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アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか? (No: 1)
スレ主 p 投稿日時:
例えばアニメにおいて微細な心情の変化を間や表情、声の調子などによって表現することはよくありますが、ライトノベルで同じことはできないでしょうか。
三島由紀夫の文章読本には確か「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」というようなことが書かれていたと思います。自分もそう思うのですが、しかしながらキャラクターの心情をいちいち描写していたのではいわゆる「そのまんま」になってしまってつまらないのではないかと感じました。
個人的には、拙いながら設定やキャラクター、ガジェット等に関する直接的な説明はなるべく省いて、外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが、どうにかならないでしょうか。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 2)
投稿日時:
>アニメにおいて微細な心情の変化を間や表情、声の調子などによって表現することはよくありますが、
アニメはそれしか方法がないんですね。
で、小説の場合は視点の問題にからみます。特に一人称なら、基本として視点人物の外見描写ができないし、それ以外の人物は外見描写しかできません。三人称でも視点を意識した書き方(三人称一視点)の場合は人物描写のやり方は一人称に近くなります。
なので、小説では心の動きを記述する人物と、外見しか描写しない人物を分けることが必要です。で、外見描写主体でいくキャラの描き方については、多少アニメが参考になるかもしれません。
逆にアニメで一人称視点をやるのは不可能です。(一人称の地の文をナレーションにして、主人公の絵を一切出さないということをやれば近くはなるかもしれませんが、たぶんけっこう不自然な感じになってしまうだろうと思います)
>三島由紀夫の文章読本には確か「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」というようなことが書かれていたと思います。
三島由紀夫がどういう意味でそう書いたのか分かりませんが、視点人物の心情はということではないでしょうか? それ以外の人物の心情を明記しないのはむしろ普通だと思うのですが。
視点人物の心情をはっきり書かないと、感情の薄い冷血人間みたいな感じになってしまうんですね。だからハードボイルドなどでは、敢えてそういう書き方をすることもあります。
>しかしながらキャラクターの心情をいちいち描写していたのではいわゆる「そのまんま」になってしまってつまらないのではないかと感じました。
キャラの心情に限らず、ストーリーにあまり関係ないことは省略してもかまいません。しかし、ストーリー上重要な心情は、視点人物に限ってはきちんと書いた方がいいんじゃないかと思いますけどね。それでつまらなくなるとしたら、書き方の上手いヘタの問題じゃないかと。
>個人的には、拙いながら設定やキャラクター、ガジェット等に関する直接的な説明はなるべく省いて、外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが、
そうしたいなら、それがスレ主様の作風になるわけですから良いと思いますが。
・主人公の性格が淡々としてみえる。
・作品そのものが、何を言いたいのか分かりにくくなる。
そんな感じになるおそれが無きにしも非ずと思いますが、そうならずに作品の味にしてしまうのは、作者の腕次第だと思いますから。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 3)
投稿日時:
>ライトノベルで同じことはできないでしょうか。
出来ないことはないと思うけど、それは、少なくとも私の回答では「かなり読者頼り」な方法ですね。
例えば、あるアニメを視聴した人が、そのアニメの内容をまんま文字に起こした文章を読んだとする。そのとき読者の脳内にはどのようなイメージが浮かんでいるか?
