本当に書きたいモノはいつ書くべきか?の返信
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本当に書きたいモノはいつ書くべきか?(元記事)
相談はタイトル通りです。
以前、作品の批評をお願いした作品は「本当に書きたいモノの為の習作」的な意味もありました。ネタも「本当に書きたいモノ」を考えてる時に思いついたものです。最初から書き上げる自信がなく逃げというか、とりあえず一冊分を練習の意味も込めて書いてみよう、と言うものでした。
改めて作品を書いていこうとした最中、じゃあ「本当に書きたいモノ」はいつ書けばいいのか? と思い至ったしだいです。今も書ける自信がありません。
しかし、思い出のままにせずに未熟なままアウトプットしても面白いとは言ってもらえないでしょう。思入れがありますから、低評価にさらされば、おそらくすっごい「本当に書きたかったモノ」に囚われてしまうような気がします。だらか逃げたと表現しました。いずれ通道なのでしょうが。
思入れがない作品ならどんどん、実験的な要素を取り言えれて、失敗したとしても糧として消費できます。それなら、「本当に書きたいモノ」の要素を分解してそれぞれ書いてけばいいのか? となりますとそれで満足しちゃうような……。書きたいモノをかけてるし、数もこなせる。上達する上で理もあります。
その書きたいモノの現在の構想までの構成単位そのものをバラバラにすることにも抵抗があるよな気もします。
あらためて、「本当に書きたいモノ」はいつ書けばいいでしょうか?
本当に書きたいモノはいつ書くべきか?の返信
投稿者 読むせん 投稿日時: : 0
バラバラにして込めるか、一作クソみたいに大衆に媚びまくって靴がふやけるほどペロペロする作品を書き切り、そのストレスの全てをぶっつけてその次回作に投下する?
少なくとも面白かった作者の次回作なら注目してくれる読者の分母は増えるし、その中にはその作品がスマッシュヒットする読者がいると思うよ?
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