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特殊能力を使う物語の能力名について (No: 1)
スレ主 メイズマン 投稿日時:
私は今、怪物と特殊な能力で戦う話を書こうとしています。
しかし特殊能力を使う登場人物の全員の特殊能力に名前があるしっくりくる理由が思いつきません。
元々、そういう特殊能力に名前があるとかは避けたいと考えています。
(例:スタータスで見たら名前ついてるとか)
こんな私にどなたかアドバイスを下さいませんでしょうか?
何卒よろしくお願い申し上げます。
カテゴリー: 設定(世界観)
この質問に返信する!特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 2)
投稿日時:
ハンターハンターの場合は、そういう想い(念)の強さが能力の強さにもなる、という設定なので作中はっきり明言してなかった気もするけど、技に名前をつけるのは大事なこと、という感じだったような。
ハンタの場合は「念能力」という名称もあって説得力を持つ設定だけど、これ単体でも通用する汎用性のある設定だと思うので、別にそれで問題ない気がする。
「念能力」を例にしたのは、その名称や設定などを知らないとスッと腑に落ちる回答を用意することは難しいということを知ってもらえれば、という気持ちがあります。
「念」能力だから「念=想いの強さ=自身の能力へのこだわり=名称も大事」という図式が成り立って、上手く噛み合うわけですね。
なので、能力の設定や能力に関連する設定を知らないで答えられるものとしては、能力の名前に限定しない「名称」の付け方、考え方になると思います。
1.もともと名前がついてる。スレ主さんは避けたいと考えられていますが、私は使用したことがあります。
恥ずかしくてあんま晒したくない昔のネタなんですが、物理現象や仮説=能力という考え方で「フェルミのパラドックス」という能力を持ってる人物は「可能性が高いことを条件に矛盾を生じさせる」っていうわけわからん能力を持っていました。
仮説や定説で優劣があって、公式を持つ者はピンポイントで万能で対応する公式を持っていないと対処できない……とと、脱線してしまいましたね。
まあともかく、おそらくだけど、スレ主さんが想定してる「もとから名前がついてる」状態と私の作品の例は、ちょっとニュアンスが違うと思う。
それは上に書いた「能力の設定」の話であるためですね。私の場合は名称もクソもない「そういう名前の仮説が能力になったもの」なので。
なので、設定を利用すれば「もともと名前がついてる」も考慮に入ると思います。
よくありそうなのは、「能力」に名前があるんじゃなく、その能力を与えてる神霊とか幻獣とかの力で能力を行使できるために「◯◯(神霊など)の力」としてる場合ですね。
神ではないけど「ブリーチ」の斬魄刀の設定なんかソレですね。「この斬魄刀の能力は…」とよく言ってた気がする。
2.他者に「名付け」をされる。「通り名」とかと同じ考え。
灼眼のシャナなんかは「炎髪灼眼の討ち手」と呼ばれているだけで、自身でそう名乗ったわけでも能力に名前があるわけでもない。そのため「眩き炎」とか、彼女の事や能力である炎を示す形容詞が変わったりもする。
シャナも超常的存在と契約して力を行使するので1の考えで能力名というか能力を示す単語を使うキャラもいたと思う。
3.キャラが自分で名付ける。ハンタの例で示したけど、ようするに「命名してなんなの」という設定がちゃんとあれば良くて、それには「自己顕示欲」とか「登録のための名称」とか能力とは関係ない汎用的な理由付けか、「能力自体に呼びかける必要がある」とか勝手に妄想して設定を付け加えるような事でしか、能力の設定を知らない第三者には答えは出せない。
1.2.3.と例をもって説明したけど、これってようは「自分で名付ける」「他人が名付ける」「もともと名前がある」と、「名付け」にあたってそれが誰かって話をしてるだけのパターンです。
例外として「誰にも名付けられない無名」というのもあるけど、それじゃ記号として役に立たないので、例はあるけどここでは除外。
能力の設定を利用してどうするかを決めるのが一番しっくりくると思うし、それは把握できてる作者さん以上の案はないです。あるとすりゃ、既に実践されてる名作などで、ハンタの例が汎用的なので素直に既存作を参考にしましょう、としか。
