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元記事:サタンさん、ふじたにかなめさんへの返信

>もしかして私への怒りも含まれているでしょうか……
いえいえ、違います。言葉が足らず申し訳ない。
槍を使えば剣で一流の人と対等にやりあえる可能性を秘めているのに、剣に固執して己の個性を殺しているのは馬鹿のすることだなあ、という意味です。
槍で剣と同じ場所に立てばいいのに、まあこれは邪推だけど、こうやって嘆く人に限って、弓で剣に追いついた人にまた嫉妬したりするんじゃないですかね?
彼は弓が得意だから……って。いやいやおめーも槍得意だろ!って話をしています。
これを言語学者だとかって言葉に置き換えれば最初の話に戻ります。
前々回の返信を繰り返すけど、トールキンは作家ではないからね。言語学者だから。その特技を活かして作品を書いた人。
トールキンだってドイルみたいな推理小説に憧れたのかもしれないよ? 自分はドイルみたいに生粋の作家ではないからって劣等感があったのかもしれないよ。
でも、自分が持ってる武器でファンタジーを書いて大成功したんでしょ。
そんなトールキンの名を挙げて嫉妬するような人が、どうして自分の個性を殺して持ってない武器に憧れてんの? そこがわからない。
トールキンの名を出して嫉妬するなら、あなたもあなたの個性を磨きなさいよって事で、「剣」に嫉妬するのは間違いじゃないですか、って事です。

それでも剣に憧れてしまうって話なんだろうけど、そんな自分の個性を捨ててしまう人の作品なんて上手く出来て誰かのコピーが関の山なんで、面白いものが書けるとは思えないし、決して「剣」の人と対等にはなれない。
どうしようもないしどうにもならないから、ずっと他人を嫉妬しればいいと思う。

それと。
悩んでる人に正論でキツく当たるのは最低で嫌われる行為だと自覚してるけど、人の才能に嫉妬する初心者や中級者は多いので、傷のなめあいをしてたら他人に「それ」が伝染してしまいやすい。
このトピックに参加せず読んでるだけの人が、ああわかるわーなんて思ってしまったら、その人まで「上手く出来て他人のコピーが関の山」な作品しか書けなくなってしまうかもしれない。同じ悩みを抱えてる人は多いんだって、そこで停滞して数年を無駄にしてしまうこともある。
だから、繰り返し同じ主張をしてすまないけど、「気持ちはわかるが、おまえは間違っている」とハッキリ言わなきゃいけないスレだな、と思っています。

上記の回答(サタンさんへ)

投稿者 しか : 0 投稿日時:

>>もしかして私への怒りも~
>いえいえ、違います。言葉が足らず申し訳ない。

安心しました。もう内心99%そうだと思ってびびっていたので(笑)

>こうやって嘆く人に限って、弓で剣に追いついた人にまた嫉妬したりするんじゃないですかね?

邪推と書かれているので全くよけいな一言なんですが、「それはそうなってから指摘すればいい」と思います。
(というか邪推ってそういう意味ですかね)

>トールキンだってドイルみたいな推理小説に憧れたのかもしれないよ? 自分はドイルみたいに生粋の作家ではないからって劣等感があったのかもしれないよ。
>でも、自分が持ってる武器でファンタジーを書いて大成功したんでしょ。(以下略)

↑ここを読んで、

>トールキンの名を出して嫉妬するなら、あなたもあなたの個性を磨きなさいよって事で、「剣」に嫉妬するのは間違いじゃないですか、って事です。

(サタンさんの最初の回答も含めて)この↑あたりの主張がやっと理解できました。下に引用したサタンさんの考え含め、スレ主さんにも伝わっていればいいなと素直に思います。
しかしもしかしたらスレ主さんは理解されていたかもしれないと思うと、私のサタンさんへの反論は全くよけいなお世話ってことになりますね……。スレ主さん関係なしに私自身の意見だとしても、理解してなかっただけですし。

>悩んでる人に正論でキツく当たるのは最低で嫌われる行為だと自覚してるけど、人の才能に嫉妬する初心者や中級者は多いので、傷のなめあいをしてたら他人に「それ」が伝染してしまいやすい。

ここだけだと私としては「なんで伝染したらいけないの」という感じなのですが、

>その人まで「上手く出来て他人のコピーが関の山」な作品しか書けなくなってしまうかもしれない。

ここまで読むと、「北風と太陽なら常に太陽派」である私も、ちょっと意見が揺らぎました。正直いま、答えを出すとしてもかなり時間がかかるだろうなと思っています。それを判断するだけの経験値がないので。
サタンさんは私よりはるかに小説の経験値が高いので、そんな方が思うということはきっとそれが正しい(私が時間かけて考えても結局同じ結論に達する)のだとは思いますが……そんな従順な人間でもないので、自分で考えたいと思います。
やっぱりスレ主さんは理解されてるのかもということに関しては上に同じです。

>同じ悩みを抱えてる人は多いんだって、そこで停滞して数年を無駄にしてしまうこともある。
>だから、繰り返し同じ主張をしてすまないけど、「気持ちはわかるが、おまえは間違っている」とハッキリ言わなきゃいけないスレだな、と思っています。

ここを読んで、サタンさんがスレ主さんの考えを否定(と言い切っていいか分かりませんが)された理由が理解できました。
しかし共感したわけでもなくて、上に書いたように判断がついていません。

私の場合はいままで停滞するのはなにかしら否定されたときで、前進するのは甘やかされたとき(言い方悪いですがあえて)でした。なので肯定こそ正義と信じています。
スレ主さんがどうかは分かりませんが、私は自分を基準に判断するしかないので、私と同じ(かもしれない)前提で反論しました。

これで合ってる、道を間違えてなんかいない、と言ってもらえることで安心して自分の思う方向に進もうとできる。逆に進むための現状認識を違うと言われたらどこへ舵をきっていいか分からなくなる。絶望であれなんであれ、いまの足下が確固たるものだと思えてこそ先に進める。だからスレ主さんの認識が正しいと思ったので伝えるべきで、いま違う視点からあれこれ言ってもスレ主さんの立場からしたら高みからの攻撃にしかならないだろうと。

しかしサタンさんは豊富な経験値(謙遜なさるでしょうが)から、私のように共感することの効果も理解した上で「いまのこの人には間違っていると指摘すべき」と判断した、ということですね。

サタンさんの見解が正しかったら、私のせいでスレ主さんに要らぬ負担をかけたことになりますよね……。
しかし、もしまた同じことが起きたらどうするべきかすごく迷っています……が、信念が変えられない以上、私はまた同じことをすると思います。

ふわふわした返信で、すみません。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)

