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一人称視点の主人公と三人称視点の主人公 (No: 1)

スレ主 cal 投稿日時:

世の中、感情移入しやすい主人公としにくい主人公というものがあると思います。
天城ブリリアントパークのかにえくんとかみたいに、才能が有ったり、男らしかったりするタイプはライトノベルの読者層とは離れていると思いますが、そういう人間を主人公に添えるにはどういう工夫が必要だと思いますか。
また、そういう人を主役に添える場合って、やっぱり三人称視点のほうが読みやすかったりするんでしょうか。

カテゴリー: キャラクター

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一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信 (No: 2)

投稿者 やまだたろう : 1 No: 1の返信

投稿日時:

質問者様の挙げたキャラクターを知りませんので、違うかもしれませんが。
才能とか男らしさとか関係なく感情移入はできるのではないですか?

別に異性の主人公でも感情移入はできるでしょう。

感情移入とは主人公と読者が同じであるからするのではなく、憧れや逃避であったり同調や拒絶であったりした感情を動かすことを物語の中で行うことだと思います。
まあ、作者の舵取りに乗っかるって感じですよね。

一人称がより読者に近いからという理由で三人称との比較をなされているのでしょうけれど、心を動かすのに小手先の技術でどうこうしようというのは物書きとしてどうなんでしょうか。
決して誹謗ではないんですけど。

自分の書きたい話がより活きる方を選べば良いと思います。

才能のある人とか男気のある人の内面なんか知らないので、私は一人称でそのような主人公の話は書けませんが、外から見た分には書きやすそうなので、三人称を選ぶでしょうけれど、そこは問題じゃないですよね。

一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信 (No: 3)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

結論から先にいうと、三人称一視点という形式が効果的です。

・読者は物語の軸になるキャラクターに感情移入する傾向がある。
・一人称は読者の感情移入を狙うなら有利とよく言われるが、三人称一視点でもほぼ同じ効果が得られる。
・読者をあるキャラクターに感情移入させるには、共感ポイントを一つ作ればよい。
・共感ポイントは才能の有無とは必ずしも関係ない。
・ただし、書き手よりも「頭が良い」キャラクターを一人称で書くのは難しい。
・読み手よりも「頭が良い」キャラクターを一人称で描くと、読み手が思考を理解することが難しい。
・書き手と読み手より頭の良いキャラクターでも、三人称なら描く方法がある。例として『名探偵コナン』。

私的にほぼ分かっているのはこんなところ。
後は、上記の諸点を総合してどういう結論を出すかです。

一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信 (No: 4)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

例えば、満員電車で女性が痴漢されてるとしましょう。
その痴漢を見て見ぬふりをする主人公に、CALBEEさんは共感するでしょうか?
では、逆に痴漢を撃退する主人公は、どうでしょうか?
どちらに共感・感情移入しますか?

いきなり何の話かと思うでしょうが、ここで考えてみてください。
実際に貴方がその現場に居合わせたとき、貴方は果たして「痴漢を撃退する」という勇気ある行動を取れるか?
もちろん、そんな事は当然だと思う人もいるでしょうし、女性を守ることが出来る人もいるでしょう。
しかし、多くの人は厄介事に巻き込まれるのは避けたいし、痴漢してるという確証もないので、実際は「見て見ぬふりをする」というのが大多数ではないでしょうか。

さて。
では、この話を考えたとき、すなわち「痴漢を見て見ぬふりをする主人公」のほうが大多数の読者と「近い」ので、このほうが感情移入しやすいハズだ、という答えになる。
でも、おそらくCALBEEさんは最初の問いにて「痴漢を撃退する主人公のほうに共感する」と考えたのではありませんか?

よくある誤解ですが、「読者と近いほうが感情移入しやすい」というのは、「しやすい」というだけであって、「近ければ感情移入できる」というわけではありません。
つまりは読者とかけ離れた主人公像でも、何も問題ありません。

そこで「じゃあどうやって共感・感情移入させるのか?」という話題になりますが、
前述した痴漢の例え話ですが、なぜ「痴漢を撃退する」のほうに共感できるのか。
答えは単純。
「読者がそう望んでるから」です。
人間、生きてて思うように行動できない事は数限りなくあります。
「本当はこうしたい」「ああいう選択をできるようになりたい」「やらなきゃいけないのに勇気が出ない・億劫だ」などなど。
それを読者の代わりにやってくれる主人公だから、そこに共感するし感情移入もするわけです。

でも、「読者がそう望んでるから」という答えは、前提に「読者に望みがある」という事です。
なので、そうした「望み、願望」が現れるシーンを構築しなけれならない。
読者の願望なので、ここで「読者に近い主人公像のほうが、それを構築しやすい」という答えになり、結論として「読者に近いほうが感情移入しやすい」ということになっています。

なので、そもそも「主人公にはこうしてほしい」といった読者の願望が現れるシーンを構築できてないと「読者と近い主人公像」でも意味がないし、逆にそれが出来るのであれば「読者とかけ離れた主人公像」でも何の問題もありません。
そして、再び痴漢の例ですが、この痴漢の例には「主人公像」なんてありません。
でもどちらが共感できるか? という問いに、おそらくは明らかな答えを出せていると思う。
この例のように、「そういう場面」を作るのが大事で、主人公像それ自体に問題があるというような事はありません。
つまりは、少々酷なことを書きますが、「シーンを組み立てる」という基本となる技術を持てれば問題ないので、訓練するならそちらが優先されるでしょう。
がむしゃらに執筆してみるのも良いし、物語の構造を学ぶのも良いと思う。
少なくとも「主人公の設定」だけで共感や感情移入が得られることは無いです。