おそらく、アニメの内容とほぼ変わらないものでしょう。あるいは視聴した人の印象によって多少誇張されたものではないかと思う。
つまり間や表情や声の調子、ついでにダイナミックなアクションなど、文章が苦手とする表現をちゃんとイメージ出来てるって事になると思う。
でもこれは、当たり前だけど「そういう表現を伝えることが出来る文章が書けた」のではなくて、単に「読者が文章からアニメを思い出してる」というだけ。
だから「読者頼り」な方法で、作者としては「思い出しやすい環境を作る」ことで、そういう「微細な心情の変化」のための描写やら凝った文章やらは放棄しちゃう。
イメージは人それぞれ違うので、作者が感じた「こういうイメージ」を事細かに指定しちゃうと読者のイメージ(思い出し)の邪魔をしてしまうからですね。
そうなりゃ当然のこと文章は比較的シンプルなものになりますし、そもそも「読者がそういう前例を予め知っていること」という条件のもと成立する表現なので、本当に読者に丸投げ。
アニメと小説での表現の違いは、あまくささんの回答に詳しいけども、一つだけ補足というか横槍を入れると、
>逆にアニメで一人称視点をやるのは不可能です。
映像という意味で言うと、「カメラマン」を一人のキャラクターとして扱う作品なんかだと、視聴者はあまり意識してないけど、一応一人称だと思います。
たしかラノベ「氷菓」の一つのエピソードの中に「カメラマンが犯人だった」という作中劇(かな?)があって、アニメ版ではラストで登場人物全員がカメラ目線になる、という一種の叙述トリックですね、そういうのがありました。
これはけっこう搦め手だと思うけど、そう思うと一部のドキュメンタリー映画なんかじゃ該当するのもあるのかな、と。
そーなるとPOV形式のホラー映画なんかも該当しちゃいそうだけど、でも個人的にブレア・ウィッチ・プロジェクトとかカメラを自分に向けちゃうと一人称としてはナシなんだよなぁ。
まあ、何が言いたいのかっていうと、基本的にアニメと小説では表現方法が違う(このあたりあまくささんの回答が正確だと思います)ので、一人称に向いてない映像作品でやろうと思えば奇策を使ったり「ここまでが限界」ってものがある。
だから、小説に向いてない表現方法でも、一応は考えればやりようはある。けど「これ以上は無理だな」という限界も確かにある。
私個人の今の所の答えは前述したような「読者頼り」な方法。
>「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」
これは結局のとこ作風じゃないでしょうか。
三島由紀夫は「俺はこう思うからはっきり書いている」ということではないかなと。
これも完全な私見だけども、
悲しんでるキャラクターを書く場合、「悲しんでる様子」を書いてるだけだとそれが伝わらない場合も確かに往々にしてあるんですよね。
「◯◯が☓☓した、だから私は悲しいんだ」と。こんなダイレクトに書かんでもわかるだろうけど、あえてね。
で。
この傾向って、ぶっちゃけ読者層の年齢によるんですよ。
というか、読んでる人の教養の高さによる。
言ってしまえば「悲しんでる様子」から「この人物は◯◯が☓☓したことが悲しいんだな」と読み取れないと、そりゃ当然のこと伝わらないですよね。
でも、「◯◯が☓☓した、だから私は悲しいんだ」って書いちゃえばこの内容が伝わらないわけがないでしょう。
故に、はっきり書いたほうがいい、そのほうが違和感がない。と私も思う。
けど、再度言うけど、教養が高い人、自分で考え自分で読み取れる人、活字に読み慣れてる人が読者層の場合、そして前提として「作者に伝える能力が十分にある」という場合、この話はこの限りではない。
なので、作者の作風の話だと思う。
ま、逆を言えば「アマチュア作家で経験が乏しい」とか「ラノベすらあまり読まない」とか「Webで軽く読むだけ」とか「そもそも10~18歳がメイン読者」とか、ついでに「思想が偏ってて新しい価値観を受け入れにくい読者層」とかだと、そもそも「俺が書いた内容から意図を読み取れよ」ってのはハードル高いんで、ハッキリ書いたほうがいいでしょう。
そういう、読者層なんかを考えた上で、って事もあると思う。
>外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが
内面は端的にハッキリ書いて、外見的なものや印象に重点を置けば良いのでは。
どちらかって話じゃなくて、どっちに重きを置くかってことでしょう? そこはご自身の力量とセンスと、そして読者の反応から良い塩梅を探るしかないのではないかなと思います。
ただ、非常に難しいとは思う。
「彼は悲しんだ。」と端的に書いて、そっから外見的なものや印象で「彼がどう悲しんでいるか」を描写しなきゃいけない、というスタンスになると思うから。
つまり、内面で書けば良いことを外見や雰囲気から描写しなきゃいけなくなるので、難しそうだな、と。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 4)
投稿日時:
国語の教科書に載っている作品の描写から。
夏目漱石『こころ』
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立こだちの茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、梢こずえを並べて聳そびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛かじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡おかへ上のぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃ころになって、ようやく外套がいとうの下に体たいの温味あたたかみを感じ出したぐらいです。