まあ、正直オススメ度で言えばスレ主さんは避けたがってるけど「もともと名前がある」ですね。
「もともとそういう名前」なので、説得力がダントツなんですよ。
Fateシリーズの宝具なども「エクスカリバー!」で衝撃波を出すけど、アーサー王なんだからエクスカリバーなのは道理でしょ。みたいな。
2の「他人が名付ける」は、ゴットファザーみたいな命名する誰かがいないのであれば基本は通り名と同じなので、気ままにノリで命名できる人ならやりやすいと思う。
その能力を評価する人物や組織によって呼び名が変わっても違和感ないので。
3は、正直「名付ける理由」を考えるのが難しい。
名付けることで能力を自身に定着させるとか、能力発現のためのイメージ作りの一環であるとか、汎用的なのはそんなところじゃなかろうか。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信の返信 (No: 6)
投稿日時:
アドバイスいただき、誠にありがとうございます。
小説の設定の参考にさせていただきます。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 3)
投稿日時:
必殺技に名前をつける手法は、実は日本特有のようです。
特にヒーローがその技名を叫びながら技を放つスタイル。これのルーツは初代仮面ライダーの「ライダーキック!」のはずです。
本音を言えば私なんかは、あれバカバカしく見えてしまうんですけどね。
ところが由来を辿ると話はまったく逆。仮面ライダーの原案では「変身!」とか「ライダーキック!」なんて叫ばせる予定ではなかったらしいんですね。ところがそうした方が受けるんじゃないかと着想した人がいて、やってみたら大ヒット。それ以来、日本ではすべてのヒーローものがそれを踏襲するようになって現在に至る、と。
つまりこれって日本のヒーロー・コンテンツ業界が早い段階で発見したドル箱ギミックなんです。外国にないのも道理です。
ですが、それはいいとしても日本人のやることってややもするとガラパゴス化する傾向もあります。ガラパゴスな上に、ちょっと猪突猛進。「これがいい!」ってなると、それ以外には何もないと思い込んだようになって皆、があっと馬車馬みたいに走り始めるんですよ。(なろうとかね。いやその……)
なので、いかに有効であることが実証された手法であろうとも、違和感があるならスッパリ捨てて他の可能性を探ってみるのも一つの手かもしれません。
*ちなみに余談ですが、「変身!」と「ライダーキック!」を考案したのは若いころの栗本慎一郎氏(経済学者。一頃マスコミによく露出して、多彩な才能で有名)らしいです。カルビーの「仮面ライダースナック」というのがあったのですが、それの関係者の友人だったんだそうで。
補足 (No: 4)
投稿日時:
先の書き込みだけではご質問への答えになっているかどうか分からないので、補足を試みます。
例えば柔道を例にして考えてみます。一本背負いとか大外刈りとか、かなり細かい技名がありますよね。あれは技術を伝えるという必要性から、名前をつけるのはむしろ当然です。技でも物でも名前がないと会話ができません。
ただしこれは合理性を重視する現代ならではの話で、中・近世の柔術・剣術の場合は「道」という宗教に近い観念論や一子相伝的な慣習が強かったため、技名も「金翅鳥王剣」(実在したらしい)なんて感じだったり。しかしながら、それはそれで神韻縹渺とした技名がつく社会的な背景があったわけです。
次に、野球で考えてみます。
バッティングや守備にこれといった技名はありません。野球の打撃の技術は基本からそれほど大きく外れたものになりようがないので、一々こまかい技名なんてつけにくいし、つける必要もないのでしょう。
ただし、変化球にはフォークボールとかスライダーとか名前がつけられています。それらは一つ一つ個別の技術なので、名前が必要になります。でないと「ストレートを主体にフォークをまじえてピッチングを組み立てる」みたいな会話ができないわけです。
また「一本足打法」のように、その技術が世間の目を引くほど特徴的だったり、その技術の使い手にスター性がある場合には、特別仕立てな技名がつくことがあります。
では、ライダーキックとそこから派生したヒーローもの特有の技名はどうか?
