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元記事:ラノベ恋愛不要論。ツンデレヒロインは二番手に移行

ツンデレヒロインは終焉した訳ではなく、二番手になったとも言えます。
例えば、累計30万部の「異世界支配のスキルテイカー ~ゼロから始める奴隷ハーレム~ 」 2015/6/2刊行では、全肯定型ヒロインの次に合うヒロインとして、ツンデレ型ヒロインが現れます。

漫画化された「僕の部屋がダンジョンの休憩所になってしまった件 」2017/2/9刊行でも、同じです。

おそらく全肯定型ヒロインによって、承認欲求が満たされたあとに、ツンデレ型ヒロインに会うことによって、読者は、ツン要素があっても嫌にならずに受けれられるのだと思います。
すでに、メインヒロインから肯定されているから、OK!ということです。

ただ、ツンデレ型ヒロインがまったくいない、なろう系ラノベも多いので、ツンデレヒロインは、やはりメインストリームから落ちた、承認欲求を得る上で、リスクの高いキャラになったと言えると思います。

上記の回答(ラノベ恋愛不要論。ツンデレヒロインは二番手に移行の返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

ツンデレヒロインに限って言えば、もうヤンデレが出始めた頃には下火になっていたと思う。
最盛期は「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」、まあ声優の釘宮さんが流行ってた時期じゃないかなと。
「とらドラ」の頃にはトドメを刺したというか調理し切ったというか。
それ以降は、わかりやすいツンデレキャラもいることはいるけど、多くのヒロインの中の一人という形が多かった。
というのも、この頃は「誰か一人のメインヒロイン」というこれまでの常識が崩れてきていて、メインヒロインはおらず「多くのサブヒロイン」という形が多かったんじゃないかなと思う。
当時のハーレムモノは大部分が、「「一応」この子がメイン」って感じじゃなかったかな。

そして、それ以前の作品はというと、ツンデレが流行する以前の作品では、ツンデレはいつも当て馬や二番手として定番だった気がします。
意地を張ってるがために恋が実らず、という流れが多かったんじゃないかなと。
正統派ヒロインがいればツンデレサブヒロインは必ずいたような。
要するに、ツンデレブームのときに正統派とツンデレの逆転現象が起こって、一時的にツンデレヒロインがメインを張ってただけで、現在ツンデレは元の立ち位置に戻っただけではないかなと。

ツンデレ、というのは「キャラクターの個性だ」と誤解されやすく、いまやその誤解が正しいという認識だと思います。
でも、ツンデレってのは「ツンツンデレデレ」の略語で、意味は「ツンツンしてた女の子がデレデレになる」というものでしょう。
つまりこれ、キャラクターの個性を言ってる言葉じゃなくて、キャラクターの変化を指してる言葉なんですよね。
個性と言えるのは「ツンツンしている」という部分だけで、ちゃんと言葉にすれば「キツい性格の女の子」という部分だけ。
「ツンデレ」はキャラクターの変化を意味しているので、そのキャラクターが変化する過程というのは、これすなわち「物語」です。
ということは、「ツンデレ」というのはそれだけで物語が作りやすいんですよね。
「ツンツンしてる理由」とか「ツンがデレになる過程」とか、それだけで話になる。
題材として非常に扱いやすい。

そして同時に、ツンデレブームのときに流行っていた物語構成は、いわゆる「巻き込まれ型」です。
強引な女の子がやってきて主人公をトラブルの方向へ巻き込んでいく。という一種のドラえもん型とも言えますか。
言わずもがな、ツンデレの「ツン」という個性や強引な態度は「巻き込まれ型」の物語と非常に相性が良かった。
「ツン」が「デレ」になる過程でラノベ向きの恋愛を表現できるし、ラノベとの相性も良かった。
灼眼のシャナやゼロの使い魔のヒットによって、この組み合わせが爆発的に広まって流行となったのではと思う。

とすれば。
そもそも「巻き込まれ型」が下火になれば「ツンデレ」も下火になるのは当たり前で、しかし「ツンデレ」は上記したように、そもそも「物語」としての相性が良いので、メインは張れなくなったけど、元のサブヒロインの位置に戻った。という現状なのでは。
また、「ツンデレ」を「キャラクターの個性だ」と考えていると出す機会が無いので、こう言っちゃなんですが、なろう系では見る機会は減るでしょう。
アマチュアを馬鹿にしてるわけではなく、もはや「ツンデレは個性だ」という認識が当たり前の世代が多いと思うので。
なので、強いて言うなら「アンタのためじゃないんだからね!」的な典型的な記号としてのツンデレというのは、これは「キャラクター(の個性)」なので、確かにメインストリームから落ちた、と言えると思います。

