創作における聖典の引用についての返信
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創作における聖典の引用について(元記事)
タイトルに関することで3つほど、有識者の方にお聞きしたいことがあって参りました。
カテゴリー選択は著作権・オリジナリティにいたしましたが、キャラクターについてのものにもなると思います。
1・創作における聖書など、いわゆる聖典の引用は可能なのでしょうか。
2・犯罪者、それもいわゆる愉快犯にあたるキャラに聖典の一節を唱えさせることは問題になるでしょうか。
3・実際に聖典の一節を引用している作品はあるのでしょうか。また、それらが問題となった事例はありますでしょうか。
なお、2つ目の質問において最もお聞きしたいケースは、「罪を悔いるなどの意図ではない」、「聖典の内容を曲解している(=犯行の免罪符として扱っている)」など、無知でも問題になるかもしれない、という考えに行き着くようなものとなっております。
問題になるような創作をしなければ解決することであるとわかってはおりますが、ファンタジーではない世界観で、清廉なイメージの強く与える宗教家でありながら、アウトローでもある、というギャップを持つキャラクターを作りたいという欲求が強く、創作する、しない、どちらを選ぶにしろ、納得する理由が欲しいという思いでこの場を借りて質問させていただきました。
回答のほど、なにとぞよろしくお願い申しあげます。
創作における聖典の引用についての返信
投稿者 読むせん 投稿日時: : 1
1・2、たぶん、無料配布とかならギリギリ・セーフで有料だとアウトだと思います。
3・仏教の曲解ならあちこちで。
キリスト教の引用?で印象的だったのは【ダガラの豚】中島らも・・・・ですかね。免罪符としてのキリスト教の思想の曲解に近いのは【ゲルマニウムの夜】花村萬月・・・も、やってはいました。
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正直、背徳者としてはベタかな?
狂信者とかなら曲解というよりも【教義の為ならテロだって拷問だって必要だよね☆人倫なんざ神の前には軽んじられて当然☆】みたいなテイストっぽいし。それよりかはスッキリしているし、ザラに存在している責任転嫁型の犯罪者タイプみたいです。
ただ、そういう形で聖典を出すなら、出す意味を問いたい。
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「ゲルマニウムの夜」なんかは主人公が犯罪予告とかを告解室で言うんだけど、聴罪者をバカにしているんじゃあなくて神とも神父様ともとれる「誰か」に深く怒っているんだと感じた。
神の不在を嘆いているとも、神の存在を信じてしまう気持ちを捨てられないのだと呪っているようにも、自分の犯罪を止めて欲しいとも感じました。芥川賞作品は難解(´・ω・`)
「ダガラの豚」では【罪を犯していなくても、神を信じていても、人は地獄に落とされる事があるのではないか?】という不安を意識させられました。
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あー・・・・なんか【出す意味】が無いのに、わざわざ出されたらモヤる。的な?
聖典の利用とかは【そもそも、その聖典をなぜ選んだか】とかが無いと、つまらん気がしてしまいます。
破戒僧とかの僧としても部分が無いと、なぜ【僧】になりながら【戒律】を破り破門されたかの部分が無いと、安いファッションでしかないと思う。
ファッションアイテムとしてのロザリオみたいなものですね。マリア様への敬意や祈りも無く、つけているの見るとモヤるわー。
私的にパワーストーン数珠すらモヤる人間なので(;´∀`)
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