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三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについて (No: 1)
スレ主 三上 亮 投稿日時:
はじめまして 三上と申します。
人称について質問させてください。よろしくお願いします。
私は一人称の短編しか書いた経験がありませんでしたが、今回初めて長編に挑戦しようと思っています。
地獄少女のような、主人公と他数人以外は一話毎に登場人物が変わる形式を予定しています。
三人称で視点は主人公と各話毎のメインキャラ一人の半々です。
プロットを作り終えてプロローグを書いたのですが、主人公の境遇に深く関わる内容のため心理描写を多くすると一人称の方がしっくりくるプロローグになりました。
本編は三人称で、プロローグのみ明らかに主人公視点と推測できる一人称にすることについてどう思われますでしょうか。
人称を混ぜるのは御法度と聞きますが、プロローグのみならどうなのかご意見が頂きたいです。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信 (No: 2)
投稿日時:
>人称を混ぜるのは御法度と聞きますが、
人称を混ぜるのがなぜご法度と言われるのかを理解すれば、人称・視点にかかわる事柄については自身で判断できるようになります。(なお、「ご法度」と言いきってしまうと多少語弊はあるのですが、説明がややこしくなるのを避けるために取りあえずそこには踏み込まないことにします)
人称の混在、視点の揺れが好ましくないとされる理由は、大きく言って以下の二つです。
1)読者が混乱しやすい。
2)人称や視点が動いたときに、感情移入がリセットされてしまうおそれがある。
1)について。
これは、小説が文章だけのジャンルだからです。人称や視点が変わったことを数行でイメージするのは、読者にけっこう負担を強います。
マンガやアニメの場合。
そもそもマンガ・アニメには人称がないということもありますが、場面ごとにフォーカスするキャラを変えることは普通に行われていて、それが小説の視点と同様の機能をもっています。で、これを短時間に頻繁に動かしても「絵」というわかりやすい表現があるため視聴者は混乱しないんですね。
ラノベを書く人はマンガ・アニメ・ゲームの影響を受けることが多いと思うのですが(私もけっこう参考にしています)、上記のような違いに気づかないまま単純に模倣するとかなり読みにいものになってしまうので注意が必要です。
2)について。
キャラへの感情移入については、性格付けやストーリー展開の話になることが多いと思います。もちろんそれらも重要ですが、人間には「身近なものに同調しやすい」という性質もあるんですね。
なので。
単に視点キャラに位置づけてやるだけで、読者はけっこうそのキャラに同情しながら読んでくれるものなんです。
これが意外にバカにならない要素だと気づけば、ある程度読者の気持ちを引きつけたキャラから途中で視点を離してしまうデメリットが理解できるのではないでしょうか。
実はですね。視点の問題は、1よりも2の方が重要なんですよ。
1にしても2にしてもデメリットがはっきりしていますから、それに対処する方法を工夫すればよいだけ。
1については読者が混乱しやすいということが問題なので、人称・視点の変更はなるべく少な目にし、動いたときにはそれが明確に伝わる書き方を工夫すればよいということになります。
2については、要するに、
◎それまで寄り添っていたキャラや物語の流れが変わったら、何となく先を読む気がうせた。
そういう経験、ありませんか?
これが恐いっていう話なんですね。
ただこれは、逆手に取る方法もあります。
例えば主人公がピンチに陥ったところで急にぶった切って別の場面に変えるという「じらし」のテクニック。うまく使えば、かえって読者(視聴者)を強く引き込む効果を作れます。
つまり人称だろうが、場面だろうが、ストーリーだろうが、いかにして読者の興味をつなぎとめるかが重要なわけです。そこを意識して効果的な仕掛けを探す感覚さえあれば、小説の筋立てにご法度なんてありません。
三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信 (No: 3)
投稿日時:
叙述トリックにはよくある手法です。
主人公や被害者の手記と思わせておいて真犯人の独白ってやつ。
この場合一人称→三人称ですけど。
とりあえず読んでみないと分かんない。
そういう形式の、それなりに読んだことあるけど、没入できたやつも嫌気がさしたものも両方あったし。
三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信 (No: 4)
投稿日時:
あまくささんがNo: 2で簡潔に、
> 1)読者が混乱しやすい。
> 2)人称や視点が動いたときに、感情移入がリセットされてしまうおそれがある。
とおまとめなのに感じ入りました。似たようなことは考えたりはするんですが、こういう風に2大難点としてまとめることはできてませんでした。
私もご質問文の「人称を混ぜるのは御法度と聞きます」は非常に違和感あります。減点されるルールなんかではちっともなくて、コツの1つに過ぎないわけですから。分かりにくい、読みにくい小説があったとき、往々にして見つかる共通点の1つが「視点移動」ということに過ぎません。