一方で、プロが書く文庫では「ツンデレ」ではなく「性格のきつい女性」が出ることは当然ある。
その女性に恋愛要素があれば、当たり前だけど「ツンデレ」として登場することになる。
そしてこのポジションは、メインではなく当て馬や二番手としての位置が扱いやすいので、そのように展開する。
なので、「ツンデレ」それ自体に需要や役目がないわけではないし、そもそも「恋愛不要論」にも通じるけど、「ラブコメ」それ自体が下火なので、ツン「デレ」という言葉自体に恋愛要素を含む以上見かける機会が少ないだけではないでしょうか。
メインでは下火だけど、物語のちょっとしたアクセントや味付けで恋愛要素を出す場合、今でもツンデレは強力な武器だと思います。
全肯定型のヒロインを出す場合、ツンデレは別に主人公を好きにならなくてもいいわけだし。
悪役幹部の女副官とかツンデレポジションだと思うw

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

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元記事:なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

なろう系ラノベは、「友情」「努力」「勝利」の法則を掲げた少年ジャンプとは対極にある存在で、読者はチートハーレムを望んでおり、主人公が努力するのはタブーである、ラノベ読者は努力が嫌いである、という言説があります。

一方で、ラノベ新人賞の下読みさんによると、物語には成長要素が不可欠で、読者は登場人物が成長していく姿に心を動かされると言います。
果たして努力をせずに、成長が描けるのか?

実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。

その証拠として、主人公がモンスターを倒して経験値を稼ぎ、ステータスをアップさせる、新たなスキルを獲得するというタイプの物語が多いことが挙げられます。

これはシリーズ累計発行部900万部突破のヒット作「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」(GA文庫・2013/1/11刊行)がパイオニアとなった要素で、主人公などの登場人物のパラメータがゲーム的に表示され、モンスターを倒すたびにこれがアップしていきます。

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」の主人公は、登場した当初は最弱でしたが、成長速度が異様に早くなるスキルの持ち主で、どんどん強くなっていきます。
この成長要素が快感だったわけです。

なろう系の異世界転生とは、より本質的に言えば、ゲーム世界への転生です。
ゲームの世界では、モンスターを倒せば必ず経験値やアイテム、お金が手に入ることが約束されており、努力が無駄になりません。

これはラノベの読者層であるオタクに馴染みやすい要素であるため、受け入れやすく、努力して強くなっていく主人公に感情移入しやすくなっています。

しかし、これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)は、寡聞にして知りません。
もし、これが以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いた書籍化作品がありましたら、その内容などを教えていただけるとありがたいです。

なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?についてもご意見をいただけるとありがたいです!

上記の回答(なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

ちょっと主旨からズレてしまうかもしれませんが、
まず、能力をゲームパラメータ的に表現したのは「ソードアート・オンライン(2002年~)」のほうが先でしょう。
こちらはまんま「ゲーム世界」なので、SAO以前からあったアイディアではありますが、ゲーム世界から異世界へとシフトしていく過程で「ログ・ホライズン(2010年~)」や「オーバーロード(2012年~)」などの作品があり、完全にゲーム世界から切り離して異世界でゲーム的要素を取り入れたのが「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」や「転生したらスライムだった件(2013年~)」になるかなと思います。
「能力をゲーム的に表現する」という意味で言えば、おそらくはソードアート・オンラインがパイオニアであると言えるかなと。
ゲーム世界から異世界へのシフトは、もともと異世界には「冒険者ギルド」や「強さのレベル」といったゲーム的要素があったので、ファンタジーが流行ったなろう系では受け入れやすい土壌があったものと思います。
余談ですが、それまで「ギルドのクエスト」などの名称がゲーム的過ぎて「ギルドの依頼」という現実的な言い回しにしてたのが、この頃を境に「スキル」とか「経験値」とか「ステータス」とゲームっぽさを全面に押し出すようになった、というのは興味深いですね。
それまで避けてたものを歓迎するようになった感じで。

次に「努力」についてですが、といってもこれは持論でしかないので「これが正しい!」って意見ではないのですが、
「友情・努力・勝利」というのは、「ジャンプの法則」と言われてますが、その法則自体はジャンプに限定した話ではなく、物語の法則でもあります。
というのも「勝利」というのは結末・結果を意味しています。であれば「友情・努力」は過程を意味します。
勝利というのは美酒と例えられるように良いものです。
一方で努力というのはできればしたくない、あまり良いイメージのないつらいものです。
「つらい努力を友情をもって乗り越え、勝利を掴む」という事になりますが、この物語を読んだときに読者が得られるものを考えると、
これは、「カタルシス」についての話をしている言葉です。
カタルシスは「抑圧」と「開放」の関係なので、「努力」と「勝利」がこれに当てはまり、努力を乗り越えるスパイスがジャンプ的に言えば「友情」である、という事になる。
だから、一昔前の話ではありますが、ラノベの流行作品ではこの「友情」が「恋愛」でしたよね。
前回の話題で出てきた「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」などは、まさにこれでしょう。
つまり、「友情・努力・勝利」における「勝利」はカタルシスが得られる瞬間のことで、「友情」は読者層の好み、「ジャンプっぽさ」や「ラノベっぽさ」から来るもの。
そして「努力」は、勝利のための試練であり、どんな物語にも共通するカタルシスを得るための「抑圧」となります。

