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壱番合戦 仁さんの返信一覧。得点の高い順6ページ目

元記事:社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

 以前の僕の質問を見返すと、社会派小説の観点に立って話しているな、という自覚を覚えました。
 それならば、
 【現代文明における成人の儀の話】と、
 【核家族社会の黒歴史】や
 【理性や思考だけを育てる『頭脳教育』の是非】、
 あるいは、【家族形態の多様性について】や、
 【人間関係のオリジナライズ(固有種化)を促せる社会の実現】などの話題は、僕にとって至上命題であると思い立ちました。

 どうも、壱番合戦 仁です。ただいま、あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。
 これから、一つ一つ丁寧に解説していきますね。各議題に分けて投稿しますよ!これから僕の持論に対して、皆様の意見を募りたいと存じます。レッツ、ディスカッション!

 壱、【現代文明における成人の儀】

 以前、『人類文化史上において、書き手が紡ぐ物語が視聴者や読者にとって、奇しくも成人の儀の代わりとして機能している』という記述を、ある学術書にて見かけたことがあります。

 個人的には、今もなお、小説を始めとしたとした物語が、僕たち人類の心を育み続けている、とは思います。
 とはいえ、その機能は完全とは言えないでしょう。現状の社会を顧みても、ニートのオタクたちに《行きて帰りし物語》の系譜に属する本を読ませても、おそらく成長はしないでしょう。人によるとは思いますが、効果は非常に薄いと言わざるを得ません。なぜならば、《自分事としては捉えていない》からです。

 当たり前のことですが、多くの場合において、小説にせよ映画にせよ、『この本を購入したあなたは劇中の人物が起こした他人事を覗き見る立場に置かれます』、という不文律のもとに読者は存在します。
 これでは、成長することはおろか、娯楽作品の域を出ません。(エンタメ小説家のための場なのに、申し訳ない)

 少々脱線します。
 『新世界より』著/貴志祐介の漫画版のエンディングの様な手法をとることはできます。今までHEで語られた物語の主人公が、「どうせコイツ架空の人物だろ……。ケッ、ツマンネ」と高をくくっていた邪かつ健全なる感覚を持った読者たちに、「千年後のあなたへ」と告げて微笑みます。その言葉の裏に、物語そのものの重みを全部込めて読者に贈るのです。その発想力と鮮やかな手並みに僕は感嘆しました。一瞬、彼女が神の向こうの世界から話しかけてくれたのだ、と泣きそうになりました。
 でも、すぐに夢は覚めます。僕は、その本を一度閉じて、表紙を見返しました。
 なんてことはありません。【表紙に映し出された彼らは、最も本人たちにとって栄光ある姿のまま時を止め、命を得ることはありません】。
 僕は、強い悲しみを覚えました。嗚呼、物語に恋することのなんと虚しいこととか!
 だからこそ、誤解を恐れずに申し上げれば、娯楽の観点から言っても、《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験を、生身で実感できる媒体を作ることができれば、物語はもっと面白くなる可能性を秘めています。
 この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。
 『事実は小説よりも奇なり』ということわざの裏には、「ある一面においては、現実は小説よりも奇妙さに優れている」=「小説並みの出来事は起きうるのだ(だから現実を悲観することはない。きっと楽しいはず)」→「でも、ぶっちゃけいうと、今年の年末休暇は俺tueee系のラノベ世界でバカンスしてェわぁ……ムナシィ」という願望が見え隠れしていると思います。(うがった解釈であることは自覚しています)

 では、これらの課題を現代技術で賄うとすれば、何があげられるか。
 今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
 もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。
 いずれにしても、実現性自体は否定できませんが、将来の話とするしか冷静な見方がありません。

 僕だって、ここではないどこかを旅して成長したいし(異世界行きたい!)、一定の筋書きに沿ってスムーズかつドラマチックに凱旋したらかっこいいのに、と妄想しますよ。
 誰でも一度は物語を夢見ることはあると思います。
 前述のうちに『行きて帰りし物語』は、成人の儀の代わりだ、と申し上げました。
 この際です。出来るかどうかは別として、こう考えてはいかがでしょうか?
 「代わりなんて使わずに、本当に成人の儀をしちゃえ!ついでに社会制度もそれに合わせて変えた方がいいよな」と。

 皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?
 もし必要なら、どんな試練を受けたいですか?また、自身の要望を別にした場合、社会全体から見てどんな成人の儀が必要だと思いますか?

 補足解説。

 我々人類は、「人間」というよくわからないものを演じてきました。
 ですが、「我々は、何という名前の生き物だったのでしょう?」

 思わず、「人間」と答えてしまった、そこのあなた。そう、それこそが社会にゆがみをもたらす元凶だと僕は考察しています。
 我々は、自然環境に適合するために道具や文化の発明を通して、「人の世」という、自然の摂理から引き離された隔離世界を作りました。そうしているうちに、自分が生き物、あるいは動物であることを誰もが忘れてしまいました。
 生物図鑑に自らを「ヒト」と記しつつも、サルに分類される自らを「万物の霊長の類」としてしまったり、絵図に書いたヒトに下着を履かせたりすることが、人が自分を動物だと思っている何よりの証拠です。

 断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。その方がよほど健全だし、少なくとも僕はそういう立場をとります。
 僕は人間の尊性を過信してはいけないと思います。

 皆さんも、人生を生きていて一回は、自分の本能を抑えつけたことがあったかと思います。あなたが男性で、異性を目の前にしたことがあるなら、なおさら、覚えがあるでしょう。
 「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。
 いかにも食欲や性欲、自己承認欲求丸出しのキャラクターは、敵役の性格について語るとき、もはやテンプレートにすらなっています。

