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ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない? (No: 1)
スレ主 うっぴー 投稿日時:
「小説家になろう」から、書籍化された異世界転生系のラノベでは、恋愛要素は不要であるという論があります。
なろう系ラノベは、読者の承認欲求を満たすのが目的であり、読者の自尊感情を害するような様子は、排除すべきであると言われています。
ラノベでは主人公イコール読者であり、読者は主人公になって物語を楽しみます。
このため、ヒロインは、処女で、主人公をヨイショするめのトロフィーガールの役割が果たせれば良い。
主人公を批判したり、他の男に気を惹かれたりしてはいけいない。
というのが、ラノベ恋愛不要論の肝です。
処女というのは、ゼロ年代のラノベから必要であった要素で、昔の男と比べられると自尊感情が傷つくからです。
実際の恋愛では、女性が他の男に気を惹かれることがありますが、こういった要素は邪魔で、切り捨てなければなりません。不要なリアリティです。
ラノベは、2004年に刊行されたゼロの使い魔のヒットにより、ラブコメブームが来て、ツンデレが流行ったのですが、今は、ツンデレではなく、最初からデレている。会った直後から、好感度マックスが主流になっています。
ツンをされると、読者の自尊心が傷つく。
もしかしたら、この娘、俺のことが好きなのかも?
と考えてドキドキするより、とにかく俺を肯定してくれ。
に変化しています。
例えば、大ヒットしたオーバーロードのヒロインたちは、みんな主人公を敬愛して、最初から絶対の忠誠を誓っています。
オーバーロードの例は極端ですが、ヒロインは、読者の承認欲求を満たすためのギミックであって、主人公がちょっと親切にしたり、活躍したら、大げさに感謝して、主人公のことが大好きになる感じです。
なろう系ラノベで、ゼロの使い魔のように、ラブコメがメインで書籍化された、ヒットした作品というのは寡聞にして知らないのですが、ありますでしょうか?
また、ラノベ恋愛不要論について、ご意見などありましたら、コメントいただけるとありがたいです!
カテゴリー: 流行分析(なろう研究)
この質問に返信する!人気回答!ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信 (No: 2)
投稿日時:
へー、そんなのがあるんですか……
私、「ラノベ戦闘不要論」てのを聞いたことがありますよ。
最初、「んな極端な……」と思ったんですが、確かに、映像媒体に比べるとわりといらないかも、と思ったり。
どっちも極論な気がしますが、なかなか面白いですね。
一作ずつ試してみたい気もしています。
人気回答!ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信の返信 (No: 4)
投稿日時:
申し訳ありません、管理人様と知りつつちょっと微妙な受け答えになってしまいました。
いつもお世話になっております。
個人的に、必要かどうか、よりも「書き手がちゃんと書けるかどうか」「読み手が受け入れられるかどうか」のほうが気になっています。……というのも、「この人、本当に人を好きになったことがあるのかな……」と思える作品を時折見かけたりするからです。
「君の名は。」がヒットした時の話ですが「瀧が三葉を好きになった理由がわからない」と言った人が友人から「オタクはそう言いそう」「人を好きになるのに理由なんてない」など散々に言われリア充との違いを思い知らされて落ち込んだ的なエピソードを聞いたことがあります。「君の名は。」は監督の仰る通り古くからあるボーイ・ミーツ・ガールを基軸にしているわけですが、SFギミックでも楽しめたりで恋愛一色すぎないところもバランスがよかったのではないか、という評価と認識しています。
