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表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信の返信

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表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信(元記事)

 皆様、貴重なご意見ありがとうございます。返信が遅れて申し訳ありません。

 皆様の批評を頂き、数点、捕捉したいところができましたので追記のようなものをさせていただきます。

 まず前回もご指摘いただいた多元視点による混乱についてです。此度もご指摘を頂いた結果、ようやくズレに気づくことができました。

 私の勝手な想像ですが。恐らく登場人物Aの三人称一元視点、登場人物Bの三人称一元視点、登場人物Cの……。というのがシームレスに混同していると皆様は解釈したのかなぁと感じました。

 これはろくすっぽに意味も真に解さぬまま、三人称視点と私がほざいたのが原因です。申し訳ありません。

 あの視点は「語り手視点」で執筆しているといえば解釈は変わるでしょうか。物語全体を俯瞰する、超越者(作者、読者視点)です。ニンジャスレイヤーの地の文=サンです。私が以前投稿した拙文は、主人公の一人称視点と、ナレーション視点で書いた。という感じです。

 そこに関する批評を書いていただけると嬉しく思います。

 これを踏まえて次に参ります。最初の質問の意図のようなものになります。サタン様の提示した、でも三人称視点にするだけで~の部分に関する追記のようなものにもなります。

 作者(私)の意図として、このやり方を選択した詳しい理由がいくつかあります。

 一つは投稿の通り、決定的な瞬間から人称視点を徹底して変えることにより、主人公が自分自身すら見失うことです。それまでは基本、主人公の一人称視点ですので、変化が出るかなぁと思いました。

 もちろんその「決定的瞬間」も、作者にしか分からないようなものではありません。いつの間にか愛していた異性が、主人公自身の背中で息絶えるというシーンです。

 そしてこれは二つ目にもなりますが、それによって主人公は半ば自暴自棄に近い形になります。混乱と絶望、自責と後悔で心情が埋め尽くされます。

 このような負でカオスな心情を一人称で書くと、物語が進まなくなってしまう。という懸念が私の中にあるのです。しかし実際の物語状況は躊躇なく進行するので、「主観心情による物語の停滞」を防ぐ狙いがありました。

 最後に。「語り手視点」で書かないと、複雑に絡み合った人間模様を私は描けないからです。絶望後の主人公と共に旅をする仲間の中で、特に情景描写を書くべきキャラが3名いるのです。

 一人は、心が壊れかけた主人公を利用してでも自身の目的を果たしたいキャラ。
 一人は、(対外的に見れば)主人公の華麗なる転身へ嫉妬するキャラ。
 一人は、主人公が壊れた直接原因を意図せず引き起こしながらも、それに気づけないキャラです。

 さらにアクの強いところがあります。二人目のキャラは三人目のキャラに片思いしており、三人目のキャラは主人公に片思いをしています。

 このどう足掻いても内部崩壊必至の人間模様を書くのに、私は「語り手視点」がベストかなぁと判断したのです。要は崩れる寸前のジェンガを眺めるといった感じでしょうか。

 さて。次の意図に進みます。「五感が遮断されていく一人称視点」と書きました。これも少し齟齬があったので、追記をさせてください。簡単かつ簡潔に表現すると、こうなります。

 進行初期:書かれる一人称視点の五感情報:視覚(色彩含む)、聴覚、嗅覚、触覚。

 進行中期:視覚(色彩含む)、聴覚、触覚

 進行末期:視覚、聴覚

 要は書かれてしかるべき情報がどんどん減っていくという感じです。さらに具体例を提示させていただきます。

 目の前に広がっている光景はまさに楽園と呼ぶに相応しかった。頭を垂れた【金色の】稲穂がどこまでも続き、樹木には艶を放つ【赤や橙といった】果実がこれでもかと成っている。視線を映せばよく耕された『であろう』土地に、【青々とした】瑞々しい野菜が実を付けていた。
 吹く風は髪を揺らす程度で、息を吸えば手入れされた土壌の匂いと仄かな潮の香りが鼻腔を満たすに『違いない』。稲穂のささやきと波間のざわめきは、疲れた心を夢へと誘うほどに穏やかだ。