 ですが、ここで一度考えてください。
 「欲求を持つこと自体は健全と認めるのに、何で「お花を摘みに行っていいですか?」とわざわざ遠回しに聞いてから野糞するがごとく、人に隠れてこそこそさっさと済ませなきゃいけないの?」と。

 ヒトは、たくさんの必要不可欠で根源的な欲求をその遺伝子に刻んでいます。
 
 「気持ちいい」と感じることは罪なのでしょうか?
 本来、快感と幸福は不可分一体であったはずです。

 僕は、多くの「極端に【人間】になりすぎて、病気をこじらせた人たち」に出会ってきましたが、「禁欲しすぎたから壊れた」という方々は結構いらっしゃいました。
 キメたことがある人もいたし、イッている人もいたし、ミエテいる人もいました。
 あくまでも僕の主観ですが、彼らは非常に「人間」でした。少なくとも「ヒトらしさ」は見受けられませんでした。

 これを踏まえて考えても、おかしいですよね。
 僕らは、ご飯をたくさんおいしく食べている友達を前にして「獣みたい」と罵った、というたとえ話を聴かされても、「言い過ぎだ」とは思っても、「間違っている」とはなかなか言い出せません。

 セフレを何人も持っているけど、誰にも迷惑はかけていない。そんな幸福なチャラ男を前にして、「お前はケダモノか」とかいっても、それほど違和感はありません。
 でもよくよく考えてみたら、それはとても恐ろしいことだと思います。

 皆さんはどう思いますか?

上記の回答(社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)の返信)

スレ主 壱番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 参、【理性や思考ばかりを育てようとする『頭脳教育』の是非について】

 ハイ、学園物を書いているそこのチミチミィ!!学び舎を描写するならば、教育に関しての話題に詳しくなることは大きな武器になるぞォ!考えればきっと、支倉凍砂/著『狼と香辛料』みたいなスゴいブツを書けるぞっ!君もこっちへ来給え!
 さあ、レッツ・傾★注!

 さて、今取り上げたように、日ごろから学園物を得意とする方に朗報です。
 今回は、学校教育に関する問題提起をします!僕の実体験も織り交ぜつつお届けしますねw

 思春期特有の強い飢餓感。あふれ出る豊かな情緒。猛り狂う情熱と、汚泥のように湧き出す情欲。
 これらを懐かしいと思われる方も多くいらっしゃるでしょう。僕の場合は、今もありありと思い出せます。というか、思春期末期が終わった直後なので、実感としては昨日今日レベルで思い出せますが。

 ヒトという生き物が、「アイデンティティ」という仮面を見つけ、程よく「人間」になっていくのは、大体において思春期相当の年頃だったと記憶しています。
 ですが、一部の大人は、彼らを必要以上にヒトが本来持つ生態から引き離してしまいます。いえ、よくよく考えたら、大なり小なり同じようなことはしているのです。
 問題は、「ヒトという生き物を、どこまで【人間】という獣ではない尊いとされる何らかの存在として振舞わせるか?」
「または当事者として、どこまでヒトらしく生きて、どこまで人間らしく生きるか?」

 今回はこれについて考えたいと思います。
 皆さんのご意見をどしどし募集しております!
 有意義な議論をレッツ・エンジョイ!

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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元記事: チャンスをつかみ損ねました。いつになったら新人賞に応募できるのでしょう……。の返信

貴方の中の感情は、言わんとしてるところはわからなくもないけど、話の前後を知らないと第三者には答えようもありません。
私の場合は「カッコつけない本心」とかそんな感じのニュアンスで表現していた、ソレのことかなと思う。
最初期の返信では「言い訳にするな、武器にしろ」といった形で伝えてたと思う。
障害を言い訳にはしていませんと返ってきて喧嘩腰になってしまったので、伝わってなかったと思いますが。
そもそも、「感情」は形がないし「コレだよ」と言いようがないので、このように抽象的な表現になってしまいます。
ああコレか、と納得するのは、やはり自分で探すしかないものでしょう。偉そうに言ってる私も「それを理解しているから言ってる」というわけでもないです。
てか、そう簡単に理解できるもんなら苦労はないし、悩まない。
それどころか、「わからないから創作で表現しようとしてる」という事もあるので、別に理解できない事が悪いことでもないと思う。

パンドラの箱に憎悪が入っていたのなら、あわてて閉めたとき、最後に何が残ってたんでしょうかね。

>物語を書く前に、心構えがなっていない僕に知恵を貸してください。
私から言えるのは、「カッコつけるな」ってことだけです。
小説らしく体裁を整えたり、良い文章、感情がこもってる文章を書こうとしないほうが良い。
そもそもが十年以上書いてきた人と違うのですから、自分に良いものが書けるなどと思い上がるな、身の程を知れ、というものです。
「面白いものを書こう」「人を楽しませるものを書こう」と、それは良い心がけですが、「面白いと感じる」「楽しいと思う」のは読者であって、「作者がそうさせている」のではありません。
だというのに書く前から、そうした実績を積む前から「自分には面白いのが書ける」「自分は人を楽しませられる」などと考えるのは、思い上がりも甚だしい。
自分に出来ることは、ただ想定した物語を綴るだけです。
それを面白いと思うかどうか、楽しいと感じるかどうかは読者次第で、作者が感知するところじゃありません。
ただ、「物語を綴る」ということに全力であれば良いだけです。

