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元記事:文章から音楽を連想させるにはの返信の返信

ありがとうございます。音楽を聴くことで得た感情を書くのも手ですね。それからファンの間で共有されているキーワードを使うのも。

上記の回答(補足)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

「不協和音」を文章で表現するというのは難しいと思います。センスの鋭い書き手ならできないことはないかもしれませんが、あまりそういうことに拘ると小説ではなく詩になってしまいます。
繊細な感覚描写にこりすぎると、小説本来の物語としての面白さをぼやけさせてしまうんじゃないかと考えていまして。
「かなしさは疾走する」はモーツァルトのト短調の音色が聴こえるような錯覚を引き起こすものではありません。ですが、モーツァルトの短調系の曲を聴いたことがあれば「そう、まさにそんな感じ」と同意する人は多いんじゃないかと。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章から音楽を連想させるには

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元記事:文章から音楽を連想させるには

絵画を連想させる文章が書きたい場合、男が立っていて、鳩が顔を隠している、という風に、絵に描かれた状況を書けば、やりようによってはその状況が「前衛絵画を見ているように感じ」させることができると思います。
しかしながら、音楽はどうでしょうか。
テーマソングを文体と対応させればそれを弄ることで音楽らしさは出せるかもしれませんが、そこから音楽を連想するかというと違う気がします。
例えばドビュッシーの音楽を表現したいとして、不協和音をどう表現するのか、スケールはどうか、というようなことは、どのように表現すれば良いでしょうか。

三島由紀夫は肉体の動きは文章で表せないというようなことを言っていましたが、現に官能小説のようなものがあるので、結局のところ「書けないもの」と言われているものも語彙からの連想で補えるのではないかと思わないでもありません。

上記の回答(文章から音楽を連想させるにはの返信)

投稿者 ヘキサ : 0 投稿日時:

漫画の例になってしまって申し訳ありませんが、赤石路代「P.A.(プライベート・アクトレス)」では、主人公にとっては辛かったPAの仕事をこなしたラストにショパンの音楽を聴きながら「ショパンは哀しい気分の時に聞いてはいけない。できれは愛する人がそばにいる状態で。それでも無理ならせめて明るい陽だまりの下で」と締めくくっています。

この作品は漫画ですが、感性や表現は小説でも使えるのではないか、むしろ小説のほうが向いているのではないかというものが多いので、ひとつの参考例になるかもと思い挙げてみました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章から音楽を連想させるには

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元記事:文章から音楽を連想させるには

絵画を連想させる文章が書きたい場合、男が立っていて、鳩が顔を隠している、という風に、絵に描かれた状況を書けば、やりようによってはその状況が「前衛絵画を見ているように感じ」させることができると思います。
しかしながら、音楽はどうでしょうか。
テーマソングを文体と対応させればそれを弄ることで音楽らしさは出せるかもしれませんが、そこから音楽を連想するかというと違う気がします。
例えばドビュッシーの音楽を表現したいとして、不協和音をどう表現するのか、スケールはどうか、というようなことは、どのように表現すれば良いでしょうか。

三島由紀夫は肉体の動きは文章で表せないというようなことを言っていましたが、現に官能小説のようなものがあるので、結局のところ「書けないもの」と言われているものも語彙からの連想で補えるのではないかと思わないでもありません。

上記の回答(文章から音楽を連想させるにはの返信)

投稿者 かにさん : 0 投稿日時:

自然言語による記述で、ある特定の音楽体験の印象形成ができるか、ですよね。
考えるに、以下の方法で可能だと思います。

1.表現したい音楽から、その音楽を成立させている主要概念を抜き出す
2.その後、それぞれの概念要素を読者が印象形成できるレペルで解説しながら提示する

少し簡略化して、その音楽を聞いた時の自分の音楽体験を言語化するだけでもそれなりには伝わる気もします。

前提として、音楽の構造についての自分の理解を下記に記載します。

音楽の実体は、振動の配列。その配列を物理的根拠(弦の長さの数比、Hzの大きさ)や
機能的根拠(音の与える印象)でグルーピングしたのが音階。複数の音をグルーピングしたものがコード。さらに、それらをある特定のコンセプトでまとめたものが楽曲。

