小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

サタンさんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:いざ書き始めようとすると……

此方の掲示板に悩みを書くのは初です、よろしくお願いします。
他の方や既にサイトに乗っている悩みにも目を通したのですが、自分の状態と近いものが見当たらなかったので此方に書かせていただきます。

自分は同人活動もしていなければどこかのサイトで連載をしているような人間ではありません。
それでも、小説を描いてみたいと思い、実行しようとしたのですが……。

アイデアや文章の案は頭の中に浮かんでいても全く書き進めることができないのです。
というのも、「誰にも見てもらえないようなモノを書いてどうするんだ」「反応をもらえないなら書かない方が傷つかないのでは」と考えてしまうのです。
他人や誰かの評価が欲しくて小説を書こうと思ったわけではありません。
しかし、せっかく書いたモノが評価もされない未来を想像してしまうと……怖くて手が動かせません。

賞に応募するわけではない、人気作を生み出したいわけではない。
ただ、自分の好きなものを好きなように書きたい。そこは確かに変らないのですが、
だからこそ、自分の「好き」が誰にも見向きされなかったらと思うと、どうしても書くことができません。

趣味なんだから勝手にしろと言われてしまいそうですが、
もし、似たような経験がある方や良い対処法を知っている方などいらっしゃいましたら、
どうかアドバイスをいただけると、とても助かります。よろしくお願いします。

上記の回答(いざ書き始めようとすると……の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

私の場合、割り切るのが一番の方法でした。
というのも、処女作ではあまり気にならないと思いますが、2作目3作目と書いていけば自ずと「好きなことが思うように書けない」というジレンマにぶち当たります。
書きたいことをどう表現したらいいのかわからなくなるわけですね。
書けば書くほど、「本当の意味でそれが出来るのは一握りの人間だけなんだ」と気づいたりします。
ぶっちゃけ、「好き勝手に自由に書く」よりも「テーマか何かを誰かに言ってもらったほうが楽」で、そのテーマが自分の「好き」に反することでも、テーマを貰ったほうが楽なんですよ。
言ってしまえば、「俺が好きで書いてるわけじゃない、そう言われたから書いてるだけ」と吹っ切れるので、出来があんま良くなくても悩んだりしない。テーマを出した人のせいにできる。
このためリラックスして書けるので、実は「好きで書いてる作品」よりも出来が良かったりする。
なんでどうしてと悩んでるうちに、「自分が出来る範囲で出来ることを書いていけばいいや」と割り切るようになる。

>「誰にも見てもらえないようなモノを書いてどうするんだ」「反応をもらえないなら書かない方が傷つかないのでは」
このあたりは、自分の中で良しとするハードルを高く設定しすぎてるために思うことです。
アイディアや文章は思い浮かぶとあるので、ところがそれを実際に文章にすると、イメージしていたモノより数段劣る、ないしイメージとなんか違うと違和感を覚えるのではないでしょうか?
例えばイラストで考えると、可愛い萌えキャラをイメージしてるのに、いざ描いてみるとバランスはおかしいし立体感もないし可愛くない。こんなの人に見せられるレベルじゃないと最後まで描き終えず筆をしまう。
このようにイラストで考えれば、そんなの二次創作もネットでの活動もしていない素人がいきなり手を出して上手く描けるわけないだろ、当たり前じゃねーか。とすぐわかるのですが、小説だとなかなかそれに気が付かない。
イラストとは違って小説は、「日本語は誰でも簡単に書ける」からでしょう。
でも、その日本語を巧みに操り自在に表現していく技術はイラストと同じく反復練習が必要だし、長い訓練が重要です。
自分が「こう書きたい」というイメージと「実際形になった文章」との間に齟齬があるため、「こんなの人に見せたら絶対ダメ出しされる」と思うわけです。
イメージ通りに書けてりゃ、少なくともオージさんと同じ感性の読者には受け入れられるハズですから、「誰にも見てもらえない」なんて有り得ないし、「反応がない」ということも有り得ない。
でもそれを考えてしまうのは、イメージ通りに書けてないから。
いきなり商用レベルの難しい話を考えて、それが商用として通用するレベルのハードルを心の中に作ってるから。
そういうハードルがあったら、そりゃ素人レベルの作品なんて誰も見ないし誰も反応しませんよ。
でも実際は、そんなハードルは書き手の心の中にあるだけで、現実には存在しません。
理想を高く持つのは良いことですが、ハードルを上げ過ぎれば前に進めないのは当然でしょ?
なら、まずはこのハードルを下げるか撤廃するか、ともかく自分の中のハードルをちゃんと認識するのが解決の第一歩かなと思います。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: いざ書き始めようとすると……

