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創作における聖典の引用について (No: 1)
スレ主 りほみぃ 投稿日時:
タイトルに関することで3つほど、有識者の方にお聞きしたいことがあって参りました。
カテゴリー選択は著作権・オリジナリティにいたしましたが、キャラクターについてのものにもなると思います。
1・創作における聖書など、いわゆる聖典の引用は可能なのでしょうか。
2・犯罪者、それもいわゆる愉快犯にあたるキャラに聖典の一節を唱えさせることは問題になるでしょうか。
3・実際に聖典の一節を引用している作品はあるのでしょうか。また、それらが問題となった事例はありますでしょうか。
なお、2つ目の質問において最もお聞きしたいケースは、「罪を悔いるなどの意図ではない」、「聖典の内容を曲解している(=犯行の免罪符として扱っている)」など、無知でも問題になるかもしれない、という考えに行き着くようなものとなっております。
問題になるような創作をしなければ解決することであるとわかってはおりますが、ファンタジーではない世界観で、清廉なイメージの強く与える宗教家でありながら、アウトローでもある、というギャップを持つキャラクターを作りたいという欲求が強く、創作する、しない、どちらを選ぶにしろ、納得する理由が欲しいという思いでこの場を借りて質問させていただきました。
回答のほど、なにとぞよろしくお願い申しあげます。
カテゴリー: 著作権・オリジナリティ
この質問に返信する!創作における聖典の引用についての返信 (No: 2)
投稿日時:
>1・創作における聖書など、いわゆる聖典の引用は可能なのでしょうか。
著作権など法的な面では問題ない。
が。なんらかの聖典を日本語訳したものには聖典の内容ではなく「日本語訳された文面」に著作権が発生するので、強弁して強引に問題化させようと思えばならんこともない万が一の可能性はある。
>2・犯罪者、それもいわゆる愉快犯にあたるキャラに聖典の一節を唱えさせることは問題になるでしょうか。
問題になった前例は割とある。
あるけど、どーなんだろな……って感じのところもある。
両親をバカにされてムカついたとして、でもいきなりバカにした相手を殴りゃしないでしょ。言葉で言い返すってことも。まあ、大人なら適当に流すじゃん?
でも、時と場合によっては問題になることもあるでしょ。
そういうレベルで問題はある。
でもこれは、それを見て不快に思う人が100%いるから、そんな彼らが「わざわざ問題化して騒ぐほどじゃないけどさ……」といってるだけの話で、問題自体はある。不快に思ってる人が問題にしてないだけ。
>3・実際に聖典の一節を引用している作品はあるのでしょうか。また、それらが問題となった事例はありますでしょうか。
有名所じゃジョジョの奇妙な冒険のDIOがコーラン読んでるワンシーンがあって、それが問題になった。ってのがある。
……あるんだけど、これも調べてみると妙な話で、イスラム圏では問題になってないのよね。「イスラムの人が怒ってるぞと日本で問題になった」という、よくわからん感じ。ムスリムたちがこのことについてネットで語ってる当時のログがどっかにあったけど、「え、別によくね? 漫画だってわかってねーのか。誰だそんなアホなこと言ってるヤツw」って反応が多かった。
あー、ガチなやつで一番有名なのは「悪魔の詩」か。日本語訳を担当した人がおそらく信者に刺殺されたって事件があったね。まあこれは自分でググって。
これはデリケートな問題だけど、実際のとこ、コアなファンが多い漫画かアニメのパロディをやってみようって話と似てると思うんだよね。
原作を理解して敬意がなければ、いくらパロだオマージュだと言ってもダメでしょ。
だから、相手に対する理解と敬意がなけりゃ、フリー素材がごとく引用しちゃうのは、ダメだと思う。
>宗教家でありながら、アウトローでもある、というギャップを持つキャラクター
三大宗教をモチーフにした創作宗教にすりゃいいんじゃない?