上記内容から考えて、自然言語での表現単位はコードよりも抽象的となるのが普通だと思います。(例えば、小説でコード進行を記載したりはしない。それなら楽譜でいい)

コードを記載しないということは、音を記載するわけではないということ。

つまり、小説表現として記載できるのは、その音楽を聞いた時の印象や、ハード面での構成、演奏者の特徴などになると思います。

そういった内容を組み合わせて描写し、読者に音楽を説明できればよいのではないでしょうか。

ちなみ、ある特定の語彙が、特定の具体的な状況を連想させることは期待しないほうがいいと思います。語彙と意味の紐付けは、読者の脳内にある語彙データベースの構造に依存するので。だいたい合ってるものくらいは連想してくれるかもしれませんが、詳細までは一意に連想してはくれないと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章から音楽を連想させるには

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元記事:補足

「不協和音」を文章で表現するというのは難しいと思います。センスの鋭い書き手ならできないことはないかもしれませんが、あまりそういうことに拘ると小説ではなく詩になってしまいます。
繊細な感覚描写にこりすぎると、小説本来の物語としての面白さをぼやけさせてしまうんじゃないかと考えていまして。
「かなしさは疾走する」はモーツァルトのト短調の音色が聴こえるような錯覚を引き起こすものではありません。ですが、モーツァルトの短調系の曲を聴いたことがあれば「そう、まさにそんな感じ」と同意する人は多いんじゃないかと。

上記の回答(補足の返信)

スレ主 かかか : 0 投稿日時:

ありがとうございます。面白ければ詞でも自分は構わないと思っていて、要するに使う時だけ使うと言った感じ(それでも全体との調和が必要とは思う)です。
個人的には何らかの速度のようなものが使えたらと思うんですが、難しいですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章から音楽を連想させるには

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元記事:文章から音楽を連想させるにはの返信

漫画の例になってしまって申し訳ありませんが、赤石路代「P.A.(プライベート・アクトレス)」では、主人公にとっては辛かったPAの仕事をこなしたラストにショパンの音楽を聴きながら「ショパンは哀しい気分の時に聞いてはいけない。できれは愛する人がそばにいる状態で。それでも無理ならせめて明るい陽だまりの下で」と締めくくっています。

この作品は漫画ですが、感性や表現は小説でも使えるのではないか、むしろ小説のほうが向いているのではないかというものが多いので、ひとつの参考例になるかもと思い挙げてみました。

上記の回答(文章から音楽を連想させるにはの返信の返信)

スレ主 かかか : 0 投稿日時:

貴重な情報ありがとうございます。聴いた人の感想も使えますね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章から音楽を連想させるには

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元記事:ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

SFが「嘘っぽくない」ようになるため、あらゆる論理性によって本当のように見せているのに対し、ファンタジーはそもそもそうした努力をしているのでしょうか。

ファンタジーの「嘘っぽくなさ」は、おそらくは形相によって保障されています。
つまり、石を削って彫刻を作る際には、その目的としての対象が存在しているのであって、作者が想像したり、観客がそれを見たりする以前からそこに存在し、作者はいわば観測者に過ぎないという考えです。
であればSFもまた、このような作り方でもいいはずです。「未来少年コナン」が「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」のは何故でしょうか。

SFがこのような手法を取る理由としては、たとえば読者に「自分にもできるかもしれない」「もしかしたらあの時こういう結末になっていたかもしれない」といった同一化を生む機能や、主人公の行動パターンを論理的にすることによって、推理に合理性を与えたり、あるいはその社会が持つ限界を明らかにして風刺等を行ったりする、といったことが考えられますが、そうした理由がなくとも有名なSFでこの手法を使っているものは少なくないように思えてなりません。

また、ファンタジーの方としても、ある部分はそうしたSF考証を行うことで「嘘っぽくない」ように見せながら、またある部分では、読者や視聴者には明らかに嘘であると明らかなものを見せることもあります。「精霊の守り人」において、序盤から幻想的な世界観が広がっており、読者にもこれが虚構の世界であると理解されますが、中盤には文化人類学的な「類感魔術」の要素が入っています。これらの描写の違いを決める線引きは何でしょうか。