弊害は既にいい解説がありますので、ちょっと違う点について回答を試みてみたいと思います。
> 主人公の境遇に深く関わる内容のため心理描写を多くすると一人称の方がしっくりくるプロローグになりました。
冒頭の内面語りなのであれば、よほどに上手い人でないと高確率で失敗するパターンではないかと思います。
作者はもう主人公についてよく知っています。話を作ったんだから当然ですよね。だから、主人公がいろいろ物思いにふけっても、実感がわき、共感もできる。主人公が単に寝そべって溜息ついても、魅力を感じたりもする。
ですが、読者はどうか。シリーズものの途中でなかれば、冒頭では主人公とは赤の他人状態です。どんな性格、経歴、境遇等々、全く知らない。物語世界も知らない。
そういう状態で読み始めて、心理描写主体の語りを聞かされて(読まされて)、興味を持てたり、面白いと思えるかどうかです。まず無理です。どんなキャラがそう言っているか、の「どんなキャラ」が抜け落ちていますので。
勢い、何を語っているかで魅力を出すしかない。が、非常に難しい。赤の他人つかまえて話を聞かせてみて、2人に1人は感心される自信がある人は、そうそういないでしょう。自信はあっても、やってみて失敗することが多い(自分の話は自分にとっては他人の話の20倍くらい面白いとか、いろいろ理由あり)。
本編開始にどうしても必要であり、かつ面白い語りにできるんなら、プロローグの一人称内面語りを入れてもいいとは思います。
ですが、高確率でブラバされることも念頭に置いておく必要があると思います。冒頭の一人称内面語りを避けられないか、工夫を凝らしたほうがいいと思います。
三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信 (No: 5)
投稿日時:
人称が混ざるラノベは腐るほどあります。
視点が変わりまくる群像劇で言うと「バッカーノ」も序盤でとある人物の二人称(っぽい一人称)がありました。
人称こそ混ざっていないけどスレ主さんがやろうとしてるオムニバス形式だと「ブギーポップは笑わない」が当てはまりますかね。
他にも構想やコンセプトでの話ではなく、流れ的に人称が変わるタイトルは枚挙にいとまがないほど大量にあります。
ご法度なんてことはありません。
ただ、あまくささんが指摘されていますが、問題が起こりやすいのは事実なので、視点の扱いを覚えていない人にはオススメできない、という事で初心者向けの講座などでは推奨されていないだけです。
そして、付け加えるなら「三人称」というのはそもそも視点の扱いを覚えていないと綺麗に書くのは難しいので、ちゃんと三人称が書ける人ならほぼ問題にならないでしょう。
ついでに苦言となりますが、
プロローグだけを一人称にしたいという声は割と聞く話で、その理由を聞くとスレ主さんが言うようにキャラクターの内面を深く書きたいからという事が多いです。
でも、まず、序盤でキャラクター性も把握してない読者にそんな深い部分を提示したところで「キャラの自分語り」にしかならないし、読み始めの冒頭でそんな内容が書かれていても、読者はまず覚えていない。
そのため、正直言って「キャラの内面を書きたいから冒頭を一人称に」という案は下策だと思います。
一人称は「キャラの内面を書きやすい」と言われていて、それはその通りなんですが、これはキャラが独白するだけで内面をダイレクトに書けるので、わざわざキャラの内面を表現する展開にしなくても書ける、そのため「書きやすい」というだけで、別に、特別優れているわけではありません。
作者的に「簡単でやりやすい」というだけ。
演出手段として優れているわけではないので、簡単に書けてしまうだけに初心者が一人称でキャラの内面を書くと単に内面を説明してるだけの文章になってる事が多いです。
そして、その内面を描写する演出は人称に寄らないので、そもそもソレが出来る作家なら一人称でも三人称でも問題ないです。
御作の場合、コンセプトを聞く限りではオムニバスに近い形式だと思うので、冒頭は主人公の一人称、というよりは、主人公視点の場合は主人公の一人称。主人公以外のキャラ視点になる本編では三人称。という区別で考えたほうが良いと思う。
三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信 (No: 6)
投稿日時:
ド偏見を承知で言わせていただきますが
・プロローグを無駄に凝っている人は、高確率でエタることが多い
……もちろん異論は認めますが、そう思う根拠を挙げておきますと
・プロローグはエピローグと対比になっていることが多く、最初凝ってはみたものの執筆中に内容に誤差が出てしまい、その結果エピローグと噛み合っていないものになってしまったりしてそこで筆が止まることが多いから。
なので、そういう手法をとるのは自由ですが、できれば最後まで執筆し終えてから「こういう結末で、本当に、この出だしでいいのか?」を顧みて、必要ならばその時に手を加えるといいのではと思います。
ただ、今回相談の作品に関してはオムニバス形式のようなので、「どんな事件が起こってもブレない主人公の心情」が表現されていればそれでいいのでは、とも思えます。
とはいえ、長編初挑戦というお話ですので、長いからこそ起こる誤差を作者自身が予測できていない可能性もありますので、やはりあまり変に凝らないほうがいいような、あらすじで少し触れてさっさと本文から始め、進行ごとにあらすじに少し手を加える程度にしておいたほうが執筆に柔軟に対処できるのでは、という気がしています。