どうも。質問は初めてです。よろしくお願いいたします。
本題ですが、ラノベの一般読者層の知性について質問です。
会社でなんとなくぼーっとしていたとき、ふと「ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいなのではないか?」という仮説が思い浮かびました。これについて、色々調べたところ、以下のようなことが分かりました。
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■テレビの想定視聴者層はどれくらいか?
(少し昔の話題になりますが)とある芸能人が「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」という発言をしました。
また、演劇人の壤晴彦氏は、Twitterで同じような発言をしています。
「もう随分昔、当時の売れっ子脚本家とプロデューサー同席の時「日本のTVドラマは小3の語彙力で書けと言われます」俺「ホント?」P「ウン」俺「小4じゃダメなの?」P「視聴者から『難しい』ってクレームが来るんだよ」
さらに、KeyHoleTVの開発者である苫米地英人氏は自著の中で「そもそも現代のテレビ番組が、どういう層を対象にしているかというと、小学生高学年レベルの知力を対象レベルとしている。つまり、小学校高学年の頭脳が見てちゃんと理解できるレベル以上のものは、テレビには存在しないのだ。報道だろうが連ドラだろうが、同じである。すべて小学生向けのものだと思って間違いない。」と語っています。
小学3~4年生レベルの知性というと、国語が「ごんぎつね」、算数が「割り算」「小数」「角度」、理科が「磁石のしくみ」くらいとなります。いやいやさすがに馬鹿にし過ぎではないかと疑ったのですが、その手の人と付き合いのある友人に確認してみたところ、「まさにそう。彼らの知識はほんとそれくらい」と強く頷いていました。
これらを鑑みるに「テレビは小学生高学年レベルが理解できるように作られている」というのは信ぴょう性が高い(と私は思っています)。
■偏差値40の人は何に興味があるのか?
下記サイトにて、「偏差値40の人は何に興味があるのか」を解説していました。
はあちゅう氏の電通の先輩が言う「偏差値40の人向けPR」を解説。
https://www.kyohei-suzuki.com/entry/hensachi40-pr
(以下引用)
『偏差値40程度の人達は「時間が潰せること」と「快楽を得られるもの」に興味が振れていると言えます。電車やバスの待ち時間、退屈な授業中の暇潰しはスマホでソシャゲー。でも、ゲームだけだと飽きるので、楽しいことがしたいと思って恋愛を求めたり、バイクに乗ったり、ギャンブルにはまったりする。恋愛は本能、その他は「周りがやってるから」という理由で選び、ハマって行きます。彼らは多くのこと、本質的なことは考えず、本能や親しい人の勧めに従って行動するのがパターンです。物事をよく考えてから判断して行動する傾向のある、偏差値の高い人々とは逆のベクトルを向いています。』
そのうえで、偏差値40の人に受け入れられるコンテンツの特性として以下の要素を挙げていました。
・五感に訴え、本能を刺激するもの
・強く共感させるもの
・親しみを持たせるもの
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上記を踏まえたうえで、ライトノベルの一般読者層は、上記のような特徴を持つ人々と考えてもよいと思いますでしょうか? それとも、これ以上の知性を想定すべきでしょうか? もし、後者を支持するならば、どれくらいの知性を想定すべきだと思うでしょうか?
ご意見よろしくお願いいたします。
・五感に訴え、本能を刺激するもの
・強く共感させるもの
・親しみを持たせるもの
むしろこれが、偏差値40の人にも、もっと高い人にも、共通して存在する特質であるように思えるので、これを目標に書いていくだけで、面白い上にためにもなるエンターテインメントは作れると思います。
ただ、人間というのはなんだかんだで「目が覚めるような新しい情報」を求めています。例えば、韓国の航空機が墜落して170人以上の方が亡くなった、というと、それを襟を正して(真面目に)見るわけです。しかしこれは人間が堕落しているからというより、あたり前のことです。
また、テレビマンの人たちの傲慢とも思える意見は、これまで彼らが試行錯誤した結果としての決まり切った結論、のように思えますね。
だから、まあしょうがないかな、と。また、彼らの話を無視するわけにはいけません。
しかし、ありきたりなものよりは、一応目新しいもののほうが受けるはずです。なにかしら新しい要素があると、それだけで目を引くので。いつでも同じ番組ばっかりテレビマンが作っているということはないです。新しいものを作ります。
たとえそれが、ただの焼き直しであっても。
テレビマンは、正しいことを言っています。耳が痛いです。
それでも私は、高尚なものを目指しますよ。行き着く先は、高尚なものも、低俗なものも、同じでしょう。