さらに言えば、作品が本の中の出来事であると改めて明示することもあります。M・エンデの作品は言うに及ばず、絵本に描かれるファンタジーなどもそうです。ファンタジー以外でも、「この世界の片隅に」などは鉛筆を使った描写やコマが紙のようにめくれる手法などによってそれがなされています。これは一見、読者が作品から現実世界へと引き戻され、「嘘っぽくなさ」としても「形相」としてもマイナスの効果になると思うのですが、実際にはどのような効果を狙ったものでしょうか。

上記の回答(ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。の返信)

投稿者 手塚満 : 1

結論から申せば、リアリティを「大枠の理屈でくくった中にあると思わないほうがいい」です。

理論的な枠組みの中にリアリティの出し方があり、その理論が分かれば。自分もそう思いたいのはやまやまですが、ないんです。作品ごとに作り出すしかありません。

それだけでは何のことやらですんで、以下、多少説明してみます。

1.SFは1つのジャンルではない

SFを、何らかの点で共通かつ固有的性質を持つジャンルと考えてはなりません。例えば「未来の二つの顔」(ホーガン)と、「キャプテン・フューチャー」(ハミルトン)は、直接的な比較は難しい。ですので、前者はハードSFに分類され、後者はスぺオペ分類で、要は別ジャンル扱いです。「キャプテン・フューチャー」の科学考証が「未来の二つの顔」より雑だから駄目、なんて批判はしません。混ぜるな危険、ごっちゃにすると混乱します。

2.未来少年コナンのリアリティの目的と手法

「未来少年コナン」の主人公コナンが、ラナを抱えて高所から飛び降りて無事だったり、拘束具の鋼を引き千切ったりするのは、観客/視聴者が「おお!」と驚いて見入るからです。感心して見入るように作ってある、というほうが正確かもしれません。

コナンは人類であるのに、あからさまに超人的なアクションを見せて、観客/視聴者に嘘っぽいとしてしらけさせることがないのはなぜか。まず第1話からの準備がありますね。それほどぶっ飛んではないくらいの力持ちと示しておく。以降、それを徐々にインフレさせる。強さのインフレのポジティブなものといってもいいかもしれません。

それだけでは単に目を引くくらいです。が、ドラマ的に「ここはコナンに解決して欲しい」という流れを作る。観客/視聴者に欲しがらせておいてから、与えるといってもいいでしょう。コナンがして欲しいことをしたなら、ちょっと無理でもなんとなく納得できるわけです。むしろ快感ですらある。落ち着いて考えたらおかしいかもしれないけれど、観ていて興奮できたらいいのです。フィクションですから。

まだあって、リアリティ(迫真性)は細部に宿るということ。全体は大嘘、細部はリアルというコツです。コナンが鋼を引き千切るとき、まずちょっと歪み、続いてネジが飛んだりする。これは壊れるか、と思ったらコナンがいったん力を緩める。疲れちゃった感じですね。そこからもう一度踏ん張る。そういう描写です。リアルでもよくあるような細部を見せておいて、「人間が鋼を引き千切れるわけがない」という常識を覆い隠すわけです。

3.欲しいと思うものは納得しやすい

しかし、それだけではまだまだ目を引くだけに過ぎません。コナンに(制作者が)そこまでさせるのは、例えばコナンの敵対者の裏をかくため。敵対者はコナンが死んだと思っている。しかし視聴者はコナンが脱出したことを知っており、コナンが現れたのを見た敵対者は唖然とする。敵対者は既に憎たらしく描かれているため、その慌てぶりを見るとスカッとするわけですね。

要は、観ていて気持ちいい。だから嘘を忘れる、あるいは許せてしまうわけです。
(宮崎駿監督のコナンのそういうアクション面は、ルパン三世・カリオストロの城でも発揮され、ガス切れっぽい百円ライターを見せておいて、ルパンの屋根駆け降り→大ジャンプにつなげる。その先にはクラリスがいる。)

4.リアリティという大枠はない

コナンの「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」について、ある側面を説明し出しただけでも上記くらいのことがあります。これでも語り尽くせたわけではありません。いくら語っても終わらないでしょう。こないだ、TVで再放映がありましたが、未だに語り尽くせてない様子はネット上の意見交換などを見ても明らかではないかと思います。