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元記事:サタンさん、ふじたにかなめさんへの返信

>しかし私は槍の得意な少年が憧れで剣を手にすることはバカにすることではないと思います。
バカではありますよ。それは確実です。
単に「信念のあるバカ」「根性があるバカ」「考えのないバカ」の三種類があるだけです。
…というのは、バカという言葉が強すぎますね。ごめんなさい。あまりに言葉の選択がよくない。
「目標・目的があって、自分の専門外だけどあえてその道を選んだ」
「とにかく手当たり次第に死に物狂いで試していくド根性野郎」
「無思考、雰囲気、状況に流されている」
この三択です。

しか様はスレ主ではありませんよね。でしたら、ここまでです。他人の怒りに共感するのは、誰にでも手軽に味わえる娯楽です。代弁者になってはいけません。ここはよりよい創作のための質問の場なのですから、そこに感情を持ち込んではいけないのです。気分転換の方法を聞くのはよくても、ここを気分転換の場にしてはまずい。
>真剣に創作している人でなければ、今回のスレ主さんの主張に共感するのは難しいのではないでしょうか。
残念ながら、ここはそういった傷の舐めあいをする場ではないんです。ネット上に、そういう悩みを聞いてもらえるサービスはたくさんあります。ここはそうではない、というだけです。
ここの人々はここのルール・基本方針に乗っ取って返事をした。それで終わりです。しか様の望んだ答え(スレ主さんの、ではない)が返ってこなかった場合、相談する場所が違うんですよ。

上記の回答(パクトボーさんへ)

投稿者 しか : 0 投稿日時:

>>しかし私は槍の得意な少年が憧れで剣を手にすることはバカにすることではないと思います。
>「目標・目的があって、自分の専門外だけどあえてその道を選んだ」

私は例の少年が↑これに当てはまると思うのでその前提で。少年はたしかに他人からみて成果を逃したけれど、少年自身の目的にはかなった行動だと思ったので、サタンさんへ「バカにすることではない」と書きました。
それに「かないそうもない夢に向かって努力すること」を否定されたように感じた個人的な感情もありました。
パクトボーさんが、「バカ」だと思う根拠を挙げられていないので、意見が分かれた理由はわかりませんが、私は上記のとおりです。

>他人の怒りに共感するのは、誰にでも手軽に味わえる娯楽です。

娯楽というのは悪意がありすぎると思いますが、共感が快楽を生むのは同意です。怒りなら相手をやっつけたかのような快感も得られるかもしれないですし(スレ主さんの書き込みが怒りだと言われると疑問なんですけど……)。
私はそのために返信したわけではありませんが、私にそのようなメリットがあったことは否定しません。しかしそれを言うならむしろ私からみると、(繰り返しになりますが)人のネガティブな態度を否定することで皆さんが優越感を感じていたように思います(もちろん無意識の優越感です)。まずそれもあったので最初の書き込みで「ひどい」と書きました。

>代弁者になってはいけません。

あまくささんへの返信にも書いたのですがそのようにならないように気をつけていたつもりです。
(パクトボーさんの方が先に書き込まれてますが、返信一覧に表示される順に返信を書いていったのであまくささんへの返信を先に書くことになりました。なのですみませんがそちらを見てもらえますか。No.37の「あなたはスレ主様のリアルでのお知合いですか?」への回答で、「そこまでの心のケアを」というところからです。)

私もこうしてでしゃばることは、スレ主さんにとって迷惑になるだろうと気がかりです。
上で言ったあまくささんへのレスの中で触れていますが、スレ主さんが私のレスに好意的に返してくださったことに対してもそこで述べたような気持ちがあります。ですのでもちろん好意的に受け取ってはいますが、それを盾に代弁者になろうという気持ちはなく、むしろ(また繰り返しになりますが)私に気を使ってくださったかもしれない可能性を考えて、代弁者のようにならないよう努めていたつもりです。

>ここはよりよい創作のための質問の場なのですから、そこに感情を持ち込んではいけないのです。気分転換の方法を聞くのはよくても、ここを気分転換の場にしてはまずい。
>残念ながら、ここはそういった傷の舐めあいをする場ではないんです。
>ネット上に、そういう悩みを聞いてもらえるサービスはたくさんあります。ここはそうではない、というだけです。
ここの人々はここのルール・基本方針に乗っ取って返事をした。それで終わりです。

(すみませんがこれもあまくささんへの返信に書いてるのですが……)カテゴリに「やる気・スランプ」があるので、創作の悩みに関係した気分転換を求めての相談は板違いじゃないと思ってました。

私はやっぱり、スレ主さんに共感した上でその先を考えてはいけなかったのかと思ってます。
精神的な悩みの相談で、感情とそれ以外を分けられるとも思えないです。そこにルールを適用して相談者を追い詰める(私にはそう見えたので)のでは本末転倒ではないかと。
(何度か書いてますが、スレ主さんの悩みは本気で頑張らないとぶつからないことだと思うので、傷の舐めあいが目的の場所ではなくここを選ばれたのは当然だと思います。)

ルールというのは荒れたとき(自虐になりますが私のようにスレを占拠するやつが出てきたり)に適用されるもので、相談者の悩みの解決が優先されるべきです。
もし何度かレスを重ねても傷の舐めあいのようなやり取りに留まろうとしたら注意する、違う流れに誘導する、でよかったと思うのです。

>しか様の望んだ答え(スレ主さんの、ではない)が返ってこなかった場合、相談する場所が違うんですよ。

私の望んだ答えと違ったら、スレ主さんが相談する場所を間違えているということですか……? すみません、たぶん理解できてません。私が他の回答を非難したことをいさめておられると思うので、以下はそのざっくりした解釈での意見です。

他の方のスレ主さんへの返信が良い回答とは思えずむしろ追い詰めるように感じたので非難しました。
ここは相談掲示板ですが、議論の場でもあると思っています。他の方の回答が回答として不適切ではないかと思ったので率直に書いたんです。
「いや適切な回答だった。なぜなら~」ではなく「気に入らないなら黙って去る」というのは本当にここのルールなのでしょうか?

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元記事:その他もろもろの疑問

◎自由意志について。

>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。

ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

>私は「意志」も事象の一つだと思うので、

もちろん事象の一つです。意志や心も含めて、宇宙に存在するものはすべて事象でしょう。しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?
そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上の例で暴漢に襲われて逃げることが決定していたとしても、われわれにはその決定事項を知ることはできません。事象の連鎖の中にいるわれわれは、その連鎖の全貌を俯瞰することはできないからです。

暴漢に襲われたら、やはり逃げるでしょう? (または、戦うかもしれませんが)
その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

いわば四次元人の知覚と言えばイメージしやすいでしょうか?
本質的に三次元空間に生きるわれわれは四次元を知覚することはできないし、そもそも四次元なるものが実在するかどうかを立証することもできません。ただ、抽象的な思考実験として四次元というものをイメージしたり説明したりすることはできるんですね。

決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

それよりも何よりも。

暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。だとしたら、暴漢に襲われた時、根性がなければ死ぬことになるだろうというだけの話です。なので、死んでもかまわないなら、根性なんてなくてもいいということになります。

私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。
そして、努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。
しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。
どんなに努力しても挫折する時は挫折しますよ。しかし努力によって解決する可能性がどれほど少なくても、諦められないなら努力するしかないじゃないですか?

