小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ゴミカスさんの返信一覧。得点の高い順4ページ目

元記事:チェーホフの銃対策

近未来を描いた小説を友人に見せたところ、「分かりにくい」とのことで、より詳しく話し合ってみると、どうやら以下のような原因があると考えられました。

どうでもいいことに関する謎がよく出てきて、本筋に集中できない。──(1)

理想的には、読者が小説に対して特定の種類の謎/空白を抱き、それを解決するための説明に伴いまた空白が生まれ…という流れに伴って話が進行する(その際、伏線やモチーフが多すぎると混乱の元になるので、少ない方が良い)ものだと理解しています。
自分の書いた小説では、まず近未来に特有の価値観の違いや設定(たとえば、未来ならキラキラネームが多いだろうという考えに基づいたネーミング)の方がより目立ってしまい、本筋の内容へ注意が向きにくくなってしまっているのだと感じました。

未来でも異世界でも、この世界と異なる場所であることから来る何かしらの違いは幾つもあって然るべきだとは思うのですが、そのうち1, 2つだけを利用して作品を作るとなると、それ以外の物事への説明(それが面白くなるためには、複数の登場人物による複数の視点から物事を語らなければならないと自分は考えていますが)を削るか、説明が完結するまで脇道に逸れなければならず、いずれも読者に対して少なからぬ「追加の要素」を与えてしまい、モチーフがぼやけたり、どれが伏線なのかが分かりにくくなったりして、読者の「注意の向きが逸れて」しまいます。
また、特に人物の心情に関しては説明をしすぎると演技臭くなってしまったりするという問題もあり、そうした演技臭くなさと「注意の向きの固定」が特に難しいとおもいました。
これらはどのように解決すれば良いでしょうか?

上記の回答(チェーホフの銃対策の返信)

投稿者 ゴミカス : 0 投稿日時:

単純明快、読んで分からなければ小説の中でもキャラが分からなくて当然なんです。
話がまとまらなくなるのなら、当然登場人物もまとまらない。読者というのは当然のことを言うだけで、つまり読者が多くて意見が増えれば常識が見えてくる。その常識を話の型にはめてはみ出たものが余分な部分。
つまり常識の外側の余分な部分ことを分からないと言っているんです。
なら、余分な脇役をリストラさせればいい。無駄を省けばいいんです。余分な部分に自信がないのでしたら、乗りこなせない役者の首を切るんです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: チェーホフの銃対策

この書き込みに返信する >>

元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

平井和正の小説版『幻魔大戦』には、序盤にいきなり星雲がごそっと消滅する描写がありましたよ。
人間を対象とする大量殺戮よりも、一匹の仔犬を殺すシーンを生々しく描く方が残酷な場合もあります。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

幻魔大戦なんて私の年よりも十年も前じゃないですか。こりゃ作品の大先輩がいたもんですよ。
でもですね、私が何故殺戮ものが書きたいのかというと、読者には言い訳が使えるからなんです。
どんな凄惨な小説でも、それをどんなにリアルにしても、もしもの話、ifの話として受け取ることができますよね。
そうなると読者の心の中に釣り針を引っ掛けることはできません。もしもの話なんですから。
だから未だかつて起きていない惑星同士の戦争の殺戮もので、突如として戦争は起きてしまうものだと認識させたいんです。
もしもではない、起きるかもしれない不安を抱えさせて、作品をいつまでも心臓の根に絡み付かせたいんです。
だからギリギリまでグロテスクにして、極限まで不安を高めさせたい。どこまで、どこまでやっても良いのか知りたいです。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

この書き込みに返信する >>

元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

 ガンダムとか冒頭ナレーションでアッサリ全人類が半分に減るし、ウルトラマンが撃墜したバルタン星人の宇宙船には20億のバルタン星人が居て、その大半が死んだと言われています。

 まあ要するに『どれだけ殺そうが、書き方次第です』という事なんですが。

 二次大戦前くらい、『大日本帝国』とか『第三ドイツ帝国』とかがあったころ、今でいう『洗脳教育』ってものがあったじゃないですか。
 アレがまさにそうですよね。
 ちょっと例文。今適当に作ったんで、『俺の知ってる日本史となんか違う』と思ったら、多分大野のミス。

①日本は、『欧米圏による植民地支配からの解放』を名目に東南アジアへと軍を進出させた。だが彼らの実態は元の植民地支配とさして変わらず、一般人への虐殺や略奪も行われることがあった。

②我らが偉大なる大日本帝国軍は、鬼畜米英によるアジアの仲間達への支配を断じて許しはしない! 中には、不幸な行き違いによる一般人への発砲や、やむを得ない事態にあっての補給も行われたが、アジアの友たちよ、共に手を組んで鬼畜米英に立ち向かおうではないか!

