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元記事:三人称視点について

 一人称寄りの三人称で小説を書いていたのですが、一人称でも替えがきくように思えてきました。
 一人称寄りの三人称は完全な三人称と違って主人公の知り得ないことは書けないと思ったからです。
 この視点にする利点はなんでしょうか。

上記の回答(三人称視点についての返信)

投稿者 ドラ猫 : 3 人気回答! 投稿日時:

ラノベですと割と自由に三人称が描かれています。
行ごとに登場人物たちの視点を移動したり、神(作者)視点として描く方もいます。
『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』なんかわかりやすいです。あれは作者による『敬語』の語りで地の文が描かれ、しかもツッコミまで行っています。ギャグ寄りの書き方ですね。『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』も似たようなものです。地の文で思いっきり作者が出ています。
書き方の幅が広く、活用しやすいのが三人称です。あえて言えば『面白けりゃ何でもあり』ということです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称視点について

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元記事:三人称視点について

 一人称寄りの三人称で小説を書いていたのですが、一人称でも替えがきくように思えてきました。
 一人称寄りの三人称は完全な三人称と違って主人公の知り得ないことは書けないと思ったからです。
 この視点にする利点はなんでしょうか。

上記の回答(三人称視点についての返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

主人公の視点で三人称というと、三人称一(元)視点と呼ばれるスタイルだと思います。書き方の(大雑把な)説明でよく言われるのが、「一人称で地の文の『私/僕/etc』を、主人公名に書き換える」というものだと思います。地の文の語り手という黒子的なキャラが地の文を語るんだけど、実態は主人公そのものということですね。

これに厳密に従うと、確かに一人称で書いてしまえばいいということになります。主人公に見えないものは、地の文の語り手も見えず、主人公が考えないことは地の文の語り手も考えない。あえて三人称一視点にするメリットを問われたら、地の文が多少は客観的な感じになるくらいでしょうか。

ですが、一人称と三人称一視点はちょっと違うものです。三人称一視点では、地の文の語り手が完全に主人公と重ならなくてもいいのです。地の文の語り手は主人公のすぐそばに付き添っているけれど、主人公そのものではない。地の文の語り手は、主人公の気持ち、思考等は全て分かるけど、すぐそばで主人公と同じものを見ているキャラです。さらに、地の文の語り手が主人公を見ることはOKです。そこが三人称一視点の便利な点ではないかと思います。

一人称と三人称一視点で、ちょっと具体的に描写例を考えてみます。

・一人称
私ははっと目を覚ました。授業中なのに、『机に突っ伏して寝てしまったらしい』。先生が怒るかと思ったら、こちらを見て吹き出している。あれっと思ったら、爆睡してよだれを垂らしていた。そりゃ笑うだろうな。

・三人称一視点
美恵子ははっと目を覚ました。授業中なのに『眠気がして、そのまま机に突っ伏して寝てしまったのだ』。先生が怒るかと思ったら、こちらを見て吹き出している。あれっと思った美恵子は、爆睡してよだれを垂らしていたのに気づき、そりゃ笑うだろうなと思った。『だが、実は顔に落書きされていたのだ』。

主な相違点を『 』でくくりました。三人称一視点だと、たとえ主人公が意識を失っても、どういう状態なのかを描写できます。一人称だと、意識がないのに状況を描写したら変ですよね。意識が戻っても推測でしか語れない。しかし、三人称一視点なら地の文の語り手が起きているから描写が続けられるわけです。

さらに、主人公の顔とか背中とか、主人公から見えない主人公の状況を描写しても不自然にはなりません。一人称なら、鏡を見るか、他のキャラから指摘してもらわなければ、主人公は自分の状態を描写できません。三人称一視点なら、すぐそばで見ている地の文の語り手だから、描写可能になるわけです。

使えたら便利だけど、三人称一視点かどうか微妙だし、書き方のコントロールが難しくなりがちなものもあります。例えば「美恵子の後ろから、こっそりと男子生徒が近づいてきた」とか。主人公とは違う方向を見てしまうと、(カメラ)視点がどこにあって、どちらを向いているのか、分かるように書くのはちょっと技術が要るかもしれません。

一人称は逆に制限が多いですね。書きたいことが書けないという不満が生じがちです。ですが、よく用いられるのは、制限が多いからこそ、カメラ視点がブレず、読者にとって描写が分かりやすくなる点です。一人称で書けてしまえるなら、一人称にしたほうが読者が読んで楽なものにしやすいでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称視点について

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 読むせん : 0 投稿日時:

えっと? たしか乙一のSO-farってのがわかりやすくなっていたはず。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1、僕の家族は父母と僕の仲良し3人家族
ーーーーーーーーーーーーーー
2、ある日、なんか父母がお互いの事が見えなくなった。(インサイティング・インシデント?)

