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追記。バッドエンド型なら、ありかもしれないの返信の返信の返信(元記事)
エピローグなんですね。それなら、ありかもしれません。その会話が主人公の行動に(ただちには)つながりにくそうな点に疑問を感じたのですが、エピローグというのは行動の山場は一段落ついた後の余韻作りなので、問題ないような気もします。
わりとしっかり考えられているようなので、これ以上口を出す必要はないのかもしれませんが。
乗りかかった船なので「このあたりは、どうなのかな?」と思うところを一応置いていきます。
主人公(A)と3人(B)に種族的な異質性があって、そのために行動原理や目的意識の隔たりが大きいという感じでしょうか?
その場合、読者とA・Bとの距離感がどうなっているのか少し気になりました。
言ってみれば読者は現代日本社会(C)という種族に属しているわけで、これはA・Bどちらに近いのでしょうか?
エピローグの会話は読者には理解でき、主人公には理解できないとのことだったので、BCは近く、ABは遠いということになりますか? そうするとACも遠いということになる気がしますが、そういう遠近法でいいでしょうか?
結局、最初の書き込みで述べた疑問に戻ってしまうのですが、終盤の段階で読者と主人公の認識や気持ちにギャップを作っていることが気になるんですね。それこそバッドエンドなら別として、物語の終盤では読者と主人公の心は一つになっていた方がいいと思うからです。
ですから3人の会話が主人公に理解できないのなら、むしろ読者にも理解できない方がいいような気がします。
>このサブプロットの解決が、ゆくゆくはより大きなレベルで主人公側の社会に良い影響を与えるので、希望を示唆するエンディングとして、
>「これは大切な話で、良い話である」くらいは理解します。
そういうことであれば、大丈夫かもしれないと思いますよ。
分からないけれど、何となく分かる。
そこに一筋の希望を感じさせる。
これはやや高等技術気味ながら、エンディングとしてはありだと思います。そういう感覚を読者と主人公に共有してもらった方がいいのではないかと。
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スレ主 エリオット 投稿日時: : 0
たびたびのご丁寧なアドバイス、ありがとうございます。ご返信が遅くなり大変失礼いたしました。
Aが主人公でBが3人なら、読者はBに近いけれど、エピローグまでにAに自分との共通点やシンパシーを見出していてほしい、と思っています。なので、ここでの三人の会話も、あぁこれはAには「わからない」だろうけど、感じ取ることはできるだろうな、よかったね、と感じてほしい狙いです。
この箇所は、三人の様子を垣間見た主人公が「どうやらそう悪い話ではなさそうだ」と、良い印象を抱く(その印象で合っている)ことをもって、物語を閉じることにしました。ご相談させて頂いたおかげで、いろいろと、意図や構造を紐解いて、自分の出したい正解に近づけたと思います。本当にありがとうございました。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 3人以上の会話が冗長になってしまう