 【】内は本文では恣意的に削除する部分で、『』内はあえてそうした表現です。

 この文で主人公は、色彩と嗅覚を失っていることを暗に伝えたいのです。そして物語終盤で、「実はこれくらいの時期から、感覚が薄れていったんだよ」とさせたい意図があります。

 最後に。憎悪の理由に「異物」や「某少年A」を挙げてくださりありがとうございます。

 主人公とラスボス(自称神)の関係は、「同じような出生、似たような生い立ち、ほぼ同等の才能、類似した力を得る手段」がありながら、全く違う今があるという感じです。

 超長文、駄文、失礼しました。引き続きご意見をお待ちしております。

表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信の返信

投稿者 サタン 投稿日時: : 2

別の人だったか、以前ちょろっと書いたかと思いますが、念の為再度。
>三人称
三人称は「誰かに視点・焦点を合わせて書く」のが基本です。でないと誰の話をしてるのかわからなくなるので。これを無視すると「視点の扱いを理解していない」という烙印を押されてしまいます。
一方で神視点の場合は「何でも知ってる全知の神様に視点を合わせる」ので、だから神視点と言われてます。
これがどう違うのかというと、神視点は神の視点になるので、作品に登場するキャラクターのうち「誰の視点にもならない」という特徴があります。
ここで言う「神」というのは、物語の外側にいる存在を指しています。
要するに、作者視点、作者による語りというのも一種の神視点でしょう。
なので、ニュアンスの話ではありますが、神視点は三人称ではなく一人称的な考え方です。つまりはキャラクター視点のキャラの主観で語ることはなく、全ては作者(神)の主観で地の文を書くわけだから。
言ってしまえば「作者の一人称視点」だね。ニュアンスの話だけどね。

最初の相談内容で三人称神視点とあるので、
>物語全体を俯瞰する、超越者(作者、読者視点)です。
それは理解しての回答です。
つまりは主人公は「自分を見失う」ので、視点も見失って誰の視点でもない神視点になる、というのはアイディアとしては良いと思います。
ただ、それは視点について理解してる我々「書き手」だからこそで、そんな視点について知らない読者にこれを理解してもらうのは「三人称神視点に変えただけでは工夫が足りない」という回答です。
たぶん、かなりトリッキーな工夫が必要じゃないかなと思う。
例えば、一人称で書いてるのに「俺の背後から誰かが近づいてきていた」と、一人称的に間違った文章をあえて書くとか。これは離人症のようなキャラを書く時に使った手なんですが、一人称でありながら俯瞰的に見える三人称のような文を意識して、あえて一人称的に間違った書き方をしました。
わかりやすいミスを書けば読者は突っ込むので、しかしそのまま読んでいるとすぐにミスじゃない事に読者は気が付く。そうした一人称的なミスがわざとらしすぎるので、変だ、と思うわけですね。
そうやってわざとミスを書くことで作者の意図を理解してもらえたりします。

>そこに関する批評を書いていただけると嬉しく思います。
神視点にすることをどう思うか、という相談でいいのかな。
基本的には推奨されない、としか言えないかな。
というのも、神視点という技術自体が古くて、それを主体に作品を書いてる人はそういない。ラノベではまず見かけないかなと思う。作品の一部シーンでやることはあるけども。
この「古い」というのも、10年20年の話じゃなく西暦1000年とかそういう感じじゃないかな……
物語は、あくまで「作者が読者に語っているモノだ」という認識で本が書かれていた時代の技術なので。
源氏物語とかが神視点かな? 一視点だったような気もするんだけども。まあ現代語訳したものしか読んでないから正確にはわからんがw