旅行先でまきこまれた交通事故をきっかけに、どうも父母のどっちかが死んで幽霊になってしまったらしい。(ターニング・ポイント)

僕にはどちらが幽霊かは分からない。

幸(さいわ)い、どちらも僕の事は見えるらしいから僕が父母の仲介者になり、がんばって2人の存在をつなぎとめようと頑張る。
(2人をつなぎとめることがセントラル・クエスチョンかな?)

父と僕の生き残った世界、母と僕が生き残った世界。

二つのパラレル世界を反復横跳びするような僕の日常はやっぱり無理があり、父母は僕を使って「異次元な泥沼夫婦喧嘩」をはじめてしまうし、パラレル次元の狭間で板挟みの僕は、だんだん母や父が見えなくなってくる。

このままでは、2人とも消滅してしまう。限界を感じた僕は選択を迫られる

父と僕の生き残った世界、母と僕が生き残った世界、どちらの世界で生きていくか?
(ターニングポイント?)

3、僕は母との世界を選び、それによって父は消滅した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エンディング

僕は精神科の医者にかかっている。

じつは父母は両方とも別に死んだりしておらず、単に夫婦喧嘩の果てに「互いに相手の事を無視っていた」だけだったのだ。僕はその嘘を真に受けただけ。

だが、その事実を知った今でも、僕は父の存在を認識できない。涙を流し抱きしめられても父の体温すら感じられない。

父母は以降、喧嘩もせず暮らせている。仲良く両親と一緒に暮らすという僕のセントラルクエスチョンは達成されたのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みたいな?

みりんさんの物語はセントラル・クエスチョンが2~3重になっていない?愛とヒーロー家業と友情みたいな?

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三人称視点について

 一人称寄りの三人称で小説を書いていたのですが、一人称でも替えがきくように思えてきました。
 一人称寄りの三人称は完全な三人称と違って主人公の知り得ないことは書けないと思ったからです。
 この視点にする利点はなんでしょうか。

上記の回答(三人称視点についての返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

>一人称寄りの三人称
三人称一元視点ですね。
といっても、これは「三人称で視点を一人に固定してる作品をそう呼んでいる」というだけの話で、基本的には普通の三人称です。
ここで言う「普通の三人称」は、おそらくあんこさんの言う「完全な三人称」の事でしょう。
で。
その三人称を書くときに、作者が「よし、主人公に視点を固定して書こう」と決めただけの話が一元視点。

三人称は基本的に何でもアリなので、どのように書いても問題ないです。
でも、どのように書いても問題ないからこそ、適当に書くと無茶苦茶になってしまうため、「こうやって書こう」というルールを作者自身が決定します。
その作者の自分ルールの中で有名なのが一元視点と多視点、という話。

もともと創作の作法としてそういうルールがあるわけではありません。
なので、「一元視点の小説です」と売り出しているにも関わらず、思わぬ人気を博してシリーズ化した場合、作者が扱いに困って主人公以外の視点にしてしまう事も少なくないです。

