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元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

 ガンダムとか冒頭ナレーションでアッサリ全人類が半分に減るし、ウルトラマンが撃墜したバルタン星人の宇宙船には20億のバルタン星人が居て、その大半が死んだと言われています。

 まあ要するに『どれだけ殺そうが、書き方次第です』という事なんですが。

 二次大戦前くらい、『大日本帝国』とか『第三ドイツ帝国』とかがあったころ、今でいう『洗脳教育』ってものがあったじゃないですか。
 アレがまさにそうですよね。
 ちょっと例文。今適当に作ったんで、『俺の知ってる日本史となんか違う』と思ったら、多分大野のミス。

①日本は、『欧米圏による植民地支配からの解放』を名目に東南アジアへと軍を進出させた。だが彼らの実態は元の植民地支配とさして変わらず、一般人への虐殺や略奪も行われることがあった。

②我らが偉大なる大日本帝国軍は、鬼畜米英によるアジアの仲間達への支配を断じて許しはしない! 中には、不幸な行き違いによる一般人への発砲や、やむを得ない事態にあっての補給も行われたが、アジアの友たちよ、共に手を組んで鬼畜米英に立ち向かおうではないか!

③かの野蛮なるヤポーネは、我がフランスの植民地にあって、農奴たちへの略奪と虐殺行為を何度も働いた。これは許されざる蛮行である! 君たちの家族、フランス軍の精鋭たちも多くが命を落とした。今こそ、正義の鉄槌を!

④日本人たちは最初、私達を植民地支配から解放する、と言ってやってきました。けれど、彼らの実態はあの忌々しい白人たちとさして変わらなかった。でも、いつかは報われると信じて、協力してきました。

⑤まず最初、白き肌の者どもがやって来て我らが祖先の土地を奪った。森は焼かれ、人々は隷属を強いられた。次に、東の国の者どもがやって来て、我らを解放すると言った。彼らもまた、森を焼いた。森は今、怒っている……。

 最後のはまあ、ジョークですが。
 書いた内容は大体一緒です。
 大日本帝国サイドをかなり誇張表現で描いたのでアレですけども、『同じ内容だろうが書き方次第で違う用に受け取れる』と言うのはなんとなくわかるんじゃないでしょうか。

 その上で、はらわたさんの質問に添った答え方をするなら『虐殺される側の家族とか、内面の善良さみたいなものをとても細かく書き込んだり、或いは殺し方のざんぎゃぐさを長々と描写しなければ、多分オッケー』って言う所でしょうかね。
 
 と言っても、この問題には『行為の問題』『脚本の問題』の二つがあって、『書き方を気を付ければ、概ね行為そのものは受け入れられるだろう』とは思いますが、『脚本的に無意味な虐殺』『キャラや世界観の整合性を無視して虐殺が起きる』などの無茶なことをする場合は、判断が分かれます。

 ただ、ピンポイントに『虐殺という行為』について語るのならば、『被害者側に寄り添った書き方』をしなければ概ねオッケーでしょう。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

ガンダムはリアルを求めて、ガンダムの力を人類半分の命の重さとして表現したんだと思っています。コロニー落としが出来たのはモビルスーツの力で、そのモビルスーツに対抗するために同じくモビルスーツガンダムを作るという、真っ当な理由のために。

殺人も物語を成立させるための都合であれば許されていますよね。むしろ、GANTZのあれは読者が戦闘力だとか、脅威度を測ることができるようになるための演出に見えます。

そもそも読者が本を閉じるような虐殺を書いたのなら大損ですしね。理由を生むためでしか殺戮なんて書いては駄目なんでしょうね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

良くも悪くもそれがモブである以上、億兆京垓と重ねようと「殺した数」はそんなに大事ではないと思うんですよね、作品世界やそれに及んだ戦禍のスケール、あるいは現れた超存在や超兵器が如何にパワフルであるかという表現にはなると思うのですが、そのものがショックを与える事はないと思うのです。

よりショッキングな殺人というのは数よりも過程であると思うんですよね。
特に「辛い展開」として話題になったものというと、「誇りや大切なものを完膚なきまでに踏み躙られた末に殺される」とかチェンソーマンの銃の魔人戦のような「それまで兄弟同然に過ごした者をやむに止まれず殺す」とか、表面的な数や方法以上に文脈が生む残酷さがより大きなウェイトを占めていると感じます。

