人気回答!やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 2)
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何を勘違いされているのか知りませんが、『魅力的な世界観やストーリー、キャラクターを他人にわかるように描けること』を人は文才と呼びます。
また、『私の脳内にはあるけど、人に伝えられるだけの文章力が無いんです!』って言うのは、具体的に想像できていないか、語彙が足りてないかのどちらかです。つまりこれは『たくさん考えれば何とかなる』とか、『いろんな言葉を学べば補完できる』ことであって、経験値の問題です。
それから、『うまくまとめられません!/人に伝わりません!』と言うのも、表現技術の不足や読者の側の心理の勉強不足であって、長いこと頑張ればなんとかなります。
もちろん、習得の速度には個人差がありますし、それを才能と呼びたいのなら呼んでも構いませんが。『才能を超えるだけの努力』って何かカッコよくないですか? ま、そう思わない人がいるってのはわかりますが、基本的には少年漫画に書いてあることの通りです。『努力を続ければ何とかなる』と言うヤツ。ただ、他の物事よりスパンが長いだけです。
焦らず、自分のペースでやって行けばそのうち芽が出るんじゃないですか?
やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 3)
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挙げられている文才が何を指すのかよくはわかりませんが・・・このサイトのこのブログは私も共感できますのでリンクを張っておきます。
小説の書き方講座。ラノベ作家の才能がある人の思考パターン
https://www.raitonoveru.jp/cms2/2020/10/03/46962/
仮に才能があっても磨かなければどうにもなりません。
ゲームに例えれば強力な技や魔法を使える職業だったとしても、レベル1ではどうにもならないのと一緒です。
こつこつとレベルを上げたり熟練度を上げないと、どんな可能性や才能を秘めていようとそれらに意味はないです。
あとブログにもありますが、根拠のない自信と言うのは大事です。
私は自分に才能があるとは思っていませんが、これを書けば人が面白がるだろうなと思うことがままあり、それを形にするためにわずかではありますが努力しています。
面白いと言っても所詮は素人が考えたことです。根拠などあるはずもありません。
それでもそれを文章にするために努力し、それで足りなければもっと面白がらせたり盛り上げるための工夫を様々な作品を読んだり色んな人から意見を聞いたりして学んでいくうちに、実力が身についていくはずです。
文才などと言うあやふやなものを気にするより、そうすることの方がよほど確かだと思いますが。
スレ主さん自身がこう言うものを形にしたい、こう言うお話を作りたいと言うものがあるなら才能あるなし関係なく、まずはそれに向かってひたすら努力し続けるべきだと思いますがどうでしょうか?
やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 4)
投稿日時:
文章力という意味で文才と言っているのだとしたら、作家に必要な要素としてそれはたぶん一番下にあるもの。
一番下は言い過ぎかもしれんけど、かなり優先度低い。ちなみにバカにするわけではないけど、初心者か中級者くらいは文章力の優先度を上げていることが多いと思う。
小説、まあ創作は、エンタメの世界でやっても結局は表現なんだから、製作者がそれを見る者にどういう印象を与えたかっていう表現力の話が全てだと思う。
小説においてそれは「文字」というツールになるので、ここで文才があるというのは高い表現力を持っていることだと私は思ってる。
だから文才はあればあるに越したことはない。あるなら優れた武器になるし、磨けるなら磨いておきたい。
けど、本質はあくまで「表現」なのだから、「優れた文章」が凄いのではなくて「その文章で表現されてるもの」が凄いのよ。
つまり、別に「優れた文章」でなくとも最低限の「表現」が出来てれば、基本的にはそれで必要十分。
その「表現が相手に伝わっていること」というのがクリアできていればいい。
であれば、エンタメとして「世界観」「ストーリー」「キャラクター」を楽しむのは読者の勝手なので、あくまで「作者の表現が読者に伝わっている」というのが前提で、これを楽しむのは読者次第。
作者に出来ることは「そのキャラの良さを読者に伝える」ってことで、それをちゃんと「表現」出来ているのであれば、それで必要十分でしょう。
人気作を書きたいのであれば、人気がある要素を汲んだ世界観や物語やキャラにすればいい。それで簡単に作れるわけではないけども。
でも、この話に「文才」は必須ではない、ってことはわかりませんかね。最低限の表現が出来て相手に伝わっていれば、それを楽しむのは読者の勝手なんだから。
まあ、私は「表現力の高さ」を指して文才と捉えてるから、最低限の表現が出来てればって時点で文才・文章力が不要であるとは言っていないわけだけども。
文章力・文才が必須というか重視されるのはコピーライターとかエッセイストじゃないですかね。
物語って道具を使わずに文章だけで主張をしてるから、その文章には欠片でも文才がないと読ませる文章を書くのは難しいと思う。
>どんな魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターがあっても
ガチでそう感じる経験をしたのであれば、ぶっちゃけ、それは単に「あなたが魅力的と思うもの」を読者に伝えることが出来なかった。というだけ。
文章以前の問題で、例えば「そのキャラが一番魅力的に見える場面はどんな場面か」とかそういうのを考えてなかったり、「このストーリーはコレが面白い」と断言できる要素がなくフワッと「キャラの掛け合いがウリ」とか考えていたりって事で、ようは「魅力」の出し方がまだまだ下手なんでしょう。
それ自体は、既存作から学習するなり自分で思考してみるなり、自分なりに「魅力」を見つけることは出来るだろうし、その「魅力の出し方」も身につけていけると思う。
それが出来りゃ、文章力なんて最低限あればいい。何の問題もない。
かえって飾った文章は読みにくくて作者の自己満足な事が多い。それを文才と思ってた自分自身に噴飯する日が、まあやってりゃそのうちそんな日が来ると思うよ。
やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 5)
投稿日時:
魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターがあって、それを表現するそこそこの文章力もあれば、少なくともそれなりの小説にはなるでしょうね。
