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殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信

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殺人ものはどこまで許されるのかの返信(元記事)

良くも悪くもそれがモブである以上、億兆京垓と重ねようと「殺した数」はそんなに大事ではないと思うんですよね、作品世界やそれに及んだ戦禍のスケール、あるいは現れた超存在や超兵器が如何にパワフルであるかという表現にはなると思うのですが、そのものがショックを与える事はないと思うのです。

よりショッキングな殺人というのは数よりも過程であると思うんですよね。
特に「辛い展開」として話題になったものというと、「誇りや大切なものを完膚なきまでに踏み躙られた末に殺される」とかチェンソーマンの銃の魔人戦のような「それまで兄弟同然に過ごした者をやむに止まれず殺す」とか、表面的な数や方法以上に文脈が生む残酷さがより大きなウェイトを占めていると感じます。

> グロテスクな小説で規制されているのって知らないんですよね。
その辺は心配無いと思われます。
特に昨今は小説に限らずゴア表現には凄く寛容になったというきらいがあります、進撃の巨人や鬼滅の刃は人を食う人間に近い見た目の怪物や登場人物が腕や目を失う事もままありますし、去年の直木賞受賞作のテスカトリポカも序盤から凄惨なリンチの末に殺された人物の屍がぼかされずに描写されています。

殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信

スレ主 ゴミカス 投稿日時: : 0

自分の身に降りかかるかもしれない不幸を表現し、読者に不安を与えたいとする殺人ものに必要なのは、そうですね、過程ですよね。

私は質問主でありますが、常々殺人の起きる作品を読んでいて、一番引っ掛かるところは殺される者の末路に納得が出来ないことです。
理不尽を表現するためにあっけなく登場人物を死なせることがもったいなく感じるんです。『アカメが斬る』を読んだことがあって、理不尽のように見えているのに、その反面必ず仕打ちを受けるというところはすとんと腑に落ちます。
ただ、すぐに忘れてしまうような殺人はもったいないと思います。

私が書きたいのは意味があり、忘れられない大量殺戮。その為に殺人の描写をどこまで書き込み、意味を見出しても良いのかが作家としての悩みどころです。

個人的に殺人=死は数ある表現の中で上位に組み込むほど演出を映えらせるものだと思います。
デスゲーム系が何気なく好まれているのも、常に死の気配が作品を輝かしているのでしょう。

私が求めているのが描写力というのでしたら、そのまま自分の腕を高めるしかありませんね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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