創作における聖典の引用についての返信 (No: 3)
投稿日時:
問題になるか否かは『法的な問題』と『感情の問題』を区別して考える必要があります。(これより以下、大前提として法的なことは日本での話。海外は異なります)
その上でですが、まずは法的な問題から。
1)法的には著者の死後50年保護されます。聖書の場合は著者が誰であるかという問題が発生します。
信仰している方々以外、一般的にはモーセとか、あこらの方でしょうから、とっくの昔に亡くなってます。
宗教として信じている人からすれば、口述筆記でしょうし、そうなると著者はヤハウエですので”死語”という考えが成立しません。
ややこしいですね^^;
ですが、もっと簡単に説明することも出来ます。
ご質問から原著であるヘブライ語の話ではなく、日本語の聖書かと思います。
この場合は当然ながら訳者がいますし、翻訳にも著作権が発生します。
神学という学問が存在し、また聖書という性質から翻訳しっぱなしで放置、ということも考えにくいのではないでしょうか。
訳者の方はご存命であるかも知れません。お亡くなりになられている場合は死後年数の問題になります。
聖書が法人著作であるものを引用された場合は公表後50年です。
2)引用用件を満たしてください。
小説の場合は引用元を(普通は最後にまとめて)書くのが慣例です。
3)聖書の引用はイッパイあります。
有名な所だと映画【園子温監督:愛のむきだし】で、三分ほどの間、ヒロインが聖書の一節を読み続けるシーンの熱演が話題となりました。
次に感情の問題。
実はこっちの方がやっかいです。
と、申しますのも著作権は前述の刑事以外にも、民事もからみます。
荒っぽい話ですが、ぶちゃけ著作側が憤慨して『許せん!やったる!』と思えば、民事になるかも知れません。
商業作品というのは、こういったトラブルにGOを出した出版社側が対処しますし、会社である以上それなりに強い弁護士がついていることが相手側も想定できますので、よっぽどの事がないと訴訟問題に発展しづらいということもあります。
実際問題として、フィクションに一々目くじらを立てる可能性は高くないでしょう。
特に規模として大きいカトリックに関しては、世間の目もありますので可能性も下がるかと思います。
ただ、聖書である以上、キリスト教系すべてが対象、つまり相手が複数であり、かなーり胡散臭いキリスト教系ってのも実際日本国内に存在しますので正直には解りません。
訴訟と信心は別の話ですし、目をつけられ、憤慨されたら、後は相手の行動力次第です。
2)内容が具体的に解りませんので、こういう書き方になりますが『貶められたと感じる相手が存在するなら、その相手が黙認できるか?』です。
3)感情的な部分で有名な例は『悪魔の詩、訳者殺人事件』でしょうか。
イギリスの【悪魔の詩】という小説を翻訳した、日本の大学助教授卯が殺害されています。
小説ですが、ムハンマドが多神教を認めたが後に「悪魔のささやきだった」としてコーランから削除したという記述が問題になり、各国の訳者が殺害されています。
一神教の宗教を信仰している人々にとって、多神教を認めるというのは根底を揺るがす大問題ですから、殺害という手段はともかく憤慨する気持ちは想像できるところです。
私自身は無宗教の無神論者、強いていえばアニミズムに近い感覚ですが、特定宗教を信じるというのは『存在しない(神)を、意識の力だけで存在していることにしてしまう』という強烈な想いです。
無宗教の人間からすれば、信仰というのは『目の前にあるペットボトルは意思をもっている』これを信じて、信じ続け、ペットボトルが喋り出し、あなたに忠告や苦言を呈し、日常生活そのものをペットボトルさまの仰る通りに行動し、ひれ伏して従う。
これを”全く正気のままで”意思の力だけでやってのける、信じられないパワーです。
絶対に間違って理解してほしくないのは、『ムスリム・イスラム教徒特有の過剰反応』という認識。
件の殺人事件そのものも、当時のイラン最高指導者ホメイニ師という”個人”が殺害指令を出していたのが発端です。
アメリカも基本的にキリスト教徒が多いですが、学校の先生すら『教えることになってるから、教えるけど進化論は嘘っぱち。神様がお作りになられた』とか普通にいいますよ。(細かくは反優生学とかもあるんですが)
信仰している人からすると、聖書ってのは神の言葉ですから、極めてデリケートであることは間違いありませんし、それは多分、日本でキリスト教を信仰している人も同じかと思います。
最後になりますが、結構簡単な話を。
読んでませんので、こういった書き方になりましたが、基本的に私個人は『いいんじゃね?』という考えではあります。
率直には(清廉なイメージ)(アウトローでもある)他諸々を満たすことは宗教家に拘る以外にも道があるように感じました。
加えて、最も重要なのは結局の所『書かれた小説を教会に持って行き、信者さんに見せられるだろうか』ということではないでしょうか?