それがエンタメであれば「人が楽しめそうな物語を作る」「面白そうな物語を作る」という前提こそありますが、
しかし、貴方の場合は完全なエンタメと言い切れない私小説です。
するとこの時点でどっちつかずな事がわかるでしょうか。
自身の半生をモデルにした物語を書くこと自体は良いですが、それをエンタメと割り切るのであれば「主人公は自分の半身」などと言わないようにしましょう。
それは「半身」ではないです。「物語の語り部」にすぎないキャラクターです。
私小説に重きを置くのであれば、「ラノベを書いている」という事に逃げないようにしましょう。
逃げてないと思うかもしれませんが、「ラノベだから」という事に逃げてるようにしか見えません。
まあ、宮部みゆきの「ブレイブストーリー」でも読んで見れば良いのではないでしょうか。
おそらく貴方のやりたい事は、大衆小説のほうでよく見られると思う。
現実的な問題 + 架空のファンタジー みたいな雰囲気はラノベではあまり見ないけど一般文芸なら割とよくあります。
貴方の場合、この「現実的な問題」に「自身の障害について」というワードが入っていると思う。

やりたいことを再度見つめ直して、しっかりと身に着けて、そうしたらあとは書くだけではないでしょうか。
すなわち、カッコつけずに「物語を綴る」ことに全力であれば良いだけ。
それが下手くそでも、少なくとも私は笑いませんよ。
カッコつけてる部分は笑い飛ばすけど。

具体的なことを一つ書いておくと、
前回のスレッドにおいて、貴方は貴方の過去の体験をストーリーテイストで書いていました。
これはきっと貴方の体験において差別の原風景でしょう。
そんな大事な場面なんですが、「レイヤ」が出てくる物語に、似たような場面はありますか?
レイヤが似たような体験をして幸せな場面から一転して差別の場面になって温度差に耐えきれず「この視線が嫌で嫌でたまらない」と叫ぶ場面。
おそらく無いでしょ。
少なくとも以前、ざっと拝見させてもらった中にはそんな場面なかったと思う。
「なんで貴方の体験を武器にしないんですか?」って話なんですよ。
そういうとこ、カッコつけなくていいから、って。

カッコつけず、下手なりに書けば良い。
そうすりゃ今年中の応募も可能でしょう。ていうか、確か一応作品は完成はしてますよね? 新人賞に出したいなら出せば良いでしょうに。
「チャンスをつかみそこねた」って、まるで何かが原因で、と言ってるように聞こえるけど、好きにしたらいい話、だと思います。
こっちこそ聞きたいよ。そこまで嘆くんであれば、なんでチャンスをつかもうとしないのか? って。応募すりゃいいじゃん。なんでしないんでしょうか?

上記の回答( これからやってみます。)

スレ主 壱番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 >>パンドラの箱に憎悪が入っていたのなら、あわてて閉めたとき、最後に何が残ってたんでしょうかね。

 あの時、僕は見てしまいました。パンドラの箱の奥で、障碍者としての僕が寂しそうな顔をしてました。
 今思うのは、アイツが「レイヤ」だったんじゃないかって。見苦しいからってパンドラの箱に押し込めていたんじゃないかって。

 >>具体的なことを一つ書いておくと、
前回のスレッドにおいて、貴方は貴方の過去の体験をストーリーテイストで書いていました。
これはきっと貴方の体験において差別の原風景でしょう。
そんな大事な場面なんですが、「レイヤ」が出てくる物語に、似たような場面はありますか?
レイヤが似たような体験をして幸せな場面から一転して差別の場面になって温度差に耐えきれず「この視線が嫌で嫌でたまらない」と叫ぶ場面。
おそらく無いでしょ。
少なくとも以前、ざっと拝見させてもらった中にはそんな場面なかったと思う。
「なんで貴方の体験を武器にしないんですか?」って話なんですよ。
そういうとこ、カッコつけなくていいから、って。 

 この提言を見て、「あ……、そういう僕の醜いところをぶちまけていいんだ」って、思いました。差別からくるストレスで、あの二人がドロドロに愛し合ってもいいのか。なるほど。

 なんか、いろいろ人を楽しませようとして、無駄なぜい肉をつけていた気がします。目からうろこが落ちました。

 これから全力で自主規制なしで書いてみます。本当にありがとうございました。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド:  チャンスをつかみ損ねました。いつになったら新人賞に応募できるのでしょう……。

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元記事:連続バトルで単調にならないためにはどうしたらいいですか?の返信

あぁ、うーん……思ったより深刻なお悩みですね。

>僕自身、空手を十年間やってきた経験上、(中略)あまりにもぶっ飛んだバトルが書けないのです。
うん、そうなんよね。
私の場合は逆に創作の参考になればと思って噛じったニワカなのだけど、剣道と柔道と合気道をやった。
私は「武道」というモノの特徴と、その精神のサワリだけでも学べれば良かったのであまり強い影響はありませんが、でも、やっぱ「常識として知ってること」を曲げて書くことは難しいので、影響を感じる部分はあります。
例えば柔道と合気道で共通する「受け身を取る」という部分では、道路などコンクリートの上で受け身も知らん一般人に技をかける、というのは普通に考えて有り得ないと思うんで、そういう場面は書きにくいですね。

ま、武道と関係なく身近なことで例えると、リアルに姉や妹がいる人は「姉萌え」とか「妹萌え」とか絶対理解できない、というのと似てる。
「姉・妹」というのはそういうキャラクターの記号ではなくて、肉親の記号として理解してしまうので、これで萌えることが出来ないんですよね。
私の場合は姉がいるので、姉萌え系のサブカルは全て受け付けない。
なので、私は姉萌えなジャンルを書くときは心を殺さないと書けないです。
ほんで、それと同じ話になるなと思ったので、わりと深刻な悩みかな、と。