そうではない多視点の三人称だ、という場合は現代でも多くの例がありますが、その場合は前述したように「作者の視点」ではなく、「キャラクターの視点を作者が書いている」という形、つまり三人称でも視点を誰かに固定する書き方になります。
なんで神視点が廃れたのかと言うと、神視点は神・作者の視点なので、「視点」という形でキャラクターにスポットを当てられないんだよ。前述したけど、それだと「この作者は視点の扱いを理解していない」としか見えない作風になるので、単純に欠陥がある技術(というのは私個人の認識だが)なんだよね。だから使われなくなった。
現代でも神視点が使われるのは、漫談とか噺家などのストーリーテラー、あるいは童話など、まあとにかく実際に話聞かせる「語り手」がいる場合が主かなと思う。

でも、だからって実際にモノを見ずに「やめとけ」と言うのも間違いだし、アイディアとしては面白いと思う。「自分を見失った」から「視点も誰にでもないモノにする」というのは実に面白い。
ただ、個人的には、このアイディアはただの演出なので、それに固執する必要はないと思う。
「主人公が自分を見失った」というシーンだけ神視点で書けばこの演出は完成するので、その後も延々と神視点を続ける必要はない。次のシーンはしれっと三人称多視点にしてしまえば良いと思うし、「三人称一視点のように見えて、実は客観的な視点は全部主人公の一人称によるものだった」というギミックを用意しても良いと思う。

>内部崩壊必至の人間模様を書くのに、私は「語り手視点」がベストかなぁと判断したのです。
苦肉の策ではありますが、たまに見かけるのは、「新しい語り部を用意する」というものですね。
その三人と主人公の物語に直接関係ないが一緒にいる、ぶっちゃけ作者的には「状況を観察するだけのキャラ」です。
ようは「語り手視点がベスト」の「語り手」を具体的なキャラとして用意してしまう感じ。
「シャーロック・ホームズ」の主役は言わずと「ホームズ」ですが、語り部は「ワトソン」です。そんな感じ。

>そして物語終盤で「実はこれくらいの時期から
正直、よくあることだし自分にも覚えがあるのだけど、今となっては、どうして終盤まで伏せたいのか不思議でならないです。
創作は読者に「伝えること」が大目標なので、なのに隠してどうすんの? と思う。
色彩や嗅覚を失ったことが判明したとき、遡って該当の文章を思い出す読者がどれほどいるか。
単純に「中身が紫のスイカに皆が驚くなか、主人公は無反応だった」とか、そういうシーンを書いたほうがいいでしょ。
そしたら「ああ、あのときから」って思う。
ちょいと上から目線になるけど、こう言う助言すると割と多くの人が「それじゃバレバレじゃん、ネタバレすぎる」みたいな反応するんだけど、それは設定を知ってる作者だからそう思うだけで、色彩を失ってる事を知らない読者が「紫のスイカを見て驚かなかった主人公」を見ても「この主人公は色彩を失っている!」とエスパーする人はいません。
シックスセンスって映画はご存知ですかね。
古い映画なんでネタバレしてしまいますが、あれって主人公は死んでるんですよ。それが最後に判明してどんでん返しの結末になるわけですが、「主人公が死亡するシーン」は序盤にしっかり描かれてるんですよね。
でも視聴者はそれで「主人公は死んだ、次のシーンに出てくる主人公は幽霊だ」とエスパーしません。
「主人公は色彩を失っている」と説明しなければ良いだけで、「主人公が色彩を失ってる様子」はしっかりと書かなきゃいけないし、説明されてない以上、そのシーンを読んでエスパーする読者はいません。
ネタバレを恐れてたらそもそも伝わらないです。少なくとも例文はその意図を説明されないと「色彩を失いつつある描写」とは思えません。
となると、そもそもこの質問に対して「人称」は関係ないかと思います。
一人称でも三人称でも問題なく、「主人公が色彩を失っていく様子」はどっちで書いても書くことは可能ですし、しかし五感を失うに従って書ける情報が少なくなる以上、その点では一人称では書きにくいだろうと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集

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