なので利点は、しいて言うなら「三人称であること」それ自体です。
例えば三人称だと「主人公の死角からナイフが放たれる」とか書けますが、一人称では主人公の死角は主人公には見えないので書けません。
例えば「主人公は気が付かなかった」といった事も、三人称では書けますが一人称では気がついてない事は書けません。
そういう意味では三人称一視点で「知りえないこと」は問題なく書けます。
>一人称寄りの三人称は完全な三人称と違って主人公の知り得ないことは書けないと思ったからです。
この感想は、どなたの作品を参考にしたのかはわかりませんが、「一人称に近いルールで書こう」と決めた三人称を書かれてる作家の本を読んだため、そう思ったのではないでしょうか。
一元視点は、視点を一人に固定していれば一元視点なので、それ以外は普通の三人称と同じく主人公の知らないことも問題なく書いていけます。
一人称と三人称一視点で共通してるのは「視点を一人に固定している」という事だけです。
確かに「一人称寄り」と表現できますが、別に一人称に寄せる必要はありません。
言うなれば「どの程度寄せるか」は作者の好みや趣味趣向次第なので、一元視点と言っても作者によって微妙に程度は違います。
それこそ「主に主人公の視点であればOK」って思って抵抗なく別キャラの視点にする人もいるだろうし、「絶対に視点は動かさない」と思って一貫して主人公に固定する人もいるだろうし。
「主人公が知らない事は書かない」と決めてる人もいるだろうし、「主人公の周囲の状況は(他人の心情さえも)書いてOK」と思ってる人もいるだろうし。
一応、主人公の視点から感情が読み取れれば他人の心情も書けないことはないので「ヒロインの表情は~~と思ってるに違いなかった」とかその程度の話です。

まあ、こっからは個人的な意見だけども、
三人称では書ける、一人称では書けない、なんて事を書きましたが、別に「主人公の死角」は書けなくても一人称では「思いもしない場所からの攻撃」と書けばいいわけで、「主人公は気が付かなかった」は「何か変な気がするが、気のせいだろうか」と書けばいいだけで、ぶっちゃけ書き慣れると好みの問題でしかありません。
一人称では主人公が知りえない情報は書けませんが、「主人公は知らないが読者には情報が伝わる」という展開を用意すりゃ、主人公が知りえない情報は書くことが出来ます。
例えば、「女子トイレの前でモジモジしてる女の子」「その女の子が男子トイレから出てきた」といった事を書けば、彼女が変態キャラでない限り男の娘である事はなんとなく読者に伝わる。
そこで主人公が「女子トイレ混んでたのか」とか誤解すれば主人公には伝わってないけど読者には伝わってる状況が作れる。
書きようによってはどーにでもなるので、そもそも利点とかそういうのは特にないです。
あえて挙げるなら「この方法が書きやすい」という作者の好みに合うのが一番の利点でしょうか。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称視点について

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 のん : 1 投稿日時:

 こんばんは、のんです。横文字に弱いので質問を理解できているか怪しいですが、三幕構成についてだったので失礼します。

▼セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
 セントラル・クエスチョンが作品内の全ての出来事に当てはまるのなら、この問題は微妙なところ。私の受けた印象では、このヴィランは中ボスくらいです。もしヴィランが敵全体を指していたとしても、テーマから逸れてはいないでしょうか。

 テーマに合わせて「また母親と一緒に生きられるか?」でいいと思います。一幕目では母親が失踪して、どうやら生死不明だったようですから、不可能だとならないように、ちょっと工夫が必要ですが。
 そこは摩耶を母親の代わりに一緒に生きたい人にしようとしたり、落ち込んで沈んだりが行けそうですね。

 ターニングポイントが【母が生きていると知り、取り戻すと決意する】である以上、母親が軸になってそうです。
 ターニングポイント自体で目標の提示がなされているので、セントラル・クエスチョンも「母親を取り戻せるか?」がより適切かもしれません。

▼セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?
 これは作品の軸。あるいは作品そのものだと思います。ですから、これを表に出さないのは難しいですね。

▼セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?
 前者が作品そのものなら、後者はその先。物語を通して伝えたいものでしょうか。主人公が青春を謳歌できるかという物語を通して、青春の素晴らしさを伝えるような、そんな感じで私は考えております。

 以上で、乱文失礼しました。
 

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:一人称小説における独り言について

けたたましく鳴る目覚まし時計を止め、少し身体を震わせて、最近朝はよく冷えるな、なんて独り言を呟いた。

のように、誰もいない空間で独り言を呟く際には

けたたましく鳴る目覚まし時計を止め、少し身体を震わせる。
「最近朝はよく冷えるな」なんて独り言を呟いた。

のように鍵括弧は必要でしょうか?

上記の回答(独り言か心の声か)

投稿者 あまくさ : 1

>誰もいない空間で独り言を呟く際には

>鍵括弧は必要でしょうか?