しかし逆に文才だけあって、世界観もストーリーもキャラクターも満足に作れなかったら、まったく小説の体をなさないのは確実です。
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美文ではなく伝える技術 (No: 7)
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やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 6)
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文才というのが一人称や三人称などのことなら、これだと思うプロ作家の文章を食べて飲み込んで、自分が文章になったつもりで書いていけばかなり改善されます。具体的には文章を書き写したり本に自分なりの注釈をいれたりしながら、丸暗記するつもりで、毎日文章に触れて慣れていくといいです。
ですが、
文章というのは例えばそれが下手な文章でも読んでいるうちに慣れてくるものです。
単純な文章の上手さだけなら、プロよりも上手な文章を書けるアマの方はたくさんいます。
上手い文章も読み始めるとすぐに慣れてその先に目がいくようになります。
文章が書けるのと、作品の面白さは似ているようで違います。
そういう意味でいえば文才における文章の重要度は16%以下でしょうか。
もしかすると文章は一番重要ではないかもしれません。
最初に書いたやり方を練習していけばオリジナルのクオリティを再現するのは難しいにしても、文章における作家の息づかいやリズムはわりと丸パクリできるものですし。文章はまだ、人から教えてもらってどうこうできる類のものなので、センスがなくても救いがあります。
文章がよくて話も綺麗にまとまっていても、
面白くない作品は世の中にたくさんありますよね。
魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターは教えられてできるものではありません。
一人称や三人称が書けて。ただ文章が上手くてそれを文才があるというのと、
魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターを背景として出来上がってくる文章は、まったくの別物で、こっちが文才です。
センスという言葉は常についてまわります。どうやったら書けると聞かれても、センスやその作家の才覚によるとしか……結局のところそれ以上の言い方がないからです。
学校の勉強と違うことは、
『みんなができることは小説では価値がありません』
周りに教えられてみんなと同じことができるようになってそれでプロになれたとしても、下手だった頃と比べて周りにいる人間のレベルが上がっただけで、プロならできること、プロ基準でみんなができることには価値がありません。
プロでも真似できないこと。
自分にしかない武器がある人は人気作家になれると思いますよ。
そして武器はもっとずっと小説が下手なうちから、プロになりたいと言ったら周りに鼻で笑われるくらいの実力のときから真剣に考えていかないと、とても成長が間に合いません。
何を頼りにするかといえばそれには直感が必要で、
人から教わるとこの直感が鈍くなって最後には働かなくなります。
相談や教えてもらうことはどんどんやっていけばいいと思います。
自分にできないことはお前にもできないと言いたくなるのが人間です。
でも、
みんなができることには価値がありません。
プロにもできないことをやろうとするなら、これはもう、ほとんどの人間ができません。
自分で自分をプロデュースして育てるという感覚を忘れないようにしたいですね。
やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 8)
投稿日時:
他の方もズラズラ答えていらっしゃいますが
>>Q①人気小説を書くには最終的には文才なのでしょうか?
>>Q②どんなに魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターがあっても文才がなければ、やはり無理なのでしょうか。
という2つの質問をしてしまっている自覚はありますか?逆説的に言うと
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②私には、魅力的な世界観、ストーリー、キャラクターがあります。ですが、唯一文才がありません。
①文才のない私では、人気作家になれませんか?
とも取れます。
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Q1,無自覚に傲慢だという自覚はある?
そして、Q2『文才』『才能』とかいう、たった二文字の言葉でラベリングしてしまったものの、根底にある工夫や努力や悩みを『知ったかぶり』で踏みにじっている自覚はある?
あと、そんな事ほざいている作者の小説を読者が喜ぶと思う?
何人の作品読んだ?何人がマイナー作家からメジャー作家になるのを見まもった?
「人気作でもあるまいし・・・・・オレ様は誰の作品もまともに読む気はない」
「だが、俺の作品は読まれたい。」
「1万人に読んでもらって大絶賛されたい。教祖様みたいに崇められたい」
そう言っている人の作品を、最低8作は読んでから言おう。
9作品目は、あなたの作品です。
そこを把握し、理解してからが【文才とは何か?】とかいうものの、スタート地点へ行く道のりです。
やはり最終的には文才でしょうか?の返信 (No: 9)
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社会学の実験結果から言うと、運が一番大事です。
米国で楽曲のダウンロード数を人気の判定基準とし、参加者をランダムに複数のブロック(1つは曲名のみ表示される対照群[ここの結果が各曲の実力とされた]、残りは曲名に加えそのブロック内での既ダウンロード数も表示される)に割り振って自由に試聴及びダウンロードさせるという実験が行われました。その結果、同一条件下でのスタートにもかかわらず各ブロックの人気順はバラバラとなり、さらに実力があるとされた曲が必ずしも上位にくるとは限らない、ということがわかりました。そのため実験者は、「個人が他人の行動に影響される場合、似たような初期条件でも大きく異なる結果に至りうる」という結論を出しました。
要は、人気が出るかどうかは運任せの部分がひどく大きい、ということが示されたわけです。
ただし、実力が上位だった曲は下位の曲よりも平均順位が高いという結果も同時に示されているので、文才があるに越したことはないようです。