しかさんへの最後のボール
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変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)(元記事)
作品自体は面白いと思います。『指○物語』や『守○人』シリーズなど。しかし、作者を調べると、前者は言語学者(博士号)旦那は地理学者。そりゃ、独自の言語も作れるし、地図も作れるよねという。指輪物語はどう生まれたかのような本で読んだけれど、旦那に手伝ってもらいましたって書いてあったし。そういう作品の裏話。この作者はどう生まれたか、のような本を読むと、大学院行きました。(後者も、オーストラリアなどなどエスノグラフィーのために何度も足を運んだとかかれている)
幼少期も親から本を読み聞かせてもらった。口承を伝えてもらった。食事を作ってもらった。古武術を習った(すべて後者)など、です。
いや、中卒の作家もいるよ、ハ○ー・○ッターの作者は無職シングルマザーだよと来るでしょう。でも彼女は大学も出ているし、留学もしているし、幼少期はそれは素晴らしい幻想的な森の近くで暮らしています。
いまさら学校に行くお金なんてないし、留学もできない。(お金の問題というより、現役時代にそれを後押ししてくれる、親の質、親ガチャの問題ですよね)
自分の幼少期なんて本なんて読みやがって、賢ぶるな! などという親に育てられて本を読んでくれたことはおろか、家には5冊も本はなかった。本など買ってくれたこともない。食欲をかきたてるようなおいしそうな食事を作ってもらったこともない。親の家を出るまで既製品しか食べたことがなかった。そのわりに台所を使うことも禁じられて料理も覚えられなかった。近所に美しい森なんてなく、汚い住宅街で育った。
ファンタジーあるあるの、おいしいご飯、美しい自然 親を敬って慎ましく暮らす、古きよき時代を感じさせる感じ? なんて到底自分には書けやしません。
自分が書けるのは、親なんて全く尊敬しなくてむしろ愚か者だと思っていて、食べ物描写なんてなくて、そこらへんに生えている草や虫の名前なんて全く分からない、ファンタジーです。しかしそんなの読んで面白いか? って思うのです。
作者についていろいろ言いましたが、ファンタジーを築いたなんて言われているくらいだから、やっぱり作品は面白いのです。王道は王道たりえるんです。自分が作るファンタジーはやっぱりまがい物です。
絶対書けないのはやっぱり生まれや環境もあるんじゃないかと思ってしまいます。
変えられない生まれや環境を補うために本も断言できるほどたくさん読んでいるし、映画も劇も見ていますが、やっぱりそんな努力では越えられない壁があるように感じます。別に指輪物語や守り人シリーズほど売れたい、有名になりたいってわけではないんですけど。そこそこすら叶わないのではないか、と重鎮たちを見ていると思ってしまいます。
質問です。ファンタジー系を書く作家で、経歴があまりうらやましがられない人を教えてください。傷ついた心を慰めたいです。
虐待ネタや貧困ネタを書くそれら過去を持つ作家もいるけれど、残念ながら自分は虐待されていないし自分には投資してくれなかったけれど貧困ではなかったので、(今では毒親とか経済的虐待とかあるけれど、他作品と比べると見見劣りします。他者に哀れまれたり、共感されたりするレベルではないです。中途半端な毒親育ちです)逆にそこまでいくとネタになるよね、というようなどん底作家も嫌です。
良ければ、中途半端な不幸自慢をして、傷のなめ合いがしたいです。本当に心が折れそうなので追い打ちはかけないでください。
しかさんへの最後のボール
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
しかさんの意見そのものに対しては異論もありますが、こちらの投げかけた問いかけに対しても挑発に対しても、真剣に考え丁寧に返してくる姿勢には敬服します。
このくらいで打ち切った方がいいのかもしれないとも迷いましたが、もう一度だけ、いくつかボールを投げ返しておくことにしました。
レスは、そちらから特に何かなければお気遣いないように。
>叱咤激励は相談者と回答者の間に(たいていは)無意識に上下関係をつくり線引きし、相談者の視点から遠のく行為だと思っています。
たぶん私はしかさんより人間というものを信じていないんですよ。
相談者に対して過剰に親身になろうとする態度も、(たいていは)無意識に上下関係をつくり線引きし、相談者の視点から遠のく行為だと私は思います。(異論は認めます)
>今回のように心が疲弊していることが行動を阻害している(と解釈してます)場合はまず、なにをするにおいても心の疲弊を軽くすることが合理的な解決だと思います。
合理的だとは私は思いません。他人の心に踏み込もうとしすぎているように見えます。
優しい無関心というのもあるんじゃないかと。私なりに合理的に他人に対してどう接するのがいいか、そのつど考えてはいますよ。まあ、妥当な判断ができているなんて自惚れてもいなくて、間違えてばかりでしょうが。
>>人間関係ってそういうものではないでしょうか?
>私は批判せずにただスレ主さんに共感しますよとだけレスしておけばよかったということですか?
ん?
そんなことを言ったつもりはありませんが。
他人と100%分かりあうなんて不可能ですよね?
