アニメに絡んだミリタリー系雑談スレ

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ミリタリー系の雑談/質問スレ  – デルティック

別スレで盛大に脱線してしまった拍子に「もしかして需要があるのかな?」と思いましたので立ててみました。
私に答えれる範囲でなら質問にもお答えします。
ただ、私もそれほど資料を持ってる訳ではありませんし、ディープな知識はあんまりないので(ミリタリーと一言でいっても範囲が凄まじく広いのです)、解らない事はウィキ先生で調べてからお答えしたりする予定です。
精々が「ウィキ読むのがメンドイ」「ウィキよんでもよく解らない」って方にザックリ解説が関の山ですので、そのおつもりでお願いします。
また横槍回答や、間違いの指摘も歓迎です。
「艦これ」や「ガルパン」などのネタ雑談もOKですのでお気軽にどうぞ。

[No.45835] 2014/09/10(Wed) 19:55:44

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迷える狼さんへ返信です – デルティック

では、航続距離の細かいお話を。

ゼロ戦の航続距離
(巡航)速度 (最大)航続時間  高度3000m飛行時
260km/h 12時間40分  11時間35分
300km/h 10時間24分   8時間54分
330km/h  8時間15分   6時間44分
370km/h  6時間35分   5時間2分

速度     (最大)航続距離  高度3000m時
260km/h  3287km   3028km
300km/h  3082km   2637km
330km/h  2748km   2245km
370km/h  2437km   1867km

当然ですが、巡航速度が速い程、燃費は悪くなります。

道中を400km/hなんて速度でぶっ飛ばせば、すぐ燃料が切れるのは当然かとw

一体どこから燃費データを……
その資料が羨ましいのです。
資料本はお値段が高くて買うのに思い切りがいるのです。
まぁそれは置いておいて、欧州と太平洋では戦場がまるで違うのでその辺も影響してるのでしょうね。
なんせ欧州戦線ではどこから戦闘機が迎撃に上がってくるか解らない部分もあったので、遅い巡航速度でのんびり飛んでいられなかったのでしょう。
見晴らしの良い海上では滑走路のある島と空母以外からは迎撃に上がれませんから、その違いはあったのかもしれません。

>開戦前の台湾航空隊では、いかに燃費を抑えるかの訓練が行われ、通常は1時間あたり100リットル以上使われるガソリンが、平均80~85リットルで済む様になったそうです。
>中でも、坂井兵曹(当時)は、いちばんうまくエンジンの回転数を調整して、1時間67リットルという大記録を立てたそうです。

そおおかげさんでエンジンの燃費が悪いと曰く付きの機体の運搬を任されたりもしたそうですね。
結局、坂井氏が操縦したところ機体には何の問題も無く、単にテストしたパイロットの腕がヘボだったのが証明されてしまったとか。

>試作段階で失敗してしまいましたが、ソ連機の中には76mm無反動砲を載せたキワモノの迎撃機もありました。
>砲が重過ぎて高空まで上がれないわ、速度が爆撃機より遅くて追いつけないわの欠陥機で日の目を見ることはありませんでしたが。

>実はこれ、他人事ではありません。
>日本でも、日本陸軍の重爆撃機「飛龍」に、75mm高射砲を搭載するという、無茶な作戦がありました。

迎撃機+大砲の組み合わせは、日本とソ連だけでなく、アメリカもドイツもイギリスも全員揃ってやらかしてます。
でっかい砲で爆撃機を一撃粉砕は皆考えてたって事ですね。

>>苦肉の策で20mm二号銃を斜め銃として装備した零夜戦という変り種も……

>それなら「月光」でいいじゃない!w

結局その結論で流行りませんでした(笑)

>ちなみに、戦車の装甲テストで国産の37mm砲で撃ったら貫通しなかったが、中国から輸入した37mm砲で撃ったら、あっさり貫通したという笑えない話もありますので、何でも国産を基準にしてはいけないという教訓です。