でも、これは端的に解決法を言えば案外単純な話で、コツをつかめばいけるんじゃないかなとは思います。
というのも、例えば「喧嘩商売」というまあリアル系の格闘漫画があるのですが、わかりますかね。
でなくともヤング誌の格闘漫画というのは割とファンタジーに寄ることが少ないかと思います。
この「喧嘩商売」にて有名な技は「煉獄」と「金剛」ですが、ぶっちゃけむちゃくちゃカッコいいです。
この作者、本当に内容皆無のギャグマンガ書いてたあの人か、って思うくらい凄いカッコいい。
喧嘩商売でもギャグ回があったけど、それが余計なものに思えるくらい、本筋の格闘シーンがかっこよかった。

で。お悩みの本題に戻るけども。
「喧嘩商売」は別に気功波を撃つようなファンタジーではないし、能力も出てこないし、比較的リアル系に寄った格闘マンガ。
嘘は書けない、現実に寄るので地味、だとすると「喧嘩商売」の面白さを説明できない。
まあ、喧嘩商売が実際にリアルであるという話ではなく、現実に可能かという話でもないのだけど。
ともかく、じゃあなんで「喧嘩商売」は面白いのって言うと、これ、単に「派手に見せてる」だけなんですよね。
例えば主人公が「金剛」を覚える場面では、敵3人に囲まれて「金剛を使って凌がなきゃ殺されるぞ」という状況下でなんとかものにした。
例えば「煉獄」を覚える場面では、「煉獄には秘密があって~」とその秘密を解き明かし、公式戦で秘匿の技である煉獄を使ってみせる、という演出があった。
これ、「その演出がなんなのか」って言うと、すなわち「金剛」や「煉獄」は「こんなに凄い技なんですよ」というアピールの演出なわけです。
一方、ファンタジーの能力は、その能力だけで派手さがある程度わかるので楽ですが、リアル系ではまず「こんなに凄い技なんですよ」ということを演出しなきゃならない。
別に「煉獄」のようなそういう特殊な技がなければならないってわけではないけど、すなわち「そういう演出」が出来ると、あとは「能力者の派手な戦闘」と同じ話になるわけですよ。

それと、大事なことだけど、そもそも「戦闘」というのはドラマを彩る道具なわけで、戦闘シーンは戦闘自体が目的ではないです。
なので、戦闘が続いて単調と感じる場合、それはそもそもドラマのほうが単調になってる可能性大です。
例えば、恋愛小説は恋愛がテーマなので恋愛ばっかしてても問題ないです。そういう話なんで。
戦闘モノは、戦闘を通してのドラマなので戦闘が続くこと自体は問題ないはずなんです。
喧嘩商売を例に上げましたが、戦闘と戦闘の合間にあるギャグ回がすんごい邪魔だった。ギャグマンガなのか格闘漫画なのかはっきりして欲しいと思いながら読んでました。

まとめると、
能力系のファンタジーは「派手さ・凄さ」が単純にワードだけでわかりやすいけど、リアル系に寄ると、まず「その凄さとは何か」をアピールしてそういう演出をしなけりゃならず一手間かかる。
けど、演出さえしっかりしてれば基本的には能力ファンタジーと大差ない。
そして、そもそも戦闘シーンに内容があるかどうか。そのドラマはしっかり作っているのか、そのドラマのほうが単調になってるんじゃないのか。
という感じです。

んでも、まあ、口で言うのは簡単なもんで、作者の頭の中に「空手とはこういうもの」という「一般常識」が出来上がってるので、これに逆らうことは非常に難しく、実際けっこう深刻だなと思います。
余計なこと言うと、「障害」についてもおそらくそのケがあると思う。
いっぺん離れて、フラットに考えればいいんだけど、それもそれで、簡単にそれができりゃ苦労はねえわなって話ですよね。

上記の回答(連続バトルで単調にならないためにはどうしたらいいですか?の返信の返信)

スレ主 壱番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 Wow!すごいです。心当たりありまくります。
 バトルという副菜にドラマという主菜があるから、ページをめくる手が進むのですね。確かに、ドラマとバトルを別々に考えていたかもしれません。
 小説として書くなら、リアルを題材にしても、最後までにはきちんとリアリティーへ変換しなくてはならないというのは、戦闘描写のみならず、障害描写に関しても言える、と……。奥が深いです。

 大変参考になりましたw また何かございましたらご相談させてください。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 連続バトルで単調にならないためにはどうしたらいいですか?