よって、「努力」というのは文字通り「努力する」必要はないわけですね。
カタルシスの抑圧にさえなれば良いので。
それで言えば、あくまで「努力に相当する抑圧」という意味で言えば、
>これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)
ほぼ大部分の作品で描かれている事だろうと思います。

この板は多数の人が見るものと思うのでうっぴーさんに対する発言ではないのですが、
「抑圧」に対してよくある誤解というのが、
「抑圧っていうとイジメられてるとかつらい状況だ」と考えてしまう事です。だから「そんなしんどい場面を書いても面白くないし、読まれないのではないか」という思いに至る。
努力もつらいものだしね。
しかしこれは大きな間違いで、まったくの逆です。
むしろ「抑圧」の要素がその物語の「売り」になるので、「つらいもの」を書こうとしているから「しんどい場面」になってるだけ。
「抑圧」っていう言葉の字面に騙されてるわけですね。
「主人公はイジメにあっている」という設定はプロット段階の話を聞くときによく耳にしますが、「イジメられてる様子が面白く見えるよう」に書かなきゃいけない。
まるでゲスい小悪党のような言葉ですが、そうではなく、例えば「イジメられて絶体絶命のときに、ヒロインや頼りになるキャラなどが助けてくれて仲良くなる」というドラマを作れば、「イジメられる事が面白い」のではなくて「イジメから助けられたことが面白い」わけで、「イジメにあってる様子」について書いていることは変わりませんが、その物語の「面白さ」は大きく違います。
「イジメ」の例では「イジメを乗り越えること」が大事なんだから「どのようにイジメを乗り越えるか」強いては「イジメを乗り越えようとする様子を楽しむ物語だ」と言えます。
つまり「抑圧」というのは、物語から見ると「抑圧に関連する要素を楽しむ話だ」ということになるので、「抑圧」は「読者が楽しめる要素」で、これってのは物語の「売り」なんだ、と私は思っています。

>実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。
こちらは慧眼だと思いますが、上記したことに照らし合わせると、
対価のない努力というのはカタルシスを得られない抑圧という事なので、好き嫌いではなく、そもそもそんな話を面白いという人はいないだろう、と思います。
慧眼だと思ったのは、私のように理屈っぽい事を長ったらしく書かずとも本質を言い当ててるあたりです。
私はほんとに無駄話が多いね。

確かに、最近のなろう系ファンタジーはチート系からの流れもあって、努力せずに力を手に入れることが多く、流れで領主になったり魔王になったりしてる。
強くなる=成長だ、という図式が成立するため、お手軽な成長要素で「強くなるための努力」が不要になってきているように見えます。
でもこれは先に書いたとおり、「努力」そのものは必要ではなく、ジャンプの「友情努力勝利」の「努力」はあくまで「カタルシスの抑圧」として機能すれば問題ないので、それで言えばお手軽な成長をするなろう系でも、面白い作品はやはり「抑圧」はちゃんと存在していると思います。
つまり、「友情努力勝利」の「努力」に相当するものはちゃんとある、と。

それを、「相当するもの」ではなく「努力」として書いたら駄目か? という事になると、正直、それはもうジャンプでやればいい話で、なろう系に限らずラノベ全般で「努力する主人公」というのは、そもそも古今通してあんま思いつかない……。
展開上結果的に努力してると受け取れることは確かにあるけども。ラブコメでも告白するため必死で動いて七転八倒する話とか、ヒロインの秘密を必死に守る話とか、ああいうのも主人公の主観で言えば努力になるしね。結果的に努力してるってのはあるけど、ジャンプのスポ根ほど訓練して努力して勝利に向かうラノベってのは思いつかない。
そうなると、これは「努力」の話ではなく「抑圧」の話になるかなと。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

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元記事:キャラクターに対する作者と読者の認識の剥離について

初めての方は初めまして。前回のスレッドを読んでくださった皆様はお久しぶりです。
今回は前回とは別のキャラクターに関しての質問です。
前回のスレッドで話した小説の読み切り外伝を書いて、同じ知人に見せたのですがまた主要キャラをケチョンケチョンにされました。
ちなみに今回も女性キャラです。