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元記事:おちや、教訓

1話、2話3話、、、と書いていますが、おちや教訓などが無い所は、書いても意味がないのでしょうか?
青春したい先生が、生徒を連れて合コンをやるのですが上手く書けません。
助けて下さい。

上記の回答(おちや、教訓の返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

究極的には書きたければ書けばいい話で、意味なんて作者が意味あると思えばあるし、ないと思えばどんな名作でも書く意味はないでしょう。

そういうの抜きに、単純に「コレ面白いのかな?」「頑張って書いて何かあるのかな?」というモチベーション維持のための精神的な燃料で言えば……
まあ、難しいですね。

今ではBLと呼ばれてるホモ漫画がありますが、これは昔はヤオイと呼ばれてました。
このジャンルの内容はというと、男同士がイチャイチャして何となく会話して何となく終わる、というもの。
ヤマなし、オチなし、イミなし。でヤオイと呼ばれてました。
オチはもちろんないし、教訓もカタルシスも何もなく、ただ作者が「気に入った男キャラでイチャイチャを書きたい」と思っただけ、それをどストレートに表現しただけ。
ストーリー的な構成や盛り上がりなど一切無視してやりたいことをやっただけ。
そんなん同じ感性の人以外読む意味ねーよってことですね。

ただ、そんなヤオイというジャンルも作者が意味を見つけて書き続けた結果、BLというジャンルに発展して今がありますから、最初に書いた通り、究極的には作者が意味を見つけるかどうかって話です。

一方で、一般的あるいは読者を意識した考え方で言うと、
教訓にしろカタルシスにしろ、物語を読み終わった後に読者には「何らかの得るもの」「物語を通して読者が得たもの」というニュアンスの何か残るものが必須です。

>青春したい先生が、生徒を連れて合コンをやるのですが上手く書けません。

青春したい先生が合コンをして、どうなる話なのか?
青春することができたのか、できなかったのか。それだけでも教訓やカタルシスを作ってくことは出来ますし、なんとなくの雰囲気で物語を書くのではなく、しっかり具体的に物語を作れば「上手くいかない」としてもその原因を明確にすることができるので、一つ一つ解決していくことができるでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: おちや、教訓

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元記事:導入部分と本編で人称を変えても良いのか。

初めて質問させて頂きます。よろしくお願いします。
小説の導入部分では一人称を使用して、本編では三人称一元視点で書こうと考えています。これは、小説の書き方としてはアリなのでしょうか? やはり、人称を変えると最初のイメージを壊してしまう可能性がある為、この書き方は控えた方が良いのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。

上記の回答(導入部分と本編で人称を変えても良いのか。の返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

小説の書き方としてはアリなのでしょうか?
「書き方として」は問題ありません。
それどころかよく使われるもので、もっと強調したい場合は本来小説には不向きな二人称で冒頭部分を書くこともあります。

しかし一方で、人称が変わるということに違和感を覚える読者がいるのも事実です。
これは正確には「人称が変わるのが嫌だ」ではなく、「人称が変わるとわかりにくい」のが原因で違和感を覚えるので、言ってしまえば「視点移動でわかりにくい」という話題と根本は同じです。
この場合は「わかりやすいように努力しましょう」という以外にない、単純な技術不足なので、人称が変わることに違和感を覚える人もいるけど、それを考慮しても「書き方」としては何も問題はありません。
……なので、まあ、実際に読んでわかりにくいと感じれば、感想で「人称を統一したほうがいい」と答えることもあると思います。というか、そういう場合はたいてい「冒頭の一人称いらないよね?」という感想になりますが。
これは要するに、本来問題ない書き方だけどキミはそれを扱うだけの技術がないから今は統一したほうがいいね。という事ですね。
素人作品を読んでると、そういうことは割りとあります。
ただの例えなので、ニシンさんを指して技術不足だと言ってるわけではありません。

