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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 雨オカマ : 1 投稿日時:

 あまり三幕構成に詳しくないので、議論をかきまわすかもしれませんが、自分の認識が間違ってないか確認したいのもあって、力不足ながらコメントさせていただきます。
 
 セントラルクエスチョンとは、おそらく初期に提示され、全体において主人公を引っ張る「根本的な動機」の提示だと思うのです。そしてその動機は始めは大雑把で、話が進むごとに具体的な達成の方法や困難が提示され、それに苦悩しつつ、手段を変えつつ、揺らいでも、気持ちは変わらず主人公を引っ張っていくのだと思います。
 多分セントラルクエスチョンは「母と再び家族として暮らす(ただしあまり言葉にこだわらないで)」あたりでいいのではないでしょうか。およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。それを提示するインサイティング・インシデントですが、これは摩耶の登場そのものではなく、表現は直接的か、一見前向きかは別として、「摩耶に冷たくされ、孤独を感じて、母に会いたいと感じる」「(その時点の認識で)亡き母に対する思いが生じる」になるのではないですか。ここまでは目的というほどでもなく、思いとして。摩耶をインサイティング・インシデントとして、母親と言う目的と結びつけるならば。
 そしてそのあと婚約者が登場、その巻き込まれ型の出来事のなかで母親が見つかるという、主人公の辛い感情(問題)が解決される具体的方法が提示され、具体的な目的を持った物語が開始されるのではないかと。
 セントラルクエスチョンは主人公の動機を通して読者に提示されるストーリーの大まかな骨組みのようなものではないかと思います。これによって以後の行為が、目的に近づくか遠のくかで善い悪いを判断されつつ、それが最終的にどのような形になるのか、読者が想像しながら読む、そのための道筋となるものというような。
 作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。当初の質問でセントラルクエスチョンとして掲げられた「ヴィランを倒す」も「最後の戦闘パート」「最大の障壁」であって物語に一貫するセントラルクエスチョンではないように思えます。これがセントラルクエスチョンになるには、このこと自体が主人公の最終目的として意図されなくてはならないはずですから、「倒し」自体が心理的な目標になり、その方法を探す物語になるのではないでしょうか。
 テーマは、完全に私見ですが(三幕構成で定義されているならごめんなさい)、この親子の物語を通して「読者」にどのような価値観を届けたいかと言うことだと思います。それは、作者様の思うものと同じではないかもしれませんが、このタイプの物語が取りうるものとしては「死者をないがしろにするのでもなく、しかし囚われるのでもなく生きるにはどのように思い、そして行為すべきか」というようなことではないかと思います。ただ、物語としてどう伝えるかはよくわかりません。
 分かりやすいものでは、自分の好きな事柄を悪を倒すものとして描けば、その好きなものは「善なるもの」であるというメッセージやテーマを(首尾よく描写出来れば)発せられるとは思いますが、ちょっとこの物語には当てはまりそうにない。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信

「中世ジャガイモ問題」についてですが、少し論点がずれてるんじゃないでしょうか。

ファンタジーは別世界の話だから、なんでもあり」だからといって、中世欧州風にも関わらず、高層ビルが建ち並んだり、自動車が走ったりするのは、どうなんでしょう。違和感がありませんか。
もっと極端な例を挙げると「平屋や二階屋の木造建造物が建ち並び、城郭には天守閣がそびえる。そして、ちょんまげを結った男たちが闊歩する」なんてことになると「日本じゃん! 中世、どこ行った!?」という事態に陥ります。

「中世ジャガイモ問題」とは、単にジャガイモの存在について言及するものではなく、中世欧州風の剣と魔法のファンタジーにおいて、その世界観を崩さない範囲はどこまでなのか。それを問うものです。
その象徴が、ジャガイモであり、シャワーです。

基本情報として、南米原産のジャガイモは中世欧州には存在しません。
にもかかわらず、中世欧州の世界観を現すために、風景や街並み、食事をする様子を描写、そこにジャガイモが登場したらどうでしょう。
「この作者、なんもわかってないな!」となるんじゃないでしょうか。