今回話題にさせてもらうキャラクターはアンジーと言いまして、一人で旅をしている女性剣士です。
キャラクターとしてはとても正義感が強い子です。
この外伝のオープニングは、彼女が子供を養えなくて苦しんでいる一家の事情を聞き、食料を分け与えるというものです。
その一家の父親から悪徳上司に理不尽な賃金待遇で働かされた挙句、ならず者を後任にされて追いだされたという話を聞くと彼女は怒り、一人でその悪徳上司のところへ向かいました。
それから後に主人公一向が来て、父親から一人で戦いに向かったアンジーを助けに行くよう頼まれた主人公は助けに行き、彼女と共闘して悪徳上司と部下のならず者を成敗します。
その後の流れは今回の話題と直接関係性がないことなので、省略しますが、最終的に一家の父親はもっときれいなところへ就職できたというオチになります。
(改めて書き出すと、なんかストーリーが初期の北斗の拳に似ていますね)

で、長ったらしく前置きしましたが、ここからが本題です。
このアンジーは誰にでも好かれるようなヒロインになれるように設定を組みました。
それで自信を持って出来上がった原稿を知人に持って行ったら、信じられない暴言を吐かれました。
『俺はお前の小説のキャラクターを好きになったことは一度もないが、この前のラスボスも含めてここまで気持ち悪いキャラを作るとは思わなかった』と、彼は言ったのです!!
何故気持ち悪かったかを聞いてみたら『頭の中が他人の事一色で生きるために最低限持つべき私利私欲を持っていない』『こいつの正義は偽善的すぎる』という風に言われました。
特に不満に感じたのは助けに行かないといけなくなったことで主人公達に、結果的に迷惑をかけたことらしいです。
でも、それだからってここまで酷評されるとは思えませんでした。

これは単純に読ませた相手が悪かったのでしょうか?
それとも彼女は本当に問題があるのでしょうか?
もしよければ、また皆様のお力を私に貸してください。

上記の回答(キャラクターに対する作者と読者の認識の剥離についての返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

「好き」の反対は「嫌い」じゃなく「無関心」だ、なんて言われたりしますよね。
本当に駄目なキャラだと、ご友人が言うほどの感情さえ持てません。

読んでないから「コレだめだったのかな?」と言われても第三者には何とも答えられませんが、友人の反応を見るに、けっこう良いんじゃないかな? と思います。
そこまで酷評できるってことは、ご友人はちゃんとしっかり読まれてますよね。適当に流し読みじゃない。
そのうえで「嫌いだ」と言ってるわけですよね。
ご友人が言った「嫌いだ」というその感性、そのセンス。それってもしかしてマリンさんの個性なんじゃないの?
ご友人が嫌いだと思えば思うほど、良いキャラクターを書けてるんじゃない?

私は、芸能人で言えばロンドンブーツの田村淳がデビュー当時から嫌いなんだけど、彼は芸能界でああいうキャラクターなので私が彼を嫌いだと思う事は、彼は正しいキャラクター生を表現している、と言えます。
私が嫌いだと思うこと自体、彼が正しい表現をしている証明なんですね。
それで言えば彼はとても頑張って芸能活動をしていると思います。

>正義感が強い子です。
>助けに行かないといけなくなったことで主人公達に、結果的に迷惑をかけた
これはつまり「正義感が強いアンジーの、それ故の失敗」を表現した展開じゃないのかな?
もちろん、迷惑かけてヘラヘラしてたら「失敗」が表現できてないから、というかそもそもキャラがブレてるからダメだけど、表現したいものが表現できてるなら問題ないでしょ。
あとは読者の好みの問題だから、表現したいものが出来てるなら、この場合読ませた相手が悪いと言えるでしょう。
とはいえ、酷評を覚悟すれば酷評であるほど良いものが書けてる証明になるので、逆にベストな読者とも言えますが。
まあ、なんでもかんでも酷評することが正しいと思ってる評論家もいますけどね。

>頭の中が他人の事一色で生きるために最低限持つべき私利私欲を持っていない
マリンさんはそういうキャラで「正義感」を表現したんじゃないのかな。
だったらご友人の評価は正当で、ただご友人の趣味に合わなかっただけで、表現自体は間違ってないんじゃなかろうか。

好感だろうと嫌悪だろうと、読者に感情を持たせられたならそれは大成功だよ。
「ここまで気持ち悪いキャラを」と、普通そこまで思わないよ。
ご友人が何かの漫画のセリフを言いたいだけで口にしたのでないのなら、心からそう思って言ったのであれば、逆にそれを書いたマリンさんは凄いと思うよ。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターに対する作者と読者の認識の剥離について

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元記事:なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?

