小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ワルプルギスさんの返信一覧。得点の低い順12ページ目

元記事:もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。

まずは起きた経緯を説明させてください。

まず今回のことは如月さんの言うように僕が完全に悪いです。
他の人の批評を批判する行為に該当するからです。
この一点により僕のしたことはマナー違反に当たります。
またそれだけでなく、僕の発言により、藍色折紙さんはラケンを利用しないとおっしゃいました。
そして、そのあと投稿された私を揶揄する作品にて、ミライノノラという作品と、今は削除されましたが女子大生と、ラーメンと、悪い大人と。という作品に対して寄せられた評点に対する批判を行いました。
結果、その女子大生と、ラーメンと、悪い大人を書かれた作者も作品を削除し、「これからは、なるべく人目に触れないところでひっそり創作します」と去っていきました。
私の批判のせいで、二人もの鍛錬室を利用する人が去ってしまったわけです。

それにより、周囲の人間は怒り、悲しみ、私を非難するに至りました。
私としても、狙い通りに書いた作品に正当な評価を与えてほしいという気持ちで批判した結果、その作品の作者を傷つけてしまったことに強い責任を感じました。
すべては自分が批判したせいですし、そこはどんな言い訳をしても許されるものではないと思います。

しかし、私としては、
・ちゃんと実力のある人は評価してほしい。
・読み手も、批評する能力、感想を書く能力を向上させていく必要があること。
・それがこの鍛錬室のレベルや利用者の質に影響するということ。

ということを話し合いたかったのです。
現状、投稿室を利用している人が掲示板を利用することはありません。
場所としてはふさわしくなかったのは百も承知ですが、自分としてはこのラケンを愛する身として、これをどうしても利用者たちに求めたかったのです。

以上になります。

以下より、問題となった作品とそのコメント欄を載せたいと思います。
決して自分を擁護する目的ではなく、より良い話し合いを行うためのアドバイスをいただくことが目的です。
とはいえ、自分自身も納得できていない部分もありまして、そこをしっかりと掘り下げて今後の糧にしたいと考えています。

お手数をおかけしますが、よろしくおねがいします。
発端となった作品
https://ranove.sakura.ne.jp/3story_system/public_story/13818.shtml#res

上記の回答(もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。の返信)

投稿者 ワルプルギス : 6 人気回答! 投稿日時:

 まず他者の感想欄はディスカッションの場じゃないです。
 投稿室と掲示板は確かに利用者層が異なるわけですが、ふさわしい場がないからと言って、その場で乱闘始めるのは下の下。
 漫画の不良だって最低限ケンカの前に「表へ出ろ」って言うじゃないですか。
 私なら、掲示板にスレ立てしておいて、感想欄では「感想の在り方について掲示板にスレ立てて議論してますので、よろしければご覧ください」などと誘導しますね。
 どうしても投稿室内で収めたいなら、後でやってたように自作の形で投稿して場所を作るのを最初からやってた方がまだマシだったでしょう。規約にゃ違反しますが。

 で次に、「かくあるべし論を上から押し付けても効果はない」
 金木犀さん自身が、自分の書きたくないタイプの感想を無理やり書くよう強要されたらどうします? 反発するか逃げ出すかじゃないですか?
 人間ってのは規範を押し付けるのは大好きでも押し付けられるのはたいがい嫌いです。規範を守らせたければ、押し付けるんじゃなくて、「従う方が良いことあるぜ」の方がベター。
 さらには、言葉で「こっちの方が良いぜ」と説くよりも行動で「ほら、こっちの方が良いだろう?」と見せつける方が説得力が増します。
 つまり、自分の理想とする感想を地道につけ続け、「この人の感想は本当に参考になる。優れた感想書きだ」という評判を確立していけば自然と他の読者らも「〇〇さんの感想の書き方を真似してみるか」となるわけです。

 もちろんあくまで理想論であり、今の過疎った投稿室でそうそう上手くは行かないでしょう。
 でもさ、「ここに投稿すると、感想欄で常連らがケンカ始める」ってとこより「ここに投稿すると、数は少ないけどためになる感想が付く」ってところの方が使いたいと思いませんか?