うっぴーさんも書かれていますが、冒頭に掌編を置くというのはよくある手法なので、あくまで冒頭だけ(あるいはプロローグとエピローグだけ)ならこれだけで「わかりにくい」と指摘されることもないだろうと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 導入部分と本編で人称を変えても良いのか。

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元記事:導入部分と本編で人称を変えても良いのか。の返信

小説の書き方としてはアリなのでしょうか?
「書き方として」は問題ありません。
それどころかよく使われるもので、もっと強調したい場合は本来小説には不向きな二人称で冒頭部分を書くこともあります。

しかし一方で、人称が変わるということに違和感を覚える読者がいるのも事実です。
これは正確には「人称が変わるのが嫌だ」ではなく、「人称が変わるとわかりにくい」のが原因で違和感を覚えるので、言ってしまえば「視点移動でわかりにくい」という話題と根本は同じです。
この場合は「わかりやすいように努力しましょう」という以外にない、単純な技術不足なので、人称が変わることに違和感を覚える人もいるけど、それを考慮しても「書き方」としては何も問題はありません。
……なので、まあ、実際に読んでわかりにくいと感じれば、感想で「人称を統一したほうがいい」と答えることもあると思います。というか、そういう場合はたいてい「冒頭の一人称いらないよね?」という感想になりますが。
これは要するに、本来問題ない書き方だけどキミはそれを扱うだけの技術がないから今は統一したほうがいいね。という事ですね。
素人作品を読んでると、そういうことは割りとあります。
ただの例えなので、ニシンさんを指して技術不足だと言ってるわけではありません。

うっぴーさんも書かれていますが、冒頭に掌編を置くというのはよくある手法なので、あくまで冒頭だけ(あるいはプロローグとエピローグだけ)ならこれだけで「わかりにくい」と指摘されることもないだろうと思います。

上記の回答(追伸)

投稿者 サタン : 4 人気回答! 投稿日時:

書き漏らしがあったので、追伸。
>やはり、人称を変えると最初のイメージを壊してしまう可能性がある為
むしろ人称を変えることで新しい話題に「切り替えることができる」と前向きに考えたほうが良いでしょう。
ぶっちゃけ、逆に「導入部分」だけで壊れてしまうほどのイメージを積み重ねることは難しいですから。
一人称好きな読者が、導入部分が終わって三人称一視点になったんで興味を削がれる、という状況くらいしか、この考えには当てはまらないと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 導入部分と本編で人称を変えても良いのか。

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元記事:方向性の決め方について

方向性の決め方ってどういう風にしたら良いのでしょうか?
なお、方向性を決めたあとから物語を作るのか物語を決めてから方向性を決めるかならどちらがやり易いでしょうか
皆様の意見をお聞かせいただければ幸いです

上記の回答(方向性の決め方についての返信)

投稿者 サタン : 6 人気回答! 投稿日時:

これは、「方向性」という具体的な何かが存在するわけではないので、作者それぞれな部分が大きいかと思います。
というのも、そもそも「方向性」についてどういう認識で言ってるのか、という時点で議論がすれ違うことも多いからですね。

ここでは大雑把な「どういう話なのか?」という、その物語の目標、目的、そういうのを指して「方向性」と答えてみたいと思います。
まず、基本的には「方向性」はどんなタイミングで決めても問題なく、やりやすさで言っても、やはり人それぞれとしか言いようがないでしょう。
ただ、ここでは「どういう話なのか?」を指して「方向性」と答えますから、物語が決まってりゃ、つまり「どういう話なのか」が決まってりゃ自動的に方向性は定まってるハズです。
逆に、方向性を決めてから、と言っても「どういう話なのか?」を決めてからと言ってるも同然なので、これも方向性を決めたと同時に自動的に物語はできてるハズです。