もちろん、ジャガイモひとつで作品の評価が上がったり下がったりはしません。こういう細かい指摘をしてマウントを捕った気になる読者も、ただ単にウザいだけです。
ですが、小さな瑕疵でも頻発すると、作者の作品に対する姿勢に疑問を抱かざるえません。
逆に、聞き馴染みのない料理名が登場して、調べてみると当時に流行った物だったりすると、「やるじゃん」と嬉しくなりますよね。

書き手として作品に深みを出すためにも「中世ジャガイモ問題」は意識すべきだと思います。

上記の回答(【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 確かに、アラビアンファンタジーでことわりなくアボカドが出てくれば(基本)面食らうでしょうね。やっぱりイチジク、ぶどう、ナツメヤシの実なんかが普通ですね。アラブ的環境のなかでも多分原産地としてアボカドが出てもいいはず(いや、生育条件上だめかもしれないけど)、けどなんとなく違和感がある。つまりは必然性以外の要素があるということでしょうね。「世界設定」には反しないで「世界観」というものに反する場合があると言えるかもしれません。
 世界観になじまるということであれば色々な要素が絡むでしょうけど、一つとしては「時代投影」とでも言うべきものがありそうです。異世界を理解させるために基本的な時代を指定するということで、それに反するときには描写的にことわりを入れるというルールはあるように思います。
 「中世ヨーロッパ風異世界」が「アラブ風異世界」「ラテンアメリカ風異世界」「南アジア風異世界」「中華風異世界」とは違って「RPG風ファンタジー」と看做される場合があるのがジャガイモ問題をややこしくしているかもしれません。私も基本念頭にあったのはこっちでした。こちら側にはかなり広い範囲のヨーロッパの時代の要素がはいりこんでいるようです。

カテゴリー : その他 スレッド: 【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈について

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元記事:【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈について

1.主人公の無双描写(能力・知識チート)の質について、その限度は?
 主人公を強く見せるために敵を弱くするというのは昔からあることですが、小学生レベルの掛け算で賢者認定、杜撰な知識で異世界改革など主人公が強い・すごいというより周りがひどいだけの設定や描写で主人公を賛美するのは無理がありませんか?

2.俗に「中世ジャガイモ問題(ジャガイモ警察)」と呼ばれる設定に対する解釈について
 いわゆる中世風異世界に「ジャガイモ」と呼ばれる農産物を登場させたときに「その時代にジャガイモがあるのはおかしい」という批判は、現実世界の歴史を基にした主張です。ジャガイモという名前に引っ張られる形でその歴史過程までも異世界に当てはめようとしてしまうことがおそらく原因でしょう。
反論としては、「異世界が舞台であり現実のそれとは違う」というものがありますが、この場合「ジャガイモ」という名称の由来が新たな争点となります。
異世界であるなら別に「ジャガイモ」である必要は無いのではないかというわけです。(無論すべての名詞を異世界風に改めるのは某FFのように読者の理解が追い付かなくなる危険がありますが)
 もう一つ話題になったものとして「異世界シャワー問題」があります。(僕はその作品を読んでいないので詳しいことはわかりませんが)異世界なのになぜシャワーがあるのか? という疑問だったと思います。ジャガイモやシャワーに限らず異世界に関する描写・設定について読者はどこまでを現実的に判断し、どこからをファンタジー的に判断するのでしょうか?(考えるだけ無駄という意見はこの際おいといて)

上記の回答(【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信)

投稿者 雨オカマ : 2 投稿日時:

1・掛け算賞賛ですが、結構整然とした街並みがあって、脳死で生きていけるほど魔法の力もなく、技術力も識字率も高そうな世界で掛け算が出来なければ違和感はありますが、教育が行き届いてないとか、逆にその世界の技術が便利すぎて退化してるとかであればそんなに違和感はありません。限度はほとんど定められず、設定や雰囲気によるのではないかと。