鍵括弧そのものは、つけてもつけなくてもよいと思います。

ただ、例文を拝読し、”最近朝はよく冷えるな”は独り言なのか心の声なのかということは気になりました。
「最近朝はよく冷えるな」なんていちいち声に出して呟くでしょうか?

◎けたたましく鳴る目覚まし時計を止め、少し身体を震わせながら、最近朝はよく冷えるなと思った。

この方が自然だと思うのですが、いかがでしょうか?

質問からずれた些末な指摘のようで恐縮なのですが、そもそもこういう問題があるので鍵括弧が必要かどうかという疑問が生じたんじゃないかと。

というのはですね。

例文は”独り言を呟く”と仰っているので、明らかに心の声ではなく声に出していることになります。
しかしこの種の独り言は、仮に言ったとしても、

◎無意識に心の声が口を突いて出てしまった。

そういうものじゃないかと。つまり実際のところ心の声に近いのです。
ところが下の例文では鍵括弧をつけることによって声に出したセリフであることが強調されてしまっているので、かえって何となく不自然な文章になってしまっているのだと思われます。

なので例文は鍵括弧をつけない方がむしろよく、どうせなら”独り言を呟いた”もやめて”思った”か、サタンさんの代案のようにどちらともとれる文章にする方がベターかなと。

どうしても声に出したことにしたい意図があるなら鍵括弧をつける方がよいですが、例文の場合は特にそんな必要はないように思えます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 一人称小説における独り言について

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投稿日時:

元記事:キャラクターの魅力が上手く書けない

 こんにちは、本居と言う者です。
 2週間前辺りから、こちらのサイトで勉強しながら小説(ラノベテイスト)を書いておりまして、つい最近書ききる事が出来ました。話の流れも初心者にしては上手くまとめられたと思っています。
 ですが問題が一つありまして、自分で読み返しているうちにキャラクターが舞台装置のようにしか見えなくなってしまいました。この話の為にこう動く、このストーリーの為にこの行動をしている、と言ったように。
 そこで質問です。自分の書いたキャラクターに魅力を感じないのは、作者としては普通の事なのでしょうか?もちろん、キャラクターの心理描写も書いていますが、魅力が感じないのは描写不足と言う事でしょうか。
 自分で考えて作ったキャラなのに、読み返していて悔しいです。先輩方のアドバイス、よろしくお願いします。

上記の回答(キャラクターの魅力が上手く書けないの返信)

投稿者 ヘキサ : 0

TRPGあるある、PCらにちゃんと動く動機がないのに無理やり動かしている状態なら心当たりが山ほどありますよ……

そしてTRPGの場合は、そういうGMの準備不足をあまり責めずにプレイヤーはほどほどに積極的にシナリオに取り組む、これもまたあるあるです。

……ですが、そうやって無理してPCを動かした結果、セッションがつまらなく感じてしまう。やっぱりこれもあるあるです。

いちど「うまく動ける自信がないから、とりあえず今は動かない」という選択をとったプレイヤーさんを見たことがあります。そうしてことが深刻な状況だと発覚するまで待っていた、それでやっとチーム全体のモチベーションが保てる状態になったことがあります。なんでもかんでも積極的ならいいってもんじゃない、ということを実感させていただいた、今となってはいい体験でした。

キャラクター的に納得いかない状況なら、動かない。そういう選択も時には大事なのではないのか、とも思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターの魅力が上手く書けない

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投稿日時:

元記事:擬音の確認

中華系の作品のバトルシーンを書いている時に疑問なんですけど、
「バキッ」「スチャ」「ザクッ」「シュッ」等の擬音に違和感あるんですよね。
かといって「ぞくり」「すたすた」「げっ」の範囲だと表現も限られてくるし、「懼々」「垂!」とかもそうそう使えない。そういう作品を書く人ってそのへんのバランスどうとってるんですか?

上記の回答(擬音の確認の返信)

投稿者 読むせん : 1

好きな作家さんは、そこらへんを「ひらがな」で書きます。
ばきっ!
すちゃっ
ざくっ
しゅっ
みたいな、ジャンルがスプラッターホラーとかなので、爽快とは言えないけど
迫力はありますね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 擬音の確認

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