これは当時の日本の冶金技術のヘボさを物語る部分でもあります。
なんせ砲弾の形成技術が未熟で、硬い装甲に当たると砲弾が砕け散ってしまい貫通力が発揮できないという悲しい事実にブチあたります。
また単に硬いだけの砲弾なので、敵の装甲の表面を滑ってしまい弾かれる事も多々ありました。
弾かれるのについては軟鉄製の被帽を被せればいいだけだったのに、それすらできませんでした。
お陰で陸軍は対戦車戦ではしこたま苦労するハメに……
そもそも大砲そのものの開発も遅れていて、高初速の砲が作れずに、要求されたスペックを満たす為に、軽い砲弾を使って初速の数値だけをククリアしたりしてましたから。
本来ならば、初速に捕われずに砲弾重量を重くしたほうが破壊力はあったハズなので、軍部上層部のスペック至上主義に足を引っ張られた面もあります。
それを考えると、無理にデカイ大砲を開発するよりも(どうせ数が揃わないし)、ドイツから技術提供してもらった成型炸薬弾(HEAT弾)はあったので、そっちをもっと研究してロタ砲(和製バズーカ)を大量生産したほうが米軍に対する嫌がらせにはなったと思います。

>まあ、実はその中国の37mm砲も、実際はドイツのパクリだったらしいですが・・・w

何気に当時の中国軍はドイツとかのコピー多いですよ。
十七型拳銃とか、ドイツ以外だとチェコのZB26のコピーとか。
何気に銃自体は日本軍よりいい物も使ってました。(良くないのも使ってました)

>ちなみに、ゼロ戦も完全オリジナルではなくて、機体の材料の「ESD(超々ジュラルミン。比重が2.8とアルミニウムとほぼ同じ、強さが軟鋼と同じ)」は、ドイツが1911年に発明しており、沈頭鋲もドイツに次いで2番目の実用化、引っ込み脚は開発時間がなくてアメリカ式をそのまま採用、20mm機関砲は先にも述べたスイスのエリコン社製という。

それだけじゃないですよ、プロペラもハミルトンのライセンス品だし。
無理矢理に世界の列強に並び立とうとしていた時期ですし、基礎技術が追いついてなかったので仕方が無い部分ですね。

>また、「連山」はB-17のパクリですし、ジェット戦闘機「橘(たちばな)」は、ドイツのメッサーシュミットジェット戦闘機のパクリ。
>いくら同盟国だからって、パクリの2番煎じばかりでは、いかがなものか・・・w

え~と当時の日本って、め……明治維新デビューで、頑張って戦力を整えてた若造ですから大目にみてやってください。
先輩からのお下がりばっかでも頑張って並び立とうと精一杯背伸びしてるんです(汗)

>まあ、レーダーの技術だけは、ドイツも絶対に教えてくれませんでし、真似する事も出来ませんでしたが。
>他はどうでもいいから(おい)、そこだけパクってくれたら、少しは戦局もまともになったかも知れず・・・。

こればかりは八木さんをしっかり囲っておかなかったのが悪いですね。
不思議なのは日露時代はあんなに情報戦を大事にしてたのに、その後の三十年で恐ろしい程に情報戦術が劣化した事です。
これについては完全に慢心と自惚れが原因だとは思いますが。
後は国内の大多数が海外の工業力を知らなかった事も大きいですね。

[No.45836] 2014/09/10(Wed) 20:00:19

Re: ミリタリー系の雑談/質問スレ – バカモン

おおっ、調度デルティックさんに訊きたいことがあったので正に渡りに舟であります。

今小説に出す銃をS&Wの686プラスにするか327・TRR8にするかで悩んでいるのですが、LフレームとNフレームだとサイズってどのぐらい違うんでしょうか?
カタログスペックだと、M686の全長は4インチ銃身で244ミリ、6インチ銃身だと303ミリ。重量は4インチが1114グラム、6インチが1247グラムだそうです。
一方327のデータはちょっとないので同じくNフレームで357マグナムのM28で代用しますが、こちらは4インチ銃身が全長241ミリ重量1168グラム、6インチ銃身だと全長292ミリ重量1247グラムと実はあまり大差がありません。と言うか全長は686プラスの方が上です。
もちろん7連発の686プラスと6連発のM27では単純に比較出来ませんし、恐らく327なら更に上回ることが予想されますが、それにしてもカタログスペックを見る限りでは「Nフレーム>Lフレーム」は実証されていません。Lフレームは本当にNフレームより「携帯しやすい」のでしょうか?やっぱり横幅とかそう言うところが違うんでしょうか?知っていたらご意見お願い致します。