カテゴリー : その他 スレッド: もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。

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元記事:ホラーについて ほんとうにこわいもの

ホラーに興味があるんですが、ホラー小説とはどんなものかと言う概念はある時を境にずいぶん変わったと思います。
こう言うとあまりにありきたりと思われるかもしれませんが、特に関東より北に住んでいる人なら、東日本大震災です。関西より南なら、それより前の阪神淡路大震災かもしれません。
ホラーというのはそれまで、ある種の約束事の上にできあがっている世界でした。慣れた人なら、その約束事のキーワードが出てくれば、『アレだ』と気づき、そして怖がる準備が始まります。恐怖感を盛り上げてくれるわけです。
ホラーという分野は、人生における本当に怖いことを描いているわけではなく、怖いと思う気持ちを盛り上げてくれるものであって、高度に洗練された記号学みたいなところがありました。作家と読者のあうんの呼吸と言い換えてもいいでしょう。
でもこういった約束事の根本には、人間のほとんどは本当の恐怖を知らないという前提があります。皆がそれをはっきり認識できない、恐怖感はふわっとしたつかみ所のないもので、それを小説の言葉が具現化するのです。人は初めてそこで、恐怖の形をイメージできる。でもそれが正しく恐怖を描いているかどうかは、実は読者は認識できていないのです。怖いとは感じるが、本当に怖いのかどうかはわからない。
でも恐怖を楽しむことはできた。
でも震災の時、それを体験した人だけでなく、その存在を知った日本人のほとんどが、本当の恐怖が何であるのか知ってしまったんだと思います。本当の恐怖は予告もなく表れ、約束事もなくすべてを奪っていく。死ぬことと死なないことの境界は約束されたストーリーではなく、単なる偶然に過ぎません。それを知ってしまうと、ホラー小説の前提が崩れてしまうのだと思います。実際震災以降一定期間、ホラー分野の小説や映画がさっぱり売れなくなりました。みんな作り物の匂いが鼻についてしまったからです。今はそれほどでもないですが、それでも、恐怖の約束事は変わったように思います。一般小説でも震災後は震災前とは違ってしまったところがありますが、ホラーは顕著だと思います。
そういう意味では、これからのホラーは新しい形が必要になるでしょう。でもそれがホラー小説として洗練された作品に昇華するかどうかはわかりませんが。

上記の回答(ホラーについて ほんとうにこわいものの返信)

投稿者 にわとり : 0

 当時は津波や土砂崩れの心配がない場所にいたので、揺れは怖いっちゃ怖いけど命の危険は全く感じなかったし、後日ニュースの映像を見ても第一印象は「出来の悪いディザスタームービーみたいだな」って感じだった。被災地で起こってることがあんまりにもあんまりなので、却って悪い冗談みたいに感じたっけ。
 被害は痛ましいと思うけど、別に自分は震災前後でなにか生活が変わったってこともなかったので特別な恐怖感はなかったな。通り魔とか過労死とか虐待死とか海外の銃乱射のニュースを見て怖いなと思うのと同程度の経験のひとつでしかないですね、自分にとっては。大半の日本人も似たようなものなんじゃないかと思う。
 一方で震災がなくても日々命にかかわる怖いことはたくさん起こっていて、新聞の三面記事を読んでいればいくらでもそういう出来事を知ることができるわけです。震災ってそんなにわれわれにとって特別な体験だったのかな。ちょっと、かなり疑問です。

 ふと連想したのだけれど、社会に大きなインパクトを与えた出来事がジャンルの盛衰を決めたっていうロジックは、笠井潔の大量死理論(第一次世界大戦で"大量の無意味な死"を経験した社会が、その反動としてたった一つの特別な死を描く探偵小説の流行を生んだとする主張)と相似だなあ。大量死理論も辻褄は合うかもしれないけど証拠がないって批判されてたし、そういう意味でも似てる。

 ちなみに被災した人はホラーを忌避するようになったのかと言うと、むしろ被災地に特有の怪談が流布しているという研究( https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/07/yuka-kudo_n_9398868.html )があったりする。身近で人がたくさん死ぬと、生と死の境界が曖昧になるというか、死者が身近に思えてくるみたいなことはあるのかもしれない。

>そういう意味では、これからのホラーは新しい形が必要になるでしょう。

 ホラーの新しい形、ねえ……。なんとなく、あなたが求めている新しい形のホラーって実話怪談系のホラーとしてすでに結実してるんじゃないのかなという気がする。説話的なオチとか因果応報があるわけじゃなくて、体験者の目線で超常的な怖い現象に遭遇するのだけれど、意味は最後までわからないタイプの作品群。理解不能で通り魔的、災害的な怪異のイメージ。まさに『本当の恐怖は予告もなく表れ、約束事もなくすべてを奪っていく。死ぬことと死なないことの境界は約束されたストーリーではなく、単なる偶然に過ぎ』ないという現実認識を創作に落とし込んでできたもの、という感じがします。この手のジャンルは90年台からあるけど、『恐怖の約束事は変わったように思います』というのが正しければ、今後さらに幅を利かせるようになるのかも。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ホラーについて ほんとうにこわいもの

