宗教狂いの主人公に読者の気持ちは乗るのだろうか?
スレ主 いつかの高校生 投稿日時:
投影に際しての障壁について疑問です。明らかにムリな考え方を持ちながら自分を投影させるという事の難しさを感じています。例えば売れたもので考えれば変人代表の猫猫(薬屋のひとりごと)とかどうでしょう。韓ドラのお仕事系、少女漫画文脈を盛り込んでいるので今話題のリケジョなら共感しやすい感じですよね。男性なら漫画家のキャラデザもあってかわいいで済むかも。
ダ女神さまがラノベに多い中、それを一旦脇に置いといて考えクールに自分なりの「効率」を求める主人公が多いし、かっこいいのは分かります。
しかし、例えばですがその上でもオ×ムなどのアレなイメージがある分、「時代だから」「ド田舎の村出身だから」という事で辺境の胡散臭い宗教をザラに信じている人が主人公である場合、他がどれだけ良くてもマイナスからスタートどころかゼロ話切り案件になるのでしょうか。
どこまで行っても変えるのは良くも悪くも己の態度であり、信仰心は恒常的に95%を維持し続けている感じです。いわゆる冷笑系を好む層とは合わないのではないか、第三者の視点から系の主人公としてのポイントを稼ぎいざという時にキメるというのはジャンプであれば炭〇郎くんみたいにある程度の成功があってもおかしくないとは思いますがラノベ、殊になろう系では鬼門ではないかと思いました。
「その宗教を信じることで何が残るか?」ではなくガチ信者の場合、酔っ払い盗賊みたいに最初は超露悪的だけど目的のために一応優しく接する系(ヒロイン目当て)や、両さんみたいに他の長所を精いっぱい押し出したり教義を柔軟に解釈したりすることで主人公としての塩梅を保てるといいのですが……。
絡め手ですが、追放系の「弱かったころ」の皮を被ってキャラを拵えるのがいいんですかね?
面白ければ何でもいいにも信じていれば限度なんてないのでしょうか。
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