> グロテスクな小説で規制されているのって知らないんですよね。
その辺は心配無いと思われます。
特に昨今は小説に限らずゴア表現には凄く寛容になったというきらいがあります、進撃の巨人や鬼滅の刃は人を食う人間に近い見た目の怪物や登場人物が腕や目を失う事もままありますし、去年の直木賞受賞作のテスカトリポカも序盤から凄惨なリンチの末に殺された人物の屍がぼかされずに描写されています。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

自分の身に降りかかるかもしれない不幸を表現し、読者に不安を与えたいとする殺人ものに必要なのは、そうですね、過程ですよね。

私は質問主でありますが、常々殺人の起きる作品を読んでいて、一番引っ掛かるところは殺される者の末路に納得が出来ないことです。
理不尽を表現するためにあっけなく登場人物を死なせることがもったいなく感じるんです。『アカメが斬る』を読んだことがあって、理不尽のように見えているのに、その反面必ず仕打ちを受けるというところはすとんと腑に落ちます。
ただ、すぐに忘れてしまうような殺人はもったいないと思います。

私が書きたいのは意味があり、忘れられない大量殺戮。その為に殺人の描写をどこまで書き込み、意味を見出しても良いのかが作家としての悩みどころです。

個人的に殺人=死は数ある表現の中で上位に組み込むほど演出を映えらせるものだと思います。
デスゲーム系が何気なく好まれているのも、常に死の気配が作品を輝かしているのでしょう。

私が求めているのが描写力というのでしたら、そのまま自分の腕を高めるしかありませんね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

 自分みたいな未熟者が答えて良いものかと思いましたが、昔にそういう小説を書いていた身として回答できるところはあると思い、書かせていただきます……(違うな!と思ったらスルーしてくだされ……)

 結論を先に言うと「どこまでも許されるとは思うけど、それが面白さに繋がるかは微妙」という感じです。

 多分、「死んだ人間の数や被害の規模」は関係ないと思います。ディズニー傘下に入ったあとのスターウォーズでも、たくさんの人間が住んでいる星々が大量破壊兵器で消滅したって展開ありましたからね(アレは中々に衝撃的で好きです)。
 さすがにアンパンマンとかではないと思いますが、少し対象年齢の上がった仮面ライダーでは令和時代でも大規模な厄災で人が大勢死ぬ展開もありますし、そこらへんは問題なさそうです。

 ライトノベルという中高生対象のジャンルにおいても同じで、私が高校生の頃はGANTZが大人気でした。席替えで窓際の席になると「お前、カタストロフィで真っ先に死ぬポジションやんけw」って言いあっていたり、一種の共通言語的なポジションにまで到達していました。今でいう鬼滅の刃とか呪術廻戦とかそのあたりの……。
 なので、比較的「無慈悲に人が死にながらも、主人公たちはそれに抗うべく絶望に立ち向かう」というテーマは、中高生に好まれやすいのかなーと。性的表現も同様に「童貞卒業してー」とか「コンビニにコンドーム買いに行くの恥ずかしい」とか、高校生あたりは身近に感じるネタはむしろ好まれるんじゃないかな……と思っています。なので個人的には自分の人生を変えた作品でもあるからなのですが、GANTZはライトノベルを書く上でも自分はバイブルにしているレベルです。

 ただここで問題になってくるのは「描写」だと思います。漫画やアニメだと腕が千切れたり内臓ポロンしても絵なので、そこまで注意して見なければ問題って人は多いでしょう。小説だとそこらへんの描写を詳細に書いてしまうと、書いた分だけ読者は”(イメージしたものを)見てしまう”ことになるので、ちょっと考えなければいけないトピックだと思います。

《注意! ここから先、けっこうなグロ描写を書いちゃうので苦手な人は読まないでください……》

 たとえば剣で敵兵士を斬り伏せた描写があるとします。

『描写1(マイルドなほう)』
 剣閃が夜を斬り裂いた。
 その瞬間、兵士の体が真っ二つに割れた。残ったのは長剣(ロングソード)の銀の刃のみ。

『描写2(グロ描写パワー解放なほう)』
 剣閃が夜を斬り裂いた。
 その瞬間、兵士の頭部に銀の刃が押し当てられた。銀の刃は兵士の頭蓋を叩き割るように顔面を潰していくと、そのまま股座まで一直線に降りていく。真っ二つに割れた頭部から飛散する脳漿、四散する血飛沫、地面に吐き出されていく贓物、裂けていく肉の音。そして最後に銀の刃を滴り落ちる赤黒い血。全ての中心に、一本の長剣(ロングソード)があった。