>「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」ですか。
可能性であれば、必ずあると言えてしまいますが?w

いえ、すみません。これは揚げ足取りですね。

いずれにしても、私の現実認識はいたってシンプルですよ。どんなに努力しても成果が得られない場合はあると考えています。
しかし、しかさんのご意見を拝見した限りではそこを誤解されているとしか思えないので、「必ずと言った覚えはない」と繰り返し強調しました。

>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。

論点がずれています。

「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

繰り返しますが、私は本人がどうしたいかを基準にして意見を述べているのです。

「俺はこうしたい」
「じゃ、そうすればいいじゃん」
「でも、こういう理由でできないんだ」
「できないなら諦めるしかないだろ?」
「だけど諦めきれないんだ」

結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?
できないけどやりたいなら、努力するなり工夫するなりして、有るか無いか分からない選択肢でも探すしかないじゃないですか。

   *   *   *

>>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

>私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
>まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。

「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。
私の先の書き込みで述べたスレ主様の相談が小説の相談になっているという見解への疑問に近いですが、私にはこれが建設的だとは到底思えません。
しかさんが建設的だと考える理由を説明してください。

   *   *   *

>あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
>しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

   *   *   *

この際だから、しかさんの最初からの書き込みで少し不満に思ったけれどハッキリは言わなかったことを二つほど書いておきます。

>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。

これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

>私は最初の書き込みにあるようにほとんどの返信をひどいと感じたので、「悪意ではなくこのような感情から(私の思う)ひどい返信が寄せられたのではないか」という趣旨でした。

ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。
そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

と言うと、私の曲解ということになるのでしょうか?
まあ、曲解と言われたら仕方がないですが、少なくとも私はそう感じてちょっと不愉快だったのは事実です。しかし、あの時はここまでは書かずに、

(再掲)
ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
(再掲、ここまで)

と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

それから、繰り返し使われている、

>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。

別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

上記の回答(その他もろもろの疑問の返信3)

投稿者 しか : 0 投稿日時:

>>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。
>これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

きつい言い方だとは思いますが、事実を言っただけのつもりです。詳しくは下に回答しました。

>ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。

ひどいと思っての返信だったので、その前提は当たり前だと思うのですが……

>そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

現実を直視するのを避けて甘い希望を見たいのは、私を含めてどんな人でも自然な感情の流れだと思うので、そういう傾向があらわれるのはいいことでも悪いことでもない当たり前のことだと思って書きました。
「夢を見ている」とまでは言ったつもりはなく、現実をみたくないという心理が意見を一方に傾かせているという見解を書いたものです。それと認定ではなく「かもしれない」です。

もちろん何度か書いたように、作家なら現実を受け入れるべきと思っていますが、だからと言ってそれは難しいことで、できないのはごく普通だと思ってます。

「私は現実を受け入れていておまえらより上だ!」との意図もありませんが、しかしそういう風にも受けとれますね……そこは言葉足らずでした。馬鹿にしているというのは誤解です。

これに限らず理想と現実(的確な表現ではないけど他の言い方が浮かばない)はトレードオフに捉えられがちですが、「現実を直視するのは作家として良いこと」というのも「現実を直視できなくても仕方ない」というのも、どちらも同時にあると考えています。

スレ主さんは現実の一つを直視することになったけれど、他の人にとってそれは、いま自分でたどり着いた現実ではなく突然他人にもたらされたものなので「いまそれは見たくない」という心理が働くのは当然ではないかと思い、それをあのように書きました。書いたときは、不愉快に感じる方もいるかもしれないとは思いましたが、他のマシな書き方も浮かびませんでした。

>ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
>と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

空気を読んで、ということでしょうか。
私は察しのよくない人間ですけど、ここは議論の場だと思うので、見解を正直に述べてそれに対して「なんでそんなこと言うんだ?」と思ったらまた正直に突っ込む……そうやって互いに理解し合う流れを想定していました。

>>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。
>別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

レッテルというか自分の感じたことを分かりやすい言葉にしただけです。新たな定義を与えて貶めようという意図はありません。
すでに何度か書いていますが、どうしようもない現実にぶつかった人に対して前向きなことを言っているのが、感情を無視した回答だと思い、行動至上主義のようなものに通ずると感じて「根性論」と書きました。
「どうやっても壁がある」と主張しているのに対し「こうすればいい」というのは主張を否定している。それが「落ちこんでいて書けない(おそらく)」という感情の作用を無視した(あるいは逆効果の)解決方法の提示になってしまっている。私はそう感じました。

しかし最初のレスでは書いていませんでしたので、たしかに根拠を書くべきだったのにそこが欠けていたのは、誰かを非難する上で良くなかったと思います。すみませんでした。(あまくささんだけではなく他の方も)
私にはレッテルの意図はありませんでしたが、「根拠」がないことによりそうなっていたことは、あまくささんの言うとおりだと思います。言われるまで自分では気がついてませんでした。

***

あまくささんも思っておられると思うので、私から言うのはズルいのですが……「自由意志」の話など、(無関係ではないものの)スレの内容からずれてきていると思います。

(※以下あまくささん以外の方へのレスでもあります)

それから、私は記憶力が弱いこともあって読んだり書いたりするのがとても遅いために、現在創作の時間をすべてレスのために当てていて、寝不足でもあります。もちろんレスは私の自由ですので私に返信くださった方を非難するつもりは全くありません。
ただそういう状況ですので、以降はレスをやめるか遅くなると思います。スレ主さんに迷惑をかけているだろうことも気にかかっていますし。もちろん言い逃げになってしまうのは私も嫌なので、以降も私へのレスは読ませていただきます(常にここに通っているわけではないですが、しばらくはチェックします)。そのときに返信を求められれば、遅くなりますが返信いたします。

私の意見は簡単には変わらないと思いますし、いまでも「ひどい」という思いを撤回するつもりはありません。しかし言い方が良くなかったことや、あまくささんや他の方にも指摘された私の間違ったところによってレスが長引いてしまったと思うと、たいへん申し訳なかったと思います。
意見そのものは変わりませんが今回の私の行動に関しては、スレ主さんに結果的に迷惑をかけているのであれば私も間違っていたことになる。そうも思っています。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)

