一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信
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一人称視点の主人公と三人称視点の主人公(元記事)
世の中、感情移入しやすい主人公としにくい主人公というものがあると思います。
天城ブリリアントパークのかにえくんとかみたいに、才能が有ったり、男らしかったりするタイプはライトノベルの読者層とは離れていると思いますが、そういう人間を主人公に添えるにはどういう工夫が必要だと思いますか。
また、そういう人を主役に添える場合って、やっぱり三人称視点のほうが読みやすかったりするんでしょうか。
一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信
投稿者 サタン 投稿日時: : 1
例えば、満員電車で女性が痴漢されてるとしましょう。
その痴漢を見て見ぬふりをする主人公に、CALBEEさんは共感するでしょうか?
では、逆に痴漢を撃退する主人公は、どうでしょうか?
どちらに共感・感情移入しますか?
いきなり何の話かと思うでしょうが、ここで考えてみてください。
実際に貴方がその現場に居合わせたとき、貴方は果たして「痴漢を撃退する」という勇気ある行動を取れるか?
もちろん、そんな事は当然だと思う人もいるでしょうし、女性を守ることが出来る人もいるでしょう。
しかし、多くの人は厄介事に巻き込まれるのは避けたいし、痴漢してるという確証もないので、実際は「見て見ぬふりをする」というのが大多数ではないでしょうか。
さて。
では、この話を考えたとき、すなわち「痴漢を見て見ぬふりをする主人公」のほうが大多数の読者と「近い」ので、このほうが感情移入しやすいハズだ、という答えになる。
でも、おそらくCALBEEさんは最初の問いにて「痴漢を撃退する主人公のほうに共感する」と考えたのではありませんか?
よくある誤解ですが、「読者と近いほうが感情移入しやすい」というのは、「しやすい」というだけであって、「近ければ感情移入できる」というわけではありません。
つまりは読者とかけ離れた主人公像でも、何も問題ありません。
そこで「じゃあどうやって共感・感情移入させるのか?」という話題になりますが、
前述した痴漢の例え話ですが、なぜ「痴漢を撃退する」のほうに共感できるのか。
答えは単純。
「読者がそう望んでるから」です。
人間、生きてて思うように行動できない事は数限りなくあります。
「本当はこうしたい」「ああいう選択をできるようになりたい」「やらなきゃいけないのに勇気が出ない・億劫だ」などなど。
それを読者の代わりにやってくれる主人公だから、そこに共感するし感情移入もするわけです。
でも、「読者がそう望んでるから」という答えは、前提に「読者に望みがある」という事です。
なので、そうした「望み、願望」が現れるシーンを構築しなけれならない。
読者の願望なので、ここで「読者に近い主人公像のほうが、それを構築しやすい」という答えになり、結論として「読者に近いほうが感情移入しやすい」ということになっています。
なので、そもそも「主人公にはこうしてほしい」といった読者の願望が現れるシーンを構築できてないと「読者と近い主人公像」でも意味がないし、逆にそれが出来るのであれば「読者とかけ離れた主人公像」でも何の問題もありません。
そして、再び痴漢の例ですが、この痴漢の例には「主人公像」なんてありません。
でもどちらが共感できるか? という問いに、おそらくは明らかな答えを出せていると思う。
この例のように、「そういう場面」を作るのが大事で、主人公像それ自体に問題があるというような事はありません。
つまりは、少々酷なことを書きますが、「シーンを組み立てる」という基本となる技術を持てれば問題ないので、訓練するならそちらが優先されるでしょう。
がむしゃらに執筆してみるのも良いし、物語の構造を学ぶのも良いと思う。
少なくとも「主人公の設定」だけで共感や感情移入が得られることは無いです。
では「そういう場面」はどうやって作るのか、って話になると思うんですが、正直、それこそ設定や物語次第なので、具体的な回答は出来かねます。
「甘城ブリリアントパーク」は、あれは物語だけを見ると割と古いタイプの展開と構成で、基本はつまってるので勉強にはなると思います。
基本的には「問題が発生する」から「主人公は選択を迫られる」という展開がよくあると思う。
例えば序盤で「オーナーを引き受けてくれるかどうか、判断は主人公に任せる」みたいな場面あったけど、これってどー考えても「引き受ける」以外に回答はないよね。
つまりダイレクトに「主人公にこうしてほしい(引き受けて欲しい)」という場面を突きつけてる。
他にも問題が発生し、さてどうするかって場面で「挑発してきた黒幕の男に、動揺しつつも毅然と対応する」とか、割と模範解答で「こうしてほしい」という場面を作ってる。
こうした「問題が発生する」という場面で「選択を迫られる」という展開に持っていくのが一番楽だと思う。
するとその答えは「読者的にありえない回答1」か「読者的に選択してほしい回答2」か、「それ以外の予想してなかった回答3」かという、2択の提示なら答えは3つしかないので、「読者がそう望んでるから」という反応を導きやすい。
痴漢の例も同じですよね。「助ける」か「見て見ぬふりをするか」と、他にも「まず女性に声をかけてみる」とか「次の駅まで待って行動する」とか選択肢はあるハズなのに、私のほうから質問の時点で二択にしてたでしょ?
こうして選択肢を絞ることで「読者の感情と同じ回答になる」ので、すなわち共感・感情移入に繋がる、という事です。
一応、これはテクニックの一つであって、ぶっちゃけ小手先の技なので、コレが感情移入させる技術の全てではないです。
一人称と三人称も、書き慣れない人には誤解があると思うのだけど、一人称は主人公の内面を書きやすいというだけで、三人称は俯瞰図のように全体の状況を書きやすいというだけで、両者ともに「書きやすい」だけなので、三人称で主人公の内面を書くことは出来るし、一人称で全体を書くこともできます。
「やりやすい」だけなので、究極的にはどっちも差はありません。
物語のコンセプトや仕掛けによって選択は変わるけど、基本は演出方法が変わるだけです。
書き慣れてない初心者の場合は、三人称は視点の扱いが出来ないと思うので、終始主人公に視点を固定した一人称で書いたほうが良いでしょう。
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