 前者はよくライトノベルでも見かける描写です。ただ後者はマイナーかな……といった感じであまり見かけない描写です。というのも、絵で表現すれば後者のほうがサマになるのですが、文章で表現すると後者の場合は余計なグロ描写が読者のイメージに強く残ってしまい、その後の展開を薄味にしてしまう可能性があるからです。

 小説という媒体は良くも悪くも作者の描いたものを、そのまま読者の脳内に投影させやすいです。読み手は情報の取捨選択を無意識に行うことが難しいので、作者は常に読み手が“ついてこれて、ついてきてくれる”バランスを意識しながら書いていかなきゃならない……のかなぁ。個人的にはそう思っているけど、世の中の大先生はどう思っているのかは分かりません!

 まぁライトノベルというジャンルではどこまで許されるかはぶっちゃけよく分かりません! 何でも許されるんじゃないかなーって思っていたりもしますが、要は「面白ければいい」ジャンルなんです。ただグロ描写は面白い要素を阻害する要因にもなりえるので、それがメインのシーンで書く意図が無い場合はアッサリでいいんじゃないかなぁ……少なくとも自分にはそれしか思いつきません!
 ただ手はあるんじゃないかなぁとも思いますよ。グロ描写と面白さ、手軽さの両立。朝の電車で異世界転生モノを読むサラリーマンもいれば、ベルセルクを読むサラリーマンもいますし。ただ私は三浦先生の到達した領域には100回転生しても辿り着けない人間なので、諦めているだけです(笑)

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

おそらくですね、人は人の死でしかなんとも思いませんよ。
スターウォーズだって人ではなく宇宙人が主に出てくるじゃ無いですか。宇宙人が死んだところで観ている人は宇宙人自体にはなんとも思ってませんよ。
人が犬の死に悲しむのは、犬に人の心を見出しているからです。生きた魚を捌くところに目を背けたくなる私も、私の人としての命を無意識に魚と重ねているからだと思います。
フィクションの映像作品の死人は、人間として見られていないんですよね。
ただ、人間として見られるような創作しておいて、それを殺す描写を書いたのなら確実に悲しいと思います。面白くもないんですよね。
でも人は心動かされないと生きている実感は湧かないので悲しい作品も読んでくれる算段なんですよ。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

サイトの基準によります。GANTZがそもそも掲載可能なので。

一方で有害指定図書とかにされる作品もいろいろあるので、サイト初の有害指定小説になるかもね。

エブリスタなら、まあその程度なら余裕ですね。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

初の……と書かれると、なんだか凄く光栄なことのように感じます。
面白そうですね。それならその方向でやってしまっても、無駄足にはならないかもしれません。
何事も一番は誇らしいですからね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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元記事:あまり小説を読まなくても小説書けますか?

質問です。

よく、こちらのサイトで「書くのならたくさん小説を読んだ方が良い」と言われておりますが、別に小説に拘らず、一つのストーリーとしてまとまっているものであれば、映画とかドラマとかアニメや漫画からでも参考にしても良いのでしょうか?

恥ずかしながら私は、現在小説を書いている身でありながら、あまり小説を読んでおりません(^^;;
(更に恥ずかしいことに、ラノベも読んだことありません……)
手がけている物語のアイデアは、映画やドラマ、アニメ、漫画から「このシーンは使えるぞ」とどんどん取り入れていったものが殆どです。
ただ、そういった媒体でしか表現できないダイナミックな景色とかコミカルな動きを一つ一つ文字に起こすのがとても難関な作業ではありますが。

じゃあ全く小説を読んだことがないのか?
って聞かれたらそう言うわけでもなく、ある程度参考になりそうな作品を読んでみることにしています。しかし、小説を読んでいるといかんせん「書きたくなる衝動」に駆られてしまい、「読む時間より書く時間!」と体が疼いて読むのを放棄して、気づいたら取り憑かれたようにパソコンに向かってキーボードをカチャカチャ打ちまくってます。
読んでいると書きたくなって仕方がないんです。
ある意味病気なんです。

それでも物語を書く以上は月に2、3冊程度は触れておいた方がいいんでしょうか?

やっぱりこういう人の書く小説って読むに値しないのでしょうか?

よろしくお願い致します。

上記の回答(あまり小説を読まなくても小説書けますか?の返信)

投稿者 ゴミカス : 1 投稿日時:

いえね、私がそうなんだから書けるに決まってる。

カテゴリー : ストーリー スレッド: あまり小説を読まなくても小説書けますか?