とは言え同じ人間だから少しは共通点もあるはずなので、互いに共通項を探りあえば少しは分かりあえるだろうとも思っています。
まあ、個人的な直観でいえば、20~30%分かれば良い方だと思います。
他人を見て、この人はこういう性格なのかな? と内心思います。で、もう少し分かりたいと思ったら、取り合えず言葉を投げかけてみます。そして反応が返ってきたら、それによって最初の印象を修正します。
付き合いが長い人のことなら多少は分かるのは、そういうフィードバックの蓄積が多いからです。
……こう書くと、こちらの一方的な思惑で他人を左右しようとしているように誤解されかねませんが、相手に対する理解不足ゆえに思いがけず傷つけてしまうということも有り得るわけで。だから手探りで理解を深めていくところから始めるほかないと考えているんですね。
また、人間関係はお互いさまでもありますから、やりとりが成立しているということは相手の方にも何らかの思惑はあるわけで、それがたまたま上手くかみ合えば比較的良好な関係が築ける場合もあります。その一方、どうやっても関係がこじれていってしまうこともあります。
詳しく説明しようとしているので少し大袈裟な話になったかもしれませんが、まあ、そんな感じにやっています。それをどう受け取るかは相手の側のことなので、上手くいくこともいかないこともあるのは仕方がないと思っていて。
人間関係っていうのはそんなものじゃないか、と書いたのはそういうことです。
* * *
自由意志の定義を明確にせよと。
私の考えでは、しかさんの見解は以下のようなものだろうと思います。
◎人間は主観的に自由意志によって行動しているように感じている。
◎しかし、実際には因果律によって定められたコースを辿っているに過ぎない。
間違っていたらすみません。
自由意志は錯覚にすぎない。
そうかもしれないとは思います。
しかし、錯覚であろうとなかろうと、暴漢に襲われたら誰だって危険を回避する行動を取るんじゃないかと。
それが現実の行動であって、「自由意志は錯覚だ」と言ってみたところで「それがどうした?」としか言えません。
本当のところ、「自由意志」という言葉そのものはどうでもいいんですよ。もっと単純に「逃げる」とか「戦う」とかにしても、言葉に過ぎません。
人間は生きるために何らかの行動をとりますが、それを言葉によってなぞる生き物なんですね。そして、その言葉を妙にもつれさせてしまうことがあります。
私に言わせれば、決定論なんて言葉の迷路にはまりこんでしまっているだけです。思考実験としては興味深く、それこそ小説の題材にくらいはなりますが、現実の行動の役にはまったく立ちません。
>>暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
>それなら毎日トイレに行くことも努力ってことになりませんか?
どうしてそうなるのか分かりませんがw
別に生きのびるための努力だけが努力だとは言っていません。成し遂げたい目的のための努力も、幸福になるための努力ももちろんあります。
なんならトイレに行くことだって、トイレに行けない状況がある場合は普通に努力の対象になりますよ。
(再掲)
何かほしいものがある。しかし、現状では手に入らない。
そういう時に諦められないなら、何かの行動を起こすしかありません。それが「努力」です。諦められるなら別に努力しなくてもいいのです。
(再掲、終わり)
最初にこう書いたはずです。
ごくシンプルなことだと思っているのですが、決定論を持ち出して話を難しくしてくるから「生きるための行動」というやや極端な例で説明しただけです。
* * *
>専門的な知識で具体的な描写を掘り下げた小説がそれだけで面白いのは言うまでもないですよね。
言うまでもないとは思いません。
専門的な知識の披歴がすぎて、作品をつまらなくしてしまうこともあります。
>しかしなにより知識があれば書くことがあるので筆が走ります。筆が走るときって、私見なんですが、実はむしろ無駄な文を頭で消してどんどん話を展開させているように思います。
(中略)
>書こうと思うかどうかではなくて、書こうと思ったときに書くことがあるかどうかが面白い小説を書けるかを決定づけると。
この部分に関しては、まったく異論がありませんでした。
しかしここで語られている知識や環境は、トールキンの知識や環境ではなく、しかさんでも枝さんでも私でも、他の誰でも持ち得るそれぞれの知識や環境。そういう話になっている気がしますが?
トールキンに憧れ、トールキンと同じような作品を書こうとしたら、そりゃあトールキンの知識や環境が必要でしょう。
しかし、誰にでもその人なりの知識と環境があるはずです。これはおそらくサタンさんが最初に言われていた、剣に憧れても仕方がない、槍を使えるなら槍で勝負した方がいいという意見と同じだと思います。
この見解については、剣も槍も弓も使えない人間はいくらでもいるという反論が可能と言えば可能です。
ですが、私が引用させていただいた文章で、しかさんご自身が槍で勝負した体験を熱心に語っていらっしゃるように私には思えました。
そうです。
皆、それが言いたいんですよ。
* * *
カテゴリに「やる気・スランプ」というのがあったな、とは私も思いました。
創作に行き詰った時にどうしたらいいかと相談する人がいて、時には傷の舐めあいをするのも効果的だと回答するとかなら、それも創作相談のうちでしょう。
しかし、「傷の舐めあいをしてください」と言って入ってくるのは、それとはまったく違います。それは理解していらっしゃるでしょうか?
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 変えられない生まれや環境を補うにはどうすればいいか(作者に嫉妬してしまう)