魔法の設定についての返信
元記事を読む
魔法の設定について(元記事)
現代日本で失われた鉄道風景を中華風ファンタジー世界で再現しようとしている、ドラコンです。拙作の構想で、地下牢を出したく別スレッドで質問しましたが、話が別の方向に行きそうなので、新たにスレッドを立てさせていただきます。
魔法の設定について、2点ほど質問します。
1、魔法の歴史について
科学技術なら、時代が下るにつれて発展する(性能が上がる)イメージです。ですが、魔法の場合には、古い時代のほうが優れているイメージがあります。『ドラクエ5』のルーラは、失われた古代呪文で、研究者が復活させています。
拙作の構想では、主人公の時代より、2、300年前の時代の幽霊が登場する予定です。主人公にとっての「現代」と「2、300年前」とで、魔法の水準が同じで構わないのでしょうか。
主人公の時代に存在する、鏡を使った「テレビ電話」や「暗視カメラ」に当たる魔法道具が、「2、300年前」に存在してもいいものでしょうか。というより、むしろこれらの魔法道具が「2、300年前」に存在していないとならないのでしょうか。
『ドラクエ』をやっていると、『7』や『10』の主人公が何百年、何千年単位で過去の世界へ行くことがあります。そのわりに、「過去の世界」の衣食住の水準は主人公にとっての「現代」とあまり変わらないですね。むしろ『7』では、からくり(ロボット)の技術は過去のほうが上でしたし。
拙作では、「2、300年前」には鉄道は存在しないので、幽霊が畜力(馬やラクダ)で数箇月掛かった距離を鉄道で数日で移動し、驚くような場面は考えてあります。
2、魔法の制限
魔法の設定は後述しますが、魔法が使い放題だと、便利過ぎますよね。どう制限を掛けるかを迷っています。『ドラクエ』のように「MP」との数値があれば楽なのですが。それに『映画ドラえもん』だと、ひみつ道具を「忘れた」「壊れた」で使えないことも多いですね。ひみつ道具が使い放題だと、冒険になりませんからね。
以下、資料です。
●拙作の構想(出だし)
主人公の皇后、張銀鈴(ちょうぎんれい)(14歳)は、牢番の訓練のための囚人役を決める賭けすごろくで負け、3日間地下牢に入ることとなった。その地下牢で、2、300年前に獄した皇后の幽霊(幽閉の理由は側室の讒言)に出会い、とりつかれる。
●魔法の設定
・魔法の使用はお札など道具が必要。
・攻撃用の魔法よりも、生活系の魔法。主に家電を魔法に置き換える感じ。
・感覚は、『ドラえもん』のひみつ道具に近い。
・効果の高い魔法道具は、値段が高いか、使用者の体力・気力の消耗が激しい。若しくはその両方。
・現時点考えている魔法道具は具体的には以下の通り。
鏡を使った「テレビ電話」「暗視カメラ」。「テレビ電話」は使っていると曇るから、電話局に持ち込んで有料の磨き直しが必要(電話料金に相当)。
空飛ぶはがき。
容器そのものが呪符の「保温弁当箱」「魔法瓶」。
マッチに当たる「お札」か「棒」。
お札を張って使う「冷蔵庫」(プリペイド式携帯電話のように、電気代に当たるお札を買って箱に貼り付けると、有効期間中は中が冷たくなる)。
呪符になっている扇子なら、空中に浮かべてあおがせたり、大きくして武器として使ったりできる(重さは普通の扇子、強度は鋼)。
●関連スレッド
「幽霊が生者にとりつく理由は?」
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/counsel/novels/thread/881
「地下牢(地下空間)の居住性は?」
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/counsel/novels/thread/923
拙作の世界観については、下記のプロローグをご覧ください。
『(改稿版「駅編」) 寿国演義 お転婆皇后と、天空聖地と、雲表列車』
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/prologue/novels/thread/47
『寿国演義 庶民出お転婆皇后と、天空聖地と、雲表列車 (再投稿)』
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/prologue/novels/thread/38
魔法の設定についての返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 1
>科学技術なら、時代が下るにつれて発展する(性能が上がる)イメージです。ですが、魔法の場合には、古い時代のほうが優れているイメージがあります。
それは何とも言えないでしょう。
そもそもフィクションに登場する魔法は実在する物ではありませんから、実在の科学技術と比較することに無理があるし、どうとでも設定できるとしか言いようがありません。
ただし、実在しないなら実在する物のうちから似たものを見つけ、それによって類推することはできます。
例えば漢方医学。鍼やツボなどは原理が科学的に解明できているとは言えず、現状では疑似科学の域を出ません。しかし経験則としては一定の有効性は認められているようです。
西洋医学は現在進行形で原理と応用の研究が推進されている体系、漢方医学は原理が忘却され、応用のみが伝承されている体系なんですね。原理が分からないということは、「古い書物にこう書かれている」「先人はこのように行ってきた」ということを無批判に踏襲するしかなく、よって進歩・発展する推進力が弱いのだと考えられます。
物語において、現代または近未来社会に魔法を登場させる場合、失われた超古代・超文明の遺産という位置づけを与えていることがわりと多いように見えます。そういうものであれば、古代に行われていた手法と根本は変化せず、むしろかつてよりも不完全になっているだろうと予想されます。
よって、
>主人公にとっての「現代」と「2、300年前」とで、魔法の水準が同じで構わないのでしょうか。
これは同じ、またはいくらか衰退しているという状態が自然に思えます。
しかし一方で、設定の項に書かれている日常の道具として定着した魔法というイメージならば、すでに科学技術の一つとして社会に組み込まれている感じが強いです。そういうことなら原理も解明されている、または解明されつつあるということなのでは?
超古代文明の技術が一度忘れられ再発見されたという歴史を考えるにしても、再発見されたのは理念なのか、原理なのか、技術なのか、伝承なのか。そのあたりをどう設定するのかによって、いろいろバリエーションは広がるのではないかと思いました。