2・現実とおなじジャガイモを登場させたいならば、その世界の風土設定が現実のジャガイモの生育条件に適合すれば出していいでしょう。よく知りませんが、歴史的に偶然アメリカ大陸にあっただけで、自然法則的にアメリカ大陸にしか出現しない作物ではないはずです。
 生育できない場所で「ジャガイモ的なもの」を出すとき、あるいは、ジャガイモに限らず、生育条件へのツッコミ等を避けるため、味や見た目の基本性質は同じでも現実の品種との違いをだしたいとき、どういう名前にするかということでしょうかね。そしたらその地域の名前をつけて「(ラ研地方なら)ラ研ジャガイモ」でいいんじゃないでしょうか。これで「ジャガイモ」だけど「なんか違うらしい」ってことにできるはず。
 そもそもジャガイモという語がない世界でジャガイモという名詞を使っていいかという話ならば、「現実と同じ性質のものを指すなら問題ない」と思います。三人称の語り手なら、基本超越的なので、断りなく現実のジャガイモと全く同じ性質の物体を「ジャガイモ」と言っていいはずです。一人称、ないし回想形式であれば、主人公が翻訳しているのでしょう。あるいは異世界での呼び名を知るシーンがあってもいいですが、そのあとはジャガイモで通してもいいかと。ことわざとか物の名前の由来はめんどうですが、意味だけ抽出してるという態度でいいと思います。「左遷」が中国の制度に由来していたり、言語表現は歴史と一体なので下手に手はつけれられないと思います。

どこまで現実的に判断するかですが、物語一般において、リアリティは
1・ドキュメント的「現実と一致していなくてはならない」
2・リアリティ小説みたいな「登場人物、架空の都市など、現実と異なる部分もあるが、世界の大まかな歴史と物の一般性質は同じであり、かつ現実の町や人も登場する」
3・リアリティSFチック「物理法則は同じであり、”一つの嘘(IF)”があるが、その嘘によって引き起こされる結果の系列はすべて物理法則に適っている」

というようにジャンル的に要求されるリアリティをおおざっぱに区分が出来(るとしてもらい)ます。ファンタジーはおそらくリアリティの要求として「歴史が現実とつながりを持たず、物理学を共有しつつも、複数の嘘を用いることが出来る」だと思います、完全に私見ですが!
 自由度が高いジャンルですが、ややSFチックに考えるなら「新しい惑星に、IF(もしもあったら)的な物質(魔石的な)やエネルギー(魔法的な)を複数入れた世界を作る」となりそうです。このとき魔法等を最小限にすると、物理法則と技術の発展段階(あれを作るにはこれがないといけない、あれがあるならこれもある)などが科学法則的なものでなくてはならない、ないしそのように考えた後それと整合性が取れるIFを加える、となるでしょう。
 しかし、これはとても「原理的」「理想的」です。本当のところはもっとルーズであるように思えます。あるのは基本的な物理法則「らしきもの」です。しかも、厳密なものではないので、「重力」よりは実質「立つことへの経験則」「落下することへの経験則」程度の日常認識。しかもそこに「現実とは違う」魔法やなんやをぶちこで、リアリティをぼかすのです。そういう曖昧な世界の中ではジョジョみたいにナイフが回転せずにまっすぐ飛んでも「物理法則に適っている」(ように見える)のです。
 ファンタジーに対するリアリティの要求はゆるめのSFという感じだと思いますが、現実的には本筋や美点を破壊しない矛盾はほっといていいはずですし、ほっといてくれると思いますが、どんなファンタジー世界でも、物が落ちる描写があるなら、我々の世界の重力があり、この世界の物理学がその描写で含意されるという見方を持つ方もいるでしょう。そもそも読者の側のことなので、ジャガイモ問題のように歴史の連続性すら要求する方も少数存在するようです。読者の見方より自分のスタンスを持ったほうがいい気がします。完全に私見ですがっ!

カテゴリー : その他 スレッド: 【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈について

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元記事:キャラクターの能力について

私の小説には『無を操る能力』というキャラが出てくるんですが、
話しの流れで、そのキャラクターと、『美を操る能力』というキャラクターが戦うんですけど、力の強さが互角なんですよ。

でも、それじゃあ不自然じゃないですか。

作中の無を操るキャラは、最強キャラのなんですよね。
なんでも、無にできるんですよ。力の強ささえも無にできる。
だから、変な話、敗北という事実を無にしてしまえば、負けないわけなんですよ。