でも、何に悩んでるのかはなんとなくわかります。
たぶん、「方向性」を「次の作品は学園でドタバタするコメディを書こう!」とか、ものすごい漠然と考えてるんじゃないかなと思います。
こう考えると、確かに方向性を決めただけで物語ができるわけはないでしょう。
でも、もっと具体的な方向性を考えたらどうか?
例えば、「主人公が誤解からヒロインに追い掛け回される話を書こう!」という方向性を決めたなら、もうこの時点で物語の概要ができてますよね。
主人公の誤解がキーになるなら、この誤解で物語をころがして、ヒロインに追い掛け回され、誤解が解けたところで話は終わり。

で、
「主人公が誤解からヒロインに追い掛け回される話」という一文を、「方向性」と言えば「方向性から考える」と答えるし、この一文は「物語だ」と言えば「物語から考える」と答えます。
どういう方法にしろ、私の場合は、一番最初にこういう「物語を凝縮した一行の文」を作ることから始まります。
その一文が作れるなら、方向性から頭を捻って「学園コメディだから主人公とヒロインが何かする話がいいな、どんな風にしよう?」と考えることもあるし、物語性から「追われる話がいいか、協力する話がいいか、どうしようかな?」と考えることもあります。

カテゴリー : その他 スレッド: 方向性の決め方について

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元記事:技術を求めるうちに書けなくなりました

初めまして。趣味で二次創作をしている者です。

何作か書き上げるうちに、もっと上手くなるにはどうしたらいいだろう?と考えるようになり、他人の小説を研究するようになりました。
文章を丸暗記するほど読み込んだり、好きな表現を抜き出して小話を作ってみたり、ストーリーの構造を分解してみたり。
結果、全く小説が書けなくなりました。

大好きなキャラクターにこんなことをさせたい、こんなことを言わせたい、こんなシーンが書きたい、それを理想の形で表現するための技術が欲しい。
その技術を追い求めるあまり、今では萌えより何よりいかに凝った文章にするか、凝った表現を使うか、凝ったストーリーにするか、そんなことばかり考えるようになってしまい、執筆が楽しめなくなってしまいました。

原作への愛も、キャラクターへの萌えも、書きたいネタもたくさんあります。
けれど、以前は頭の中で活き活きと動いていたキャラクターたちが今は全く動いてくれない。
自分の中からキャラクターたちがいなくなってしまったような、そんな喪失感さえ覚えています。

また楽しんで執筆を行うにはどうしたらいいでしょうか。

上記の回答(技術を求めるうちに書けなくなりましたの返信)

投稿者 あまくさ : 3 人気回答!

二次創作を書く原動力はキャラクターへの愛情ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
他の方への返信に三幕構成やキャラクターの葛藤・成長と書かれていましたが、それらはストーリーを作るための技術です。そしてストーリーを作るためにはキャラクターを客観視する必要があり、時には冷たく突き放すことも求められます。

>以前は頭の中で活き活きと動いていたキャラクターたちが今は全く動いてくれない。

ストーリー作りの技術はキャラを動かす技術で、キャラが動くのではありません。
ただしオリジナル・ストーリーの作者にもタイプがあって、最初にストーリーやアイデアから考え始める人と、キャラから考え始める人がいます。最終的にはストーリーとキャラクターは融合しなければいけないのですが、物語を作っていく段階での優先順位が異なります。
よく「キャラクターが一人歩きする」と言いますが、そういうことが起こる人はキャラクター優先でストーリーを考えることに慣れているのではないでしょうか? 私自身はどちらかと言うとストーリーから考え始めるタイプなのでいまいち分かりませんが、本当にキャラに一人歩きさせたら三幕構成のようなプロット・テンプレートにはなかなか収まってくれないんじゃないかと思います。