それでも1つの作品がリアリティのどうなっているかというのは、まだ語りようもあるでしょう。しかしたとえファンタジー、あるいはSFに限定しても、そういう大枠で「リアリティはこうなっている」という議論は不可能でしょう。創作論、特に実践的なものは古代ギリシアから行われていますが、決定的なものは出ていません。むしろ、未だに「あーでもない、こーでもない」状態です。その証拠に「これさえ読んで身に着ければ、ヒット作が出せる」なんて教科書はありません(著者、出版社の売り文句は別として)。

形相がどうこう、それなら質料は、いや現実態と可能態が、とか、いくら論じても始まりません。何千年も多数が追及して、今なお分かっていないような大枠はいったん捨てるべきです。

5.リアリティは細部に宿るゆえに個別的

リアリティは細部に宿ります。オリジナリティはその細部で隠された大嘘にあります。大嘘を発想しておいて、いかにもありそうに細部で見せかけるのが作者の腕前です。物語の感動は大嘘から来ますし、リアリティをもたらす実在感は細部にあります。リアリティは細部なのですから、線引きなんてありません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

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投稿日時:

元記事:既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのか

 パクトポーさんにあれこれ言っておいてなんですが、実際の類似具合を世間はどこまで許すのかという一種の絶対相対的基準が欲しいです。(必要十分条件と近い言い方になってしまいましたが)
 一種の初心者病(オリジナリティクレクレくん)が長引いた理由の一つに、数年前に開いた某作品のアンチスレの調査具合が凄くて、尻込みしてしまったというのがあります。
 上手くぼかせるかはともかく、このレベルの消化具合はどういった線なのかもう少し人の意見を伺いに参りました。
https://docs.google.com/document/d/1va6za33Gscl-a4GsLBm1V1★aKNir★ZKKa86cykSmuhs/edit?usp=sharing
★をQに変換すると編集した文書が出てきます

 根本はこれなので、以降パクリ関連の質問は行いません。

 

上記の回答(既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのかの返信)

投稿者 読むせん : 0

これは単なるコアなファンの洞察ですね。むしろ笑えます。

私的には某進撃の巨人が
「スプラッターハウス」
「クレイモア」
を混ぜただけにしか見えず、なんでこれがウケるの理解できずまじめに悩みました(笑)

特にクレイモアを読んだときは意外な展開ーーー①主人公たちが暮らす国は離島であり「隔離された試験場」で、
②そこで魔獣?とその餌に当たる無知な人々を飼育
③魔獣を改良し戦争の道具として魔獣人間を制作し世界に「兵器」として輸出していた展開&
④主人公が離島の権利を施設管理者から奪い、離島に籠城する形で独立国を建国し魔獣人間と人間と魔獣の未来を守るーーーーを読んでいたため、巨人ジャスト丈の石垣を見た瞬間「あ、隔離しせつオチだわコレ」ってなったクチです。

マンガですら「あれ」でOKなんだから、だいたいのやつはOKだと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのか

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投稿日時:

元記事:文章の量について

はじめまして、この度初めて質問をさせていただきます。
なろうの書籍化作品を見ると、一話だけで一万文字を越えていました。それも物語内ではあまり時間が進まずに。
自分も真似してみようと奮闘するのですが、どうしても三千字程度になってしまうのです。
やはり描写が足りないのでしょうか?
どうしたら描写を増やせるのか、文量を増やせるのか。
どうか、お力添えをお願い致します。

上記の回答(文章の量についての返信)

投稿者 みりん : 0

みかもさん、こんにちは。

なろうの一話というのは、
投稿画面の第1部分のことを指しますか?
なろうの1画面(1ページ?)の文字数は、2500~5000字くらいが理想とどこかで見たことがあります。
1画面であまり文字数が多いと読むのに時間がかかるのでお昼休みや駅のホーム、寝る前など隙間時間に読みたいという読者さんに避けられるからという理由付きで記憶しています。
なろうの創作論、創作講座などを読んで覚えた記憶です。
ちゃんとしたソースが思い出せないのですが、一理あると思いますので、もし1画面(1場面)の文字数の話なのであれば、いまは気にせずに書いてみてもよいのではないかと思いました。

見当違いの意見でしたらすみません!

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章の量について

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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