小説家なろうの読者さんはストレスフリーを好む。
ストレスフリーとは、主人公(読者)の挫折がないということ。主人公(読者)にとって、嫌なことが起きないということ。

以上のことは、複数のなろう書籍化作家さんからの情報で間違いないかと思います。

しかし、主人公の最初の挫折だけは許されます。
日本では負け組な主人公が異世界へ。
典型例「無職転生」
これは、なろうの基本テンプレですね。

なろうでは、主人公が苦戦したら、ブックマークが減ったという話をよく聞きます。
ここからが問題ですが、主人公を苦戦させずに、ストレスフリーで物語を作るのはかなり難しいです。
どういった手法が有効でしょうか?

1・主人公が苦戦するなら、次回の話の引きとして、逆転しだしたところで一話を終わらせるのが良い。
 よく聞く解決方法です。

2・敵スゴイ! 主人公はもっとスゴイ! この繰り返し。
 スキル系だとこのパターンが多いようです。ただ、そのせいでスキルが飽和してぐちゃぐちゃになる。

3・敵に好きなだけ暴れさせる、ある程度暴れさせて、あとは、ずっと主人公のターン状態で、一方的に敵をやっつける。

以下は、大ヒット作品のパターン。

挫折は、サブキャラに負ってもらう。
大ヒット作品であるオーバーロードでは、サブキャラが自分よりはるかに強大な敵に立ち向かっていき、そこで敗北して、精神的、能力的に成長する展開が多い。

本来、物語は、主人公の敗北や挫折を通して、主人公の成長を描いていたが、主人公を自分と重ねるなろう読者にとって、これは嫌がられる。
主人公は敗北や挫折をしないようにし、サブキャラの成長を通して、物語を展開させる。
参考作品として、漫画ワンパンマンが挙げられる。

ワンパンマンの主人公は、サブキャラが敗北しそうになり絶望した時に現れて、最強の力で敵をあっけなく倒してしまう。
俺つえぇええええ!の快感と、物語に必要な起伏(緊張と解放)を両立できる。

以上が私の考察です。
ストレスフリーと物語の起伏を両立させる手法ついて、ぜひ教えてください。よろしくお願いします!

上記の回答(なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?の返信)

投稿者 サタン : 5 人気回答! 投稿日時:

こう言うとアマチュアを馬鹿にしてるようなので、不快に思われた方がいたら申し訳ないのですが、
そもそも「ストレス」というのは「努力」にも通じる抑圧ですよね。
苦戦するから勝利がよりよくなるわけだし。
でも、その苦戦を書くと読者が離れていく、という現実もある。と。
これは当たり前と言えば当たり前のことで、「ストレス(に感じるような展開)」はもともとつらくて面白くないものです。
誰だってそんなものは感じたくない。
だから、それを書けば人気が落ちるのは当たり前。という図になってるわけですね。
主人公がうじうじ悩んでるシーンなんかも人気ないんじゃないでしょうか。

しかし一方でプロ作品にはこうしたストレスのシーンは必ずと言っていいほどある。戦闘は苦戦しなければ面白くないと言わんばかり。ギャグマンガにさえストレスはある。
この違いは何かって言うと、単純にアマチュアには「苦戦」ないし「ストレス」を書くだけの技術や経験が無いだけではないでしょうか。
繰り返し、「ストレス」ってのは面白くないものです。
つまり、小説で「ストレス」を書くってのは、「面白くないものを面白く書く」って事。
小説を書きはじめて一年二年のほぼ初心者に出来ることじゃありません。
書けば100%つまらなくなる。

これに関しては、読者の問題ではなくて作者の問題だと思う。
Webから書籍化したラノベの第一号(かな?)は「ソードアート・オンライン」ですが、この主人公はかなり「ストレス」があったと思う。
書籍化で一気に人気が出ましたが、Web公開してる時点でもけっこう人気の作品でした。
なので、
>なろうでは、主人公が苦戦したら、ブックマークが減ったという話をよく聞きます。
この点については、単純に作者の技量不足ではないかなと。
主人公がストレスを感じるシーンを面白く書けなかった、というだけでは?
熱い展開にしようとして切った張ったを繰り返し、戦闘に特に山場を作ることなくグダグダに戦闘を長引かせてるだけなのが目に浮かびます。
そんな苦戦を書いたらそりゃ減るよ、ブクマ。と思う。