対して、美を操るキャラの方は、能力を応用することによって得た人を魅了させ、操ることができるという力をもっているんです。
因みにこっちが敵です。

この二人を互角に戦わせるにあたって、無を操る方に何かしらの弊害が必要なんですよ。もっと言ってしまうと、その無にするキャラが、その能力を手に入れたというのも、特殊なんですよね。
必要だけれども増やし過ぎたせいで、とうとう一人では収集できなくなってしまったので、皆さんの力を借りたいと思い、ここに書き込みました

上記の回答(キャラクターの能力についての返信)

投稿者 雨オカマ : 2 投稿日時:

 無(消し去る)に対する美は、言われてみるとかなりキラー属性だと思います。「美しいものは消したくない」という理由はとんちが効いてると思います、ツッコミどころはあるでしょうけど。
 この場合の「敗北を無にする」といのは「魅了を無にする」ということですから、「幸福を無にする」に等しいわけです。つまり美が発動した瞬間無は力を失うのです。「存在してほしいものの前には無は無力」、と。「無」は使用者にとっての「負」に働きかけたときのみ効果があるでしょから。
 なんならその人が「危害」や「不幸」を予め世界中から消し去っていても「美」「魅了」は「幸福」なので残りますね。殺せはしないけど、目的を美にくぎ付けにすることで無力化できる。無が概念的でチートであれば、このくらい美も概念的でチートにすればいいのではないでしょうかね。

 むしろ、「美による操作」こそ場合によっては強力ですね。見た目の美ならば、目視という条件で自動反応し、結果としては意識操作というところまでいけます。「メガネ好きにする能力」で「メガネが自分の命より大事になる」という展開をさせたマンガあったと思いますが、それなんかは発動条件を非常に厳しくしていた記憶があります。

 問題は無をどれだけの力にするかですが、穏当にいくなら「物質を凄まじく分解する」ぐらいがいいと思いますが、そうではないようですし、最悪「自分への効果を無にする」とかで予め敵の全能力を無効化できるとかだと厳しいかもしれない。
 それをさせないような状況を作らないといけませんね。能力者個人にとって価値あるものを巻き込んで消せない状況を作るとか、能力の限定、例えば「見えるモノしか」とか「全体と個物のどちらかのみ」とか「現にあるもの(魅了なら魅了が生じたとき、あらかじめは消せない)」にしか適用できないとか、そういうのが必要かと。

 美の能力も、強力かつ「他を美しくする」ことにして、弾丸や刃物や火を美しくすることで害悪だけど消せなくなる、効果を消すということもしたくなくなる、でも能力者自身に対してはそういった感情は抱かないとか(やや矛盾ですが)、あるいは「周りの美しくないもの物」を消し去ることで、意図しない事故を呼び込んで能力者を始末するとか(これも能力まで消したくないなら守ってしまうかな)。

 あと全体としてもうすこし能力の範囲を限定したほうがいいとは思いますが。ながなが失礼しました。僕はあんまり書けていないので、あてにせずにお願いします。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターの能力について

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元記事:設定の細部は決めてから? それとも書きながら追加?

いつもお世話になっております。
ヴィクトリアン風な架空国家を舞台とした、長編小説に挑戦中のやとうです。

夏の終わりからのバタバタが落ち着き、やっとゆっくりと小説に向き合える余裕ができたのですが、
過去に書いたものを読み返す中、「物語の設定」についての悩みや疑問で手が進まなくなっています。
皆様の創作活動のご経験などを伺えればと思い、お邪魔しました。

現在は、一章の改稿&その続きの段階です。
長編小説の結末やだいたいの大筋は決めたものの、
勢いで書いて文章まで進めてしまったため、色々とその後の設定などを曖昧にしたままで、とりあえず一章の起承転結まで書きました。

その中で「このシーンは、重要にしたいけれど後へどう繋げよう」という箇所や、
主人公たちを取り巻く社会背景や、サブ?な人間関係など詳しくはせず、
その後にどう関わるか、などなど大事なことを…
書いた時にはその場の勢いを優先していて、最低限の情報のみで固有名詞や用語も濁して進めていました。

今になってそれらを読み返すと色々な箇所が気になり、
次に進むためには何から手をつけるべきかで迷ってしまいました。

今後次の話を進めるにあたって、
①このまま当初の予定通り書いてから辻褄合わせをする
②一旦止まって必要な情報を追加しなおし、次に行く
③細部まで詰めてから再スタート(その場合はどこまで?)
などなど、
この先を書くためにはどう進めていくのがスムーズに続けられるのか、
手法や創作の経験などについて、皆様もご自身の創作などでお忙しい中、恐縮ですがご助言いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

