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しかさんへの返信(元記事)

諦めなければ可能性はある、というのは私も同じ考えの上で書き込ませてもらったつもりでした。枝さんもそれを分かった上で、可能性の低さにたえかねての書き込みだったと思っています。
自由意志に関しては脱線になるというのもあってちょっと言葉足らずでしたが、おおざっぱに言って決定論者だと考えていただいてかまいません。
ただちゃんと勉強したわけではないのであまり突っ込まれると返事に窮します……矛盾があったり、これから勉強して考えが変わることもあると思います。(しかもいま見返すと字が間違ってましたし)
いまの考えとしては、意志と呼んでいるものは結局のところ環境(状況というべきか)に突き動かされて決定するのだから、決まっているも同然かなと。未来が見えない(起きていない)ために未来が決まっていないように感じるのではないかと思っています。
「なにをしても無駄だから行動しない」というより、「なにをしても無駄と考えて行動しないことを選択することが必然」という考えです。なにをしても無駄かどうかはやってみるまで分からないという。(王道の決定論でしょうか?)
今回の議論に関して言えば、環境(状況)に抗うことはできないから運命は変えられないけれど、行動が無駄になるかどうかは行動するまで分からないという考えです。

No.28への解答
>あらかじめ1の行動(逃げる)をとると決まっていたとします。その場合でも、あなたは何もしないでボンヤリしていてもいいことになりませんか?

なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。
それが環境に突き動かされラプラスの悪魔が導いた選択だとしても私には判断がつきません。
私は「意志」も事象の一つだと思うので、決まっているのは私の行動にとどまらずどんな気持ちになりどう考えるかも含めたすべてと思っています。それらすべて一律に、現実に起こる事象と捉えています。
もともとこういう風に考えたのも「さっきの行動をやり直せるのか」という疑問からきています。もし時間が巻き戻っても、私と私をとりまく環境も同じ状況に戻るなら、やり直したところで私は他の行動をとったのだろうかと。もし私が他の行動をとったならそれはなにかが私に影響しなくてはならないのではと。
それと一応……スレ主さんに共感したのは決定論からではなく、私の経験(広い意味で、体験だけでなく見てきたものも含む)に基づく人生観からです。もちろんそれが決定論に繋がるので無関係ではありませんが、決定論が先ではないことを言っておきたくて。言うまでもないかもしれませんが。

>「必ず」何かの成果が得られるということではありません。
>私の文脈にしかさんが勝手に「必ず」という言葉を付加してしまっています。それゆえ根性論のように見えてしまったにすぎません。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。
読み返してみるとあまくささんの意見はたしかにシンプルな現実主義ですね。ちょっと斜め読みになっていました。
……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。
なんというか……「考え方を根性論と言ったのはズレていたけれど、見解は変わらない」といったところです。

「雑念」云々に関して。
少なくとも冷たいと言いましたが、雑念と一蹴することはやはり、冷たいだけではなく実のない根性論だと思います。心と現実(状況)は切り離せないものではありませんか?
というより区別できないものかと。
不安や嫉妬の感情はどんな行動をとれるかという選択肢に大きく関わる重要な状況の一つで、「無視すればいい」で解決できない、現実を構成する要素だと思います。感情は見えなくても作用しているのに、その作用を無視すればいいで押しきろうとするならやはり根性論になりませんか?

>私はカウンセラーではないのです。
>このサイトは人生相談をする場ではないので(以下略)

ここが真剣に小説を書く人の集まる小説のための場所だからこそ、スレ主さんはここに書き込まれたのでは?
スレ主さんは人生相談ではなく小説の相談をしておられたと思うのですが。
書くのを諦めたのではなくて、書きたいけれど気持ちがついてこず、考えた突破方法がここで相談して共感を得ることだったのだと思います。そうならばスレ主さんの求めていた傷の舐めあいは停滞ではなく創作を続けるための解決策なので、アドバイスをするのならまずはそれを受け入れてからではいけなかったのかと。
創作を続けたいからこそ、いっときの上っ面だけの優しい言葉ではなく本物の共感を求められておられたのだと思います。
(私はタイムリーに書いていた短編がまさに「生まれ」を扱うものだったこともあり、解決策ではなくシンプルに共感して書き込んだのですが)

>「作家を目指しているなら、その程度の人の気持ちを理解しろよ」と言いたいのかもしれませんが。

私が注目してほしかったのは「寄り添う」ではなく「現実を直視」の方だったんです。寄り添うは勝手にくっついてくるおまけです。
たとえばネットで不幸な目にあった方の相談に対して「あなたにも落ち度があったから仕方ないことだ」という返信をよく見かけます。現実は不均衡ですがそれは受け入れがたいので、「否定したい」という気持ちに自然に傾くせいだと思っています。落ち度があったからといって不幸な目にあわされて当然なんて、よく考えたらちょっとおかしい。けれど実際には相談者が一方的に責められている場面をよく見かけます。
しかし責めている方は相談者を責めているのではなく、自分を守っているのだと思います。理由があったから不幸な目にあったのだ。だから自分は大丈夫と。要は別の安全地帯にいると思いたい。もちろん責めている本人はそんなこと考えているつもりはないでしょうが、心はたしかにそういう風に働いたはずです。少なくとも私には幾度も覚えがあります。
今回の皆さんの返信を読んだとき、私は少なからずそういった心の傾きを感じました。というか今回に限らず、この板を含めた多くの相談に対する返信に、いつも感じています。
だからそういう意味で「現実を直視」と書いたのです。不均衡な現実を直視すれば自然と寄り添うことになると思い、「寄り添う」と加えました。

