追記
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一人称視点の話で主人公が退場する事の是非の返信(元記事)
御作の設定では、「神」の意識と「主人公」の意識に連続性はないのでしょうか?
つまりですね。
その設定を最もシンプルに考えるなら、(ニャルラトホテプ風の)神が人間の姿に変身しているだけとも言えます。主人公の「神形態」と「人間形態」があるような感じです。
だったら何も悩む必要はないわけで、神形態の時も人間形態の時も「中の人」的には同じ意識を持つ一人称として書けばいいだけです。
まずはそう思うのですが、スレ主様が考えていらっしゃる「神格」なるものはそういうのとは違うのでしょうか? 神の意識と人間としての主人公の意識は全く違うというか、別次元の存在として描写したい感じですか?
もしそうならば、これは一人称がどうこうという問題以前に、設定そのものをもっと練り上げるのが先です。その「神格」なるものと「人間としての主人公」がどういうものなのかもっと詳しく教えていただかなくては、的確な回答はできません。
最も重要なポイントは、
1)人間として行動している時の主人公は、自分の正体が「神」であることを知っているのか?
2)「神」であることを知ってはいるが、自分が神そのものであるという自覚は持っていない感じなのか? (自分はいつか消滅して神が顕現することを知ってはいるが、神そのものの知識や思考を共有はしていない感じ)
この二つになります。
もし2に近いのならば、「主人公は神のペルソナの一つである」という設定があるだけで、実質的に神と主人公は別キャラも同然ということになります。「人間・主人公」が消滅して、知識・思考を共有しない「神」が出現するだけですから。
もしそういうことなら手法としては、
>主人公が消滅している間のみ三人称に戻す事、
普通に考えたら、これが自然でしょう。主人公が死んで、別のキャラが現れるのと実質は同じです。
>少しぶっ飛んだ案として、地の文を主人公ではなく主人格の神の視点にする(途中まで主人公の視点とミスリードさせる)事も検討しています。
いや。
これはミスリードというより、設定そのものに触れることを言っています。
これがミスリードとして成立するなら、とりもなおさず「神格者の視点」と「主人公の視点」は別物であるということになりますから。
つまり上記の2に近いということになりますが、それならそれで設定上の実態はどういうもので、読者に何をどう勘違いさせたいのかということを考えないと、わけがわからなくなります。
視点以前に設定そのものを練り直した方がよいと書いたのは、そういうことです。
逆にそのあたりを十分に考えられているのなら、視点の扱いは自ずと決まってくるはずです。
追記
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
あるいは、ご質問の趣旨は単純に人称の混在の是非について、でしょうか?
それならば、人称の混在はあまり良くないと言われてはいますが、御作の場合は設定上そうせざるを得ない必然性があるようですから、仕方が無いんじゃないですか? ということになります。
やってはいけないのは、大した必要性もないのに視点・人称を変えることです。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 一人称視点の話で主人公が退場する事の是非