では何が問題なのかと言えば、戦闘って、というか「ストレス」全般において、これを書いているとき、話が進んでないんですよね。
戦闘は決着がつかないと次の話題に行かない。話が停滞しがち。読者は話を読んでるんだから、話が進まなければ面白くない。これが問題になる。
それを解決した「なろう系」人気作は、戦闘シーンが短いものが多いのではないかなと思う。
要するに、苦戦自体は書く。書くけど「苦戦しました」という事実を端的に示しただけで、せいぜい1000文字程度しか苦戦を書いていないんじゃないかなと。
「ストレス」を書いてはいるけど、それを読者が文字通りストレスに感じる前に切り上げて、主人公の攻勢ないし勝機への展開に持っていく。
「ちょっと予想外のこともあったが――」なんて地の文、割とよく見かけると思う。
サブキャラに苦戦させる展開はよくありますが、これも「サブキャラ」なので主人公より目立っちゃいけないし、前提としてあまり長く書く必要がない。
サブキャラを扱う場合は視点移動を駆使することが多く、「苦戦」自体は長くとも、途中で視点移動して主人公の勝利を書くことでストレスを感じる前にこれを緩和することができる。
オーバーロードは割とそんな感じじゃなかったかなと思う。
サブキャラに挫折を担当させても、そのサブキャラの話題を長々と書いていたらやはり読者はストレスに感じるのではないだろうか。

また、この問題は「ストレス」の際に物語が動かないために文字通りストレスを感じてつまらなくなるわけですから、単純な答えを用意すれば、戦闘でも努力でも、そこで物語が動けば読者はストレスを感じることなく、ストレスフリーになるだろうと思います。
その際によく使われるだろう要素は、「主人公を縛る何か」です。
例えば主人公の魔力を封じる結界、弱くするジャミング、相手が操られてるだけの幼女とか。
敵と戦う前ないし戦いながら「まずは結界を破壊しなければ」という話になる。「敵を倒す」という過程において、結界の破壊→敵の撃破という筋書き、つまり流れが出来るわけで、話を動かすことができます。
こうした流れを作り、かつストレスに感じるだろう部分を短くすることでストレスフリーと物語の起伏を両立できるのではないでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?

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元記事:なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?

小説家なろうの読者さんはストレスフリーを好む。
ストレスフリーとは、主人公(読者)の挫折がないということ。主人公(読者)にとって、嫌なことが起きないということ。

以上のことは、複数のなろう書籍化作家さんからの情報で間違いないかと思います。

しかし、主人公の最初の挫折だけは許されます。
日本では負け組な主人公が異世界へ。
典型例「無職転生」
これは、なろうの基本テンプレですね。

なろうでは、主人公が苦戦したら、ブックマークが減ったという話をよく聞きます。
ここからが問題ですが、主人公を苦戦させずに、ストレスフリーで物語を作るのはかなり難しいです。
どういった手法が有効でしょうか?

1・主人公が苦戦するなら、次回の話の引きとして、逆転しだしたところで一話を終わらせるのが良い。
 よく聞く解決方法です。

2・敵スゴイ! 主人公はもっとスゴイ! この繰り返し。
 スキル系だとこのパターンが多いようです。ただ、そのせいでスキルが飽和してぐちゃぐちゃになる。

3・敵に好きなだけ暴れさせる、ある程度暴れさせて、あとは、ずっと主人公のターン状態で、一方的に敵をやっつける。

以下は、大ヒット作品のパターン。

挫折は、サブキャラに負ってもらう。
大ヒット作品であるオーバーロードでは、サブキャラが自分よりはるかに強大な敵に立ち向かっていき、そこで敗北して、精神的、能力的に成長する展開が多い。

本来、物語は、主人公の敗北や挫折を通して、主人公の成長を描いていたが、主人公を自分と重ねるなろう読者にとって、これは嫌がられる。
主人公は敗北や挫折をしないようにし、サブキャラの成長を通して、物語を展開させる。
参考作品として、漫画ワンパンマンが挙げられる。

ワンパンマンの主人公は、サブキャラが敗北しそうになり絶望した時に現れて、最強の力で敵をあっけなく倒してしまう。
俺つえぇええええ!の快感と、物語に必要な起伏(緊張と解放)を両立できる。

以上が私の考察です。
ストレスフリーと物語の起伏を両立させる手法ついて、ぜひ教えてください。よろしくお願いします!

上記の回答(なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?の返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答! 投稿日時:

基本テンプレとして「無職転生」があるので、その内容について追伸。

小説家なろうの読者さんはストレスフリーを好む。
>ストレスフリーとは、主人公(読者)の挫折がないということ。主人公(読者)にとって、嫌なことが起きないということ。

無職転生では主人公が挫折するシーンは何度かあり、中でも最強たるオルステッド戦では苦戦しまくり完全な負け戦で主人公は善戦するもボッコボコにされる、という流れです。
うっぴーさんの定義ではこれは絶対にやっちゃいけない展開だと思うんですが、でも、正直あのシリーズで一番おもしろい話だと思う。
私の感性がズレているのかもしれないので、ぜひともこのシーンについての意見をお聞きしたいです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: なろうで求められるのはストレスフリー!主人公を苦戦させないでどうやって物語を展開させる?