>何を代入しても成立してしまうんですよ。
>だから、どうして作家であることと結びつけるのですか? と質問してみたかったのです。

なにを代入しても成立することが「作家にとって大切」に相反するとは思えないのですが……それを言うとあげ足とりになるでしょうか。
前の返信に書いたとおり、一般論というよりは私の理想になってしまいますが……
要は「心のフィルターに逆らって現実を直視しなければご都合主義な薄っぺらい小説しか書けない」という主張でした。
空想のものを作るのに現実を知っていることが有利に働くのは言うまでもないですし、そこでいかに現実を真正面から見ているかが、他の人に書けない「差」を生むと考えています。
普通は心を守ろうとするので、それに逆らった現実を描くことは読者に簡単に予想できない大きな衝撃を与えることになるのではないかと。衝撃が必ずしも好まれるわけではないですが、エンタメでは有効な要素だと思っています。
それに現実というのは一番目立たず説得力のある伏線だと思います。
ここからは私の理想ですが。
なにかを発信するということには責任を持つべきだと思います。発信すれば必ず傷つく人がいます。なにかを発信することはなにかを肯定することで、肯定の裏には否定があるからです。ぬるい観察眼のもと書かれた小説は、誰かのおかれた現実を軽んじることになると思います。傷つけるなら相応の誠意は示すべきだというのが私の考えです。

>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。
私はこんな人間なので聞こえが良くないとも思いません。カラオケややけ食いと違ってコストもかかりませんし、なにがいけないのか。はたから見ていると嫌な気分になる、それが一番引っ掛かっていることではないでしょうか。そうだとしたらはたから見ている元気な人よりどん底な気持ちで助けを求めている人を優先するのが道理だと思います。

あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

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投稿者 あまくさ 投稿日時: : 1

◎自由意志について。

>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。

ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

>私は「意志」も事象の一つだと思うので、

もちろん事象の一つです。意志や心も含めて、宇宙に存在するものはすべて事象でしょう。しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?
そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上の例で暴漢に襲われて逃げることが決定していたとしても、われわれにはその決定事項を知ることはできません。事象の連鎖の中にいるわれわれは、その連鎖の全貌を俯瞰することはできないからです。

暴漢に襲われたら、やはり逃げるでしょう? (または、戦うかもしれませんが)
その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

いわば四次元人の知覚と言えばイメージしやすいでしょうか?
本質的に三次元空間に生きるわれわれは四次元を知覚することはできないし、そもそも四次元なるものが実在するかどうかを立証することもできません。ただ、抽象的な思考実験として四次元というものをイメージしたり説明したりすることはできるんですね。

決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

それよりも何よりも。

暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。だとしたら、暴漢に襲われた時、根性がなければ死ぬことになるだろうというだけの話です。なので、死んでもかまわないなら、根性なんてなくてもいいということになります。

私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。
そして、努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。
しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。
どんなに努力しても挫折する時は挫折しますよ。しかし努力によって解決する可能性がどれほど少なくても、諦められないなら努力するしかないじゃないですか?

>「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」ですか。
可能性であれば、必ずあると言えてしまいますが?w

いえ、すみません。これは揚げ足取りですね。

いずれにしても、私の現実認識はいたってシンプルですよ。どんなに努力しても成果が得られない場合はあると考えています。
しかし、しかさんのご意見を拝見した限りではそこを誤解されているとしか思えないので、「必ずと言った覚えはない」と繰り返し強調しました。

>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。

論点がずれています。

「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

繰り返しますが、私は本人がどうしたいかを基準にして意見を述べているのです。

「俺はこうしたい」
「じゃ、そうすればいいじゃん」
「でも、こういう理由でできないんだ」
「できないなら諦めるしかないだろ?」
「だけど諦めきれないんだ」

結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?
できないけどやりたいなら、努力するなり工夫するなりして、有るか無いか分からない選択肢でも探すしかないじゃないですか。

   *   *   *

>>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

>私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
>まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。

「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。
私の先の書き込みで述べたスレ主様の相談が小説の相談になっているという見解への疑問に近いですが、私にはこれが建設的だとは到底思えません。
しかさんが建設的だと考える理由を説明してください。

   *   *   *

>あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
>しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

   *   *   *

この際だから、しかさんの最初からの書き込みで少し不満に思ったけれどハッキリは言わなかったことを二つほど書いておきます。

>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。

これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

>私は最初の書き込みにあるようにほとんどの返信をひどいと感じたので、「悪意ではなくこのような感情から(私の思う)ひどい返信が寄せられたのではないか」という趣旨でした。

ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。
そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

と言うと、私の曲解ということになるのでしょうか?
まあ、曲解と言われたら仕方がないですが、少なくとも私はそう感じてちょっと不愉快だったのは事実です。しかし、あの時はここまでは書かずに、

(再掲)
ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
(再掲、ここまで)

と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

それから、繰り返し使われている、

>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。

別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)

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