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元記事:「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?

とりいさんの質問

よくある話ですが、『「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?』という質問があります。

私は後者のほうがいいと思いますが、やはり全く矛盾のなく面白い話が一番いいと決まっているともまた思います。

そこで質問ですが、皆さんは以下の質問についてどう思いますか?

・話にある突っ込みどころや矛盾を気にする方ですか?(「熱膨張って知ってるか?」とかです)

・自分自身の書いた過去最高の自信作に、流し読みしなければ知識も必要なく誰もがすぐ分かるレベルの非常に重大な突っ込みどころが見つかり、しかしそれを変えてしまったら物語の根幹が破綻しかねないものだった場合、貴方はどうしますか?

・あなたは魔術や超科学のトンデモ要素が一切ない近未来ハードSF小説を書いていたとします。科学知識から見て明らかに間違っていることを知っていて、物語の設定にその間違っていることを入れようと思いますか?

例えば「人間の脳は10%しか使用していない。100%使ったら…」等です。(実際はフル活用しています)

2016/05/30

上記の回答(そもそも矛盾が存在することにあまり気づきません)

投稿者 うっぴー : 0

梔子さんの回答

どうでもいいお話をしたいと思います。

今日、書店にはあまたの物語が散乱しています。そして、そのほとんどには、「月」という存在が顔を出していると思います。
まれに、月というものが存在しない世界観の物語に出会うこともありますが……。それは、本当に稀なことです。
「夜空を見上げれば、満月が浮かんでいた」とか、場面を繋ぐためのありふれた描写ですよね。

けれど、よくよく考えてみれば、ですよ。
月があるのは、地球だけです。
それなのに、明らかに地球ではないどこかを舞台にしている本にだって、月は登場しています。
この現象には、いろいろな理屈や作家の方の言い分、理由があると思います。でも、矛盾していることには違いないのです。

> ・話にある突っ込みどころや矛盾を気にする方ですか?

そもそも、矛盾が存在することにあまり気づきません。読むのに夢中になっていると。
けれど、気づいたらすごく気になります。
それに、私の中で、その作家さんの価値はかなり下がります。

> ・自分自身の書いた過去最高の自信作に、流し読みしなければ知識も必要なく誰もがすぐ分かるレベルの非常に重大な突っ込みどころが見つかり、しかしそれを変えてしまったら物語の根幹が破綻しかねないものだった場合、貴方はどうしますか?

その設定を矛盾ではなくするための新たな設定を、(ご都合主義ではない範囲で)、付け足します。ねじ込みます。

> ・あなたは魔術や超科学のトンデモ要素が一切ない近未来ハードSF小説を書いていたとします。科学知識から見て明らかに間違っていることを知っていて、物語の設定にその間違っていることを入れようと思いますか?

普通は、その設定を入れません。
けれど、どうしても入れたいときは、入れます。

ぶっちゃけ、小説とはフィクションなのですから、「これ、地球の話じゃないしー。私が作った世界観ではそういう原理になってるんしー。」って言い張ることもできますよね。乱暴ですけど。
つまりは、「地球とは違う摂理を持つ世界」という設定で書けば、問題ないわけです。
ただ、もう一度言います。乱暴です。

> 例えば「人間の脳は10%しか使用していない。100%使ったら…」等です。(実際はフル活用しています)

もしもあなた様が、ライトノベルを書かれているのであれば。
ライトノベルって、中高生が主に読みますよね。まあ、それ以外の方も読んでおられるでしょうが。
で、そういう、知識とかが未成熟な中高生の読者様が、うっかりその矛盾やら嘘やらを信じ込んでしまったら、悲惨ですよね……。

2016/05/30(Mon)

カテゴリー : ストーリー スレッド: 「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?

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投稿日時:

元記事:ラノベヒロインの年齢は20代前半だと受けが悪いですか?

警察組織で捜査官という設定なので、大卒設定なのですが、ラノベヒロインとしては年を食い過ぎているでしょうか?
せめて10代後半に抑えるべきですかね?

上記の回答(ラノベヒロインの年齢は20代前半だと受けが悪いですか?の返信)

投稿者 あだちただし : 1

結局、書き方によると思うよ。
だからこれが絶対に駄目なんていうのは小説にはないと思う。

カテゴリー : キャラクター スレッド: ラノベヒロインの年齢は20代前半だと受けが悪いですか?