二次創作と技術が相容れないものだとは思いません。ただ、あくまで二次創作にこだわるなら、目指すべき技術の方向性が違うのではないかなと。
原作のキャラや設定。それらを掘り下げてより深く理解することによって、みんみさんにとって最も真と思える理想のストーリーを追求すればよいのではないでしょうか? 二次創作の技術を高めるというのは、そういうことなんじゃないかという気がします。

一つ例になりそうなエピソードを思い出しました。
クラシック音楽の著名曲にモーリス・ラヴェル作曲「ボレロ」というのがあるのですが、これは作曲者による自演の古いレコードが残されています。ところがイタリアの名指揮者トスカニーニが、「あなたの演奏したボレロは解釈が間違っている」と言ったそうです。作曲者にですよ(笑

作品の解釈を深める。これですよ。

ポピュラー音楽の好きな方は、クラシック音楽の世界では過去の作品をただ楽譜に忠実に繰り返し演奏していることに疑問を感じるようです。つまらないんじゃないかと言うんですね。
しかしクラシックの演奏家は過去の楽譜を徹底的に分析して、理想の表現に到達することに心血をそそぐんです。そういう演奏家の姿は、マンガ『のだめカンタービレ』に活き活きと描かれていました。
それもまた創造だと私は思います。トスカニーニが作曲者に「あなたのボレロの演奏は間違っている」と言った気持ちは、二次創作に取り組む方には分かるのではないでしょうか? 原作を原作者以上に自分のものにしたいという想いがあるのでは?

オリジナルと二次創作に優劣はありません。単に別物であるだけ。私見ですが、根本的な違いは二つあります。
一つは、二次創作はキャラや作品に対して「第三者目線」から出発するということ。オリジナル作品の場合、自作を第三者目線で見るということがきわめて難しいんです。なので、書いた作品を他人に読んでもらった時に「ここをこうした方がいいんじゃない?」という意見に驚くことがあります。そんな見方があったのかと目から鱗が落ちることがあるのですが、二次創作ってある意味そういう読者目線から出発できるんですね。
そして違いの第2は、広がるか収斂するかなんじゃないかなと。
オリジナルは一つのアイデアから可能性は無限に広がります。しかし広げすぎると雲をつかむようになってしまうので、三幕構成などの型にはめると考えやすくなります。
二次創作は、原作のキャラや設定などの好きな要素から、自分なりの理想形というほぼ一点を求めていく感覚なんじゃないかと。

……とまあ、技術を習得するにしても、二次創作なら求める技術の内容が違うんじゃないかなという話をしたわけですが。
それはそれとして、これを機会にオリジナルに目を向けてみるのもいいんじゃないかなと私も少し思いました。取っ掛かりはストーリーではなく、オリジナルのキャラクターを作ってみるというのはいかがでしょう? 自分しか知らない自分一人の友達のようなキャラを作ってみるというのも楽しいですよ。
二次創作に行き詰っているのなら、気晴らしに目先を変えてみるというくらいの軽い気分でやってみてもいいのでは。それでうまく行かなければ、また二次創作に戻ればいいのですし。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 技術を求めるうちに書けなくなりました

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元記事:パロディ性・ごっこ遊び性のない作品の条件

RPGみたいにステータスが出たり(いわゆるステータスオープンという奴?)、文明レベルが中世並みのヨーロッパ風の世界って世界観の、RPGのパロディ・ごっこ遊びみたいな異世界転移・転生ものが多くて辟易してるので、「パロディ性・ごっこ遊び性のない異世界転移ものを描いて、読んだ人を『パロディ性・ごっこ遊び性のない異世界ものなんてあったのか』と驚かせよう」と思ってるんですが、パロディ性・ごっこ遊び性のない作品の条件って何だと思いますか?
とりあえずステータスオープンと文明レベルが中世並みのヨーロッパ風の世界は描かないことは絶対条件だと思いますが。
ベルセルクみたいな、ステータスオープンやってなくても文明レベルが中世並みのヨーロッパ風の世界の作品を読んで、「ステータスオープンやってる上に文明レベルが中世並みのヨーロッパ風の世界の作品よりはマシだけどパロディ臭い」と思ったくらいなので。

