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視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信

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視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?(元記事)

初めて投稿させて頂きます。ヤーマダと申します。よろしくお願いいたします。

相談はタイトル通りの事なのですが、自分は一つのシーンにおいてあまりに多くの情景描写をしてしまっているように思うのです。例を書いてみます。

「繁華街にAはいた。歩道橋の上で夕日に暮れる街を見下ろし呆然と立ち竦んでいる。
 風に流されて香ってくる食べ物の匂い。聞こえてくる喧騒は、彼がこれまで暮らしていた場所とは比べ物にならないほど鮮烈で僅かばかり怯んでしまう。だがこれから始まる新たな生活を思うと心は次第に昂っていった」

というシーンを書いたあと、何かイベントがあり場所を移動したとします。すると繁華街からは移動しているので、また移動先の描写をしてしいます。多分必要以上に。

「人並みを掻き分け走り続け、繁華街からは遠く離れた住宅街にまでAは来ていた。
 今や辺りには夜の帳が落ちて喧騒は遠のき、人の影は一つもない。ただ無機質な街灯いくつか建ち並び発光を続けているだけだった」

と、このように夕暮れの繁華街のシーンから移動して夜の住宅街のシーン。二つの場所を詳細に書くと冗長にすぎるのでは無いかとおもってしまいます。
どうでしょうか? 一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは文章がだれてしまいすか? ちなみに即興で書いたので短めになりましたが、二番目の文章での情景描写はいつもだとこの1.5倍になってしまいます。
やはり移動先の描写は少なめの方がいいのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信

投稿者 手塚満 投稿日時: : 1

お示しの文例は主人公が繁華街から閑静な住宅地へ移動したというものですね。即興とのことですので、2つの文例はつながっているものの、それらの前後の文脈はないわけですか。

そうなると、もしその2つの文章に限定するなら、ざっくり申せば「なんとも判断しづらい」になります。もし「この文章で情景が目に浮かぶか?」ということなら、「大丈夫でしょう」となります。なかなかに上手ではないかと思います。それゆえに書きすぎてしまうことを懸念されているのでしょうか。思ったことを、なまじ言葉にできてしまうから。

ですが、書きすぎ、適切、不足かどうかの判断は、2つの文章の前後が問題となります。

もし2つの文例が冒頭であるなら、「以降で、2つの文章の描写が後で使われるか」が問題となります。

1つめの「繁華街」(とその状況)は、これ以降の描写で使われるのか。もしは主人公Aの生い立ちとの対比ということなら、その生い立ちの特徴が以降で使われるか。もし住宅地の閑静さとのコントラストであれば、なぜ対比が必要かが2つの文章の後で活かされるのか。などなどです。

2つめの「住宅地」については、閑静な様子が描写されています。続くシーンで閑静さが必要なのなら、いい描写でしょう。ただ、わざわざ「無機質な街灯」と「無機質」を入れて読者の注意を引いています(「発光」もちょっと異様な感じを与えている)。この街灯は続く描写で無機質な感じであることを含め、使われるのか。使われないなら省いてしまうのも手です。

繁華街と比べて閑静な住宅地でありさえすればいいのなら、「繁華街の夜の喧騒を逃れ(るように)、閑静な住宅地まで来た」などでいいかもしれません。主人公の生い立ちを匂わせるなら「不慣れな繁華街の夜の喧騒を逃れ、閑静な住宅地まで来ると、ほっと一息ついた」など。

「チェーホフの銃」と呼ばれるコツがあります。「もし銃を(観客、読者に)見せたのなら、後のシーンで使われなければならない」というものです。逆の言い方では「銃が使われるなら、予め見せておかねばならない」となります。

ただ、これを厳密に用いると、非常に殺風景な描写になってしまいます。リアリティ、臨場感を持たせるための雰囲気づくりの描写も必要です。しかし、作者は「これはこの場限りの小道具」と思っても、読者には分かりません。その場限りなら、その場限りと分かるように書かないといけないわけです。

読者は出てきたものは覚えておこうとします。何が大事か分からないからです。熱心な読者ほどそうなります。不必要に描写を増やすと、一生懸命読んでくれる読者の負担になってしまいます。

そして、その読者が情景描写に出てきたあれこれが、二度と使われないと感じた途端、落胆します。無駄に覚えされられたという徒労感です。

ですので、その場で効力を発揮する描写(キャラの目立った性格・特徴とか、場面の不気味さとか、その場での読者の感情をかき立てるもの)、既に出した情報を受けての自然な描写、後で使うと匂わせる描写(そして実際に使う)であるかどうかで判断すべきです。

簡潔にまとめてみますと、シーン単位で描写の過不足を判断することは事実上不可能で、文脈的・物語的な前後の要請に沿った描写量・程度であるかで判断すべきとなります。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

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