なので、私の意見としては「メインである必要はないが、全くないのも多くの読者層の支持を得にくいのではないか」でしょうか。なろう読者層に集中した話でなくなってしまって申し訳ありませんが、読者層を狭めすぎたくない立場の意見としてはこんな感じです。
人気回答!ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信 (No: 3)
投稿日時:
>とにかく俺を肯定してくれ。
けものフレンズの評価にも通じるところがありますね。
とにかく肯定するキャラクターはキャバ嬢型だと言われていましたが、キャバ嬢のケバい感じを払拭すると確かに流行の理想像である気がします。
また、これは持論ですが、不要論のキモは、
その前提が実現できるのなら、キャラクターの性別すら関係ない、という所にあると思います。
だって恋愛の必要がないんだからね。
例に出てるオーバーロードは確かに女性キャラもいますが、確か7・8名の配下にあって女性キャラは3名ほどではありませんでしたか。
同じく君主モノと言っていいのかわかりませんが、「転生したらスライムだった件」では大部分が男キャラで10人以上のキャラが出てるのに女性キャラは2・3人だったような。
要するに、あくまでハーレムものの本質を表現するためには不要論から「女性にこだわる必要はない」という答えを得て男性キャラの多い君主モノを書いているわけで、それらが人気を得ているわけで。
逆を言えば、あくまで女性キャラにこだわる場合、やはり恋愛要素は不要とはならないと思う。
言ってしまえば、「多数の女性キャラクターに囲まれて、恋愛要素が皆無」という作品こそ、私は耳にしたことがない。
>ラブコメがメインで書籍化された、ヒットした作品
Webからと言うと私も耳にしたことがありません。
ただ、同時に「Web小説が流行り始めた時期からいま現在に至るまで」において新人賞など文庫からの発表でもそこまでのヒット作は無いように思います。
何かありましたっけ、ここ数年で大ヒットしたラブコメ主体のラノベって……。
比較的近年のもので「僕は友達が少ない」「さくら荘のペットな彼女」くらいですが、調べてみたらこれらは2010年とかで、大部分はWeb小説が流行る頃にはすでに完結、つまり連載を終えてるんですよね。
続いてるのは「エロマンガ先生」くらいしか思いつかないや。
漫画やアニメなら多いと思うけど、「とらドラ!」がヒットしてた時期にWebが流行っていたなら、やはり書籍化するほどのラブコメは出ていたと思います。
ということは、いまはもう流行として「ラブコメ主体」というそれ自体が流行ってない、という事なんでしょうね。
主人公(読者)に都合の良いヒロインは、エンタメの基本! (No: 5)
投稿日時:
お世話になっております。
従来型のラブコメでも、結局は「主人公(読者)にとって都合のよい」ヒロインに収まっていく構造は基本なんじゃないかと。
そこに多少の変化をつける理由は、作者の気概か、直球すぎるのはすぐに飽きられるだろうという計算かは分かりません。まあ、色々でしょう。オタクだってそんなに単純じゃありませんから……と、思う(笑)
なろう系では、そのへんをあっさり省略してシンプルかつストレートに読者の欲求優先。そういうのが受けるという感じなのかな?
そういうこととして、どう思うかと聞かれるなら。
うん、別に何も意見はありませんね。制作者の方針と仕様の問題ですから。
個人的には自分が読むなら多少は手応えのあるものの方が楽しいから、書くにあたってもそういうものを書きたいとは思います。
あれ? (No: 6)
投稿日時:
「ラブコめ」という語が自動的に「恋愛物語の作り方」に変換されたようですが?
まあ、文意は通っているのでいいですけど。
ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信 (No: 7)
投稿日時:
どうもみなさん、返信ありがとうございます!
