三人称の語り手は透明人間
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投稿者 あまくさ 投稿日時: : 1
閉ざされた部屋の中に、A・B・Cという三人の人物が居るとします。居るのはこの三人だけです。
そしてこの状況で、A・B・Cの会話や行動を、逐一読者に伝えている「誰か」が居ます。それが、小説の「語り手」です。
一人称小説であれば、語っているのはA・B・Cのうちの誰かです。
ところが。
三人称小説の場合。
語り手はA・B・Cのうちの誰でもない「四人目」なんですね。この「四人目」がサタンさんの言われる「第三者」です。
ところが。
この「四人目」「第三者」は部屋の中に居ないはずなのに、あたかもその場に居てすべてを見ているかのように読者に語ります。
これが三人称小説の「語り手」。その場に居ないはずなのに居るという、透明人間か座敷童のような存在です。
これは、映画のカメラがほぼ同じような存在です。部屋の中には必ずカメラマンが居るはずですが、居ないというお約束になっていますよね?
三人称の視点というのは、こういうものです。言葉を変えれば、ある種メタな存在と言えます。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一視点の心理描写についてご教授ください