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あまくささん、回答ありがとうございます。(元記事)
僕はあくまで娯楽小説の土俵でやりたいと思います。
言いにくくて伏せていたことがあります。まずはそのことを言わなかったとんちんかんをお詫びします。
まろん師匠は知性の鋭い方ですが、人を見下す癖があるので本気にするかどうか悩んでおりました。
湊かなえにしろ百田尚樹にしろ、人に受けるように配慮した文がお嫌いらしいです。
ですが、あまくささんの一言で目が覚めました。
彼女に小説を書かせれば、本人によるとリーダビリティを破壊した新文体小説を書くつもりらしいです。
やはり彼女の言う文学論を当てにしないほうがいいのでしょうか。遂行の指摘に関しては非常に鋭い意見をくださるので、つい彼女の言うことに耳を傾けてしまいます。
というか、相談で意見を聞くことよりも、自分でどうしたかをきちんと決めるほうが大切ですよね。
でも、基準がないのでどうしても迷ってしまいます。
ベースはあります。娯楽小説の土俵でシリアス路線の小説が書きたくて、現実の差別や迫害、障害などを書いていきたいと思います。
そのうえでお尋ねしたいことがあります。
性格、または人格が破綻、もしくは歪みかけている人物の主観でお話を書くにはどうしたらいいでしょうか?
その技術を教えてください。
あまくささん、回答ありがとうございます。の返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
>ベースはあります。娯楽小説の土俵でシリアス路線の小説が書きたくて、現実の差別や迫害、障害などを書いていきたいと思います。
娯楽小説の土俵にシリアスをのせるというのは、私が目指しているものと同じです。ただ私の場合、シリアスの部分はさり気なく伝わればいいと思っています。ぐいぐい押し出したりはしない方針なのですが、壱番さんはそこをぐいぐいやりたい方なのでしょうか?
>性格、または人格が破綻、もしくは歪みかけている人物の主観でお話を書くにはどうしたらいいでしょうか?
そこ、どうあっても「主観」で押したいですか?
性格が歪みかけた人物の行動を、ある程度突き放して客観的に描いてみる。そんな物語作りを一度やってみてはと思うのですが、そういうことはやりたくないのかな。
いくつか読ませていただいた作品では、舞台やキャラ設定はラノベのテンプレを使っているのだけれど、物語を動かしはじめると「これをやりたい」という想いが先走りすぎてしまっている感じでした。
しかし娯楽小説の土俵でやると決めたのなら、その土俵の部分をもっと着実に安定させる必要があると思いますよ。
技術を教えてほしいとのことですが、技術というのはもう少し具体的なものなので。
「リーダビリティを破壊した新文体小説」にしても「性格、または人格が破綻、もしくは歪みかけている人物」にしても、はっきり言えば中身のない抽象的な言葉に過ぎません。なので、この人たちは何かをやりたいようだという気分しか伝わってこないんですね。
性格の破綻した人物ではなく、もう少しストーリーに即してある程度は顔が見えるキャラ像を示した上で、こういうことをやらせたいとか、それを通して読者にこれこれを伝えたいのだけれど思うようにいかないとか。
そんなふうに質問してもらわないと技術の話はできません。
願わくば、ご一考を。
カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: ラノベに行間は必要か?また、まろん師匠の文学論について。