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元記事:その他もろもろの疑問

◎自由意志について。

>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。

ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

>私は「意志」も事象の一つだと思うので、

もちろん事象の一つです。意志や心も含めて、宇宙に存在するものはすべて事象でしょう。しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?
そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上の例で暴漢に襲われて逃げることが決定していたとしても、われわれにはその決定事項を知ることはできません。事象の連鎖の中にいるわれわれは、その連鎖の全貌を俯瞰することはできないからです。

暴漢に襲われたら、やはり逃げるでしょう? (または、戦うかもしれませんが)
その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

いわば四次元人の知覚と言えばイメージしやすいでしょうか?
本質的に三次元空間に生きるわれわれは四次元を知覚することはできないし、そもそも四次元なるものが実在するかどうかを立証することもできません。ただ、抽象的な思考実験として四次元というものをイメージしたり説明したりすることはできるんですね。

決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

それよりも何よりも。

暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。だとしたら、暴漢に襲われた時、根性がなければ死ぬことになるだろうというだけの話です。なので、死んでもかまわないなら、根性なんてなくてもいいということになります。

私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。
そして、努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。
しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。
どんなに努力しても挫折する時は挫折しますよ。しかし努力によって解決する可能性がどれほど少なくても、諦められないなら努力するしかないじゃないですか?

>「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」ですか。
可能性であれば、必ずあると言えてしまいますが?w

いえ、すみません。これは揚げ足取りですね。

いずれにしても、私の現実認識はいたってシンプルですよ。どんなに努力しても成果が得られない場合はあると考えています。
しかし、しかさんのご意見を拝見した限りではそこを誤解されているとしか思えないので、「必ずと言った覚えはない」と繰り返し強調しました。

>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。

論点がずれています。

「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

繰り返しますが、私は本人がどうしたいかを基準にして意見を述べているのです。

「俺はこうしたい」
「じゃ、そうすればいいじゃん」
「でも、こういう理由でできないんだ」
「できないなら諦めるしかないだろ?」
「だけど諦めきれないんだ」

結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?
できないけどやりたいなら、努力するなり工夫するなりして、有るか無いか分からない選択肢でも探すしかないじゃないですか。

   *   *   *

>>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

>私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
>まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。

「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。
私の先の書き込みで述べたスレ主様の相談が小説の相談になっているという見解への疑問に近いですが、私にはこれが建設的だとは到底思えません。
しかさんが建設的だと考える理由を説明してください。

   *   *   *

>あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
>しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

   *   *   *

この際だから、しかさんの最初からの書き込みで少し不満に思ったけれどハッキリは言わなかったことを二つほど書いておきます。

>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。

これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

>私は最初の書き込みにあるようにほとんどの返信をひどいと感じたので、「悪意ではなくこのような感情から(私の思う)ひどい返信が寄せられたのではないか」という趣旨でした。

ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。
そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

と言うと、私の曲解ということになるのでしょうか?
まあ、曲解と言われたら仕方がないですが、少なくとも私はそう感じてちょっと不愉快だったのは事実です。しかし、あの時はここまでは書かずに、

(再掲)
ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
(再掲、ここまで)

と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

それから、繰り返し使われている、

>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。

別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

上記の回答(その他もろもろの疑問の返信2)

投稿者 しか : 0 投稿日時:

>私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

すみません。これは悩んだんですけど、レスがかなり長くなった上にスレを占拠してることも気がかりだったので、できるだけ無駄な文は省こうと思っていて。
それでもいったんは書こうとしたんですが、書いてみると(前回の)自由意志のくだりに書いたこととほぼ同じような主張のレスになってしまったので、省略させていただきました。
そのときの下書きは消してしまったので、いま書くと時間が経っていたり新しいレスを読んだこともあって最初に書いたのとは違ってしまいますが、改めていまの見解をお答えします。(最初のはもっと簡素だったはずですが、ちゃんと書こうとしたら1がだいぶ長くなってしまいました……)

>一旦、私の考えをまとめておきます。

>1)学者としての見識や教養があることが、小説を書く上でさほど重要な要素だとは思えない。

学者として、という箇所を除いても成立するという前提でお答えします。(スレ主さんは、ネタになるほどのどん底も嫌だと書かれていたので、そういったものも知識として考えて)

私は見識や教養は面白い小説を書けるか書けないかを大きく左右すると考えてます。(スレ主さんは名作を基準にされてたのでここでは「面白い」は外せないだろう前提で)
具体的な理由は以下です。

専門的な知識で具体的な描写を掘り下げた小説がそれだけで面白いのは言うまでもないですよね。

しかしなにより知識があれば書くことがあるので筆が走ります。筆が走るときって、私見なんですが、実はむしろ無駄な文を頭で消してどんどん話を展開させているように思います。逆に無駄な文しか浮かばないときは筆が進みません。推敲して生き残った文だからこそ書く気が起こり、「こんなのしか浮かばない」文なら筆が進まないのは当然です。
面白さに対しても、筆が進んで書きまくってそこから削りに削った文章の方が、書くことが少ないときよりずっと面白い小説になるはず。

頼りない根拠ですが、自分の体験からもそう思います。
私は記憶力が弱くて、それもあって知識不足なんですが、その記憶力低下の原因が、最初のレスで触れた私の抱える「分かりやすい不幸」なんです。スレ主さんもおっしゃってたとおり、それってものすごくネタになりますよね。ある意味「専門知識」に相当すると思います。
以前、登場人物に自分のハンデの一つを持たせてそれを軸に話を展開させたのですが(ちなみに物語のテーマとはなにも関係なく、思いつきでハンデを軸にしたんです)、知識不足でたいてい筆が走らない私が、書くことがどんどんわいてきました。次になにが起こるかが分かるからだと思います。登場人物の感情、セリフ、まわりの反応、登場人物の生活周辺になにがあるのか、考えなくても知っている、というより見えている。もし自分にそのハンデの知識がなかったら、登場人物が次にどうするか何を思うかそれによってなにがもたらされるか見当もつかず、私なら当たり障りのない展開にしてしまうはずです。それは読む人にも簡単に予想がつくつまらない展開だと思います。
いつもは話一つに対して本を1~数冊読んで付け焼き刃の知識で書こうとするのですが、知っているかいないかがどれだけ差になるかをそのとき実感しました。

書きたい主張なんかなくても書くことがある。その書くことがたくさんの展開を生んで、そのどれかを推敲することになる。だからたくさんの中から厳選された面白い文が書ける。
そして母数(知識)が多いほどより厳選される。さらに書くことが多いということは何冊も書けることに繋がりやすいはず。
だから小説を書くうえで知識やそれを得る手段の有無は面白い小説になるかどうかを大きく左右すると思います。