hexaさん、ラノベ戦闘不要論ですか。
確かに、はがない、俺ガイルなど、日常系では戦闘は不要ですね。
この場合も、非リア充だった主人公がかわいい女の子や仲間に囲まれて、承認されるという、承認欲求充足型物語になっていると思います。
承認欲求が満たされれば、手段は問わない、というのがラノベかな? と思います。
サタンさん
>その前提が実現できるのなら、キャラクターの性別すら関係ない、という所にあると思います。
これは確かにそうですね。オーバーロードはハーレム要素もありますが、配下は男性キャラも多いです。
要するに、主人公がラスボス級の能力を持った配下たちに敬愛され、神のごとく崇拝されるという状況を通して、承認欲求を満たしているのが、オーバーロードの肝かなと思います。
また、ラブコメ系ヒット作がゼロ年代に終わっているというのも興味深いことかと思います。
あまくささん、
>従来型のラブコメでも、結局は「主人公(読者)にとって都合のよい」ヒロインに収まっていく構造は基本なんじゃないかと。
これは確かにそうですね。
なろう系の場合は、「最初から都合が良いヒロイン」にすることで、読み始めてすぐに読者の承認欲求を満たすようになったのだと思います。
Web小説は手軽に読める反面、読者が離脱するのも早いので、とにかくすぐに読者に価値を提供しなくてはならないということから、このようになったのだと考えます。
ツンデレヒロインが終わり全肯定型ヒロインへ移行。契機は、「魔法科高校の劣等生」 (No: 8)
投稿日時:
ラノベのメインヒロインは、ゼロ年代では、「ゼロの使い魔」のルイズ、「とある魔術の禁書目録」の御坂美琴、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」の高坂桐乃というように、ツンデレヒロインが主流でした。
しかし、 2011年7月に刊行された「魔法科高校の劣等生」が登場したあたりから、ツンデレヒロインがメインヒロインの座から転落し、主人公のことが最初から大好きな全肯定型ヒロインがラノベの主流になったように思えます。
魔法科高校の劣等生は、ヒロインの司波深雪が主人公の兄・司波達也を褒める台詞「さすがはお兄様です」が代名詞となり「さすおに」と呼ばれます。
この「さすがはお兄様です」と、褒められる快感が、承認欲求を求める読者にとって、あまりにも強烈だったため、ツンデレキャラとの逆転現状が起きたと考えます。
ツンデレのツンの部分を読者が求めなくなった。
承認欲求を得る上で、ツンが不安定要素として捉えられるようになった。ということかと思います。
ラノベ恋愛不要論。ツンデレヒロインは二番手に移行 (No: 9)
投稿日時:
ツンデレヒロインは終焉した訳ではなく、二番手になったとも言えます。
例えば、累計30万部の「異世界支配のスキルテイカー ~ゼロから始める奴隷ハーレム~ 」 2015/6/2刊行では、全肯定型ヒロインの次に合うヒロインとして、ツンデレ型ヒロインが現れます。
漫画化された「僕の部屋がダンジョンの休憩所になってしまった件 」2017/2/9刊行でも、同じです。
おそらく全肯定型ヒロインによって、承認欲求が満たされたあとに、ツンデレ型ヒロインに会うことによって、読者は、ツン要素があっても嫌にならずに受けれられるのだと思います。
すでに、メインヒロインから肯定されているから、OK!ということです。
ただ、ツンデレ型ヒロインがまったくいない、なろう系ラノベも多いので、ツンデレヒロインは、やはりメインストリームから落ちた、承認欲求を得る上で、リスクの高いキャラになったと言えると思います。
ラノベ恋愛不要論。ツンデレヒロインは二番手に移行の返信 (No: 11)
投稿日時:
ツンデレヒロインに限って言えば、もうヤンデレが出始めた頃には下火になっていたと思う。
最盛期は「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」、まあ声優の釘宮さんが流行ってた時期じゃないかなと。
「とらドラ」の頃にはトドメを刺したというか調理し切ったというか。
それ以降は、わかりやすいツンデレキャラもいることはいるけど、多くのヒロインの中の一人という形が多かった。