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元記事:「治し方を知っているものは壊し方も知っている」の元ネタとは?の返信

なんかあったような気もするけど、たぶん、コレってのは無いんじゃないかな……?
というのも、確かにそのネタは既視感バリバリです。私の記憶では、人体の構造に詳しい医者が猟奇殺人犯とか、喧嘩なんて強そうに見えないインテリが医学知識で暴漢を撃退するとか、そういうのが思い浮かぶ。
戦闘がある漫画で医者が出てくると、だいたいそういう場面はあるんじゃないかなと思う。
そういやハガレンのマルコーも医者か。精神的な意味でいうと「羊たちの沈黙」のレクター博士もそっち系かね。

まあ、要するに元ネタ云々ではなくて、よく使われるネタ、というだけではないでしょうか。
敵を知り己を知れば~って有名なのもだいぶ違うし、何か関係ありそうなのを思いつきはするけど、違うなーってのばっかですね。

でも、そもそも古代や中世の「医者」というもの自体が胡散臭い一面もあったわけで、「治療」と「破壊」は表裏一体という認識があったろうと思うので「治し方を知ってるということは壊し方も知っている」ってマルコーさんの名言は、割と当たり前の事を言ってるだけだったりすると思う。
現代でこそ医者というのは信頼があるし「治療」と「破壊」は相反するものという先入観があるから、コロンブスの卵的にハッとする名言に思えるけども。
つまりは、この発想自体、近年に生まれたもので、元ネタなんて無いんじゃないかな。

医者が実は猟奇殺人犯というのもジャック・ザ・リッパーの犯人説でよく言われてたものだし、その手のネタは昔からあったと思う。
泥棒が防犯に協力したり、ハッカーが警察に協力したりって場面でも同じ事が言えるので、もし元ネタがあるならそういうシーンで使われてるはずだと思う。
でも様々あるなかで、少なくとも私の記憶の中で元ネタらしい言葉が出てきた試しはないかと思う。
流石に使い古されたネタの中で一度も元ネタが出てこないというのも有り得ないと思うので、そもそもよく使われてるだけで元ネタなどないのではないか、と思う。
仏教関係か、あるいは中国の故事にありそうかな……? とは思うけども、だったら絶対にどっかの作品で引用されてるはずだし……。って感じ。
まあ泥棒が防犯に協力するなんてのは諺になってそうですけどね。

ありそうではあるし、近いのはあると思う。誰か詳しい人がしっかり解説してくれるかもしれん。
正直私は自信はないので、元ネタなしに一票という意味での返信です。

上記の回答(「治し方を知っているものは壊し方も知っている」の元ネタとは?の返信の返信)

スレ主 壱番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 回答ありがとうございます。
 いやはや、一体だれが言い出したのでしょうね。全く謎に包まれています。
 とはいえ、昔からそういういわれが生まれる土壌はあったのですね。もう少し他の人にも聞いてみます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 「治し方を知っているものは壊し方も知っている」の元ネタとは?

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元記事:厨二的漢字表現の限界

 今回は自作品のための質問なので以前のハンドルネームで。
 外国語(漢字みたいなの)を使う異世界を作っています。ふと中学時代を思い返すと「紅蓮の焔」とか「刹那」とか普段使わないけどカッコいい割に普段使わない言葉を見つけるたびに気分が高揚し、辞書をめくっては死蔵用の言葉をガンガン増やし、現在一部で役立っています。が、「慉(そだてる)」や「蹮(よろめく・ふらふらあるく)」とか普段は絶対使わないうえに中二病漢字ドリルにさえ乗らないタイプのを作品に出して、はたして意外と食いつく層はいるのか? というのが心配です。本当に時々、普通の原理で割り切れない時の最終手段にするつもりですが、それでも9割は世界観に合わせて:東洋医学⇔西洋医学 を緩医学⇔鋭医学 みたいにってのにして特に理由もないのに現実の概念ごとぶち壊すことにためらいがあります。もしそれを他の人がやりだしたら、言葉の乱れがますます顕著になり、世界ごとに言葉が違うため混乱が生まれ、さらに混乱を生み、国語の授業である意味マヒが生まれるのが怖いんです。
 もちろん、上記のことは考えすぎなんですけども、実際に使う字(油とか顔とか圧とか)より使わないどころか社会で使わない字を掘り起こしてまで使うことが、一種の破壊的創造みたいで怖いです。
 古文も漢文も日常に出ることは少ない。和歌や俳句はカルチャースクール頼みが多い。英語や中国語のほうが余程役に立つ。仏字新聞読めるほどだったらフランス人とかなり話せる。そっちの方が効率的だと思うじゃないですか。
 好きなものを好きにかけというのは(特に変態に片足つっこんだ)作家の嗜みではありますが、なんというか、思考に行き詰ってしまいました。皆さんからなにがしかの意見をくださると助かります。

 なお、作中の比較的二枚目キャラのネーミングの「呂玄」がハマり役すぎて困ってたところ、玄の字を使った別字でさがし、最終候補が「呂慉」……。意味合い的にも個人的にもバッチリで、一応名前なんかはねのけるぐらい意思が強い人ではあるんですけども、数年前、部落関連の書籍を読んだときの墓石と戒名のところで「畜」の字が彼らを貶めるために使われたというのを思い出し、あえてこれを選ぶべきか心配になりました。
 おまけに病気で床から動けなくなり数年以内に世を去った上、部下に恥ずかしい秘密を知られているタイプのキャラです。もちろん、時代に左右されない使われ方としてはむしろ悪くないだろうとは思いますが、魅せ方を間違えたりしないか相当プレッシャーですね。
 虫のいい話ではありますが、というか名前なんて結局どうでもいいから行動行動という考え方にも比較的賛同できる方でありますが、どなたか背中を押してくださると幸いです、というか押してください、お願いします。
 あと、前回はお見苦しい所をお見せしました。壱番合戦さんをはねのけたのは、作家内での相互癒着を防ぐためです。そのことは本人に伝えてあります。彼を含め皆様大変失礼しました。

上記の回答(ここでの返信も可、とのことでしたので、回答させていただきます。)

投稿者 壱番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 詳しい解説はサタンさんが行っているので、僕は技術論的な補足をしたいと思います。全部我流なので、期待しないでください。