[No.45845] 2014/09/10(Wed) 22:26:33

Re: ミリタリー系の雑談/質問スレ – デルティック

私もエアガンでしか触っていませんが、最近のはほぼ実寸なので問題ないはず……
一応、その前提でお願いします。
NフレームのM29を触った感じの個人的な感想ですが、私の体格と手のサイズ(身長170センチ、手の大きさは日本人として普通、指が短め)でトリガーまでが少々遠いです。
ハンマーを起こしてからのシングルアクションで撃つ分には何も問題はありませんが、ダブルアクションでトリガーを引くとガク引きになり易かったです。
ただ、私自身がリボルバーには慣れていないので、熟練度の問題もあると思います。

そしてLフレームですが、残念ながらLフレームのエアガン/モデルガンには触った事がありません。

なので、画像から判断していこうと思います。

http://oneofthe1000.web.fc2.com/content/gallery/gun/swm686/img/sw_m686_030.jpg
これは全てモデルガンですが比較にちょうど良いのでコレを使います。
カタログスペック上ではほとんど大きさが変わらないLフレームとNフレームですが、画像を比較するとハッキリと差が出ている部分があります。
トリガーの位置関係です。
Lフレームは、サイズこそNフレームとほぼ同一ながら、トリガーの位置が一回り小さいKフレームに非常に近い位置に配置されているのが解ります。
マグナム弾を使うために必要なフレームのサイズを落とすことなく操作性を求めた結果でしょう。
このことから、恐らくですが、LフレームはKフレームとそんなに変わらない感覚で扱えると思います。
KフレームのM19は私の手でも持て余すことなく扱い易い大きさでした。

携帯のしやすさはLフレームのサイズから考えてNフレームと殆ど変わらないと思われますが、扱いやすさでは差が出ると思いますよ。
ただ、元々が44magに対応しているNフレームの方がシリンダー直径は大きいようなので(メジャーで写真のシリンダー直径を計りました)、横幅の厚みはNフレームの方が大きいと思われます。
それにシリンダー周辺はやっぱりNフレームの方がゴツイですね。
ただ、言うほど携帯性に差が出るかな? とは思いますが。

Nフレーム>Lフレームという事ではなく、マグナム弾を使用するに足る強度をもったNフレームを体格の小さな人でも扱いやすくしたのがLフレームだという事ではないでしょうか。
もしくはマグナムを扱うには強度の足りないKフレームを操作性はそのままで、マグナム弾が扱えるサイズまで強化したフレームだとも言えると思います。

実際、私の体感ですとトリガーまでが遠いと単射はともかく連射は殆ど無理です。
連射自体は出来なくは無いですが、ブレまくってまず当てれません。
特にダブルアクションリボルバーはトリガーのストロークが長い上にオートと比べてはるかにトリガープルが重いので、トリガーの引きにくさの影響が顕著でした。
そんな私の手に一番馴染むのは、実はJフレームです。
M36チーフたんのスナプノーズが可愛い。

