけど、伏線とは予想の下に伏す線、つまり予想の下に伏した予想外のことだと思いました。ワンピースの例と詐欺師の例を比べてみると、
ワンピース=説得力は増強するが予想を生まない
詐欺師=説得力を増強する。予想させ予想を裏切る
「予想させる」というのが大事で、だから予想を生まないワンピースの例が伏線ではないというのはこういうことだと思いました。誤解かもしれないですけど。
詐欺師の例は、
【儲かっていると信用させる】
【実は騙している】
この例をもじって具体的な状況を考えてみると、
【有利だと信用させる】主人公は敵国を追い詰める。敵国の技術力は地に落ちた。
【実は不利】敵国は技術力が地に落ちた状態において覚醒するという条件を持っていた。
まず予想を引き出し、その予想の下に予想外の事実を伏す。こういうのが伏線なのかなと思いました。
予想とは言ってしまえば興味じゃないですか。だから「予想を生み出す」というのは「物語の流れを生み出す」というのとイコールで、つまり伏線とは「物語の流れを生み出し、予想外の方向へ展開すること(かつ無理のある展開を無理のない展開にすること)」と言えるんじゃないかと思いました。
その伏線のスケールによっては、瞬間的興味にも長期的興味にも当てはまることなのかなぁと。
【物語の流れ未回収=目的】について考える意味ですが、そういう当たり前のことを理解するために書きました。なので「これを使ってどうこうする」という次元にはないです。
【元の世界に帰るために魔王を倒せと言われる】により【魔王を倒す】という目的が生まれる。この状態は興味の未回収=目標が未達成という状態。これを考えるために書きました。
セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信 (No: 26)
投稿日時:
>伏線とは予想の下に伏す線、つまり予想の下に伏した予想外のことだと思いました。
そう難しく考えることはないと思うよ。
例えば、「いつもの通学路を通って学校へ行く。いつも通りのつもりが学校へつくと遅刻していた。時計が一時間ズレてた」って内容の話があるとして。
これ、別に何もないし、いたって普通の誰にでもある日常。
予想なんてものも興味なんてものもない。もちろん伏線もない。スレ主さんの言で言えば「学校へ行く」という予想があると考えるかもしれないが、そんな細かいこと言ったら何にでもあるし、そんな小さな要素まで気にしてたら頭の容量を使いすぎてまとまるものもまとまらなくなる。
この例文に、「伏線を追加しなさい」って問題があるとしたら、単に、
「いつもの通学路『だが、何だか周囲の感じが違った。気になりつつも通学路』を通って学校へ行く。いつも通りのつもりが学校へつくと遅刻していた。時計が一時間ズレてた」
って、「遅刻(強調したいこと・無理あること)」に対して説得力を増すような・補足するような内容を、事前に仕込んでおくだけ。
これ、別に「遅刻するかもしれない」なんて予想はないし、「ちゃんと登校できるだろうな」なんて予想(興味)を作ってやる必要もないじゃない?
私は、よくある具体例として「無理あること」と書いたけど、伏線なんてのは別に何に対してでも張れる。
今回は「強調したいこと」とまた新しい表現を持ってきてるから混乱させるかもしれんけど、
ようは、別に、そんな決まりがあることじゃないし、難しく考える必要はない事だよって思います。
例えば、前述した例文は「遅刻」を強調しようと思ったので「いつもと違う通学路」って伏線を張ったけど、一方で「時計がズレてた」ことに対する伏線を張ろうと思えばまた別の伏線を考えたりする。
詐欺師の例はあまり良くなかったかもしれない。
詐欺師の例は詐欺師だから「騙す」ために伏線を使うけど、我々物書きの場合は読者に「納得してもらう」ため「信用してもらう」ために伏線を使う。
「読者を騙す」ために使う場合はミスリードっていう別の技術になるから、詐欺師を例に出したのは上手くなかった。
あくまで展開に説得力を持たせるための手法のひとつ。
前述した「学校に遅刻した」例は別に説得力を持たせる必要もないから、伏線を張る必要もない。
けど、「いつもと違う通学路だ」って流れがあったほうが面白いなと思うなら、演出としてそれはやればいいと思う。
だから、前回のレスでは少し誤解させたかもしれないけど、別に私はワンピの例は伏線じゃねえとか否定してるわけではない。そう書いちゃってたけども。
伏線として必要ないもの。作者が演出でやってるもの。遊び心でやってるもの。それらは物語として使う伏線とは性質が違うから、「なくてもいい伏線」は伏線として考えないほうがいいと思う。
じゃあ「あったほうがいい伏線は?」ってなると、「その伏線がないと無理がある展開になっちゃう」って伏線だと思うから、具体例として「無理あることに説得力を持たせる」って表現をしていました。
例えば、チョッパーの話でヒルククが海賊旗のドクロマークについて語ってるシーンとか。あれがないと、終盤で毒キノコのスープを飲む理由が半減しちゃう。チョッパーがただ間違えただけになっちゃう。
そういうのが「必要な伏線」だと思う。
そうじゃないものは、強調するための伏線で、つまり物語構成の話というより演出の話になると思う。
演出だから、なくてもいいけど、あったほうがより説得力が増す、前述した「学校に遅刻した」例なんかは無くてもまったく問題ないけど、あったほうが遅刻を強調できる。
まあ、そんなわけで、伏線ってそんな構造的に考えるようなものじゃなくて、「強調したいもの」とか「説得力を増したいもの」があって、これが先にあって、そっから「どうしたら強調できるか説得力を増せるか」と考えるもの。
で。
たぶんだけど、スレ主さん、
>【儲かっていると信用させる】
>【実は騙している】
>この例をもじって具体的な状況を考えてみると、
>【有利だと信用させる】主人公は敵国を追い詰める。敵国の技術力は地に落ちた。
>【実は不利】敵国は技術力が地に落ちた状態において覚醒するという条件を持っていた。
これ、上から順に「主人公は敵国を追い詰める」を考えて、その次に「実は騙してる」に相当する要素として「追い詰められた状態が覚醒条件」って事を考えたでしょ。
この思考が逆なんだってば。
「詐欺師の目的は騙して儲けること」だから「先に身銭を切ってでも被害者を信用させる」って伏線を思いつく。
「信用させて」から「騙す」ではないのよ。「騙す」ために「信用させる」。
つまり、伏線と回収じゃなくて、回収が先ってこと。
だからよくあるのは、というか自分が1年目とかのときによくやってたのは、「黒幕は実は〇〇」っていうオチのために「意味ありげな意味不明のシーン」を序盤に書いたり「黒幕と〇〇がつながりそうなヒント」を中盤に書いたり「〇〇が無意味な行動をしていて、あとで意味がわかります的」なこと書いたり、そうやって「伏線」でオチを「回収」しようとしてた。
まあ、今から思えばそれも演出として割り切れば下手な手ではなかったと思うけど、伏線を積み上げて回収できるとかってわけじゃないから、そもそも回収しようとしてるオチの部分までの「流れ」は作れてて、それが先にあって、そっから説得力を補強するために伏線を作ってく。
こういう構造でここで伏線があって……とかってロジカルに考えてると、私の一年目のときと同じような事になると思う。
なので、そんな難しく考えるものじゃない、回収が先にあって、そっから説得力を持たせるため伏線を作る。
ようは、伏線ってのは 先にする言い訳 程度のもの。
たぶんこのあたりの認識でスレ主さんと私とでかなりズレがありそうかなと思った。
言ってしまえば「回収(答え)」のためのヒントを散りばめることを伏線と言うならば、そのヒントの使い方としてスレ主さんの言うことはわからんでもないと思う。