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元記事:小説が書けません続

プロになりたいわけではありません。好きなものをなかなか見たことがないもどかしさにより、自分で生み出したいので小説を執筆したいのです。
しかし本編を一文字も書けず、設定もふわっとしたものだけ。
私は小説をろくに読まないのですが、小説を読めばいつかは改善できるでしょうか?活字が苦手で読んでません。
質問になっていなかったらすみません(二回目)。とても深刻に悩んでいます。

上記の回答(小説が書けません続の返信)

投稿者 karigari : 1

参考になるかどうかわからんが、自分が同じ感じで悩んでた時の話をする。
しかしまず結論から言えば、字面は大事だ。

具体的にこれから自分の過去の話をするけど、俺も一文字も書けねぇって悩んでた時、適当に「うんこ」とかキーボードで打ってみたりする(開けっぴろげにこういうこと言う人は普通いないけど、けっこうこういう体験がある人は多いんじゃないかと思う)。
でもそれでなんもならなくて虚無感に襲われたりするが、大事なのはこうやってなんとなく書いてみることだと思う。
簡単な話、ちゃんとかっこいい主人公の名前考えて、それをキーボードで打ってみると、なんとなく見えてくる。重要なのは、名前だけじゃなくて、勇気出してもうちょっと書いてみることだ。
例えば「ウィルスミス」と書いてあきらめるんじゃなくて、「ウィルスミスは銃を手にとった」まで書いたらなんとなくクルものがある。でもそれだけじゃ受け手がまだわからないから、自分の連想に従ってちゃんとした舞台の名前を書く。今回は固有名ではないが、

近未来を想定した場合、
2035年アメリカ。ウィルスミスが、銃を手にとった。

現代なら
マイアミ某所、ウィルスミスが、銃を手にとった。

前者なら映画アイロボット、後者ならバッドボーイズ的な世界が作れる感じがくる。(まだまだ膨らませないとだめだが)
映画ならビジュアルで表現するだろうが、小説は言葉の世界だから、しっかりいい感じの言葉を考えたり作ったりして、それを書いてそっから連想を広げていくのが大事だ。
頭の中のイメージだけでは小説を書くのは辛い。ちゃんと現実に即して「ワード」を刻んでいくことが大事だ。なぜなら小説は言語による表現だからだ。

慣れると意外と簡単な感じだが、やっぱり世界観ごとに語彙が必要になるし、大変なことも多いかもしれない。
しかし、続ければ経験値が溜まってくるし、そうなったら結構ハマれる。

という自分の経験談だが、最後まで読んでくれてありがとう。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説が書けません続

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元記事:ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレ

私は以下のように考えています。

・リアルで成功する空想が誰にも持てない
・変化が早すぎて、現実を舞台にした作品は賞味期限が短くなる
・現実世界は複雑過ぎて、読者も作者も理解できない

ファンタジーはリアルと違って、成功できるし、変化がないし、単純だから良いのです。
なにより希望が持てるの売りだと思います。
進撃の巨人や約束のネバーランドのようなダークファンタジーでも、ファンタジーなら主人公が逆転できる希望が持てます。

逆に、闇金ウシジマくんのような現代日本を舞台にした物語は、どうしても重苦しく絶望的になります。
ウシジマくんの登場人物は、進撃の巨人や約束のネバーランドのキャラよりも、安全で快適な世界で暮らしていますが、彼らが逆転して幸せになることは、まず不可能なのが特徴です。

でも、エレンやエマなら、圧倒的な絶望にも押しつぶされないで、逆転できそうな気がします。

ラノベを読む読者は、楽しくすっかとする話、承認欲求を満たせる話を求めているので、逆転の希望が持てる異世界ファンタジーが王道となるのではないかと思います。

また、そもそも日本人は時代劇のようにワンパターンな物語が好きだという特徴があるのではないかと考えています。
例えば、水戸黄門で一度だけ印籠を出さなかった回があったそうですが、その時はTV局にクレームが殺到したそうです。
つまり、型通りの物語を求めている人が多いということです。

このため、なろう系のようにテンプレ化した異世界ファンタジーが求められているのではないかと考えています。

あなたのご意見を投稿いただければと思います。

上記の回答(ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレの返信)