書こうと思うかどうかではなくて、書こうと思ったときに書くことがあるかどうかが面白い小説を書けるかを決定づけると。

あまくささんの最初のレスで言うと、ストーリーのカラクリもけっきょくは具体描写にかえなければならないので、そこで知識がものを言うと思います。

それからスレ主さんの書き込みからはおそらく背景描写や細部の具体的な表現によって世界観に入り込める、あるいは本当にその世界が実在しそうな、そういった面白みについて「自分には書けない」とおっしゃっていたと思うので、それなら知識が必要であり、知識がなければ思うものが書けないのは当然の主張だと思います。

本人になくても周囲の協力者や環境によって必要な知識が得られるなら同じことです。
さらに言うと頭の良い人やお金持ちや協力的な人に恵まれた人はそれらを得るのがより簡単で、知識が次の知識に繋がることを考えれば、なんなら指数関数的に差は開くと思ってます。知識を得やすいことがそれ以上の差を生むと考えてます。

>2)小説に限らず望みの達成は、才能と努力と運の3つがかみあった時に得られる。
> 2-a、環境が有利に働くのは運の一部。

環境が「周囲の環境」という狭義を指すとしても、才能と努力にも強く影響すると思います。

しかしいま読むと「3つがかみあった~」は「運の一部である環境がほかの2つに影響する」という意味に取れますね。
それならおおむね同意できるのですが、それでもたぶん、あまくささんと私の考える「影響の度合い」は大きく違うように思います。
それから細かいことを言うと、仮に自由意志を認めたとして、「3つが並んでいるというよりも、あらゆる要素を運が大きく左右する形」だと考えています。

さらに私は自由意志否定派なので、私の考えは最終的にはすべてが「運」によって決められる、となります。
……逆に私の考え方だと「運が入り込む余地もない」ともいえますが、これは定義によります。

まず、運の影響度合いの見解がおそらく違う。
それと、才能や努力を、能動的かどうかに関わらず単なる状況や持ち駒のように考えるなら私も同じだけれど、それを突き詰めて「じゃあその持ち駒は誰が決めるんだ?」となると意見が分かれる、という感じです。

根拠に関しては……けっきょくは自由意志や決定論で述べた私の世界観になるでしょうか。

> 2-b、運は当事者の意志でコントロールできない要素なので、これが介在するということは「必ず得られる」は有り得ないことを意味する。

本人の主観を軸にすれば私もおおむねそう思います。私の考える決定論がもし正しかったとしても決定を知ることはできないので、この考え方しかできない。

解釈は違うけれど見解は同じ、といえばいいでしょうか。

>3)努力すれば何かが「必ず」達成できるとはかぎらない。しかし努力は唯一当事者の意志でコントロールできる要素。そして努力の方向や量によって目的への距離を縮めることはできると思うので、諦めきれないのであれば努力してみる価値はある。
>*3の「努力は唯一コントロールできる」ということについては、最初に触れた「自由意志」の問題に関わりますね。

そうですね。私も「自由意志」について見解が一致しない限り、最終的には平行線になってしまうと思います。

「自由意志は感覚はあるがは存在しない」「行動あるいは変化は、周囲や状況に押し出されるようにして連鎖していく」
この考え方を前提に言うと、“努力の方向や量によって目的への距離を縮めることはできる”というのは同意します。

違うところは、私は「よし努力しよう」という意志そのものが周囲からの影響で決まると思っているところです。
ですので、コントロールできないということになり、異議ありってことになります。

>ちなみに私見では自由意志そのものは存在します。自由意志によって現状や将来を変えられるのか変えられないのかが、議論の分かれるところなんじゃないかと。

これは「最終的には決定論の議論になる」ということでしょうか。
後半に関しては、自由意志が存在するなら必ず将来はその自由意志を持つものによって変えられるんじゃないかと思います。もちろんうまくいくかは別として、能動的に変化をもたらすことができるという意味で。「うまくいくか」に関しても、試行が無限ならもちろんどこかではうまくいくと思いますし。

>究極的なことを言うと、自由意志否定派の最も極端な考えは、過去も現在も未来もすべて決定していて人間は何をやっても無駄だという見解に行き着くんじゃないでしょうか?

なにをやっても無駄ではなく、なにをやるかという選択権がそもそもないと思っています。私たちは「自分というものがあり、能動的な意志で決定した」と錯覚していると。その錯覚が作用として行動に連鎖している。私はそう考えます。

これを言うと、「責任」も存在しなくなりますが、私は究極的には責任は追及(この場合追求?追究?)できないものだと思っています。
しかし責任をとらせたい、責任を負っているという感情は生じるので、それに基づいて「責任」の存在を仮定して法律などをつくることは必要、という考え方です。

いまさらですが……量子論とかはまったくわからないので、私の考え方はそれを無視したものになってるはずです。

齟齬があるのはそのせいなのかもしれないとも思ってます。

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元記事:その他もろもろの疑問

◎自由意志について。

>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。

ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

>私は「意志」も事象の一つだと思うので、

もちろん事象の一つです。意志や心も含めて、宇宙に存在するものはすべて事象でしょう。しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?
そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上の例で暴漢に襲われて逃げることが決定していたとしても、われわれにはその決定事項を知ることはできません。事象の連鎖の中にいるわれわれは、その連鎖の全貌を俯瞰することはできないからです。

暴漢に襲われたら、やはり逃げるでしょう? (または、戦うかもしれませんが)
その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

いわば四次元人の知覚と言えばイメージしやすいでしょうか?
本質的に三次元空間に生きるわれわれは四次元を知覚することはできないし、そもそも四次元なるものが実在するかどうかを立証することもできません。ただ、抽象的な思考実験として四次元というものをイメージしたり説明したりすることはできるんですね。

決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

それよりも何よりも。

暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。だとしたら、暴漢に襲われた時、根性がなければ死ぬことになるだろうというだけの話です。なので、死んでもかまわないなら、根性なんてなくてもいいということになります。

私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。
そして、努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。
しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。
どんなに努力しても挫折する時は挫折しますよ。しかし努力によって解決する可能性がどれほど少なくても、諦められないなら努力するしかないじゃないですか?