 ええと、僭越ながら、普段の僕が書いている濃ゆーい文章を参考にされるとよろしいかと。
 あの文章の秘訣は、難しい言葉とそうでない言葉のバランスを気を付けることと、ルビの振り方を効果的に演出として生かすこと。
 あとは、思わず調べたくなる古い言葉を、強調したい箇所にちりばめることです。
 難しい言葉を目にすると、人はそこで読書がいったん止まります。ですが、それは文章に急な起伏をつけることにもつながるのです。だから、そこで意味が解らなくても、ググることで元ネタが判明し、言葉の意味と物語の仕掛けの二つに同時に納得感を与えることができるのです。
 この合わせ技がはまれば、読者へ非常に強烈な印象を与えられます。ただ狙ってやるのは難しいので、そこまでの効果は期待しない方が無難でしょう。そういう事も起こるかもしれないんだ、程度に思っておいてください。

 あまり難しい造語を作りすぎてしまうと、読者が混乱する恐れがあります。それは作品の特質次第で匙加減は変わってくるので一概には言えませんが、注意するに越したことはないでしょう。

 どうですか?桂香さんがよろしければ、僕の作品の文章を模写してみては?何か得るものがあるかもしれませんよ。ただ、癒着を避けるなら、お勧めはしません。
 無理にとは言いませんが、一応提案しておきます。それでは。

カテゴリー : その他 スレッド: 厨二的漢字表現の限界

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元記事:ストーリーに悩んでます

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ちなみに中高生に向けたストーリーを書きたいと思っています。

上記の回答(ストーリーに悩んでますの返信)

投稿者 三文山而 : 0

 書いてみても途中で行き詰まってしまうのは苦しくて大変ですよね。
 ぜんぜん思いつかないものをどういった切っ掛けで書こうと思い立ったのかちょっと気になりますが、どうしたら良い作品が出来上がるかを長期的な目標として考えるなら様々な恋愛小説を読んでみてどんな展開になるかという内容のストックを積み重ね、自分の作品の中から設定や展開等どの部分をありがちなものから外していくか、どの部分は王道に沿っていくか考える参考にしていくという感じでしょうか。
 やはりそのジャンルについてよく知っていた方が作品を作る際もどこを押さえておけば良いのか考えやすいかと思います。

 長期的な目標は一旦置いて先にとにかく書いてみたいというのであればよく聞く大雑把なテンプレとして「二人の関係が離れているところから始まって最後は精神的に結ばれる(ハッピーエンドならそのまま一緒にいることができて悲恋だったら肉体的には離れ離れになる)」という型があるみたいですね。
 例えば主人公となるキャラたちが初対面なら会ったばかりでいきなりケンカになってしまうような最悪の第一印象。なのに恋愛感情が芽生えるようなドラマチックな出来事が起きたりするわけです。
 あるいは序盤から主人公は相手のことが好きなんだけどロミオとジュリエットみたいにお互いの家同士の仲が最悪だったりだとか相手は皆から注目される憧れの先輩でなかなか近づいて告白することができないとか様々な障害があって恋仲になれなかったり。
 もしくは最初からお互いに両想いではあるんだけれどどちらも相手の本心に気づかなくてすれ違いを続けるだとか複数の相手から同時に好かれてしまって恋人を一人に決められないというパターンもあります。
 そういう「そのままでは恋人同士になれない」関係からスタートして好意を深めるような出来事があったり逆にケンカになったりして心の距離が離れてしまったり、近づいたり離れたりを繰り返しながら最終的には恋人同士の関係に向かって行くというのが恋愛小説のパターンだと考えられます。

 というわけで《主人公たちはどうして恋人関係になれないか》とか《考えてるキャラクターが恋人同士になるためにはどのような障害があるか》を考えてから《書きたいシーン》とか《考えているラストシーン》に向かって二人の関係が近付いたり離れたりするという形を改めて考えてまとめてみるのはどうでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーに悩んでます

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元記事:編集者から「こんなプロットでは出版できない」と言われたら作品の完成をあきらめますか?

通りすがりさんの投稿

売れ筋から外れた作品を出版したくないという『編集者』
出版見込みの消えた作品の完成をあきらめた『小説家』
両者にちがいはあるでしょうか?
あるとしたら、どこがちがうのでしょう?

また執筆者であるあなたは、編集者から「こんなプロットでは出版できない」と宣言されたときに、その作品の完成をあきらめますか?

2016/05/26(Thu)

上記の回答(売れないぐらいつまらない小説なら書かなくてよいでしょう)

投稿者 よしはむ : 2

夏SNOOPYさんの投稿

売れないぐらいつまらないものなら書かなくてよいでしょう。
出版する必要もありません。プロになったらそんなこといってる場合じゃないかもしれませんが、基本的に自分の面白いと思うものじゃなきゃ出版する必要はありません。

しかしそれはあくまで「面白いかどうか」で、出版見込みがないけど実は面白い作品というのも存在しますよね。面白い作品に対して、売れ筋を云々するのも馬鹿な話です。

だから、普通の人は、面白いと思ったら当然出版することを諦めません。編集者は、名作を作り出す作者の邪魔をしてはいけません。
売り筋から外れた作品を出版したくない編集者と作品の感性を諦める小説家の違いは、あくまでドライに考える編集者とは違って、小説家は断腸の思いで決断することですかね。

2016/05/26(Thu)

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 編集者から「こんなプロットでは出版できない」と言われたら作品の完成をあきらめますか?

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投稿日時:

元記事:ラノベで大人主人公がいけないは、本当か?

