架空と現実の配分の返信
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架空と現実の配分(元記事)
ご無沙汰しております、長巻守宮です。
既出でしたら申し訳ありませんが、皆様は異世界モノなどで、現実世界の生物や存在が出てくるのをどの程度なら許容できますでしょうか?
所謂異世界転生モノではなく、文字通り、我々の存在する現実世界とは隔絶された別の世界において、そこに生きる住人達が主役の世界で我々別の世界住人が知る存在を出してもいいのかと、気になった次第であります。
我々人類もそうですが、現実世界に登場する存在は皆様々な必然によって誕生、あるいは発生しています。
であるならば、言葉通り、色々と異なる世界に我々の世界の存在が登場するのって設定的に矛盾になってしまうのではないかと疑問に思ってしまいました。
以前別サイトで、異世界とは現実世界、つまり地球と似通った、あるいは共通点のある別の星、または別宇宙だというアドバイスをいただき感銘を受けたのですが、
だとすればむしろ、現実の世界の物品や生き物、現象、その他言語や名称が登場するのおかしいと感じる方も多いのではと思った次第です。
とはいえ、完全に異世界の言語や名称だけだと読者の方も訳が分からなくなってしまうでしょうし、どうするかと迷った末、上記のアドバイスを参考に、
現実世界ではこうだが~
現実世界での○○のような、○○と呼ばれる存在~
といった地の文での説明を入れて読者の方が連想しやすいようにしようかと考えております。
ただ、これだとやや説明臭いか? もしくは現実の存在を引き合いに出して説明すると、別世界観が陰ってしまい、読者の方が興醒めしてしまうのではと思案しております。
読者の方を置いてきぼりにせず、理解していただいた上で、異世界感を出すにはどの程度現実を引き合いに出せばよろしいでしょうか?
それとも異世界感を出すならば、現実の既存と隔絶すべきでしょうか?
重ねて既出の質問でしたら申し訳ありませんが、お言葉を頂けたら光栄です。
よろしくお願いいたします
架空と現実の配分の返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
>皆様は異世界モノなどで、現実世界の生物や存在が出てくるのをどの程度なら許容できますでしょうか?
ファンタジーの場合は、そのへんけっこうアバウトですよ。
>色々と異なる世界に我々の世界の存在が登場するのって設定的に矛盾になってしまうのではないかと疑問に思ってしまいました。
理屈っぽく考えればそうでしょうが、それを言い出すと異世界に人間(もしくは人間に酷似した生物)がいるのもおかしいということになってしまいます。
ジャンルにこだわるわけではありませんが、ファンタジーとSFの違いと考えると分かりやすいのではないかと思います。
>異世界とは現実世界、つまり地球と似通った、あるいは共通点のある別の星、または別宇宙だというアドバイスをいただき
その考え方はどちらかというとファンタジーよりもSF寄りです。SFの場合、いかに隔絶していても何らかの物理法則に支配され、同じ時空のどこかに存在する星という感覚で設定します。
もしくは、時空そのものが異なる別の宇宙だとしても、じゃあそれはどう異なっていて、どのように成り立っているのかをある程度論理的に考えるんですね。まあ、論理と言っても疑似科学にすぎないのですが、基本的な設定に矛盾しない範囲でストーリーを展開させるのがSFです。
それに対してファンタジーの場合は、論理ではなく作者の感性で世界を創ってしまいます。それであっても登場するものが現実世界にあまり似すぎていると読者に違和感をもたれることはあるでしょうが、そこは理屈ではなく表現力で処理してしまうんですよ、ファンタジーは。
以前、ファンタジーの異世界にハンバーグが登場するのはおかしいんじゃないかと質問された方がいました。
ハンバーグというのはドイツのハンブルグに由来する名称ですから、さすがに避けた方がよいと思います。ただしそれは論理的に変だというより、イメージとして世界観を損なうのがよくないという話です。
イメージとして損なうというのはどういうことか、うまく説明するのが難しいですが。
要するにね。異世界の連中だって、酒くらい飲みたいでしょ? みたいな。そういうのを全部排除したら読者に分かりにくい以前に、物語がつまらなくなるじゃないですか。
しかし、例えば「スコッチ」とか出してしまうと、あれはハンバーグと同じで地名由来だと思うので(スコットランド)、違和感が強くなりすぎる気がします。「さけ」は地名ではないですが本来は日本酒特有の名称。そういう意味で論理的にはスコッチと同じくらい使いにくいはずですが、こちらはアルコール一般というニュアンスもある言葉なので、まあセーフかなと。
つまり、現実にあるものの固有のイメージを想起しすぎると使いにくく、一般性の高い言葉で表現できればOKという感じになるかと思います。