>「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」ですか。
可能性であれば、必ずあると言えてしまいますが?w

いえ、すみません。これは揚げ足取りですね。

いずれにしても、私の現実認識はいたってシンプルですよ。どんなに努力しても成果が得られない場合はあると考えています。
しかし、しかさんのご意見を拝見した限りではそこを誤解されているとしか思えないので、「必ずと言った覚えはない」と繰り返し強調しました。

>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。

論点がずれています。

「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

繰り返しますが、私は本人がどうしたいかを基準にして意見を述べているのです。

「俺はこうしたい」
「じゃ、そうすればいいじゃん」
「でも、こういう理由でできないんだ」
「できないなら諦めるしかないだろ?」
「だけど諦めきれないんだ」

結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?
できないけどやりたいなら、努力するなり工夫するなりして、有るか無いか分からない選択肢でも探すしかないじゃないですか。

   *   *   *

>>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

>私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
>まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。

「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。
私の先の書き込みで述べたスレ主様の相談が小説の相談になっているという見解への疑問に近いですが、私にはこれが建設的だとは到底思えません。
しかさんが建設的だと考える理由を説明してください。

   *   *   *

>あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
>しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

   *   *   *

この際だから、しかさんの最初からの書き込みで少し不満に思ったけれどハッキリは言わなかったことを二つほど書いておきます。

>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。

これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

>私は最初の書き込みにあるようにほとんどの返信をひどいと感じたので、「悪意ではなくこのような感情から(私の思う)ひどい返信が寄せられたのではないか」という趣旨でした。

ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。
そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

と言うと、私の曲解ということになるのでしょうか?
まあ、曲解と言われたら仕方がないですが、少なくとも私はそう感じてちょっと不愉快だったのは事実です。しかし、あの時はここまでは書かずに、

(再掲)
ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
(再掲、ここまで)

と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

それから、繰り返し使われている、

>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。

別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

上記の回答(その他もろもろの疑問の返信1)

投稿者 しか : 0 投稿日時:

(No.33への返信のタイトルの「1」はミスなので気にしないでください)

>>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。
>ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

たぶん自由意志の定義が食い違ってるのだと思います。あと私の勉強不足による齟齬もあるだろうと。以下その前提というあやふやなものですが一応、いまの私の考える自由意志の定義を書きます。

「自由に選択したと思う感覚」は存在するけれど、意志は虫の大群のようなもので、一匹一匹の行動が意志を形づくっているが、それを俯瞰するようなものはない。選んでいるつもりが虫たちに誘導されているだけで、その虫たちも誘導しようとは思っていないうえに彼らも環境に誘導されている、という解釈です。
それで私の指す自由意志はなんと言えばいいか……自発的なもので、もし「思考」のどこからどこまでというものをひとくくりにして「個」と考えるのならそれは自由意志と言えるかもしれないけれど、それを分解していけばどこにも自発的・能動的なものはない、という風に考えてます。
そして突き詰めればどこにも能動的なものがないものをひとくくりにして「自由意志」と言うなら、自由意志という言葉の定義をすり替えているように感じるので、「自由意志はない」という意見になっています。

>しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?

すみません、何度考えても分かりませんでした。上の私見がこれに対する私の考えの手がかりになると思いますが、質問の意図した“状況”のようなものが見えていません。「事象」「自由」などの(ここでの)定義を頭の中に構築できておらず、最初に言った「勉強不足なので返事に窮している」状態です……。

>そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上に書いた私の考えは、「すべてはまわりに影響されて押し出されるように変化する」というものですが、それだと束縛しか存在しないのでは……?
しかしそう言うととけっきょくは議論が決定論や自由意志の存在に戻ってしまいますが。

>その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
>それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

後半は同意です。しかし前半を読むとやっぱり上に書いたようにそもそも自由意志の定義が違ってるように思えます。議論するには定義から話すべきだと思います……が、私とあまくささんではかなり知識差があると思うので(卑下ではなく、根拠は以降のレスに書きました)、対等で実のある議論になるには時間がかかり、誤解や無知を正すだけの作業になる予感がしてます……(張り合いがなくてすみません)

>決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

私の考えは「自由意志はあるように感じるけれど実は能動的な事象はない」ということになるので(じゃあ宇宙はどう始まったんだ!という疑問が出てきますが)、自由意志もあるなしを証明するのは無理ということになりますよね。決定論についても同様に考えています。

>暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?

それなら毎日トイレに行くことも努力ってことになりませんか? 努力は成し遂げたい目的のための行動(たとえやり方が非効率だったり間違っていても)を指すのであり、生きるための行動ではなく幸福になるための行動と定義するべきだと思います。「継続」というのも入れるべきかもしれません。

しかしこれがあまくささんの考えを否定する根拠になり得ないことは分かっています。

>仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。(以下略)

これについては飛躍してるように思いました。よくわからないというのもあって、一方的にあまくささんが飛躍してる!とは言いきれないんですけど。

私は感情を雑念と一蹴したのを根性論じゃないかと言いました。なので「雑念と一蹴すること」と「暴漢から逃げようとすること」に共通点があるのだと思いますが、それがなんなのか分かりません。それか私の挙げたところが違ってますか?
もしくは上で書いた「努力」の定義の違いから行き違いになってるのでしょうか?

>私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。

私が根性論と言ったのは「諦められるなら努力しなくてもいい」「諦められないなら努力するしかない」と分かっている人に、あえてまた言うことを指してます。
(私はスレ主さんの最初の書き込みで「その現実は理解してるけど努力の先の希望が薄すぎてつらい」と解釈したので理解しておられる、むしろあまくささんともそこは同じ意見だろうと思いました)

>努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。

「スレ主さんの視野が狭くなっているから闇雲に追い付こうとするより柔軟に考えた方がいいよ」というアドバイスだったということですか? それなら少し分かります。
少しというのは、あまくささんの意図は(この解釈で合ってれば)理解したけれど、私はやっぱり同意できないので。

私としてはそれは共感のあとにするべきだと思います。先に言っても「分かってるけど……」という気持ちになるのではないかと。弱ってるときに前向きなことを言うのは逆効果だと。だからこそ回答が冷たいと感じてひどいと言ったので、理解はしてもそこは変わりませんでした。

>しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。

それについては私の斜め読みだったことを認めたつもりだったんですけど、分かりにくい書き方だったらすみません。

>>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。
>論点がずれています。
>>「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

上にも書きましたが、そうしたいんだけど希望が薄すぎてつらくてやる気が出ないという相談ではなかったですか?
私が言いたかったことは要は「分かっている人に言っても解決にはならない」ということです。

>「俺はこうしたい」
>「じゃ、そうすればいいじゃん」
>「でも、こういう理由でできないんだ」
>「できないなら諦めるしかないだろ?」
>「だけど諦めきれないんだ」
>結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?