迷える狼さんの投稿

 今回の意見は、「主人公の設定について」です。

 ラノベを中心としたメディアというのは、読者層からして主人公の年齢もそれに近くないと、色々と問題があるというのが一般的ですが、「バイオハザード」に代表されるパニックホラーの場合、逆に主人公が未成年だと、色々とまずい事があると思います。
 
 とりあえず、例を挙げてみたいと思います。なお、ジャンルは問いません。

 主な「バイオハザード シリーズ」より。

「クリス=レッドフィールド」
「ジル=ヴァレンタイン」
「レベッカ=チェンバース」
「クレア=レッドフィールド」
「レオン=S=ケネディ」

 クリスは、ジルと同じ初代バイオの主人公で、25歳です。警察官(ラクーンポリスの特殊部隊STARS所属)ですが、空軍の経験もあります。

 ジルは、クリス同様に初代の主人公の1人で、23歳。クリスの同僚で同じSTARSに所属する警察官ですが、特殊部隊グリーンベレーの経験もあります。

 レベッカはクリスとジルの同僚で新米の18歳ですが、すでに大学の学士課程を優秀な成績で卒業しています。なお、18歳の彼女がいきなりSTARS所属になったのは、直接スカウトされた事によって、途中の行程(警察学校への入学や訓練期間など)を全てすっ飛ばしたからです。

 レオンは2の主人公で、21歳。クリスらと違って普通の新米警察官です。

 クレアはクリスの妹ですが、19歳の「ただの女子大生」です。ここは重要ですので、覚えておいて下さい。

「ディノクライシス&2」

「レジーナ」ある政府組織の構成員で23歳。
「ディラン=モートン」陸軍特殊部隊所属で26歳。

「サイレント ヒル」(コナミ)

 主人公の「ハリー=メイソン」は32歳の執筆家で、戦闘経験などは皆無の一般人。

 他にも「アイアム レジェンド」「プレデター」「28時間後」「28日後」など、ゾンビやモンスター、未知のクリーチャーなどによるパニックホラー系は多いですが、これらほとんどに共通しているのは、

「主人公は、分別のついた大人である。」

 と言う事です。

 私が不本意ながらも、時々やり玉に挙げているのは「学園黙示録」ですが、そうせざるを得ない理由が山の様にあるからです。比較しながら話をしたいと思います。

 主に日本を舞台にした話で、未成年が主人公になれない理由ですが、まず1つ目。

「未成年は免許を持っていない。乗り物の運転技術が無い」

 基本的に18歳未満は普通免許が無い為に自動車に乗れませんし、運転技術もありません。バイク程度は乗れるキャラも居ますが、自動車の運転は出来無い事が多いです。
 学園黙示録でも、基本的にバスなどの自動車は教師などの大人が運転しています(なぜか、途中から主人公達も運転していますが……)。

 2つ目は、

「銃器の扱いが出来無い」

 これも、日本なら至極当たり前の話です。引き金を引けば誰でも撃てると思っていたら、大間違いです。
 正しい手順を踏まないと、不発や暴発など事故の危険性があります(仮に、「安全装置はどこ?」と聞かれても、普通は答えられないと思います。それが当たり前です)。

 学園黙示録では、仲間である「平野 コータ」が、夏休み中の短期留学で、元特殊部隊の軍人に師事していたと言う事で、拳銃やライフルを平気でぶっ放したり、工具を改造してハンドメイドガンにするなど、かなりのゴリ押しをしています(しかも、途中から主人公達も平気で銃器を扱う様になっています)。

 次に、

「物語上で必要な専門知識が無い」

 事です。例えば、

「何かの薬品が必要だが、それを作り出す方法を知らない。」

 だったり、

「道路をふさいでる機械の操作方法を知らない」

 などです。

 そして4つ目ですが、これが最も重要です。

「理性的な判断や行動が出来る事」

 です。
 なぜなら、主人公を大人にしないと、何事にも未成熟な未成年の場合、自ら危険に飛び込んであっさり死んでしまい、そこでストーリーが終わってしまう危険があるからです。

 それを防ぐ為には、いわゆる「主人公補正」「デウス・エクス・マキナ」などの神の手(と言う名のご都合主義)を使うしか無く、一瞬で白けさせてその作品の価値を貶めてしまいかねません。

 学園黙示録でも、それらの手法はふんだんに使われており、いくら「奴ら」に囲まれたり、時には自分から奴らの群れに飛び込んでも、案外平気だったりします。

 簡単に言うと、

「大人じゃないと、出来て当たり前の事が出来無かったり、知ってて当たり前の事を知らなかったり、冷静な判断が出来無い為に、生き残る事が出来無いから」

 です。

 ただし、ゲームの場合、実際にキャラクターを操作して行動するのはプレイヤーですので、その気になれば、

「5歳の幼稚園児にピストルを持たせてゾンビを銃殺」

 なんて事も可能です(日本の警察官が貸与される「ニューナンブ」でしたら、子供でも持てるでしょう。小型ですが「デリンジャー」は反動が大きい為、子供では扱えません)。

 なお、「バイオハザード2」において、警官であるレオンの制止を振り切って、クレアとサブキャラである「シェリー(8歳)」が好き勝手に行動する為、レオンが振り回されています。

 さて、バイオ2のクレアは女子大生であり、特に何の訓練や経験もありませんが、兄のクリスから手ほどきを受けているという設定があります(しかし、いくら手ほどきをされたからって、ロケットランチャーやミニガンまで使えるのだろうか)。

