やはり最終的には文才でしょうか?の返信
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投稿者 たまねぎくん 投稿日時: : 0
一般的に文才と言われている能力は、二つに分かれます。
読みやすく正確に日本語の文章を書けることと、語彙の多さの両方を兼ね備えていること。
小説として面白い内容を構成する能力。
前者の能力は、もうあなたが今から必死で身につけようとしても、一生かかっても間に合わないぐらい難しい能力なので、諦めてしまいましょう。
中身で勝負します。
中身なんですが、これは本当に右脳だと思いますね。音楽的な感性です。
ですので、これこそ結局才能かな、と思うのですが……。
世の中には、つまらない小説を書いている人が、たくさんいます。たとえば夏目漱石、筒井康隆でも、面白いものと、つまらないものを書いています。たとえ、その人が信じられないぐらいの空前絶後の大傑作を時々書くとしてもです。三島由紀夫もですね。
ですので、自分に書けるものを一生懸命書けば、文才がなくても生きていくことはできますよ。(専業)作家として。あるいは、兼業作家として。
音楽を聞くのは脳を鍛えるいい方法じゃないかと思いますが、オカルティックな範囲に入っていく話題なので、気が向いたら試してみてください。
もしあなたが構成力のなさに絶望しているなら、試してもいいかもしれません。
構成力ってなにか、ですね。
なにか、話になりそうな、ならなそうな、そういう断片的なことをメモした時に、その中身のない部分的な妄想のような「断片」から、一篇の短編小説を創造する能力です。これが才能です。
これは文才の有無でできるかできないか決まります。しかし、つまらない小説を書いて生きていくことはできます。
それは、あなたがベストセラーの小説を読んで、
「これ、なんでこんなにつまらないのに売れてるんだろう……」
と思ったなら、要するに
「つまらないのに売れている小説がある」
ということの証明になりますし、私はそういう例をたくさん知っています。
例を列挙するのは怒られそうなので、やりませんが。
まあ一言だけいうと、つまんない純文学作家になるぐらいなら、ライトノベル作家になったほうがマシですし、つまんないライトノベル作家になるぐらいなら、純文学作家になったほうがマシです。
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