三角関係において、純朴な親友に恋をあきらめさせようと追い詰めた直後のシーンです。公園の「淋しい」「寒い」情景描写で内心の寒さを描写しています。
同じ作品中には次のような表現もあります。
私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。
親友の思いがけない自殺の現場を見た、茫然自失の状態が描かれています。
芥川龍之介『羅生門』
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉からすの啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
下人に刀を突きつけられた老婆が、「危害を加えるつもりはないから、何をしていたのか答えるだけでいい」と告げられて、恐怖の中で警戒しながら言葉を選んで答えている様子が描写されています。
以上の例から、おっしゃっていることは可能かと思います。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 5)
投稿日時:
国語の教科書に載っている作品の描写から。
夏目漱石『こころ』
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃になって、ようやく外套の下に体たいの温味を感じ出したぐらいです。
三角関係において、純朴な親友に恋をあきらめさせようと追い詰めた直後のシーンです。公園の「淋しい」「寒い」情景描写で内心の寒さを描写しています。
同じ作品中には次のような表現もあります。
私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。
親友の思いがけない自殺の現場を見た、茫然自失の状態が描かれています。
芥川龍之介『羅生門』
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
下人に刀を突きつけられた老婆が、「危害を加えるつもりはないから、何をしていたのか答えるだけでいい」と告げられて、恐怖の中で警戒しながら言葉を選んで答えている様子が描写されています。
以上の例から、おっしゃっていることは可能かと思います。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 6)
投稿日時:
国語の教科書に載っている作品の描写から。
夏目漱石『こころ』
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃になって、ようやく外套の下に体たいの温味を感じ出したぐらいです。
三角関係において、純朴な親友に恋をあきらめさせようと追い詰めた直後のシーンです。公園の「淋しい」「寒い」情景描写で内心の寒さを描写しています。
同じ作品中には次のような表現もあります。
私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。
親友の思いがけない自殺の現場を見た、茫然自失の状態が描かれています。
芥川龍之介『羅生門』
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
下人に刀を突きつけられた老婆が、「危害を加えるつもりはないから、何をしていたのか答えるだけでいい」と告げられて、恐怖の中で警戒しながら言葉を選んで答えている様子が描写されています。
以上の例から、おっしゃっていることは可能かと思います。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信 (No: 7)
投稿日時:
ご質問はいくつかの要素があるようです。要素ごとに少し説明してみようと思います。
多少長くなりますので、アニメを見るような文章表現が可能かといえば、ほぼ不可能ということになります。避けるのが無難です。ただし、多少近いものはよく行われていました(→4のハードボイルド文体)。
1.小説は心情をはっきり書くべきとの論
三島由紀夫の文章読本は読んでいないので、お示しの部分だけからになります。その言は「小説では『必要な』心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」と読んでおいたほうが無難ではないかと思います。
仰るように、キャラの心情をいちいち書いたら、ダレます。それどころか、心情情報の洪水に埋もれて、作者が読者に本当に伝えたい、キャラの心情の核心が伝わらなくなります。
2.アニメの得意とする表現を文章でできるか
不可能です。動く絵の得手不得手と、文章の得手不得手が相反するからです。動かない絵のコミックですら、文章でそのまま再現は不可能です。
絵は大変な情報量を持っています。例えば有名絵画「モナ・リザ」を全く知らない画家がいるとします。電話で言葉だけでモナ・リザの絵の特徴を画家に伝え、複製画を描いてもらえるでしょうか。考えただけで不可能であることが分かると思います。
(もっと単純な図形の実験で不可能性を調べた実験があったりする。)