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元記事:chatgpt活用法

chatgptの活用法を考えてください。
私はまず最初にプロットやそれに毛の生えた程度の小説を書きます。それを貼り付けて、「この小説を長文にして。セリフもたくさんいれて」などと書きます。
ネットによくある方法はプロットやキャラも書いてもらうものでしたがそれなは手を出してません

上記の回答(『ふっ…バター犬にはなるなよっ!!?」)

投稿者 ごたんだ : 0

対話型って次点で獣に処女帯を塡めたような朝化Danithがガガ、ガッ!!!

熱湯に刀工など、示威から発射される体液が描く虹のような偉人史で酔いのDeath!!!??

カテゴリー : ストーリー スレッド: chatgpt活用法

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投稿日時:

元記事:視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

初めて投稿させて頂きます。ヤーマダと申します。よろしくお願いいたします。

相談はタイトル通りの事なのですが、自分は一つのシーンにおいてあまりに多くの情景描写をしてしまっているように思うのです。例を書いてみます。

「繁華街にAはいた。歩道橋の上で夕日に暮れる街を見下ろし呆然と立ち竦んでいる。
 風に流されて香ってくる食べ物の匂い。聞こえてくる喧騒は、彼がこれまで暮らしていた場所とは比べ物にならないほど鮮烈で僅かばかり怯んでしまう。だがこれから始まる新たな生活を思うと心は次第に昂っていった」

というシーンを書いたあと、何かイベントがあり場所を移動したとします。すると繁華街からは移動しているので、また移動先の描写をしてしいます。多分必要以上に。

「人並みを掻き分け走り続け、繁華街からは遠く離れた住宅街にまでAは来ていた。
 今や辺りには夜の帳が落ちて喧騒は遠のき、人の影は一つもない。ただ無機質な街灯いくつか建ち並び発光を続けているだけだった」

と、このように夕暮れの繁華街のシーンから移動して夜の住宅街のシーン。二つの場所を詳細に書くと冗長にすぎるのでは無いかとおもってしまいます。
どうでしょうか? 一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは文章がだれてしまいすか? ちなみに即興で書いたので短めになりましたが、二番目の文章での情景描写はいつもだとこの1.5倍になってしまいます。
やはり移動先の描写は少なめの方がいいのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

上記の回答(視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1

何気に上手い描写ですね。

描写を入れるかどうかの判断は、そこに描写が必要かどうかで考えるべきものだと思いますよ。なので、前後の流れや何を伝えたいシーンなのかがわからないと、正確な判断はできません。
例文は即興で書かれたということでたぶん前後は無いのでしょうから何とも言えないところはありますが、素直に読んで特に多すぎるとも冗長とも感じられず、むしろこのくらいは書いてほしいと思いました。

>一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは

そもそも、繁華街のシーンで何かイベントがあって別の場所に移動したのなら、それはもう一つのシーンではありません。二つ以上のシーンということになります。それが一つの流れとして繋がりがあるのならシークエンスと言います。
まあ用語はさておき、場所も変わり情景も変わったのなら、その都度描写するのはむしろ基本かと。移動しても大して情景が違わないなら省略した方がいい場合もあるでしょうが。

例文では、最初の描写でAがこれまで暮らしていた場所との違いに驚いていて、その印象が移動先でまた変化したことが叙述されています。ただの客観的な情景描写ではなく、Aの心情の移り変わりも表現されていたから、上手いと感じたんです。

スレ主様も「場所を移動した。何か描写しなくちゃ」ではなく、ひょっとすると無意識なのかもしれませんが、移動した場所が「どんな風景なのだろう?」と興味を感じて自然に描写したくなるのではないでしょうか?
そういう気持ちをキャラクターも共有し、読者も共有してくれることが期待できます。

それと、小説にはアニメと違って絵がありません。アニメだったらキャラクターが行動する場所の風景はすべて絵によって直接見ることができますよね?
しかし文章だけの小説はそういうわけにはいかず、キャラクターが見たものを描写することによって初めて読者も(脳内で)見ることができるのです。
だからキャラクターが移動しながら感じたことを軸にして適度な描写を入れるのは、とても良い方法だと考えています。読者がキャラクターに感情移入しやすく、心理描写にもなり、作品内の空気感を自然に受け取ってもらえるという、一石三鳥になります。

