追記です
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表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信(元記事)
風邪やら体調やらでしょっちゅう味覚がおかしくなって家族に作った料理の味について突っ込まれるhexaです。母親も似たようなことやらかすんだけど、それが笑えなくなってきた……。
>主人公在籍での三人称多元視点メインの可否について
主人公がまともに動けてない状態なら、仕方ないというかそれは普通にありえることだけど。
ただ、以前からのオミクロンさんの描写方法に関しては、少し疑問がある。一人称で自分のことを「自分」と表現し、三人称多元視点で視点の切り替えが頻繁にある。以前話を伺った限りでは、この三人称多元視点を実際に存在する神の視点とみなしたいみたいだけど、それがそうと明かされる前がおそらく長すぎて、読者がずっと混乱し続けている可能性がある。そこが心配といえば心配。
20万字くらいの間だったら、時折短いシーンで主人公の引きこもり状態での独白が時々挿入されてもいいかもしれない、とは思っているけれど。しつこいけれど一人称を「自分」にしていると、その切り替えがうまく読者に分かってもらえるか、やっぱり少し心配だったり。
>一人称視点で恣意的に五感情報を書かない技法はありか、無しか
ありだとは思うけれど。引きこもり状態ってことなら逆に五感を遮断気味になってやっぱり普通に心理描写のみの独白のようになると思うけど。でもこれも、長くないほうがいいだろうという気がしている。
ナチュラルに狂気の世界に入っていく気がするからな……読者に「主人公の絶望を伝える」のはいいけれど「狂気を共有させる」のがいいことかどうかは、ちょっとわからん。ちなみに読者以上に執筆者のほうが耐えられなくなる可能性があるから、オミクロンさんが耐えられるならそれで構わんとしか。
サタンさんの言うように、じわじわ迫っていくところまではむしろわりと書きやすいくらいだと思うけれど。完全にあっちの世界に行ってしまった状態を長く書き続けるのはやっぱり微妙だと思う。それこそ他者視点の出番ですとしか。
篠原千絵の「闇のパープルアイ」では、主人公がだんだん自分の味覚が変化していく様子がじわじわと描写されている。この人小説も書くだけあって、主人公の独白が上手いんだよねー。キャラの視点がしっかりしたブレていないセリフが多いうえに、殺人事件などでの大量虐殺を取り扱う思い切りの良さも持っている。解説本で「乱暴な言い方になってしまうけれど、非常にエンタメ性が高い」と評されていたけれど、エンタメ性を追求するってここまで技量がいるもんなのか、と思わされる作家さんです。
あと、聞いただけでやったことはないんだけど「さよならを教えて」というゲームがマジで狂気の世界(精神科病棟に入院するレベルの患者の視点)を描いているので、精神的にやばい状態の人がやるのはおすすめしないヤバゲーだったという噂がある。そういう意味でもリアルすぎる狂気の描写はあまりおすすめできん気がしている……。
>人間はどんな存在に対して絶対的な不快感を抱くか
「絶対的な」というもの自体がそもそもあり得ないんじゃないか、と思っています。
あくまでその人物の主観でしかないと思う。その人物になりきって考えてみてはどうかと。
自分の場合ですか?……すみません、口に出すのも嫌なので言いたくないです。それに該当してしまう人を不快にさせたくないから。うっかり言って、それが自分が仲良くしたい人が「俺もそういう人なんだけど」とポツリと言われた時の気まずさといったらもう……
でも、ジョジョでいうところの「吐き気を催す邪悪」てのが、一般的には受け入れられやすい絶対悪じゃないのかなーとは思う。
追記です
投稿者 hexa 投稿日時: : 0
思い出してちょくちょくコメントを追加するので申し訳ない……
竹宮恵子の「地球へ……」では、主人公はミュウ(エスパー集団)側のジョミー、敵対する人間側はキースでW主人公の構成になっている。このキースが冷徹な性格で、めったなことでは感情を露わにしないんだけれども、最後の最後でラスボスに「自分の体を自分の意志に反して動かされた」ことに激怒してラスボスに歯向かうんですよね。私が知る限りではこれがいちばん、人間にとって嫌なことではないのかと思えた。それまであまり感情移入できなかった(意図的にそう表現されていた)キースに「わかるわかる」という共感を覚えたシーンだった。
以前伺ったラスボス=神の構想でいくと、このタイプの嫌悪がやはり話題に上がりやすいのではないか、と思えるけれど。藤崎竜版封神演義も、やっぱり「ラスボスのおもちゃ扱いにされたくない」というのが戦いの大義名分になっていたと思う。現代社会風に言うと基本的人権の尊重?(なんかいきなり社会科の勉強みたいなノリになってしまったね……)
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集