しかし「モナ・リザ」に描かれた人物が何を思っているか、絵は何も伝えていません。謎めいた微笑、以上には分からない。人それぞれが想像するしかありません。
文章だとどうでしょうか。座って微笑んでいる○○歳くらいの女性といった外見描写は、読む人それぞれが想像し、おそらくイメージが一致しません。作者が思い浮かべた絵が言葉で伝わると思ったとしたら、幻想です。文章描写と絵的イメージを一致させようと思ったら、モナ・リザの絵を挿絵に使うしかないでしょう。そうでないなら、絵は読者の想像に任せるしかありません(音などの五感は全部、読者の想像にゆだねるしかない)。
しかし、座って微笑む女性が何を考えているか、どういう気持ちかは文章ならダイレクトに表現できます。気持ちを直接書かず、内心の愚痴などで間接的に表すこともできます。文章とは得手不得手が絵とは逆なわけです。
文章と絵の大事な違いはまだあります。コミックにせよアニメにせよ、同時に起きた複数のことを描けます。殴り合う2人の攻防(パンチを受け止める手とか)を同時に描き、さらに争いを止めようと飛び込んで来る3人目も同時に表せます。怯えて逃げる猫を画面隅にさりげなく配置することも可能です。要はパラレルに表現できるわけです。
文章だとシリアルです。殴りかかるA→防御するB→止めようと飛び込んで来るCと、順番に描写するしかありません。言葉的には「~しつつ」「~と同時に」と書くことはできます。しかし、読者は一語ずつ追って行くわけです。
「A」でキャラを想像し、「拳」で手を握ったと想像し、「繰り出した」で殴りかかる動作を想像します。続いて防御するBも同じような手順でイメージ、続いてCも同様に。全部読んでから「これらが同時だ」とイメージを調整します。同じ場面を描いても、絵とは効果が違ってしまいます。
文章特有なのが比喩だったりします。文章では例えば「悪鬼のような表情で」と
得意な手法を封じて、不得意な手法だけを使って、読者に伝わるように書けるかといえば、普通は不可能というべきです。できる人がいるとしたら、天才でしょう。絵を言葉で伝えらえるかどうか悩むようなら、とりあえず天才ではないと思っておくべきです。
3.アニメの表情表現はリアルか
声の調子については、声優さんの実力ですし、声優さんは人間です。実写と同じく、人間の表現力がいかんなく発揮されているでしょう。
表情については、実写に遥かに劣ります。アニメの絵は生の人間がそのまま写せる実写に及ばない。止め絵でも写真に及ばないのです。理由は情報量の差です。その代わり、絵は省略、強調、デフォルメを使い、写真・実写には出せない表現が可能です。
アニメだと、例えば目は極端には(><)みたいに描けます。あるいは文章表現「目が点になる」に取り入れられた、コミック発の表現(・・)があります。実写ではできない工夫です。しかしパターン化された、はっきりした特徴を打ち出しています。実写で「目をわずかに細めた」みたいな微妙な表情は、アニメやコミックではなかなか効果を出せません。
間はアニメ、実写とも効果的に使われていますね。これは作者・制作側が台詞や動作のタイミングを完全にコントロールできるからです。視聴者が「ちょっと待って」と叫んでも、映像は先へ進んでしまいます。
しかし絵で表すという共通点があるコミックでですら、同じようにはできません。読者が読むスピードをコントロールするからです。作者は読者がどう読むかは制御できません。ですので「……」などで間を表す必要に迫られます。
これは文章でも同じです。間は読者が決めます。作者は「……」や、明示的な「口ごもった」等の表現で読者を誘導するのが精一杯です。
4.客観描写主体のハードボイルド文体
しかし、天才でなくても近いことなら実際に行われています。ハードボイルドです。主人公がある種のタイプの小説等と思われることが多いですが(ハードボイルド主人公)、その主人公の印象を支えるのがハードボイルド文体です。ヘミングウェイが祖という説があるほど、古くからおこなわれています。
ハードボイルド文体では、心情を極力排して、客観的、写実的に描写に頼るのが特徴の1つです。例えば「彼女の言葉を聞いて、彼は心底怒った」とは書かない。代わりに「彼女が言葉を切ると、彼はテーブルを殴った」みたいに描写します。
写実面でいえば、キャラの思考、判断も書きません。例えば「霧の中を接近してくる敵がぼんやり見えた」とは書かない。代わりに「霧の中に見える影が大きくなっていく」などと描写します。「敵はまだこちらに気づいていない、先手を取るチャンスだ」とは書かない。「(主人公は)ニヤリと笑うと、銃を影へ向けた」と書く。
そういう書き方で効果を出すコツは、簡潔さやスピードです。描写は簡潔にする、つまり短くする。スピードは取捨選択で出す。読者の理解に必要な最低限にとどめる。心情描写でも必要なものだけに絞るのと同じです。
とはいえ、映像作品やコミックと同じような効果を出せるわけではありません。あくまでも、作者が見たままを言葉で描写するに留まります。映像や音は読者が文字からイメージ再生するのですから、映像を見せ、音を聞かせる作品とは異なるのは仕方ないことなのです。
アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
すみません、消し洩れがありました。途中でいったん手を止めて、間違えてしまいました。申し訳ありません。
> 文章特有なのが比喩だったりします。文章では例えば「悪鬼のような表情で」と
お詫びして、上記1行を無視してくださるよう、お願いいたします。