上記の回答(パロディ性・ごっこ遊び性のない作品の条件の返信)

投稿者 読むせん : 2

ちなワタシの理由としては全ての物語は【ごっこ遊びの延長】にあると思うから。
オデュッセイアとかヘラクレスはもともと演劇の演目らしく、【客】を楽しませるため、かなり内容の端折りとか過剰にドラマティカな演出で脚色されてしもぅてる。

前に読んだベオウルフ?クーフーリン?忘れた
 女神たるモリガンとことを構えて、「この矢で傷を受けたもの、射手からの真の祈り無しに治癒は能わず」みたいなゲッシュのかかった矢羽根でモリガンの目を射抜いて潰したはいいけどモリガンが一枚上手で、上手い事やって騙しきり、射手から「あなたが健康で安らかん事を」って感謝の祈りをさせて矢傷をなおしてm9(^Д^)プギャーするやつ。
 こっちは吟遊詩人が【客】に食料や金銭を対価に語り聞かせた。

【観客】【観測者】がおる時点で「ごっこ遊び」じみとんねん。

同じノリで言うなら【読者】がおる時点で、全ての物語は「ごっこ遊び」じみたものになる、とワタシは思う。学術書とか論文は違うかもやけどね。
=============
ステータス・オープン云々で言うとバガヴァットギータやラーマーヤナは完全アウトやねー。

ナツ神話とか現地宗教は知らんけど、ヒンドゥー神話は、「地球」と言うMMO空間に神がアバター使て降りてきてネトゲ感覚で戦争とかして遊び倒しとる設定やねん。

「アバター」とか「カルマ値」とかゲーム用語ってけっこうインド神話からの出典が多いのはそういう理由なのよ。

あと、これは完全にワタシの推論やさか、真に受けんといて欲しねんけど、インドには「カースト制度」ってのがあるやろ?あれチート転生の弊害やと思うねん。
ーーーーーーーーーーーー
チベット神話の死者の書に「神の堕落」みたいな項目あるねん。
 神は神として生まれエンジョイライフを送っていたけど、輪廻転生でリサイクルされた魂の性根までは神になりきれず、神の一部は堕ちるようなファッキン行動を取りまくり「神のアバター」ではなく「人間」にまで堕ちてしまった。それが人類の起源であるウンヌン。

これ、まんま異世界転生やねん。

『神だけど、存在グレード堕ちてしまったので、低ランク世界である人間世界で残った神通力を駆使しつつ神世界知識チートとかしてウハウハ暮らしますわ』なんよ。
 あとは異世界転生していない神のアバターも現地女性とかと性交できる機能はあるし、神のアバターなんて廃人スペックだから遺伝子もチート。子孫ができると能力引継ぎになったりする。

 どうもカーストは神の遺伝子の保存、あるいはチート転生者の血統を濃く保つことで、血縁者にチート能力を顕現させるよう、競馬馬の如くブリーディングされて来た制度っぽいねん。違うかもやけど。

カースト階級の上位者との結婚が望まれるのはチート転生者の血が濃いから。カースト下位者との結婚が忌避されるのはチート転生者の血が薄まっちゃうから・・・・やと思うねん。
ーーーーーーーー
ちなみにインドの女の扱いは異常。

同次元の存在じゃないから「2次元の女の子」。転生者の脳死ハーレム女共みたいなノリ。
 主人公( 堕ち神や廃神のアバター)は、推しとか嫁とか気楽に増やすし、彼女達にエグイ同人誌みたいなプレイさせるのも躊躇ない。
 リアル人間に同じ行為するのはアウトだけど、二次キャラとかのリョナエロ漫画なら「別にいいじゃん★」なノリで楽しめるやん?あのノリで女を使い潰したりする。ノクターンノベルみたいなのだらけ。

インド神話、ほぼネトゲ世界転生系やねん

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: パロディ性・ごっこ遊び性のない作品の条件

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