上記の回答(設定の細部は決めてから? それとも書きながら追加?の返信)

投稿者 かにさん : 0

現在当サイトの長編に上げている拙作二品は両方とも「書きながら設定を考えて」作ったものです。読んでみてどう感じるかは、もしかしたら参考になるかもしれません。(同ペンネームです。おおむね悪い評価をいただいてます。なお、両作ともプロットは作成して執筆してます)

直感ですが、「物語全体に関わるルール」や「キャラクターの抱えている根深い問題」などの物語骨子となる部分は、後決めだと読者に見抜かれる気がします。おそらく、その設定を何度も使うからなんでしようね。。

現在資料を作って別作品を書いていますが、設定を先に作ると、以下の点でいいことがありました。
1. 途中で何をどれくらい説明すればいいのか迷いにくくなった。
2. 作品全体を貫く設定について、物語中で一貫性が取れるようになった。
3. 作品全体にまとまりが感じられるようになってきた。

現在の自分の課題は、最初に決めた設定がホントにそれでいいのか評価ができていないところ。ルールを決めても、それでいいのか不安になるのですよね。なんとか評価基準を作りたいのですが、もやもやですね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 設定の細部は決めてから? それとも書きながら追加?

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投稿日時:

元記事:描写の書き方

最近、二次創作を始めたものですが、作品の中にこれいいなって思いついた場面を落とし込もうとすると繋ぎの描写が薄くなってしまうのが悩みです。これに似た感じで、セリフとセリフの間に描写を挟もうとすると台本のように1行で終わってしまうことも多く、例えるなら弁当箱の中に好きなおかずしか入っておらず、カップやバランの仕切りが一切入ってないみたいな感じです(分かりにくくてごめんなさい)
なので、
・場面やセリフの繋ぎ方
・描写が上手くなる方法
などがあればご教授いただけますと幸いです。

上記の回答(描写の書き方の返信)

投稿者 サタン : 4 人気回答!

書き始めた頃によくある悩みの一つかなと思います。
結論から言ってしまうと、ツナギなんてものは必要ないです。文章を繋ぐためだけの文章を読者に読ませようとしてるんか、という話になってしまいます。

まず、スレ主さんが書かれている「描写」というのは、それは描写ではないと言えるでしょう。
ただ、書き始めたばかりということでまだ知識が追いついてないだけだと思いますが、おそらくスレ主さんが言っているのは「描写」ではなく「地の文」でしょう。

描写というのは表現のことで、例えば「主人公はカッコいい男だから、カッコよく描写したい」という場合、簡単に言えば主人公のカッコよさをアピールしていくことが「主人公の(カッコよさの)キャラ描写をした」と言えます。
街中は人混みで溢れてるって背景を描写したいのであれば、「人混みで溢れてる時に起こりそうなこと」を書いていくことが背景を描写したと言えます。
例えばヒロインとはぐれてしまったり、人に酔ってしまったり、ボサッとしてたら人とぶつかって睨まれたりとか。
よくある勘違いの一つとしては、例えば「街の大通りに出ると人でごった返していた。いろんな種族の人々が行き交って~」と状況を細かく書くのを描写だと思ってるパターンで、これは説明であって描写ではない。
細かいことを言えば、その説明も含めて一連のワンシーンが「人混みであふれた街中」の描写である、とも言えるので、描写じゃないと断言してしまうのも間違いなんですが、「説明」と「描写」は違うよと解説する際には別物だとしたほうがわかりやすいかなと思うので。
で。
そういう説明も描写も含めセリフ以外の文章すべてを「地の文」と言います。
セリフ以外の文章が描写というわけじゃないです。