[No.45849] 2014/09/11(Thu) 00:18:20

情報元のタネ明かし。 – 迷える狼

私がミリタリー系で参考にしているもの、です。

「『不滅の戦闘機 ゼロ戦 その輝かしい戦歴』

モンキー文庫 集英社発行 ¥380

昭和52年 7月 5日 第1刷発行
昭和54年 5月15日 第4刷発行」

ぜロ戦はもちろん、戦闘機のデータは、ほとんどここからですね。
坂井元中尉の対談も載っています。

本来は子供向けなので、値段も子供向けですが、内容は充実。

「提督の決断&提督の決断Ⅱ スーパーガイドブック」

SLG「提督の決断」を発売した光栄(現コーエー)が、自社から発行した攻略本です。
ゲーム本編と同じく、シブサワ・コウ氏が監修しています。

ゲームに登場した、実際に第二次世界大戦に登場した艦船や軍用機、司令官のデータや戦闘記録などが載っています。

本来はゲームの攻略本なのですが、資料としても実用に耐えうる、本格的な内容です。

「季刊発行 コンバットコミックス」

史実を元にしたフィクションや、完全オリジナルのミリタリー系漫画雑誌です。
春夏秋冬、季節の変わり目にしか発行されていません。現在も発行されているか謎。

「激烈!帝国大戦」

「志茂田 景樹」先生の原作をコミカライズしたものです。おそらくですが、2巻までしか発行されていません。
「紺碧の艦隊」などに代表される、いわゆる、「ifもの(もしものフィクション系)」です。

他にミリタリー系として、

「図解 完全武装マニュアル」
「図解 完全護身マニュアル」
「図解 都市破壊型兵器マニュアル」

など、完全図解シリーズの物騒なものを所持していますw

ゼロ戦の本などを筆頭に、デルティックさんの仰られる様な高価な資料なんぞは、これっぽっちも所持してなかったりw

また、(株)コーエーの歴史SLGは、説明書自体が資料になる程、内容が濃いものが多いです。

[No.45850] 2014/09/11(Thu) 01:18:03

情報元のタネ明かし・追加 – 迷える狼

「ミッドウェー海戦ゲーム」というゲームブックを忘れていました。

これは、自分がパイロットや司令官など、その場面ごとの役割になって、作戦を遂行ながら最後はミッドウェーの攻略と占領を行うという、ゲームブックです。

資料として、色々な情報が載っています。

[No.45852] 2014/09/11(Thu) 06:22:31

質問していいですか? – 活火山

既に2回ほどスレを立てたゲームシナリオに関して。

銃と大砲の発展、進化の因果関係及び歴史ってわかります?

ファンタジーで銃を登場させるとなると大砲との関係が切っても切れなくなる(ような気がする)ので、銃に造詣の深いデルティックさん、語っていただけますか?

[No.45865] 2014/09/11(Thu) 23:28:56

Re: 質問していいですか?  – 通りすがり

> 銃と大砲の発展、進化の因果関係及び歴史ってわかります?

武器 歴史 形 用法 威力(マール社)を読めばいい

[No.45867] 2014/09/12(Fri) 01:04:37

Re: 質問していいですか?  – デルティック

ちょ……銃が生まれてからの800年の歴史を語れと申されますか(汗

ガチで全部語ると、一冊(どころじゃないかも)の本になってしまうのでウィキ先生から引用しつつザックリいきます。

活火山さんの文脈から、銃よりも中世ぐらいまでの大砲をメインで書いていきます。
大砲が恐竜的進化を遂げたのは産業革命後なのでそれ以降は無視します。(というかココから先を説明するとなると本当に大変なのです)
何か質問があれば再度質問をお願いします。

まず銃のザックリ歴史をウィキから引用します。

8世紀末~9世紀初頭 – 唐で飛発(ハンドキャノン)が開発される。
~1279年 – 南宋の兵器廠において銃が生産され、対大元戦に使用される。
1473年 – 銃を主兵器とするオスマン帝国のイェニチェリが、白羊朝軍を破る。
1514年 – 銃を主兵器とするオスマン帝国のイェニチェリが、サファヴィー朝のクズルバシュ軍を破る。
1542年 – 騎兵用の短銃がスペイン帝国領のドイツで開発され対仏戦に使用される。
1543年 – 日本の種子島に火縄銃が伝えられる。その後40年程で日本は当時世界最大の銃保有国となる。
1650年代 – 火縄式(マッチロック式)から火打ち式(フリントロック式)に移り変わる。
1775年 – アメリカ独立戦争でライフル(施条式銃)が普及する。
1822年 – アメリカ人のジョシュア・ショウがパーカッションロックを開発する。
1836年 – サミュエル・コルト、リボルバーを開発。
1858年 – スミス&ウェッソン社から金属薬莢式拳銃であるNo.1リボルバーが発売される。
1872年 – コルト、現行リボルバー銃の元祖である「コルトSAA (Single Action Army)」を開発。
1893年 – ドイツ人のヒューゴ・ボーチャードにより自動拳銃が開発される。
1914年 – ボルトアクション式ライフルが普及する。
1950年代 – 自動式小銃が世界的に普及する。
1960年代 – 小口径弾を扱う自動小銃の登場。