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投稿日時:

元記事:物語の終わり方と受けるか否かについて

はじめまして、雨降りと申します。
私は今現在SF要素(未来や過去、並行世界など)を混ぜ込んだラブコメを書いているのですが、物語の終わり方に悩んでいます。
マルチエンディングというべきなのかは判りませんが、ヒロイン1〜3までの誰か1人と付き合い、共に物語の命題や困難を乗り越えて終幕! という、いわゆる美少女ゲームのエンディングのような形で締めたいのですが、やはりこのような「物語の終わり方が複数ある」タイプの小説は受けないのでしょうか?

上記の回答(物語の終わり方と受けるか否かについての返信)

投稿者 手塚満 : 2

マルチエンディングって、ゲームではごく普通にありますよね。だけど小説(映画、アニメ、ドラマ等々)では少ない。とはいえ、マルチエンディングに似たものとしては、過去への時間移動があります。失敗したら過去に戻ってやり直す、成功するまで粘り続ける、みたいなものです。

ただ、失敗したら、なんですよね。「よーし、上手くいった! じゃあ別のほうもやっとくか」みたいな小説は、どうも心当たりがない。女神転生シリーズですと、原点となったOVAは筋書きも結末も1つだけ。ゲーム化されて、スーファミになると明確に「Law、Chaos、Neutral」のイベントから結果までが用意されるようになった。イベントや結末は、主人公=プレイヤーの選択によって変わります。全3ルートをクリアして、どれが自分的に納得いくかを試すプレイヤーが多かったようです。

ゲームではよくあるのに、ラノベ等ではマルチエンディングの手法で当たったものがないのはなぜか。おそらく、ゲームだとプレイヤーが物語作りに参加していることがあるように思います。自分の思考錯誤の結果だから、結末に価値が感じられる。他の可能性も自分で試せるとなると、やってみたくなったりもする。

しかし、小説(、アニメ、ドラマ、映画等)は作者が全て決めます。読者はただひたすらに作者の選択を見せられるだけ。ゲームを横で眺めていて、プレイヤーより楽しめるかというと、そうはいきません。異なる方法で何度もクリアしたとしても、見ていて飽きる一方です。だって自分で遊んでないから(例外として超上級プレイヤーのテクを観戦とかあるけど割愛)。

小説とて同じです。ましてや、あり得る成り行き、起こり得る結末全部見せて上げます、といわれたらワクワク感の正反対になりかねません。その代り、小説では読者が思いもつかない展開、意外過ぎる主人公の選択などを出すことができます。読者だったら絶対に選択しないようなことでも、作者が導いていけるわけですね。

しかし大事な選択はジレンマが生じるものですよね。ジレンマが生じないとしたら盛り上がらない。AとBの2択でAを選んだら、Bだったらどうだったか気になるくらいがいい。じゃあ、Bの場合も見せたら、読者はより満足するのか。難しいと思います。

Bが惜しいと思うからこそ、Aが映えるという現象があるのです。サンクコストの一種かもしれません。ゲームだとプレイヤーに能動性がありますから、Bも試せたほうがいい。ですが、小説の読者は受動的にならざるを得ない。単純には小説が不利なようですが、メリットにもなります。惜しむ気持ちについては満足させず、それにより実際に主人公が選択した行為に魅力を持たせることが可能だからです。

時間遡行してのリセットがマルチエンディングと似ていると申しました。が、重要な違いがあります。主人公が過去に戻ってやり直すのは、たいてい失敗したときです。やり直して、また失敗だったなんてストーリー、よくあります。何度やり直してもどうしても失敗になる。

これは主人公を追い詰める手法になっています。ハッピーエンドをたくさん用意して、ハッピーの足し算というものではない。その逆ですよね。どうやっても失敗になることを主人公が確認し、感情移入している読者も主人公と一緒に絶望する。要は盛り下げです。そこで一筋の光明を主人公が見出す、ないしは主人公が考え方を変えたりして、テンション上げれば、落差の大きい山場を作れるわけです。

マルチエンディングの小説が少ないのは、単に誰も試していないということではないです。マルチの結末を用意しにくいわけ、用意しないほうがいい理由があるわけです。そういう要因を考慮しても、なおも全結末が見せたほうが盛り上がるようにできるなら、マルチエンディングを試みたらいいと思います。書き上げてみて、確かに1ルートのみより良いと確信できたら、公募なり発表なりしたらいいでしょう。しかし、なんとなくやってみたいというレベルでしたら、避けるべきだと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 物語の終わり方と受けるか否かについて

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