まあ、実際問題としてはやりすぎると冗長になってしまうことも有るでしょうから、コントロールは必要だとは思います。
例文の場合で言えば、Aの心情の移り変わりを示すという意味はあるにしても二回目の描写は一回目を受けての続きのような文章になっているので、繁華街と住宅地の雰囲気の違い自体にそれほど意味がないなら、二回目の方はさらっとした方がいいかもしれません。
ただしストーリーの流れによっては、繁華街から離れた住宅地の暗く閑散とした風景の印象が後の展開に続く伏線にでもなっていて、繁華街の賑やかな描写をそれを引き立てるための前振りにするという演出も有り得ます。その場合は二回目の描写の方を強く読者に印象付ける書き方が求められるかと。

そういったことを作戦的に考慮して、取捨選択するといいんじゃないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

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元記事:異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?

 俗になろう系と呼ばれる異世界転生/転移ファンタジー作品について、これらの作品で用いられるテンプレートが一般的な創作論との間に矛盾や乖離を生じているのではないのかと疑問が浮かんだのですが、それが自分の理解が足りていないだけなのかどうか判断がつかないので皆様の意見を伺いたく思った次第です。

 個人的に疑問に思った点は、
:いわゆるチート転生ものにおいて、ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)
:主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)
:「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

 また、自分が参考にした創作指南書は
・「SAVE THE CATの法則」(ブレイク・スナイダー)
・「工学的/物理学的ストーリー制作入門」(ラリー・ブルックス)
・「ストーリーメーカー」(大塚 英志)
他、となります。

 これらの創作論について間違った理解の仕方をしているようであればご指摘お願いします。

上記の回答(異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?の返信)

投稿者 あまくさ : 3 人気回答!

『SAVE THE CATの法則』はかなり実践的な創作技術を解説している良書だと思いますが、金科玉条ではありません。あの本ではストーリーの基本パターンを「魔法のランプ」を含む10種類に類型化しています。それらは著者なりの経験則から発見した「このパターンでストーリーをまとめるとヒットしやすい」というテンプレートであって、当然ながらあれですべてを網羅しているというようなものではないでしょう。
と言うより、創作にすべてを網羅する一般理論があると考える方がおそらく勘違いです。「これで網羅したんじゃないか」と思っても、「いや、それらのどれにもあてはまらない、こういうパターンもあるよ」というのが実例付きですぐに見つかるものです。
ですからいかに優れた本であっても鵜呑みにしてはダメなんですね。『SAVE THE CATの法則』にしても単にこのテンプレがよいというだけではなくて、それを推奨する理由が書かれていますから、そこを理解して応用することが大切です。

1)ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)

この場合の魔法とは、ストーリーの序盤に提示されるご都合主義的で強烈な状況のこと。それが読者(観客)の願望に合致することによって、ご都合主義を感じさせずに強引に受け入れさせてしまうというような手法になりますが、そういうものを一作品に二つ登場させるのは通用しないという戒めでしょう。
しかしなろう系異世界転移モノの場合、冒頭の転移はお約束なので誰も驚きませんし、異世界転移と異常な能力の獲得までがセットになっているようなものなので、こみこみで一つの魔法と考えた方がいいです。
また「魔法なしでやることを学ぶ」はスナイダーの言う「魔法のランプ」物ではよくある着地点ということにすぎず、チート能力をふるう主人公をどこへ連れていくかという別の収まりのよい流れを考案できるなら問題ありません。

2)主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)

これは、1の後半と同じことです。前半に主人公が魔法によって無双する展開を描くなら、後半ではそういうやりかたでは本当の幸福を得られないという結論に導くのがプロットとして収まりがよいということ。結果的に前半と後半で主人公が真逆の方向を向くわけなので、必然的に途中に葛藤が生じるし、全体として成長物語になるわけです。
しかし、何度も言いますがそれはストーリーを「いい話」っぽくまとめやすいテンプレの一つということにすぎず、最後までチートで駈け抜ける爽快感を読者が好むならそれも成立するということ。その場合話が一本調子になってしまう危険はあるので、別の形で起伏をつける工夫は必要になります。

>「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

「帰る」というのはプロット上の象徴的な概念で、必ずしも元の世界に戻ることを指しません。これは、日常→非日常→日常という構造としてとらえた方が正確です。主人公が戦ったり冒険したり、何らかの課題に取り組んだりする「状態」を、「スペシャルワールド」と呼ぶ創作用語があります。これは日常系のストーリーにも当てはまることで、読者が現実世界では経験できないようなことを疑似体験させるのが本質です。そしてストーリーのラストで戦いなり課題の克服などが終わって平穏にもどる状態が、日常に「帰る」ということです。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?

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