>作品の中にこれいいなって思いついた場面を落とし込もうとすると繋ぎの描写が薄くなってしまうのが悩みです
書き慣れていない場合はかえって複数の要因が考えられると思うけど、どれが正解かはわからんかな。
まずは基本的なことから指摘すると、「対象を上手く観察できていない」ためかな。
例えば、アニメや漫画のワンシーンを小説に落とし込む場合、「主人公がグラスを持ってワインを飲む」というシーンを書くとして、これを見たまま上っ面だけそのまま書いてないかい?
そのとき主人公は何を考えてる? どういう思いでワインを飲んだ? 画面外の周囲の状況はどうなってる? ワインを飲んだことで主人公に何か変化はないのか? ワインを飲むときはどのように飲んだ? 一口ふくむだけか、一気に流し込んだのか。
「ちゃんと書く」ためには「ちゃんと観察する」=「対象を理解する」ことが大事です。
これが一次創作になった場合は対象をちゃんとイメージすることが大事で、イメージは出来てるけど書けないって人は単なる理解不足だと思う。

「小説に落とし込む」という場合、状況の説明だけでなく、その場の雰囲気や主人公の存在感や動作の意味なんかを考えて、状況だけで見えてこない部分をちゃんと「描写」してやることです。
アニメは映像でそれを描写してますし、漫画は絵で描写しています。だから言葉ではなく伝わってくるけど、それを小説に落とし込むとしたら、「言葉で表現されてないもの」をちゃんと読み解いて言葉に変換して落とし込んでいかないと、状況だけ書くのみでは、ワインのシーンは「主人公はワインを飲んだ」と台本のト書きみたいになっちゃうと思う。
ちなみに、これはセリフとセリフの間に地の文を挟むときも同じ。描写が出来てない。それは観察力不足・対象への理解不足のため。その状況下で何を描写すれば良いのかわからないから「つなぎ」としか考えられず、何か書かなきゃ収まりが悪いと感じてるにすぎない。
一方で、「描写」はそのシーンその場面で「表現したいこと」に関係してくるので、そもそも「描写したいことがわからない」という時点でちょっとおかしい。
描写したい事がない場合、それは単純に書かなくても良い場面。
何か書いたほうが収まりが良いと思うなら、キャラ描写を何か挟むのがベター。

とりあえず「対象をよく理解すること・観察すること」の一つしか指摘してないけど、書き始めたばかりであれば、たぶんこれ意識するだけでだいぶ違うと思う。
会話シーンでセリフばっかになるとかってのは、シーンの流れを意識できてないから、とか別の話になってくるけど、そういうのは一作書けてからでいいと思う。

>描写が上手くなる方法
個人的に思ってるだけだけど、「例え(連想)」をしまくること。
上で書いたけど、結局描写って「それっぽい事」つまり「街中の人混みっぽい事(人混みで起こりそうなこと)」とか「主人公のカッコよさそうなところ」とか、「それっぽいこと」を書いていくことだから、「対象」に対していろんな角度からそれを表現できると引き出しが広がりやすい。
例えば「街中の人混み」で連想出来ることは普通に考えると「人が多いことで起こる何か」だけど、逆にそんな場所で起こったら困ること、「王族が大名行列みたいにやってきて人の波が割れる」という場面を書くと、それはそれで人の多さや世界観の描写になりそうじゃん?
とある文豪の娘さんが何かの対談で言ってた事なんだけど、「夏休みの日記を父に読んでもらったら怒られた。夏の日の暑さを描写するのに「暑い」と書いてどうするんだ、木陰の「涼しさ」を書け」とまあ、それは笑い話として対談に書かれてた事なんだけど、「暑い」を例えるのに「涼しい」を選択できる引き出しを作ることが描写が上手くなるコツじゃないかな。
描写ってのは表現だから。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 描写の書き方

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元記事:念話で括弧を使うべきかの可否について

現在、主人公1人称視点の小説を書いていてその中で人外のヒロインと至近距離でテレパシーを使って声を発さずに会話するシーンがあります。
この場合は双方とも普通の鉤括弧()でいいのでしょうか。

上記の回答(念話で括弧を使うべきかの可否についての返信)

投稿者 ごたんだ : 0

強硬や、トリックが無い場合は…天才的発想だと思う。

心の声が、ツンテレと=「イゴール」でなく、それがエンジンや手間の中新でないなら、〈〈後で、いくらでも修正出来るし〉〉気にしなくて良いじゃないか…??

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 念話で括弧を使うべきかの可否について

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