スレ主さんは諦めきれないから行動するためにまずは心を落ち着けようとされたのだと思ってます。その感情の作用を無視して「やればいい」とおっしゃるのを前回、根性論と言いました。

>「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。

たしかにややこしい書き方してますね……。
(他にも「どん底」という言葉を違う場面で使ったりしてましたし、すみません)

要は愚痴を言うってネガティブな行為と一般的にはされてますよね。それで「一見建設的でない」と書きました。

でも建設的、というのは
「希望を見いだせないが諦められない」
「諦められないなら書かなくては」
「しかし落ち込みすぎてやる気が出ない」
「ならまずはやる気を出すために心を癒そう」
……こういう思考により投稿された相談だと思ったので(というか今回に限らずそういうプロセスから発せられるものだと思うので)、傷の舐めあいは「行動のために活力を得る、そのために心を癒す」という、最終的に行動に繋がる行為だと考えて「建設的」と書きました。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)

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元記事:何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

 
質問はタイトルの通りです。
キャラクターが例えば変な行動をしていたとします。客観的に見れば何故そんな行動をしているか分かりません。地の文に記載していないので。それはいけないでしょうか?
 
例えばAという主人公が変わった行動をしていたとします。それは恐らく読者視点では何故そうしているのか分からないことです。地の文に説明がないので。
しかしBというキャラがいたとして、彼はAが何をしようとしているか理解しているとします。ただ地の文が三人称一元視点で書いているのでBの心情描写は表情やセリフでしか表現できません。Bは表情でAの行う行動に対しての表現はしますがセリフでは思わせぶりなことを言うだけです。
結果として、
 「Aという主人公が何かしようとしている」
 「読者には何をしようとしているか分からない」
 「しかしBの表情の描写や思わせ振りなセリフから何かをしようとしていることが伺える(たとえばBの表情が喜びなら良いこと、悲しみなら悪いこと)というように」

そうしてAがしようとしていたことが後々に解決されるならばこの様に最初は行動原理が分からないように書くのはありでしょうか? そんな感じで書いてみたのですが、何か読む方の視線を置いてきぼりにしているような気がして。
どうかご意見宜しくお願いいたします。

上記の回答(何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0

お悩みの内容は、読者の目をどう引くかという狙い次第と思われます。

読者から見て、主人公Aの一目では意図が理解できない行動・言動って、割と使われる手法じゃないかと思います。これは、読者に「これはどういうこと?」と思わせ、読み進めるモチベを与える効果があることが理由の1つでしょう。

ただ、あまりにも分からないと読む意欲を削ぎます。無意味な文章と感じてしまうからです。「分からない」と分かるためには、8割分かって2割不明くらいがいいでしょう。言い換えますと、「もうちょっとで分かりそう」と期待させて、読み進んでもらうわけです。
その前提で、主人公Aの行動に対する、ほのめかし、説明の程度のパターンについて考えてみます。以下の他にもありそうですが、ご質問に即して限定的、事例的にピックアップしたということでご了解をお願いします。

1.地の文(またはサブキャラBの台詞)でその場で明かす

2割不明どころか、9割がた分かるタイプですね。シーンの雰囲気づくりなどに即時に効果を持ち、その場で消費するネタ(コメディリリーフ等)にも向きます。最も多用されるパターンだと思います。

しかし伏線として後で用いることもあります。伏線を伏線と思わせずに読者に覚えてもらうコツの1つが「面白くする」だったりします。いったん「分かった」と思わせて、実は謎が仕込んである。後述の3よりは無難な伏線作りでしょう。

2.地の文で説明せず、サブキャラBの反応で読者が推測できる

これは読者の想像力を刺激して、読む満足感が生じる効果が期待できます。分からない2割にヒントがつくような感じです。

後のシーンでAの行動・言動の理由を明確化するとして、読者の期待通りの「ああ、やっぱり」と納得できるパターンが多いでしょう。読んだ甲斐を感じることができます。

読者の推測(であり作者の誘導)を外すことも行われます。読者が「そうだったのか」と驚けるものですね。目を引けますから、山場で使うと効果は大きいでしょう。

ただ、どんでん返しの一種であり、多用は避けるべきです。二度、三度と用いてしまうと、次第にどんな描写にも信頼が置けない感じが出てしまい、読むモチベを低下させるリスク大です。

3.地の文で説明せず、サブキャラBも反応しない。

謎を謎として、当面残しておくタイプですね。作品のテーマなど、重要事項ならば1つだけ用いても大丈夫でしょう。

1つだけ、というのは「謎」の意味・内容(主人公の動機等)であって、謎の現れ方は多少揺らしても可でしょう。ただし読者が共通性に気付ける仕掛けはしておくべきかと思います。謎が明かされたとき、いくつもの謎の現れ方がパッと1つに感じられると、納得性が上がります。

これを極端なまでに用いる手法が叙述トリックであったりします。仕掛けはあるんですが、読者は謎とすら思わない。ごく普通の描写が続いて行くだけです(が、なにかしら歪みを感じるかもしれない)。

そうしておいて、謎が明かされると(例えば並行して進んでいたストーリーの各主人公が実は同一人物とか)、物語全体の見え方が一瞬で激変します。すると長々読んだ情報量が一気に意味を持って、爆発的な印象が生じます。

謎が謎のまま残っているだけでも、「溜め」は生じます。待たされたら期待する。単に待たされるとイライラするか忘れるかしますから、ときどき思い出せるシーンや刺激を入れたりします。

当然ですが、謎の内容は読者の期待に応えられるだけのものでなくてはいけません。「お預け」の間が長いほど、「ご褒美」も大でないと納得できず、逆に不満として爆発しかねません。ネタによほどに自信がある場合(作品テーマそのものとか)に限るべきでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

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投稿日時:

元記事:執筆中の小説について

皆様、はじめまして。

私は現在、現代日本を舞台にしたファンタジー小説を執筆中です。

しかしながら、事前に作成したプロットと本文との進行状況にズレが発生したり、文章表現の仕方に悩みが生じてしまい、筆が止まってしまう時が多々あります。

皆様はその様な状況に陥った際には、どの様な方法で切り抜けているのでしょうか?

ちなみに、執筆状況としては既にオチや各章ごとに書く事は決めており、プロット等の骨組みは完成しています。

今は完成した骨組みに肉付けをしている段階です。

何卒、ご助力のほど宜しくお願い致します。

上記の回答(執筆中の小説についての返信)

投稿者 大野知人 : 2

 俺がクソ体育会系なだけかもしれませんが……。
 プロットと違うものが出来た場合。

①一回最後まで書き上げる。
②書き上げた物を見て、それをプロットにしてみる。
③元プロットと違う箇所を見比べて、『どちらの方が面白いだろうか』考える。
④二つのプロットを比較したうえで、『二次制作版プロット』を作る。
⑤最初に書き上げた物をベースに、二回目の本文執筆を行う。
⑥二回目に書き上げた物を見て、それをプロットにしてみる。
⑦以下繰り返し

 これを納得がいくものが出来るまでやり続けます。
 『出来上がった刀を砂鉄になるまで叩いて、精錬からやり直せ』というのが俺のポリシーなんですが(他人に強制はしません)、そもそもからして『最初に作ったプロットが面白い』保証はどこにもありません。
 っていうか、大体の場合、一番最初に作ったプロットは一人よがりで読みにくいものになる事のが多い気もします。