というのも、この頃は「誰か一人のメインヒロイン」というこれまでの常識が崩れてきていて、メインヒロインはおらず「多くのサブヒロイン」という形が多かったんじゃないかなと思う。
当時のハーレムモノは大部分が、「「一応」この子がメイン」って感じじゃなかったかな。
そして、それ以前の作品はというと、ツンデレが流行する以前の作品では、ツンデレはいつも当て馬や二番手として定番だった気がします。
意地を張ってるがために恋が実らず、という流れが多かったんじゃないかなと。
正統派ヒロインがいればツンデレサブヒロインは必ずいたような。
要するに、ツンデレブームのときに正統派とツンデレの逆転現象が起こって、一時的にツンデレヒロインがメインを張ってただけで、現在ツンデレは元の立ち位置に戻っただけではないかなと。
ツンデレ、というのは「キャラクターの個性だ」と誤解されやすく、いまやその誤解が正しいという認識だと思います。
でも、ツンデレってのは「ツンツンデレデレ」の略語で、意味は「ツンツンしてた女の子がデレデレになる」というものでしょう。
つまりこれ、キャラクターの個性を言ってる言葉じゃなくて、キャラクターの変化を指してる言葉なんですよね。
個性と言えるのは「ツンツンしている」という部分だけで、ちゃんと言葉にすれば「キツい性格の女の子」という部分だけ。
「ツンデレ」はキャラクターの変化を意味しているので、そのキャラクターが変化する過程というのは、これすなわち「物語」です。
ということは、「ツンデレ」というのはそれだけで物語が作りやすいんですよね。
「ツンツンしてる理由」とか「ツンがデレになる過程」とか、それだけで話になる。
題材として非常に扱いやすい。
そして同時に、ツンデレブームのときに流行っていた物語構成は、いわゆる「巻き込まれ型」です。
強引な女の子がやってきて主人公をトラブルの方向へ巻き込んでいく。という一種のドラえもん型とも言えますか。
言わずもがな、ツンデレの「ツン」という個性や強引な態度は「巻き込まれ型」の物語と非常に相性が良かった。
「ツン」が「デレ」になる過程でラノベ向きの恋愛を表現できるし、ラノベとの相性も良かった。
灼眼のシャナやゼロの使い魔のヒットによって、この組み合わせが爆発的に広まって流行となったのではと思う。
とすれば。
そもそも「巻き込まれ型」が下火になれば「ツンデレ」も下火になるのは当たり前で、しかし「ツンデレ」は上記したように、そもそも「物語」としての相性が良いので、メインは張れなくなったけど、元のサブヒロインの位置に戻った。という現状なのでは。
また、「ツンデレ」を「キャラクターの個性だ」と考えていると出す機会が無いので、こう言っちゃなんですが、なろう系では見る機会は減るでしょう。
アマチュアを馬鹿にしてるわけではなく、もはや「ツンデレは個性だ」という認識が当たり前の世代が多いと思うので。
なので、強いて言うなら「アンタのためじゃないんだからね!」的な典型的な記号としてのツンデレというのは、これは「キャラクター(の個性)」なので、確かにメインストリームから落ちた、と言えると思います。
一方で、プロが書く文庫では「ツンデレ」ではなく「性格のきつい女性」が出ることは当然ある。
その女性に恋愛要素があれば、当たり前だけど「ツンデレ」として登場することになる。
そしてこのポジションは、メインではなく当て馬や二番手としての位置が扱いやすいので、そのように展開する。
なので、「ツンデレ」それ自体に需要や役目がないわけではないし、そもそも「恋愛不要論」にも通じるけど、「ラブコメ」それ自体が下火なので、ツン「デレ」という言葉自体に恋愛要素を含む以上見かける機会が少ないだけではないでしょうか。
メインでは下火だけど、物語のちょっとしたアクセントや味付けで恋愛要素を出す場合、今でもツンデレは強力な武器だと思います。
全肯定型のヒロインを出す場合、ツンデレは別に主人公を好きにならなくてもいいわけだし。
悪役幹部の女副官とかツンデレポジションだと思うw
ラノベ恋愛不要論。ツンデレヒロインは二番手に移行の返信の返信 (No: 12)
投稿日時:
サタンさん、どうも返信ありがとうございます!