これは先の書き込みで述べたように、リアリティではなく受けるための演出としてスタートしたものです。なぜそういうものがあるのかということは最初から考慮されていないので、冷静にみると不自然さがあるのは避けられません。
別にそれを否定しているわけではなく、エンタメにはそういう感覚も必要だと思っています。
ただ、多かれ少なかれ不自然さがつきまとうのは宿命のようなもの。そこを工夫する作者もいますが、敢えて憎まれ口を言えば不自然さに不自然さを上塗りするような結果になってしまうことが殆どです。
例として、技名ではありませんが、有人人間型戦闘用ロボットという日本アニメ独特の伝統芸。どうして人間型である必要があるのかという疑問を払拭しきれません。
不自然さを何とかしようという工夫としては、ガンダムの「モビルスーツ」はわりと秀逸だったとは思います。ロボットをそう言いかえるだけで、ファンタジー寄りのマジンガーZよりもかなりSFっぽくなりました。ただ、それでもビジュアル的にはマジンガーZの流れに強く影響を受けているように見えます。
こうした流れの最果てに位置すると思われるエヴァンゲリオンは、変容に変容を重ねて機械でさえなくなってしまいました。それでもマジンガーZ以来脈々と受け継がれてきたコクピット状の何かがちゃんとあったりしてね。作画的にはやっぱりマジンガーZの末裔と私には見えるし、実際あのアニメの設定やストーリーを知らない人はエヴァはロボットだと思っているんじゃないですか?
とか何とか言ってる一方で、現実世界の方に人間型ロボットは出現してしまいました。
実用面での若干の疑問に対し、例えば介護問題という社会的な要請がでてきました。また、災害などの対策。放射能事故という人間が近づけない決定的な要因を私たちは思い知らされ、かと言って瓦礫を乗り越えるというような場合に車輪は不適切です。なかば倒壊した建物に入るなどの必要性が生じる場合もあり、単一機能に限定された機械よりも様々な状況に柔軟に対応できる人間型の方が適しているのではないかという考え方が、実際に出てきているようです。
すみません、能力名から離れたことを長々と書きました。
何が言いたいかというと、不自然さをきらいリアリティをもとめるのなら、創作の世界で受け継がれてきた常識は一旦わきにおいた方がよいということです。
格闘系の技に名前がつく現実的な理由は、最初に書いた柔道と野球の例でだいたいカバーできているんじゃないかと思います。
技ではなく異能力の場合は、その能力が社会的に認知されているかどうかによるかと。もう一つは広い意味での「呪文」という要素ですね。
世間に知られた能力であれば、マスコミが勝手に名前を付けたり、誰かが言い出した名称がSNSなどで拡散するといったことが考えられます。
知られていない能力の場合は、妙にそれらしい名前があると不自然に思えるケースもありそうです。しかし「呪文」ならそれを唱えないと能力が発動できないという理由付けは比較的容易かと。
そこで注意しなければいけないのは、ジャンルにおいて知らず知らずのうちに確立している常識にとらわれないことです。それを捨てきれないと、いかに巧妙な理由付けを思いついても「こじつけ感」が残ってしまうことが多いと思います。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
アドバイスいただき、本当にありがとうございます。
小説の設定の参考にさせていただきます。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 5)
投稿日時:
結論から申せば、文章作品では作中の特徴的な能力や技には技名を付けておくべきです。付けない場合を考えてみると分かりやすいかもしれません。例えば、
「俺は両手を握って肩の高さに構え、左足を半歩踏み出しつつ、右腕を伸ばして相手の顎に拳を叩きつけた。」
というのは、右ストレート(パンチ)ですよね。あるいは、空手の右上段正拳突き。技名がなかったら、いちいち動作を説明しないといけなくなります。読者としたら、無駄に長く読まされることになるし、右ストレートかどうか、注意深く読む必要も出てしまいます。
1.既知のものには名前はついているもの
