誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?の返信
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誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?(元記事)
失礼します。
趣味で小説を書いていて、それから公募に応募を始め、なろうでも投稿をしてから十年くらい経ちます。
若かった頃は受賞を夢見て書きたい長編作品を完成させて応募したり、なろうでも供養投稿という形で完結までちゃんと投稿したりしていました。
しかし、最近は仕事が忙しく心の余裕が無くなって来たのか、感性が枯れて来たのか以前ほど熱意をもって執筆に取り組むのが難しくなってきました。
今はなろうやカクヨムの人気作品から傾向を自分なりに研究し、ネットで受けそうな話を考えて投稿しています。
ただ、相変わらず殆ど読む人はおらず、ポイントやPVは芳しくありません。
くわえてなのですが、この不人気作品を途中で投げ出したくなるのですが、嫌でも完結まで書かなければいけないものですか?
よく、完結させないとエタり癖がつくという意見も聞くのですが、自分の場合それなりにプロットを考えて書いた作品は完結させてきました。
しかし、誰も見ていない上に自分自身が書いていて楽しくない作品に対して完結にこだわるのって時間の無駄なんでしょうか?
書きたい作品なら結末まで思い描けるのですが……
誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?の返信
投稿者 ごたんだ 投稿日時: : 0
苦行とは苦痛に慣れる為に行い。
苦痛に慣れることは他の苦痛にも耐性が付くみたいなのを『徳』だとか言った気がします。
今の苦痛が何の関係も無い他の『苦痛』を耐える『徳』にならないとは誰にも言えません。
また『徳』が横島なものを呼び込み、予言な『苦痛』を引き寄せるバイトもタタあります。
誰にも読まない=面白く無いので無く
可能性はあります。
そして可能性『運』と『苦痛』は
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?