なるほど、ツンデレというものがそもそもイレギュラーな存在であり、現在は元の状態に戻っただけ、ということですね。
確かに、ラノベはかなり流行に左右されるところがあり、「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」のようなヒット作が生まれると、それに影響を受けたフォロワーがたくさん出ます。
また、2000年代前半には、超ヒット作の「涼宮ハルヒの憂鬱」もありましたね。ハルヒもツンデレヒロインです。
ツンデレヒロインとは、これらの作品群が生んだ一時的な流行だったと考えると、腑に落ちるところがあります。
ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信 (No: 10)
投稿日時:
なろう発の恋愛要素込みだと「君の脾臓が食べたい」ですね。
あとは「本好きの下克上」、女性向けだと普通に恋愛要素はあります。
ラノベに恋愛要素はほぼ必須です。
件のオーバーロードもリザードマンや王国編では(主人公ではありませんが)恋愛要素があります。
魔法科高校の劣等生も、サブキャラ同士でくっつくことは何度かあります。
またトロフィーガールであろうと、それもまた恋愛要素です。
本当の恋愛じゃない! と言われるかも知れませんが。
売上上位で恋愛要素がサブキャラも含めてほぼ皆無なのは、幼女戦記くらいです。
それ以外は巻数が進むにつれて、何らかの恋愛要素が入ってきます。
オーバーロードも恋愛要素は、主軸ではありません。
何を軸とするかの問題なので要・不要というのも少しおかしい気がします。
デビュー済みの私からすれば、恋愛要素はシリーズを進めていくとほぼ必須になると認識しています。
書けないよりは書けた方が明らかに良いからです。
サブキャラを掘り下げるのに使いますので。
ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信の返信 (No: 13)
投稿日時:
書籍化作家さん、どうも返信ありがとうございます!
>デビュー済みの私からすれば、恋愛要素はシリーズを進めていくとほぼ必須になると認識しています。
>書けないよりは書けた方が明らかに良いからです。
確かに不要とまで言い切るのは、極論でした。
昔から、恋愛は物語を作る上で必須の要素であると言われていますし、その通りだと思います。
ただ、主人公が恋愛をしている物語は確実に減った印象があります。
オーバーロードの主人公は恋愛をしていません。アルベドから一方的にストーカーをされているだけで、これはルイズと相思相愛の関係を育んでいたゼロの使い魔とは、だいぶ違う感じがします。
最近流行の異世界奴隷ハーレムも、女の子を奴隷という従属関係に置いて接しているので、恋愛とは言い難い面があります。
オーバーロードも絶対支配者と配下という関係なので、これも対等な男女関係とは言えません。
パートナーとは、本来、同等な存在であるはずです。
この点から考えるに、読者の嗜好としては、恋愛ではなく、あくまで自分を承認してくれるヒロインが欲しいのだと思えます。
サブキャラ同士が恋愛する場合は、主人公が関わらないので、失恋に終わっても主人公イコール読者の自尊心は傷つきません。
オーバーロードは、サブキャラが自分よりはるかに強大な存在に立ち向かっていき、そこで敗北を経験して、精神的、能力的に成長する場面が多いです。
この構造は、漫画ワンパンマンでも同じで、なろう系の特徴の一つかと思えます。
これも主人公が同じことをやると、読者の自尊心が傷つくので、サブキャラにやらせて物語を形成しているのだと考えられます。
ラノベ新人賞の下読みさんが繰り返し言っていたのですが、物語には成長要素が不可欠であるそうです。
失恋や敗北は、これまでの自分を壊し、成長するための切っ掛けかと思います。
しかし、なろう系のチート主人公は最初から完成された無敵の存在であらねばならず、また失敗や挫折は、読者の自尊心を傷つけることになるリスキーな行為なので、サブキャラを通して成長物語を作っているのだと考えられます。
ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?の返信の返信の返信 (No: 14)
投稿日時:
返信ありがとうございます、うっぴーさん。
その上で申し上げれば、まだ遠い!
オーバーロードをそこまで分析できているのなら、なぜなろう系が売れるのか、その源流がわかるはずです。
答えを率直に申し上げると、なろう系の原型は時代劇なんです。
水戸黄門がぴったりなろう系に当てはまる作品で、いわゆるなろう系は時代劇のシナリオ論をファンタジーに置き換えたものがほとんどです。
水戸黄門一行は印籠は言うに及ばず、殺陣でも手傷を負うことはありません。
絶対正義の体現者でもあり、仲間内の絆は非常に強固です。
そこが問題や変化の対象になることはほとんどないのです。
しかし、ドラマがある。それは否定できないでしょう?
