ちょっとファンタジーの主人公関連の設定で思いついた事を相談させてください。
・契約者は敵に狙われていて、幼少期に肉体と魂を分離させられて、魂を抜き取られます。
・しかし、肉体は唯一の友達だった微精霊が『波長が合うならば誰でも一方的に契約出来る』という微精霊だけの力で契約し、肉体の主導権を握り、逃げ出す。彼が主人公。
・で、なんだかんだあって洗脳されていた契約者と主人公が対峙し、和解を済ませた後は肉体を返して、自分は消える
それで質問なんですが、精霊って丸い光の玉がふわふわ浮いてるイメージじゃないですか? 展開的には主人公は肉体を返した後、人型にするつもりなんですが、あれが人型を模すにはどんな理由が納得いく感じになりますかね? そもそも精霊って人より上位存在の筈だから、人型をとる意味がないかなって考えてしまって。何かいい案があったら教えてほしいです
そりゃ設定次第かなと。
精霊ってようはアニミズムだから、形はない。
万物に宿る魂のこと。
人と接するために人の形をしてるって考え方もあるし、スレ主さんの作品の場合は長らく人と寄り添っていたから主人公の影響を受けて人の形になったと言ってもいいと思う。
アニミズムって日本で言えば八百万の神だし、どの国でも人がイメージする以上は人や動物の形をしています。
神もだけど、精霊って形がない概念だからこそ受け取る側によって形を変える。
そういうところから設定を考えていけば案が生まれるんじゃないでしょうか。
カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 精霊の扱いについて
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小説家になろうの小説に、以下のような文章を見つけました。
“
冒険者用の装備を売る店はいくつかある。
アカヤマ、アオキ、コソト……、それから身体の大きな種族に特化したサカアクやピューマ堂といった店が全国に展開している。
しかし。
どの店にいっても、ほとんどが男性向けの装備ばかりが売られており、女冒険者むけの装備は目立たない最上階の片隅にコーナーが設けられている程度だった。
”
引用元:
https://ncode.syosetu.com/n5920ex/7/
リンク元をご覧いただくとお分かりの通り、短期間で人気を伸ばしたとても参考になりそうな小説です。このように接続詞の後ろに句点を置いて改行することは有効でしょうか?
この小説では、ほかにも「〜に。」のように修飾する言葉に対してしばしば句点を打っていますが、このような使い方は読点を打つのと同様、強調のような意味合いがあるものと思われます。
なろう小説のような小説は労力なく読めるよう文章が簡単になっているそうですが、「しかし。」と書くことで逆説であることが強調され、読みやすくなるのでしょうか?
個人的に接続詞は省くものだと思っていた分、このように逆説であることをあえて強調することがどれだけ有効であるか、ご意見をいただきたく思います。
おそらくはそんな難しいことを考えての事ではなく、作者の癖だろうと思われます。
また接続詞というのは、「しかし」「さらに」「および」「だから」などがあります。
これもまあ、人による癖のような部分がありますが、
これら接続詞の後に読点を置く人が多いです。正直書き慣れてない人に多いです。
つまり、「しかし、彼は言った。」とか「さらに、答える。」とか「剣および、短刀は、」とか「だから、気になった。」とか。
で、これだけが原因ではありませんが、このように接続詞のたびに読点を置くと読点だらけで「句読点が多い文章」と言われたりしちゃいます。
なんだろ。頭の中で文章を考えるとき接続詞部分で「タメ」が入るんで、そこでついつい読点を打っちゃうのかな? と思う。
わかりやすさのため接続詞の後に読点を打つのは間違いではありませんが。
しかし一方、接続詞部分で読点ではなく句点を使い、そこで改行してしまえば「句読点が多い」という感じはしなくなります。
同時に「タメ」は残ったまま表現できてると思う。
まあ要するに、タメってのは分析された通り「強調してる」という事でしょう。
ぶっちゃけ、偉そうなことを言えばリンク先の小説も句読点の扱いがなってないです。
句点は文末すなわち英文における終止符と同じであり、文章の主旨や主語または話題が変わるときに使うもので、読点は文章の区切りに使うものです。
読みながら「ココは句点じゃなく読点だろう」とか「主語が変わってるんだからコッチは句点にしなきゃ」って場所がけっこうありました。「読点置く必要ない」ってとこも多いです。
とはいえ。
これらは「記号」なのでそんな難しく考える必要はなく、読みやすけりゃそれで良いので、こんなことは揚げ足取りにすらならない事なんですが。
たぶん、「しかし」で改行したかったんじゃないでしょうか。
でも読点で改行するのがなんか変だと感じたため、句点にして改行してるんじゃないかなと。
>どれだけ有効であるか
さきほど「接続詞の後に句点を置く人が多い」と書きましたが、私もこの回答文で同じようなことを何度かしています。
「ぶっちゃけ、偉そうなことを言えば」とか「たぶん、「しかし」で改行したかった」とか。
読点は基本的に「文章の区切り」で使うものですが、このような使用方法は「文章を強調する」という意味合いが出てきます。
「たぶん」というのは「確実じゃないけど私はそのように感じたよ」という印象を強くしています。後にくる文章がそのまま「たぶん」にかかるわけですね。
接続詞で読点(句点)を置くというのは、そうした強調の意味合いがあり、文章のつながりをわかりやすくする効果があります。
ケースバイケースなので、やりすぎれば「句読点を打ちすぎ」と言われますし、場合によっては逆効果にもなるので「どれほど有効か」という「どれほど」には答えられませんが、そうした効果は確かにあり、有効であることは間違いありません。
読点の場合は、これは「区切り」に使う記号なので「接続詞の後に来る言葉・文章」が接続詞にかかってきます。
句点の場合は、これは「終止符」と同じ文末に使う記号なので、「次の行全て」が接続詞にかかってくるでしょう。
でも、繰り返すけど、おそらく作者はそんな変なこと考えてはなく単に癖だと思う。
カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 接続詞について
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ご無沙汰しております。藍川です。
1ヶ月ほど前に、ぱっとおもしろそうなキャラクターが浮かんだので、いつも使っているメモ帳にまとめてみました。
キャラクターの設定は十二分にまとまっているのですが、肝心のストーリーが全く浮かばないのです。
皆さんはこのような経験をされた事がありますか?また、どのようにして解決されましたか?
初めまして。
>ぱっとおもしろそうなキャラクター
と言うことですが、つまりキャラクター一人と言うことでしょうか?
それだとストーリーなんてできようがないと思います。
ドラえもんで言うとドラえもんしか思いついてないようなもので、もしかしたらそこから連鎖的にストーリーと言うか世界観がパッとひらめくこともあるでしょうが、まずは別のキャラクターを考えてみてはどうでしょうか?
そのキャラクターよりも劣ったキャラクター、もしくは秀でたキャラクターだったり、あるいは敵、もしくは味方だったり、と単に別のキャラクターを作るだけではなく最初に思い付いたキャラとの関係性も含めて構築することで、どう言うストーリーにすればいいのかがある程度見えてくると思うのですが。
カテゴリー : ストーリー スレッド: キャラクターはできてるんですが・・・・・・
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