『殴られそう』『ちょっと見せられない』なら、そりゃやっぱりまずいでしょう。
『黙認してくれそう』『これぐらい大丈夫』なら、セーフなのかもしれません。
お勧め作を一本だけ。
【貴志祐介著:悪の教典】
映画化されてますが、悪くないだけでお勧めはしません。
小説でどうぞ。
色々書きましたが執筆頑張ってください。
応援いたします。
創作における聖典の引用についての返信 (No: 4)
投稿日時:
1・2、たぶん、無料配布とかならギリギリ・セーフで有料だとアウトだと思います。
3・仏教の曲解ならあちこちで。
キリスト教の引用?で印象的だったのは【ダガラの豚】中島らも・・・・ですかね。免罪符としてのキリスト教の思想の曲解に近いのは【ゲルマニウムの夜】花村萬月・・・も、やってはいました。
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正直、背徳者としてはベタかな?
狂信者とかなら曲解というよりも【教義の為ならテロだって拷問だって必要だよね☆人倫なんざ神の前には軽んじられて当然☆】みたいなテイストっぽいし。それよりかはスッキリしているし、ザラに存在している責任転嫁型の犯罪者タイプみたいです。
ただ、そういう形で聖典を出すなら、出す意味を問いたい。
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「ゲルマニウムの夜」なんかは主人公が犯罪予告とかを告解室で言うんだけど、聴罪者をバカにしているんじゃあなくて神とも神父様ともとれる「誰か」に深く怒っているんだと感じた。
神の不在を嘆いているとも、神の存在を信じてしまう気持ちを捨てられないのだと呪っているようにも、自分の犯罪を止めて欲しいとも感じました。芥川賞作品は難解(´・ω・`)
「ダガラの豚」では【罪を犯していなくても、神を信じていても、人は地獄に落とされる事があるのではないか?】という不安を意識させられました。
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あー・・・・なんか【出す意味】が無いのに、わざわざ出されたらモヤる。的な?
聖典の利用とかは【そもそも、その聖典をなぜ選んだか】とかが無いと、つまらん気がしてしまいます。
破戒僧とかの僧としても部分が無いと、なぜ【僧】になりながら【戒律】を破り破門されたかの部分が無いと、安いファッションでしかないと思う。
ファッションアイテムとしてのロザリオみたいなものですね。マリア様への敬意や祈りも無く、つけているの見るとモヤるわー。
私的にパワーストーン数珠すらモヤる人間なので(;´∀`)
創作における聖典の引用についての返信 (No: 5)
投稿日時:
多分だけど、法的に著作権法はセーフです。法外の事でも、よほど教理と照らし合わせてそぐわない解釈・行動をする人物のセリフでなければいいかと。
また、『そもそもあまり理解せずにそれっぽく言ってる』みたいなキャラなら、正確な内容を長文で乗せなければ問題ないかと。
実例については、キリスト教以外の例しか俺は知らんけど、occultic nineではバサラ真言とか使ってたし、それこそ信長をネタにした大河小説とかだと『胡散臭い外国人のキリスト教徒』や『気に食わない仏教徒』みたいなのは出てくるし、あえて聖典・お経を引用して馬鹿にするような発言のあるシーンもある。
あ、ちなみに言うと大河ドラマで武士が『南無三』というのを嫌がるお坊さんもいますし、逆に言うとそうだとしても問題になってません。
読むせんさんも言ってるけど、『聖典・教文』を出す理由があるなら、別に使ってもいいと思いますよ。
創作における聖典の引用についての返信 (No: 6)
投稿日時:
キリスト教に関して言えば、新約聖書の一節に「悪魔が旧約聖書を引用してイエスを誘惑する場面」があるわけです。ある意味3の最たる例ですね。
なので、今更人間の悪人が聖書引用したぐらいでは大した問題にはなるまいと希望的観測。
まあ、もちろん「キリスト教がその悪事を推奨・容認しているわけではない」ことは作中で示したうえでのことですが。
気になるようなら、サタンさんが言っておられるようによく似た創作宗教に置き換えれば言い訳程度にはなります。
商業作品でも『聖教』、『救い主』程度のそれでほんとに別物で通るのかなーって例も見られますから。
房二乙女 (No: 7)
投稿日時:
マンガや、ラノベの一節を引用する…ありかもしれん。
てか、いつもの五虎星やないか!
歴史から学ぶって、ことしないの? (No: 8)
投稿日時:
しかしカルト馬鹿って、数百年毎に
似たような理由で火刑にしたり、火刑になったりするよね。
セバスチャン・ミカエリスさん、マジ火刑好きなんだろうなー!