そんで大砲ですが、大砲の前身となるのは銃ではなく投石器を含むカタパルト、バリスタやアルバレストを初めとする設置式の大弓です。
銃と基本構造は同じですが、初期の大砲の主な目的は攻城兵器と考えられていました。
銃と砲の因果関係というのはそれほど大きくなく、同じ技術をつかっていますが兵器としての運用はスタート地点から別物です。
理由は単純で、初期の大砲は巨大で重たい大砲を動かすのには多大な労力が必要で、かつ連射速度が恐ろしく低く、オマケに正確な狙いなどつけれない、更に高価な火薬と砲弾を大量に消費する事が原因です。
要するにド初期の大砲は相手が動かずに、的が巨大な攻城戦以外では使い道が無かったのです。

記録上に最初の大砲が出てくるのは、1259年の南宋で生まれた実火槍と呼ばれる木製砲だと言われています。
その後1300年代半ば頃に青銅製の金属製に変わっていきます。
ヨーロッパで大砲が活躍するようになるのは15世紀の初め頃です。
この大砲は石の砲丸を打ち出す代物でした。
15世紀の中ごろを過ぎると、金属を鋳造した大砲が一般的に作られるようになり、一気に戦場に普及しました。
有名所で

モンス・メグ

ウルバン砲
とかです。
そして大砲の運用は新しい舞台に進みます。

16世紀に入る頃になると、技術の進歩から砲が小型、高性能化されて馬での牽引が容易になり、また発射速度も飛躍的に上昇しました。
この事から攻城戦における大砲の地位は確立されたモノになり、以降18世紀の産業革命まで、大砲の基本的な構造は大きな変化はい起こりません。
ここからは運用形態が大きく変わっていきます。
一番大きかったのは船に搭載された事です。
これにより海戦の常識が覆りました。
これまでは衝角を用いた突撃戦が主体だったのが、砲撃戦へと移行したのです。
この事で、より多くの大砲を積んだ船が重視されるようになり、舷側に大砲をズラリと並べた戦列艦が生まれる事になります。
木製の船が主流だった頃において敵船に大砲の弾を防ぐ方法など全く無く、海戦の勝敗はより射程の長い高性能の大砲を沢山積む事が鍵になっていきます。

大砲の小型化は野戦にも大砲を引きずり出しました。
しかし、歩兵の戦列に大砲を打ち込んでも、案外効果そのものは大したことはありません。
理由は簡単で、高価な火薬を大量に消費する上に、一撃で倒せる歩兵は精々十数人程度。
この頃の大砲は唯の鉄の弾を打ち出すだけなので、面での制圧が必要な野戦に対して、点での火力しか持ち得ないのです。
実質的な火力だけを見れば、大砲を用意するコストで大量のクロスボウを用意したほうが速射性にも優れ、実質的な火力も大きかったと言えるでしょう。
大砲が勝っているのは単発の火力と射程距離だけでした。
そこで、近距離で歩兵によりダメージを与える為にブドウ弾(散弾の原型)等も開発されます。
しかし、実際の効力はともかく、心理面においての威力は絶大でした。
そうそう当たらないとはいえ、その轟音と破壊力はやはり歩兵にとっては恐ろしいモノで一斉射撃を行うことで、敵兵の志気を下げるのには役に立ちました。

しかし大砲が、真の意味で歩兵に悪魔的な破壊力を与えるようになるのはもっと後の、榴弾が開発されてからの事になります。
第一次大戦の頃になると、歩兵に対しても面で根こそぎ薙ぎ払う恐ろしい火力を発揮します。
と、まぁこんな所でどうでしょうか?

私も歴史をイチイチ覚えてはいなかったので大半はウィキから引用した内容に個人的な補足をした程度ですが参考になれば幸いです。

[No.45868] 2014/09/12(Fri) 01:19:32

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