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視点人物がいないシーンを書くことの当否 (No: 1)
スレ主 おとうふらいたー 投稿日時:
こんにちは。
三人称小説で視点人物がいる場合はその人物の知覚、記憶、心情について描写すると思います。
【質問要旨】では、登場人物の内心について直接描写せず、客観的描写だけすることにすれば、視点人物のいないシーンを書いても低評価にはならないのでしょうか?
具体的には、主人公が敵陣で戦っている時に、味方の拠点が味方のリーダーの喉元まで敵が迫ってきて大ピンチというストーリーを描くためにそのようにしたいです。
また、他に良い方法があればご教示ください。知恵を貸していただけますと幸いです
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!訂正 (No: 2)
投稿日時:
【訂正】味方の拠点が→味方の拠点では
と訂正します。
視点人物がいないシーンを書くことの当否の返信 (No: 3)
投稿日時:
三人称視点の「三人称」とは、いろいろ説明を省いて結論を書けば「第三者の」という意味です。
「物語に直接介入しない第三者の視点から物語を語る」という手法が三人称視点というもの。
ここで「視点」というものを考えてみると、まあ読んで字のごとく「視線がそそがれる点」のことですが、「視線をそそぐ」ということは「見る人」と「見られる人」がいるわけで、「見る人」はすなわち語り部のことで、「見られる人」というのが俗に創作界隈で使われる「誰それに視点を合わせる」キャラを指す。
つまり、視点という言葉を使う以上は三人称であろうと常に「どこか」に視点は合わせている。
そうしなければ読者が何を見ていいのか混乱してしまうので、一人称は常に主人公ないし語り部が視点を持ってるので気にしなくてもいいけど、三人称では視点の扱いは非常にシビアなものになったりします。
「常に誰かに視点を合わせる」ではなく「常にどこかに視点を合わせる」と書いたのは、三人称の場合は視点はあくまで「見る対象」なのでスポットライトのようなものをイメージすりゃいいのかなと思いますが、キャラに限定されず場所とか事象とかでも問題ないためです。
例えば「とあるコンビニエンスストアの一日」というテーマなら、別に主役を設定せず一日の人間関係や店員じゃなく客にスポットを当てたりとか「そのコンビニ内」に視点を合わせて監視カメラを見てるようなミニ群像劇にしたりもできます。
この場合、まあ別に視点を変えてもいいけど、基本的にはコンビニ内に視点をあわせてあまりキャラを追ったりはしない。場所に視点を合わせてる例なので。
まあでも、小説は人間ドラマを作りやすいので人間ドラマを追う以上はキャラに視点を合わせることが一番多くて、私のコンビニの例は無理筋ではあると思うが。
で。
「常にどこかに合わせる」と書いたけど、どこにも合わせないフラットな、客観的な手法もあります。
それが神視点と呼ばれるものです。
「神」という何でも知ってる語り部視点なので、場所も時間も人物も自由に何でも見れます。
これは、正直あんまオススメできないです。
やるなら一時的に味方リーダーか敵強襲部隊に視点を合わせたほうがいいと思う。
たぶん、
>三人称小説で視点人物がいる場合はその人物の知覚、記憶、心情について描写すると思います。
この書き方からして、おそらくだけど三人称一視点で書いてて視点移動に悩んでるんだと思うけど、それなら視点をコロコロ変えたりしない限りは一時的に味方リーダーに視点移動しても問題ない。
他に良い方法は、
結局は視点主に「強襲部隊が拠点に迫ってる」って情報が伝わってりゃ、それは視点主の視点から状況を書けるから、「警戒中のはずのB棟の電気が消えてる」とか「α隊と連絡がつかなくなった」とか「拠点から爆発音が」とか、ようは「強襲部隊の行動を間接的に視点主が実況できる演出」を入れられれば、視点を変える必要はないね。
実況演出が無理そうなら、自分なら強襲部隊に視点合わせるかな。
主人公が敵陣で戦ってるってことは主人公も敵陣に突入する強襲部隊なわけで、同じようなポジションの敵と対比構造を作れるので一個のドラマになるかなと思ったため。
視点人物がいないシーンを書くことの当否の返信の返信 (No: 4)
投稿日時:
サタンさん、たいへん丁寧なご回答ありがとうございます!
味方リーダーに視点移動して書いても問題ないということですね。ご高察のとおり三人称一元視点で書いていたのですが、視点移動してよいのか不安になっていたところでした。
主人公の戦いは屋内で戦う状況なので、視点移動してみようと思います。