投稿者 ユキヨシ : 1

 私は「問題を暴力で解決する選択をさせやすいから」と考えています。
 ライトノベルはエンターテイメントであり、読者を楽しませる娯楽であるために必要な要素は、すなわちセックスと暴力です。
 具体例を挙げれば、イケメンと美少女と萌えキャラ、カーチェイスと銃撃戦、そして肉弾による突撃です。
 つまり魅力的なキャラクターによるバトルとアクションであり、エンターテイメントにおけるバトルとアクションとは問題を暴力によって解決するプロセスであります。

 現代日本を舞台にした場合、殺人鬼が徘徊していようと怪獣が暴れていようと、「ごく普通の高校生」である主人公が戦う必要も理由もありません。
 家族や学校といった共同体に守られており、そして警察や自衛隊という統制された暴力を供給して脅威を排除するシステムが確立しています。
 ここを無視して現代日本でバトルものをやると「警察はなんで出てこないんだろう?」という疑問が頭をもたげてくるわけです。
 そもそも現代において、たとえ相手が悪人であろうと暴力に訴えれば傷害や殺人となってこっちが警察に捕まります。
 仮面ライダーの本郷猛だって、法律に則って考察すると良くて過剰防衛、多くの話数において殺人で起訴される可能性があるとか。

 そのため、
・一般社会から隔絶された裏世界をメインの舞台にする(幽々白書やfateシリーズなど)
・主人公を政府やそれに類する架空の組織に所属させる(フルメタルパニックや東京レイヴンズなど)
・警察や自衛隊をメインに据える(平成ガメラシリーズや仮面ライダークウガなど)
 などなど、設定に一手間加える必要が出てきます。
 この一手間がとても「一手間」とは言えないほどの手間であることは、上記作品の概要を調べていただければわかるかと思います。
 亡国のイージスやガンダムUCの作者である福井晴敏氏は「日本でダイハードみたいな話をやるにはどうすればいいか」と考え、自衛隊をメインテーマに決め、それに関する法律や歴史を調べたそうです。

 現代日本を舞台にしてバトルものをやるのにこれだけハードルが高いなら、中世風ファンタジー世界を舞台にしようと考える人が多いものむべなるかな。
 多くのファンタジー世界において警察はないか能力や権限が限られており、近代的な軍隊(規律の取れた常備軍)は存在しません。
 それでいて人間の脅威となるモンスターや、人間であっても夜盗や山賊が跳梁跋扈している修羅の国です。
 生き抜くためには暴力に頼らざるを得ないし、暴力に頼ったとて、咎められることもないのです。

 現代とファンタジーの暴力に対する価値観に違いが、「リアルで成功する空想が誰にも持てない」ことの要因だと考えています。

 人間ほど同種を殺害する動物は他にいません。
 なぜなら、同質の知性、同等以上の体格・体力を持った相手を殺害しようとすれば、死に物狂いの反撃を受け、相手を殺害できても自分も重傷を負う可能性が大きいためです。
 しかし人間は違います。
 直立二足歩行を行い、両手が自由になった時、その手で武器を使うことができるようになりました。
 木の枝に石をくくり付けただけで、最初の一撃で致命傷を与えて反撃を受けることなく、無傷で相手を殺害できる可能性が高まりました。
 人間にとって暴力により敵対者、競合者、邪魔者を排除する行為は、低コスト、低リスクで合理的な選択でした。
 もちろん時代が進めば暴力に頼るコストとリスクはどんどん上昇し、現代ではご法度ですが、人間の歴史からすれば、暴力が合理的な問題解決手段であった時代の方が長いわけです。

 物語において、主人公は様々な困難に直面します。
 それがわかりやすく目に見える敵であることも多く、その場合敵対者を皆殺しにしてしまえば自分たちを脅かす相手がいなくなってハッピーエンド……となるかどうか、現代とファンタジーで明暗分かれるかと思います。
 合理的で非常にわかりやすい問題解決手段が封じられ、自分(主人公)に不利なルールを押し付けられている……現代ものをそんなふうに感じている人も多いのではないでしょうか。

 と、あれこれ現代ものの不利な点を挙げましたが、私は上記の通り、剣と魔法のバトルより銃撃戦とカーチェイスの方が好きです。
 読むのも書くのも観るのも、現代ものかSFで、実の所ファンタジーに関わるのはゲームくらいです。
 魔王を倒してめでたしめでたしもいいですが、大暴れのあときちんと法廷で無罪を勝ち取り悪人を裁く現代劇も私は好きです。
 もっとも、現代劇での大暴れの後始末が面倒で、いつもプロットに悩むのですが。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレ

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