特殊能力といっても、複数種類あって、その世界で知られていれば、必ず分類されるものです。当然、命名もされます。現実にはあるかどうか疑わしい能力も名前は付いてますよね。念動力、ESP、透視、千里眼等々です。
修行が伴うものだと、修行する人に必要になるので名前が付きます。密教では、毘盧遮那仏の真言は特に光明真言と呼ばれたりする。頭を良くする一連の修行手順には求聞持(聡明)法という名前があります。
武道でも、機能的な分類と命名が為されていますよね。空手なら攻撃場所の上段・中段・下段と攻撃方法の突き、前蹴り、回し蹴り等々を組み合わせ、例えば「中段回し蹴り」でどういう攻撃か分かります。
もっとも、空手の試合の攻防で、いちいち技名は言いません。言うとしたら実況中継くらいでしょうか。それに準じたものとしては、観戦者同士で話しているときとか。しかし、対戦者同士で技名を叫ぶことは決してない(剣道は例外かもしれないけれど、真剣の実戦では言わない)。
2.現実での技名/能力名の用法
ですので、現実においては、
・既知の技(能力)に名はある(分類、理解のため)。
・技(能力)行使時に技名(能力名)は言わない。
となるように思います。これがフィクションではどう表現されるかですね。現実でありながらフィクションに近い状況はTVでのスポーツ観戦でしょうか。アナウンサーが実況中継し、解説者が補足します。彼らから技名を含めた言葉で状況が説明されます。そうしないと、詳しくない視聴者は状況が分かりませんから。
3.フィクションの場合
純然たるフィクションですと、作中のキャラが使うのが現実にある有名格闘技などでない限り、読者には分かりません。作者が考え出したものは、作者しか知らないわけですんで。それでも、例えば「北斗の拳」ですと、主人公ケンシロウのパンチ→敵が破裂、みたいな流れを絵で見せますんで、1シーンだけで考えると、技名は必ずしも必要とは限りません。
ですが、同じ技が繰り返し使われる可能性があるわけですよね。あるいは、似ているが別の技も出てくる。そうなると、読者(視聴者)にどの動作が何の技か、知らせておく必要が出てきます。何の技か言わない場合は、単に殴ったりけったりしただけで、北斗神拳の効果はないと分かったりもします。
ですので、フィクションにおいては、
・作中の技(能力)には、現実で行われているように、名を付ける。
・技(能力)の行使では、その技名(能力名)で読者に知らせる。
となるように思います。
4.文章作品の場合
特に絵を見せられない文章作品では大事になってきます。もし技名/能力名を言わないとしたら、上記の右ストレートの例のように、動作や状況の描写でキャラが何をしたかを読者に知らせるしかありません。
繰り返しますが、それを絵で見せられない。言葉の説明でイメージしてもらうしかない。一度目は技名/能力名があっても、動作や状況の描写は必要です。しかし二度目以降であれば、名前を出すことで大幅に文章量を減らせます。
これにより、読者の負担は下がります。言葉は記号でしかありません。その記号を手掛かりに、絵や音、動き等をイメージ再生するのは読者です。作者は既知のものは既知のものとして簡潔に表現し、読者に既知か未知かを長文で追わせて判別させてはなりません。
しかも、例えば異なる名前なら実体も異なると即座に理解してもらえます。似ている名前なら、異なるが同系統と思ってももらえます。裏を返せば、そうなるように名前を工夫するということになります。
たとえ「現実的にはいちいち技名/能力名言うのは不自然だろ」と思えても、言葉で伝える以上、名前という記号は読者の利便のため、有効に使うべきです。
5.例外もある
もちろんですが、技/能力に名前を付けなくても、すらすら読めてすらすら分かるように書けるのでしたら、名前なしでも構わないでしょう。さらに、名前がないほうが分かりやすいように書けるなら、積極的に名前を排すべきでしょう。
技/能力がシンプルな場合も、特別な名はなくていいでしょう。例えば、口から火を吐くだけに終始する場合、特に特徴的な命名が必要とは思えません。単に殴ったり蹴ったりする動作も同様です。広く知られている技も似ていまして、回し蹴りにわざわざ別名を付ける必要性はなく、例えば「スピニング鉈斬り」なんて命名したら理解を妨げます。