では「そういう場面」はどうやって作るのか、って話になると思うんですが、正直、それこそ設定や物語次第なので、具体的な回答は出来かねます。
「甘城ブリリアントパーク」は、あれは物語だけを見ると割と古いタイプの展開と構成で、基本はつまってるので勉強にはなると思います。
基本的には「問題が発生する」から「主人公は選択を迫られる」という展開がよくあると思う。
例えば序盤で「オーナーを引き受けてくれるかどうか、判断は主人公に任せる」みたいな場面あったけど、これってどー考えても「引き受ける」以外に回答はないよね。
つまりダイレクトに「主人公にこうしてほしい(引き受けて欲しい)」という場面を突きつけてる。
他にも問題が発生し、さてどうするかって場面で「挑発してきた黒幕の男に、動揺しつつも毅然と対応する」とか、割と模範解答で「こうしてほしい」という場面を作ってる。
こうした「問題が発生する」という場面で「選択を迫られる」という展開に持っていくのが一番楽だと思う。
するとその答えは「読者的にありえない回答1」か「読者的に選択してほしい回答2」か、「それ以外の予想してなかった回答3」かという、2択の提示なら答えは3つしかないので、「読者がそう望んでるから」という反応を導きやすい。
痴漢の例も同じですよね。「助ける」か「見て見ぬふりをするか」と、他にも「まず女性に声をかけてみる」とか「次の駅まで待って行動する」とか選択肢はあるハズなのに、私のほうから質問の時点で二択にしてたでしょ?
こうして選択肢を絞ることで「読者の感情と同じ回答になる」ので、すなわち共感・感情移入に繋がる、という事です。
一応、これはテクニックの一つであって、ぶっちゃけ小手先の技なので、コレが感情移入させる技術の全てではないです。

一人称と三人称も、書き慣れない人には誤解があると思うのだけど、一人称は主人公の内面を書きやすいというだけで、三人称は俯瞰図のように全体の状況を書きやすいというだけで、両者ともに「書きやすい」だけなので、三人称で主人公の内面を書くことは出来るし、一人称で全体を書くこともできます。
「やりやすい」だけなので、究極的にはどっちも差はありません。
物語のコンセプトや仕掛けによって選択は変わるけど、基本は演出方法が変わるだけです。
書き慣れてない初心者の場合は、三人称は視点の扱いが出来ないと思うので、終始主人公に視点を固定した一人称で書いたほうが良いでしょう。

一人称視点の主人公と三人称視点の主人公の返信 (No: 5)

投稿者 読むせん : 1 No: 1の返信

投稿日時:

三人称っぽい一人称とかは読んだことあります。

改定前は俺の所を○○(キャラ名)とか彼とかにしているやつ。オミクロンさんとかも書いていらしたのを読ませていただきました。
 これをすると本人がしゃべっていない情報————個人の感覚、考え方、過去なんかを描写しやすい。

もっているラノベから抜粋・・・・・・・・・・・・・・

「都を復興させたいと思うのなら、わたしに協力してくれるというのなら、まず生きることを第一に考えて欲しい。皆生きてくれ」

ロスメスタの目から透明な涙が流れた。
その涙が本心のものか、あるいは計算によるものか、パジャにはわからない。しかし、群衆の気持ちを揺り動かしたことは確かだった。

「新女王、万歳!」

どこからかそんな声が上がった。それはすぐに広がり大歓声となった。

「新女王、万歳!」
「ロスメスタ女王陛下!」

少し前の罵倒や糾弾を忘れ、集まった群衆が熱のこもった声でロスメスタを呼ぶ。
それは劇的で、感動的な光景だった。

ホル・アハ神官長やシズマ達も感動している。ジャガンですら、心動かされたという様子だ。しかし、パジャは熱気から取り残されていた。

「ロスメスタ自身が選んだとはいえ、なんと辛く困難な道であることか」

大勢の味方がいたとしても、本当の意味でロスメスタを助けることはできない。ロスメスタは王であり、先頭にいるものだ。前にも横にも誰もいない。その重圧を思うと胸が痛んだ。
 ロスメスタは艶(あで)やかな笑みで、群衆に手を振っている。パジャの目にはその姿が、危うい綱渡りをしているように見えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここパジャを【俺】にかえても成立するんです。作中の視点切り替えも名前固定だから視点変更もサクサク。群像劇とかには便利。

難は筆者の性格や語りがモロに出ることですね。

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タイトル:一人称視点の主人公と三人称視点の主人公 投稿者: cal

世の中、感情移入しやすい主人公としにくい主人公というものがあると思います。
天城ブリリアントパークのかにえくんとかみたいに、才能が有ったり、男らしかったりするタイプはライトノベルの読者層とは離れていると思いますが、そういう人間を主人公に添えるにはどういう工夫が必要だと思いますか。
また、そういう人を主役に添える場合って、やっぱり三人称視点のほうが読みやすかったりするんでしょうか。

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