 一番良く解らないのは、「コードベロニカ」で登場したサブキャラの「スティーブ」ですが、銃器の扱いはもちろん、監獄島から脱出するのに輸送機を操縦したり、南極では雪上車を運転したりしています。しかも、年齢は17歳となっており、クレアよりも年下です(一体どこで覚えたと言うのか……)。

 なお、彼の場合もキーアイテムである「ゴールドルガー」を持ち出すなど、クレアを振り回しています。

 さて、ここまで来て「結局何が言いたいのか?」と思われるでしょうが、私が言いたいのは、

「大人が主人公では、本当にいけないのか?」

と言う事です。

 最近では「GATE」という作品もありますし、「銀河英雄伝説」など、「戦い」や「戦争」が中心の物語では、主人公が未熟な子供や少年少女だと、まず生き残る事が出来ません。

「どこか隅っこでガクブルしていれば、勝手に助けが来る」

 なんていう、甘い状況はやって来ないのです。

「主人公の成長が大事な要素である」事は認めますが、未熟なキャラクターが主人公では、成長する前に死亡してしまい、話が終わってしまいます。

 また、主人公が大人だと、ヒロインも年齢が高くなると言いますが、銀河英雄伝説の場合、没時33歳の「ヤン」に対して「フレデリカ」が、結構な年下(7歳違い)です。
 もっとも、この作品は登場キャラクター自体が大人であるので、あまり参考にはならないかも知れません(一応、「ユリアン」と「カリン」の例もありますが……)。

 また、前述したGATEの場合、ヒロインは主人公よりかなりの年下(あるいは、そう見える)です。

 つまりは、

「主人公の年齢に見合った内容の作品や、主人公が大人(や青年)じゃなければならない作品を書けば、それで良くは無いですか?」

 という意見です。

 長文すいませんでした。あと、間違いなどあれば遠慮無くご指摘いただきたいと思います。

2016/05/22(Sun)

上記の回答(ラノベで大人主人公がいけないは、本当か?の返信)

投稿者 よしはむ : 0

迷える狼さんの投稿

 様々な意見をありがとうございます。皆さんが大体仰っている事は、

「駄目では無いけど、受けない。売れない」

 と言った感じだと思われます。

 主人公の年齢が青年、もしくは大人の作品として、

「ロードス島戦記」「吸血鬼ハンターD」「GATE」

 などが挙げられます。あと、歴史ものや剣豪ものだと大人の主人公が多いですが、ラノベではそういった作品は少ないです。

 さて、なぜ私がこの様な疑問を投げかけたかと申しますと、まず1つ目は、このサイトの

「第1研究室 タブーこれをやってはいけない」

 にある、

「幼い子供や大人を主人公にしてはいけない」

に、疑問を持ったからです。

 ただし、私が皆さんにお断りしておきたいのは、決してそれを否定する訳では無く、

「全く駄目な訳ではなく、何か手段や方法があるはず」

 という考えを持ったからです。

 まず1つ目は、

「無双系」

 です。桁違いな戦闘力を持った主人公が、敵をばったばったと叩き伏せる話です。

 2つ目は、

「黒幕系」

 です。
 天才的な頭脳を持った主人公が、自らは(あまり)矢面や表舞台に立つ事は無く、優れた戦術や戦略、あるいは奇策をもって、次々と戦いに勝利を重ねたりする話です。

 そして、3つ目は、

「教師系」

 です。
 主人公は成長する側では無くて、成長させる側のポジションになり、他のキャラクターを育てる存在になります。
 言わば、

「育成ゲームのプレイヤー」

 に近い存在になります。
 例を挙げると、

「『プリンセスメーカー』の父親」
「『ワンダープロジェクトJ』のプレイヤー」
「『艦これ』の提督」
「空戦魔導士候補生の教官」
「対魔導学園35試験小隊」

 などが、これにあたります。
 私は、これらの要素を複数、あるいは全て併せ持ったキャラクターとして、

「大人や青年の主人公を使用した作品」

 を書きたいと思っています。
 なので、このスレッドを立ち上げて、皆さんの意見を仰いだと言う訳です。

 もし、これらの要素を併せ持ったキャラクターが、14~5歳くらいの子供だったら、ちょっとナンセンスすぎるでしょう。
 一応の理由付けとして、

「実は人間じゃ無い」「遺伝子異常などのイレギュラー」「神などの超存在の助けがある」「アイテム(や魔法)でパワーアップ出来る」

 と言った事も出来ますが、どうしても無理矢理感がありますし、白ける原因にもなります。
 そこで主人公を大人キャラにすれば、

「強くなったり、知識を蓄えたり、技術を身に付けた修行期間」

 を設ける事が出来て、立派な理由付けになります。
 なお、一応ですが、

「幼い頃や若い頃から、凄い人に師事していた」

 という理由付けも出来ますが、限界があります。
 余談ですが、この手の話は「美味しんぼ」や「食戟のソーマ」など、料理系に多い傾向があります。
 また、同じく「巨人の星」「柔道賛歌」「六三四の剣」に代表される様に、スポ根系にも多いです。

 つまり、無理が無い完璧な(もしくはそれに近い)主人公にするには、どうしてもある程度の年齢が必要になって来ます。

 ただ、現在では、

「主人公の周囲も無双キャラだらけで、取り立てて主人公だけが凄い訳では無い」
「特別な能力が当たり前にあって、別段珍しくも無い」

 という作品が増えて来ていますので、大人を主人公にする必要があまり無いというのが現状です。

2016/05/23(Mon)

カテゴリー : キャラクター スレッド: ラノベで大人主人公がいけないは、本当か?

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