言い換えれば、作品独自の特徴的な能力/技についてのみ、分かりやすい命名が必要とされるだけであって、他は要らないわけです。オリジナルな名前てんこ盛りみたいなことになりますと、読者の負担となり、覚えられず、そのため分かりにくくもなってしまいます。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
アドバイスいただき、誠にありがとうございます。
小説の設定の参考とさせていただきます。
特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 9)
投稿日時:
チェスで人間がAIに敗北しました。
AIという言葉すら一般的でなかった時代ですが、
コンピュータ独特の「手」というのがありました。違和感が非常に大きいけど、(先を)読むとそんなに悪くない手ですね。
(ただし、今のコンピュータのように手が100点満点なのではなく、常識がないので変な動かし方をするという意味です。)
それには「コンピュータームーブ」という名前が付けられました。
日本人なら「神の手」なんて名前にしたかもしれませんね。
名前というのは自然につくものだと思います。
なので、技の特徴を捉えた名前にすればいいと思います。
あるいは「必ず何かの名前を使う」という決まりがいつからかできているとか。
山手線 近鉄 阪急 ゆりかもめ とかですか?
特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 10)
投稿日時:
他にでていないものだと・・・・・呪術的な意味合いとイデア的な理由?
「シャフ度」「韓国塗り」「オルチャン・メイク」「男の娘」「萌え」とか、概念的なものに名前を付けてしまうことで理解したつもりになってしまうのをラベリング―———呪(しゅ)と言います。
たとえば【恋】なんて、かなり特殊な感情だし、それが他人と同じ感情とは限らへんのに、「恋」って呼び方だけで容赦なくラベリングできてしまう。漠然として不定形のものに一定の形を与えることができてしまうのです。
なので特殊能力に名前をつけると術者が能力をコントロールがしやすくなると思う。
某ジョジョの奇妙な冒険で、自分の能力を【悪霊が憑りついてしまっている】と思い悩み牢屋に引き籠っていた某丞太郎が、その悪霊へ『スタンド』や『スタープラチナ』というラベリングを行うことにより能力の方向性を指定&固定できた感じ。
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イデアはイデア論のこと
イデア論ってのは、ざっくり言うと【この肉眼で見える世界には贋作しかない、でも俺たちは本物が存在する知りながら、現物(イデア)を見たことが無い】っていう理論らしいよ。
人間が顔を美形orブサイクだと判断できるのは、【美のイデア】を知っていて、その基準に当てはめて判断しているからだ。
そして、その基準は後天的なものではなく、なぜか私たち自身が自我に目覚める前からインプットされたかのように存在している。
(けっこうマジな話、奇形はキモイ、ブサイクという気持ちはDNAにインプットされているそうです。優良なDNAを持つ生き物は基本的に左右のバランスが整っているので、シンメトリーなものは人間だろうと虫だろうと美しく感じるみたい)
その能力が使えるのは【その能力のイデア】を漠然と、あるいは他の誰より確実に知っていて、それを目指して訓練できたりするからだ。
そして能力覚醒=現物に出会える。現物は自分が生まれるよりも前に存在していて、なんなら真の名前なんかも存在する
>>元々、そういう特殊能力に名前がある
というノリそのものやね(笑)
特殊能力を使う物語の能力名についての返信 (No: 11)
投稿日時:
前作で特殊能力に一部名前があるものを書いてました。けどこれは元から名前があるものでしたので例外かと思います。
そうなりますと名前というものは何なのかというアプローチから。
名前というのは他と区別したり他人に伝えるためにありますので、区別が必要であるとか伝えるために名前がついてる。という前提から考えてみてはどうでしょうか。