そう、肝はサブキャラなんです。一話限りでも、ご老公一行に何一つ比肩しなくてもいいのです。
水戸黄門のような物語構造は、日本人であればある程度普遍的に受けてしまう。
だから、売れざるを得ないんです。
要・不要論はえてして知識がないと不毛な論議になりがちです。
恐らくうっぴーさんは、ワナビ代表としてラノベ恋愛不要論を押したいのでしょう。
しかし、実際のプロデビュー済みのなろう作者は、そういう論議にあまり頓着しません。
オーバーロードは異世界ファンタジーで、しかも主人公は人間じゃなくなってるんです。
現代日本の価値観を持ち出して槍玉にあげても、何の意味がありません。
異世界奴隷ハーレムも同様です。異世界で特別な力がある主人公だからこそ、許されるんです。
水戸黄門の印籠の効力が、江戸時代以外では無意味なように。
商業小説なら売れることが正義です。シリーズ累計ではゼロの使い魔をオーバーロードが超えています。
なろう系とひとくくりにするのではなく、彼らの知性と創作力を深く探ってください。
公募が取り落としてきたものが見えるはずです。
なろう系の原型は時代劇!オーバーロードは水戸黄門! (No: 16)
投稿日時:
とある書籍化作家さん、どうも返信ありがとうございます!
>答えを率直に申し上げると、なろう系の原型は時代劇なんです。
>水戸黄門がぴったりなろう系に当てはまる作品で、いわゆるなろう系は時代劇のシナリオ論をファンタジーに置き換えたものがほとんどです。
この発想はなかったので、驚きました。
時代劇は現代に合わなくなったので、廃れたと思っていたのですが、日本人の嗜好は実は変わっておらず、時代劇の構造をファンタジー世界に置き換えただけという説には衝撃を受けました。
>異世界奴隷ハーレムも同様です。異世界で特別な力がある主人公だからこそ、許されるんです。
>水戸黄門の印籠の効力が、江戸時代以外では無意味なように
なるほど、天下の副将軍という立場は、確かに江戸時代という異世界でしか通用しないものですね。
オーバーロードのモモンガさんは、実は水戸黄門であるわけですか。
水戸黄門的に他者を従える快感、決して敗れることも傷つくこともない絶対者の快感を日本人は本能的に求めているということですね。
そして、現代日本の価値観から、水戸黄門を批判しても意味がない。
実は、異世界奴隷ハーレムのパイオニアと思われる「異世界支配のスキルテイカー ~ゼロから始める奴隷ハーレム~ 」(2015/6/2)を最近、読み直しています。30万部以上売れたヒット作です。
この作品では、ヒロインが「私はご主人様の奴隷にしていただいて幸せです!」と、衝撃的な発言をします。
女性を物扱いしているようで、ちょっとこれには拒否反応を覚えたのですが、水戸黄門に平伏していると考えれば、腑に落ちる点があります。
水戸黄門では、お色気担当のお銀の入浴シーンが必ず入ります。
水戸黄門がお銀に命令して、色仕掛けで悪人から情報を引き出しているわけです。そして、お銀は水戸黄門を敬愛しているので、喜んでその命令に従いです。これはオーバーロードの主従関係と同じかと思います。
正義のためということで巧妙に隠されていますが、日本人男性は実は自分に仕えてくれる女性を求めているのだと考えれば、これが受けたのも理解できます。
つまり、対等な男女関係というのは欧米的な発想で、そもそも多くの日本人男性は、自分に仕えてくれる女性を欲しがっており、この点は実は江戸時代から変わっていないのではないかと。
オーバーロードや異世界奴隷ハーレムは、水戸黄門が上手に隠蔽した女性に対しての願望を、オブラートに包まずにストレートに表現したから受けたのかなと、思いました。
なろう系と、従来のラノベの最大の違いの一つは、対象読者年齢かと思います。