③かの野蛮なるヤポーネは、我がフランスの植民地にあって、農奴たちへの略奪と虐殺行為を何度も働いた。これは許されざる蛮行である! 君たちの家族、フランス軍の精鋭たちも多くが命を落とした。今こそ、正義の鉄槌を!

④日本人たちは最初、私達を植民地支配から解放する、と言ってやってきました。けれど、彼らの実態はあの忌々しい白人たちとさして変わらなかった。でも、いつかは報われると信じて、協力してきました。

⑤まず最初、白き肌の者どもがやって来て我らが祖先の土地を奪った。森は焼かれ、人々は隷属を強いられた。次に、東の国の者どもがやって来て、我らを解放すると言った。彼らもまた、森を焼いた。森は今、怒っている……。

 最後のはまあ、ジョークですが。
 書いた内容は大体一緒です。
 大日本帝国サイドをかなり誇張表現で描いたのでアレですけども、『同じ内容だろうが書き方次第で違う用に受け取れる』と言うのはなんとなくわかるんじゃないでしょうか。

 その上で、はらわたさんの質問に添った答え方をするなら『虐殺される側の家族とか、内面の善良さみたいなものをとても細かく書き込んだり、或いは殺し方のざんぎゃぐさを長々と描写しなければ、多分オッケー』って言う所でしょうかね。
 
 と言っても、この問題には『行為の問題』『脚本の問題』の二つがあって、『書き方を気を付ければ、概ね行為そのものは受け入れられるだろう』とは思いますが、『脚本的に無意味な虐殺』『キャラや世界観の整合性を無視して虐殺が起きる』などの無茶なことをする場合は、判断が分かれます。

 ただ、ピンポイントに『虐殺という行為』について語るのならば、『被害者側に寄り添った書き方』をしなければ概ねオッケーでしょう。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

ガンダムはリアルを求めて、ガンダムの力を人類半分の命の重さとして表現したんだと思っています。コロニー落としが出来たのはモビルスーツの力で、そのモビルスーツに対抗するために同じくモビルスーツガンダムを作るという、真っ当な理由のために。

殺人も物語を成立させるための都合であれば許されていますよね。むしろ、GANTZのあれは読者が戦闘力だとか、脅威度を測ることができるようになるための演出に見えます。

そもそも読者が本を閉じるような虐殺を書いたのなら大損ですしね。理由を生むためでしか殺戮なんて書いては駄目なんでしょうね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

この書き込みに返信する >>

元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

良くも悪くもそれがモブである以上、億兆京垓と重ねようと「殺した数」はそんなに大事ではないと思うんですよね、作品世界やそれに及んだ戦禍のスケール、あるいは現れた超存在や超兵器が如何にパワフルであるかという表現にはなると思うのですが、そのものがショックを与える事はないと思うのです。

よりショッキングな殺人というのは数よりも過程であると思うんですよね。
特に「辛い展開」として話題になったものというと、「誇りや大切なものを完膚なきまでに踏み躙られた末に殺される」とかチェンソーマンの銃の魔人戦のような「それまで兄弟同然に過ごした者をやむに止まれず殺す」とか、表面的な数や方法以上に文脈が生む残酷さがより大きなウェイトを占めていると感じます。

> グロテスクな小説で規制されているのって知らないんですよね。
その辺は心配無いと思われます。
特に昨今は小説に限らずゴア表現には凄く寛容になったというきらいがあります、進撃の巨人や鬼滅の刃は人を食う人間に近い見た目の怪物や登場人物が腕や目を失う事もままありますし、去年の直木賞受賞作のテスカトリポカも序盤から凄惨なリンチの末に殺された人物の屍がぼかされずに描写されています。

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

自分の身に降りかかるかもしれない不幸を表現し、読者に不安を与えたいとする殺人ものに必要なのは、そうですね、過程ですよね。

私は質問主でありますが、常々殺人の起きる作品を読んでいて、一番引っ掛かるところは殺される者の末路に納得が出来ないことです。
理不尽を表現するためにあっけなく登場人物を死なせることがもったいなく感じるんです。『アカメが斬る』を読んだことがあって、理不尽のように見えているのに、その反面必ず仕打ちを受けるというところはすとんと腑に落ちます。
ただ、すぐに忘れてしまうような殺人はもったいないと思います。

私が書きたいのは意味があり、忘れられない大量殺戮。その為に殺人の描写をどこまで書き込み、意味を見出しても良いのかが作家としての悩みどころです。

個人的に殺人=死は数ある表現の中で上位に組み込むほど演出を映えらせるものだと思います。
デスゲーム系が何気なく好まれているのも、常に死の気配が作品を輝かしているのでしょう。

私が求めているのが描写力というのでしたら、そのまま自分の腕を高めるしかありませんね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