 ですので、ひたすら推敲と書き直しをやり続けるしかないと思います。
 根拠のない自信を持つのも大事ですが、自分が作ったものを壊す勇気もまた必要なんじゃないでしょうか。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 執筆中の小説について

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投稿日時:

元記事:現実世界と異世界の両方を気にかけられる異世界ものの主人公

「現実世界と異世界の両方を気にかけられる異世界ものの主人公」を模索(転生じゃなくて転移という前提で。つまり現実世界で死んだ扱いにはなってない)してるんですが、それってどんな感じになると思いますか?
上手くやらずに異世界にとどまらせると「こいつは現実世界のことがどうでもいいのか」ってなりそうですし、現実世界に帰らせようとすると「こいつは異世界のことがどうでもいいのか」ってなりそうなんですが。
かと言って「石器時代に生きる主人公はある日突然、技術水準は高いが圧政が敷かれているディストピアじみた異世界に転移する。言語がわからず自分がどこにいるのかもわからない主人公だったが、なんやかんやで抑圧から抜け出したがっている現地の住民たちと共に現実世界への帰還を目指すことになる」って話にすれば、主人公が愛郷心もあるし異世界の人間をどうでもよく思ってることにはならないと思うんですが、「現実世界の方が未発達かつ自由な世界で、異世界の方が発達しているが不自由な世界」なんて設定は「現代人がナーロッパに行く」って設定の異世界ものばかりが流行ってるから流行らないと思いますし。

上記の回答(現実世界と異世界の両方を気にかけられる異世界ものの主人公の返信)

投稿者 サタン : 1

前提情報が不足してるような気が。
主人公は異世界に転移してる状態で、主人公は元の世界に戻りたいと思っていて、でもそうすると異世界に対して主人公は薄情なんじゃないのか、という疑問があり(その逆もまた然り)、主人公が異世界も現実世界も両方同じくらいに大事だと表現するにはどうしたら良いのか、ということかな?

20年以上前にも異世界転移モノは流行ったんですが、そのときの王道展開がそんな感じだったように思うよ。
つまり、
主人公は元の世界へ帰りたいし家族や友達に会いたいしやりたいこともいっぱいあるし日本の生活を夢にまで見る。元の世界へ帰るんだという強い思いがある。
元の世界へ帰るための方法を探して異世界を旅して、仲間と出会い危機を乗り越え苦難に立ち向かい、異世界の素晴らしいことも恐ろしいことも体験する。
日本へ帰るための手段をみつけたとき、振り返ると主人公にとって異世界で手に入れたものは何物にも代えがたい手放したくないものになっていた。日本へ帰るなら二度と彼らと会えなくなるが主人公は……。
という感じ。

スレ主さんが例に出した
>「石器時代に生きる主人公はある日突然、技術水準は高いが圧政が敷かれているディストピアじみた異世界に転移する。(略
は、ちょっと上から目線で偉そうに評価するなら「おしい」といったところで、なぜかって言うと、この例題だと主人公が気にしてるのは「現実世界」と「異世界の仲間」だけで、「異世界」自体は逃げ出す対象としてしか書かれないためですね。
別に作者だしそれでいいならいいんだけど、「両方の世界を気にする」って話のテーマからすると誤魔化しただけだよね、って思う。

では、どこが「おしい」のかというと、異世界の住人と一緒に主人公が現実世界へ帰ろうとしてるとこ。
現実世界に帰れるのは主人公だけで異世界の住人は連れていけない、とすれば、主人公は「現実世界へ帰るか」と「異世界に残るか」を天秤にかけることになるので、その葛藤がそのまま「両方気にしてる」という表現になる。
でも一緒にそのまま日本に異世界人を連れてきてハッピーエンドじゃ、「両方の世界を気にしてる」ってことを書けない。
そりゃ仲良くなったお友達と一緒に避難できればそれが一番いいけどさ、だからこそ「それは出来ない」って書かないと、想いの強さを書けないじゃん?

で。
これはあくまで演出や表現とそして展開の話で、「石器時代に~」とか「ディストピアの~」っていう設定はどうとでも代替可能で、
例えば「戦争や魔物被害ばかりの異世界」から「平和な日本へ移住」って設定に変えれば「現代人がナーロッパに行く」でも十分に通用する。
「高校生の主人公はある日突然、魔物の勢力が世界を飲み込む寸前の終わりかけた異世界へと転移する。言語がわからず自分がどこにいるかもわからない主人公だが、魔族に囚われた人族や抑圧されてる獣人や戦争孤児や魔物に制圧された村の生き残りたちは平和で安全な日本の話に惹かれて、共に日本を目指して帰還方法を模索することになる」
こうすりゃスレ主さんが考えられたストーリーラインそのままでしょ。
ここまでが前編で、後編は「帰れるのは主人公一人だけと判明し、葛藤の末に第三の選択肢を出して、主人公は もう帰っても安心だ という安堵感のなか仲間たちに見送られて現代に帰ってくる」って形になりそうだけど。
ここでスレ主さんの悩みに対するポイントは「主人公は安心して帰れる」ってとこで、そうなるまでに試練や苦難を乗り越えてきてるのだから、それで「帰るなら異世界はどうでもいいんだな」って感想はないでしょう。
つまり両方の世界を気にかけているけど、最後に主人公は帰ることを選択しました、という話になる感じ。
ちなみに最初のほうに書いたけど、これは別に私の案とかじゃなくて古い異世界転移モノの王道プロットを簡略化してスレ主さんの例題に合わせ、あとは割りとなんでも当てはまる感じにしただけです。

この手のお悩み、まあこれだけじゃなくて表現に関して割りと言えることだと思うのだけど、
そもそも「現実世界と異世界を両方常に気にかける主人公」を書く必要はないんですよ。
「現実世界に帰ることしか考えてないし異世界の人なんてどうでもいい主人公」と、
「仲間の危機に命がけで駆けつけて現実に帰れず死ぬかもしれないけど後悔なく行動する主人公」と、
「それらを天秤にかけて、悩み、答えを出す主人公」と、
そういう「いろんな主人公」を書くことで、最終的に「両方の世界を気にかけていた」という像が作れれば良い。
「こうすれば書ける!」という一つのアイディアを出す必要はなくて、書きたいものを分解して一個ずつ書いていけばいい。
今回の場合、「現実世界を気にしてる主人公」と「異世界を気にしてる主人公」が書けてりゃ「両方気にしてる」ことはわかるので、あとはそれを天秤にかけて強調し、答えを出させるのが一番だと思う。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 現実世界と異世界の両方を気にかけられる異世界ものの主人公

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