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リアリティラインとは何なのかの返信(元記事)

物語の話なのに、その境界にキャラクターの視覚情報を持ってくるというのはどういう理由かなと。

単純に、「作者が見せたいもの」が基準だと思いますよ。
例えば推理ものでトリックにわかりやすい嘘があったら興ざめじゃないでしょうか。「犯人は被害者の首を日本刀で切断したものの、切れ味が凄まじかったので被害者の首はそのままくっついて数時間は生きていた」とか、アホかよ、って感じだと思う。
まあ、推理作家は病んでくるとそういうネタ書いて大コケしたりするんだけど、でも、同じようなネタでも「推理もの」ではなく「ミステリ」だとこれはアリになったりする。
流石に「切れ味が良かったからくっついた」は無いけど、京極夏彦の百鬼夜行シリーズだと「容疑者は認知機能に障害があって、別の家を自宅だと思いこんでた」とか「死体は足元にあったけど、主人公が鬱状態で正常な判断ができなかったから気が付かなかった」とか、そういうのがかなりある。
だから、百鬼夜行シリーズは終盤で探偵役が推理っぽいまとめをするんだけど推理ものとして読むとくっそ駄作で、でもミステリとして読むとすこぶる面白い。

つまり、推理ものの場合は推理すべき事件とそのトリックが主軸になるからここに嘘があってはならない。けど、例えばIQ200の高校生とか妙な薬品で小学生になったとか、トリック以外の場所では、逆に嘘をついたほうがインパクトが出やすい。
一方でミステリの場合は解くべき謎の「謎」が主軸になるので、その原因には嘘があっても良い。多少無理があっても世界観と作風で押し通せる。

たぶん物語ではなくキャラクターにリアリティを持たせたいのかなと読み取れるのですが、物語でいいんかな。
物語の場合は、見せたいものを明確にして、そこが嘘にならないようしっかり書くべきだと思う。

それ以外は、まあ、そもそもスレ主さんは物語における「リアリティ」を誤解されてると思うのですが、
創作において「リアリティ」というのは「現実的」という意味じゃないです。
創作において「リアリティ」というのは「説得力」という意味。
だから、バトル漫画でキャラクターが技名を叫んだりすることはただの演出であって演出に対して「リアルじゃない」というのは不毛で、「リアリティ」の話ではない。
「リアルな演出がしたい」のなら話は別だけど、創作においては「リアルな演出」のことを「リアリティ」と呼ぶわけではない。

なので、「見せたいもの」に関しては「リアル」にすべきだと思うけど、それ以外のものはあくまで「説得力」があれば良い。

キャラクターの場合は「清楚」を書きたいのなら「清楚」のエピソードを書けば良い。
ひょっとしたら、イメージは出来てもその「清楚」のエピソードを思いつかないから、その発想の起点としてリアリティについて悩み始めたんかな。
だとしたら、「清楚」という言葉から具体的なイメージを抽出していくといい。
「飾り気がない」「清らか」「立ち振る舞いが美しい」「謙虚」「上品」「淑やかだけど前向き」「ルールを守る」「誰に対しても優しい」
こんな感じかね。
そしたら、このワードをテーマに三題噺とか使って軽く小ネタを作る。
それで「清楚なエピソード」は作れる。
個人的には、これらワードを使った文章を考えてしまうのが楽。
例えば「悪さをした不良を優しく諭し、ルールを守って不正を暴く清楚さん」みたいな。
文章考えてしまえばなんとなくエピソードの形は出来るから、イメージしやすくなる。

ここに「リアル」を入れたいのなら、人は「熱血キャラクター」とか漫画のキャラクターみたく一面しか無いってことは稀なので、側面を用意すべきで、「清楚だけど○○」と別の面を考える。
これは個人的な感覚だけど、側面は「たまにしか見られない」から側面なわけで、例えば「清楚だけど腹黒」とかであれば、メインの「清楚」よりも側面の「腹黒」にこそ「リアルさ」を込めるべきじゃないかなと思う。
腹黒のリアルさが、かえって「清楚」に対する説得力になるからね。
まあ、これだと腹黒が悪目立ちしちゃうけども。
「ぼっちざろっく」でも、主人公は本当に一人きりのときは頭ハッピーな変な行動取ったりするじゃん。常にネガティブなわけじゃないでしょ。
そういう側面が、ボッチな人からすると「脳内でならこんな風にはっちゃけることはある」と思えてボッチな主人公に人間味を感じるんじゃないかな。

たぶん、スレ主さんが求めてるものは「そういうエピソードの総合的な印象」で、即物的なものではないと思うよ。

雑談、いいですか?

投稿者 あまくさ 投稿日時: : 1

すみません、ちょっと気になったので。以下はもとよりスレの論点ではないし、私の主観というか、解釈の問題に過ぎないかもしれないので、不快に感じられたらスルーしてください。

おそらくミステリ・マニアにとっては、ミステリ、とくに「ミステリー」ではなく「ミステリ」と記述する場合は、「本格推理もの」を指すことが多いように思います。
本格推理ものの典型作は、1929~1937年に書かれたエラリー・クイーンの「国名シリーズ」かと。このシリーズで作者は「すべての手がかりはフェアに読者に提示されており、論理的に思考すれば一切の謎が解ける」ことを標榜し(異論はありますが)、解決編の直前に「読者への挑戦状」を挿入しています。
日本の場合、ほぼ同時期に活躍した江戸川乱歩の本格推理ものが受けず、異常心理を前面に出した作品群がヒットしてしまったため、道が大きく分かれました。
戦後、乱歩の後を追った日本の推理作家達はクイーン流の本格ものも志向していましたが、ミステリとSFってアイデア勝負の部分が大きいので、「本格」は先人がネタを出しつくしてしまうと苦しいんですよね。過去の名作の「落ち穂拾い」をするしかなくなってしまいます。それゆえ、結局のところ異常な状況や心理に寄ってしまうのだと思われます。

そうした中、日本の現代推理小説のジャンルで最もエラリー・クイーンの遺伝子を素直に継承しているのは、私見では『名探偵コナン』ではないかと思います。
マンガというのはかなり荒唐無稽が許されるジャンルで、はなから「組織の開発した薬によって小学生の姿になってしまった高校生探偵」なんてトンデモ設定がありますから、リアリティの敷居が目一杯低く、要するに何でもありがベースになっているんですね。毛利小五郎にしても、リアルならあんなに何度も睡眠薬の静脈注射で眠らされたら深刻な後遺症に苦しむと思うのですが、そんなこと気にする読者・視聴者はいません。なので、多少トリックに無理があっても、推理に穴があっても通用してしまいます。そこを逆用して、今や小説の世界では不可能とも言える「古典的本格推理」ごっこをのびのびと楽しんでいるという、なかなかの発明だと思います。

   *   *   *

などと書きながら思い当たったのですが、小説の世界でわりと古典的な本格推理の雰囲気を醸し出しているのは、『謎解きはディナーのあとで』みたいなライト文芸っぽいところかもしれませんね。
そんなところからガチガチの推理マニアとは別の流れが発生している感じもあります。『ミステリと言う勿れ』なんかもそんな流れの中にあるような気も。
得てしてガチガチ派は純文学における「前衛小説」みたいに難しいとこに行ってしまう傾向があるのに対して、格式にこだわらないマンガやライト文芸の方が楽々と古典の風味を漂わせてしまうという。

だから今風の感覚では「ミステリ」は「軽推理もの」という感じになってきているのかな? なんかお洒落な語感がありますからね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: リアリティラインとは何なのか

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