この書き込みに返信する >>

元記事:殺人ものはどこまで許されるのかの返信

 自分みたいな未熟者が答えて良いものかと思いましたが、昔にそういう小説を書いていた身として回答できるところはあると思い、書かせていただきます……(違うな!と思ったらスルーしてくだされ……)

 結論を先に言うと「どこまでも許されるとは思うけど、それが面白さに繋がるかは微妙」という感じです。

 多分、「死んだ人間の数や被害の規模」は関係ないと思います。ディズニー傘下に入ったあとのスターウォーズでも、たくさんの人間が住んでいる星々が大量破壊兵器で消滅したって展開ありましたからね(アレは中々に衝撃的で好きです)。
 さすがにアンパンマンとかではないと思いますが、少し対象年齢の上がった仮面ライダーでは令和時代でも大規模な厄災で人が大勢死ぬ展開もありますし、そこらへんは問題なさそうです。

 ライトノベルという中高生対象のジャンルにおいても同じで、私が高校生の頃はGANTZが大人気でした。席替えで窓際の席になると「お前、カタストロフィで真っ先に死ぬポジションやんけw」って言いあっていたり、一種の共通言語的なポジションにまで到達していました。今でいう鬼滅の刃とか呪術廻戦とかそのあたりの……。
 なので、比較的「無慈悲に人が死にながらも、主人公たちはそれに抗うべく絶望に立ち向かう」というテーマは、中高生に好まれやすいのかなーと。性的表現も同様に「童貞卒業してー」とか「コンビニにコンドーム買いに行くの恥ずかしい」とか、高校生あたりは身近に感じるネタはむしろ好まれるんじゃないかな……と思っています。なので個人的には自分の人生を変えた作品でもあるからなのですが、GANTZはライトノベルを書く上でも自分はバイブルにしているレベルです。

 ただここで問題になってくるのは「描写」だと思います。漫画やアニメだと腕が千切れたり内臓ポロンしても絵なので、そこまで注意して見なければ問題って人は多いでしょう。小説だとそこらへんの描写を詳細に書いてしまうと、書いた分だけ読者は”(イメージしたものを)見てしまう”ことになるので、ちょっと考えなければいけないトピックだと思います。

《注意! ここから先、けっこうなグロ描写を書いちゃうので苦手な人は読まないでください……》

 たとえば剣で敵兵士を斬り伏せた描写があるとします。

『描写1(マイルドなほう)』
 剣閃が夜を斬り裂いた。
 その瞬間、兵士の体が真っ二つに割れた。残ったのは長剣(ロングソード)の銀の刃のみ。

『描写2(グロ描写パワー解放なほう)』
 剣閃が夜を斬り裂いた。
 その瞬間、兵士の頭部に銀の刃が押し当てられた。銀の刃は兵士の頭蓋を叩き割るように顔面を潰していくと、そのまま股座まで一直線に降りていく。真っ二つに割れた頭部から飛散する脳漿、四散する血飛沫、地面に吐き出されていく贓物、裂けていく肉の音。そして最後に銀の刃を滴り落ちる赤黒い血。全ての中心に、一本の長剣(ロングソード)があった。

 前者はよくライトノベルでも見かける描写です。ただ後者はマイナーかな……といった感じであまり見かけない描写です。というのも、絵で表現すれば後者のほうがサマになるのですが、文章で表現すると後者の場合は余計なグロ描写が読者のイメージに強く残ってしまい、その後の展開を薄味にしてしまう可能性があるからです。

 小説という媒体は良くも悪くも作者の描いたものを、そのまま読者の脳内に投影させやすいです。読み手は情報の取捨選択を無意識に行うことが難しいので、作者は常に読み手が“ついてこれて、ついてきてくれる”バランスを意識しながら書いていかなきゃならない……のかなぁ。個人的にはそう思っているけど、世の中の大先生はどう思っているのかは分かりません!

 まぁライトノベルというジャンルではどこまで許されるかはぶっちゃけよく分かりません! 何でも許されるんじゃないかなーって思っていたりもしますが、要は「面白ければいい」ジャンルなんです。ただグロ描写は面白い要素を阻害する要因にもなりえるので、それがメインのシーンで書く意図が無い場合はアッサリでいいんじゃないかなぁ……少なくとも自分にはそれしか思いつきません!
 ただ手はあるんじゃないかなぁとも思いますよ。グロ描写と面白さ、手軽さの両立。朝の電車で異世界転生モノを読むサラリーマンもいれば、ベルセルクを読むサラリーマンもいますし。ただ私は三浦先生の到達した領域には100回転生しても辿り着けない人間なので、諦めているだけです(笑)

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信の返信)

スレ主 ゴミカス : 0 投稿日時:

おそらくですね、人は人の死でしかなんとも思いませんよ。
スターウォーズだって人ではなく宇宙人が主に出てくるじゃ無いですか。宇宙人が死んだところで観ている人は宇宙人自体にはなんとも思ってませんよ。
人が犬の死に悲しむのは、犬に人の心を見出しているからです。生きた魚を捌くところに目を背けたくなる私も、私の人としての命を無意識に魚と重ねているからだと思います。
フィクションの映像作品の死人は、人間として見られていないんですよね。
ただ、人間として見られるような創作しておいて、それを殺す描写を書いたのなら確実に悲しいと思います。面白くもないんですよね。
でも人は心動かされないと生きている実感は湧かないので悲しい作品も読んでくれる算段なんですよ。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

この書き込みに返信する >>

現在までに合計29件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全6ページ中の4ページ目。

ランダムにスレッドを表示

冬晴れの冬休み

投稿者 たはらさん 回答数 : 1

投稿日時:

タブレット端末のキーボード入力を5本の指で打てるトレーニング法を教えて下さい。 続きを読む >>

新人賞について

投稿者 黒猫サンバ 回答数 : 2

投稿日時:

電撃文庫の長編で応募しようと思うのですが、原稿が完成しても規定枚数にとどきできません(約10ページほど)。 短編で送るのもいいんで... 続きを読む >>

人間ドラマの膨らませ方が分かりません。

投稿者 ライ 回答数 : 4

投稿日時:

現在、小説家になろうで『うちの兄が何故かバズってる件』という小説を書いているのですが人間ドラマの膨らませ方が分かりません。ご教示ください。 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:世界観

スチームパンクな世界観を創作したいなと考え中なのですが、蒸気機関なガジェットやアイテムがある中で、ファンタジーともいえる 魔法 を入れたいと思っています。

機械や現代文明がある中で、魔法という物は両立が可能ですか? 

上記の回答(世界観の返信)

投稿者 ワルプルギス : 1

書き方次第で両立できます。
実際、魔法の出てくるスチームパンクって結構あると思いますよ。
例えばファイナルファンタジーも6や9はスチームパンク的と言われますが、もちろん魔法はあるわけです。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 世界観

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:魔法が使えない理由付け

はじめまして。初めてこのサイトに質問を投稿します。
私は小説家になろうに作品を投稿しています。異世界転移系の長編です。
その作品について、皆さんの知恵を借りたいです。

主人公が転移する異世界には魔術があり、才能を持つ限られた人のみが魔術を使えます。
魔術の属性は、無、火、水、風、土、光、闇の7種類。主人公は、全属性の魔術を使える才能を神様から貰っていますが、最初は魔法をうまく使えず、絶体絶命のピンチになって初めて魔術を使えるようになる、という展開にしたいです。
しかし、ピンチの場面で初めて魔術の才能が開花した理由付けに悩んでいます。
説得力のある理由付けにできるように、皆さんのご意見を聞きたいです。
よろしくお願いします。

上記の回答(魔法が使えない理由付けの返信)

投稿者 読むせん : 2

単純に多すぎてとっさにどれを使えばいいのかにマゴマゴするとかでいいんでない?
咄嗟に出た魔法が主人公的に一番出しやすい、得意な属性魔法とかになって、それ主体の+6要素になる。とかねー。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 魔法が使えない理由付け

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:日常のバリエーション

たとえば季節を重視する作品であったり。
たとえば現実の出来事に即したものであったり。

そういう「どうやっても作中のタイムスケジュールを変更できない」類の作品で、用意してある山場に至るまでの溜め、つまり日常回で、既視感を抱かせ過ぎないようなバリエーションを増やすにはどうしたら良いでしょうか?

作品のテーマが「大きな出来事だけで二人の不安定な生涯を紡ぐのではなく、ありきたりで大切な日々で大きな出来事の隙間を固め、誰も崩せない堅牢な二人の生涯を紡ぐ」というものでして。ちなみに恋愛小説で純文学です。

なので日常描写は絶対に省けないのです。
大きな出来事はあらかた設定し終えたのですが、日常に関しては細かく設定するわけにもいかない以上、その場その場で日常を描くしかできません。
ですがそのレパートリーが少ないと「これ前にも見たな」となって、コピペにも劣るデッドコピーにしかならないのではと思いまして。

そういう場合に備え、日常のレパートリーを増やすにはどうしたらいいでしょうか。

上記の回答(日常のバリエーションの返信)

投稿者 読むせん : 0

分からないし、きになるので、あげ(;´∀`)
「これ前にも見たな」をむしろ多用してみる・・・・・とか?
日常なんて、そんな変わんないもんだし。
か、変わらない・・・・よね?

カテゴリー : その他 スレッド: 日常のバリエーション

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