ゼロの使い魔は、中高生が読むので、現代日本に通じる健全な恋愛観に基づく必要がありますが、オーバーロードは20代以上の大人を対象にしているので、そのような配慮をする必要がなく、読者の願望をストレートに表現できたのでは?と考えています。
成人男性が求める恋愛とは、一言で言えばキャバクラだと思います。
自分に仕え、チヤホヤして承認してくれる女性に囲まれるのが願望であって、対等な男女関係など望んでいないのではないかと思います。
恋愛不要というよりも、昭和的結婚観回帰と言った方が、本質に近いかも知れないと思いました。
キラー・コンテンツ (No: 15)
投稿日時:
他の方とのやり取りを拝見しているうちに、何だか私もラノベに恋愛は不要なのかもしれないと思えてきました。洗脳されたかな(笑
そもそも、恋愛が好きなのは多分に女性ですよね。ラノベに限らず男性向けエンタメのターゲットが求めているのは、恋愛ではなくトロフィーガールなのかもしれません。007のボンド・ガール。あの感じね。
他の方への返信で、
>パートナーとは、本来、同等な存在であるはずです。
と仰っていました。
個人的にはまったく同感ですが、これってややリベラルな考え方なんですね。個人の自立に価値をおく欧米的な理想論。日本人の伝統的な心性にはそぐわないところがあるのかも。
……というか、そんな難しい言い方をしなくても、要するに「異性との対等の関係」というのがしんどいのでしょう。
「さすがです、お兄様!」……ですか。
確かに破壊力がありますね(笑
しかし、男性としては野郎に言われるよりも、従順な美少女に言われる方がなお心をくすぐられると思われるわけで。
よって、承認欲求の充足は一つの側面に過ぎず、「異性」という要素も大きく関わっているように思えます。ただ、それは恋愛ではない、と。
なんだろう?
メスを支配しようとするオスの本能。遺伝子を保存しようとする動物的本能……かな?
キラー・コンテンツの返信 (No: 17)
投稿日時:
あまくささん、返信ありがとうございます!
>要するに「異性との対等の関係」というのがしんどいのでしょう。
私もこれが本質かと思いました。
日本人男性にはそもそも欧米的な恋愛というものが合わないのではないかと。
恋愛というのは明治維新から入ってきた概念で、恋愛結婚が主流になったのは戦後です。
ずっとお見合い結婚、家制度の中で女性は従属的な立場にあったので、日本人男性は、従属的な立場にある女性が欲しいのだと思います。
最近(2018年6月)、ニュースでセクハラで身を持ち崩す政治家、官僚、人気アイドルの話題が多いですが、おそらく、この価値観が根強く残っており、これがグローバルスタンダードな男女観との間で齟齬をきたしているのでしょう。
物語のおもしろさの本質とは、読者の願望の充足です。
叶えられない願望を物語の中で満たすから、おもしろいと感じます。
現代日本の男性は、男女平等という考え方が辛く、どう女性と接してよいかわからないので、物語の中で異世界奴隷ハーレムを作って、抑圧した願望を満たしているのかなと、思いました。
異世界奴隷ハーレムのパイオニアである「異世界支配のスキルテイカー ~ゼロから始める奴隷ハーレム~」の著者、柑橘ゆすらさんは、今年の4月に「異世界エルフの奴隷ちゃん」という小説と漫画を同時に刊行しています。
この作品では、さらに一歩進んで、奴隷になったエルフ少女は、「さすがはご主人さまです!!」を決めゼリフにしています。略して『さすごしゅ』です。
奴隷としてご主人様に仕えることを喜び、「さすがはご主人さまです!!」と叫び、主人公はちょっと鬱陶しそうにしています。オーバーロードのモモンガさんと、アルベドの関係と同じですね。
このようにすることで、読者は、奴隷として女性を支配するという罪悪感を消しながら、承認欲求を満たすという見事な構造になっています。