読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?の返信
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読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?(元記事)
こんにちは。
実はですね、前回質問した時にこんなにありがたいコメントを頂きました。
>普通に暮らせている皆が正しくて、発達障害を持っている僕が間違っている。
>それが僕の世界のルールです。
ってかいたら、とある方に。
これは、ね。心にジンっと来た。
不謹慎だと自分でも思うけど、でも事実です。
これを『文字として一切書かず、読者の心に届ける』
それができて、かつ読後感をさわやかにできれば飯を食えるよ。
それだけのテーマになりえます。
ラノベより一般、漫画でいえば少年誌ではなく青年誌で扱うテーマではありますが、向き不向きを超越するってのも新機軸としてアリです。
ってその方は書かれたんですね。
なので、「重たくてセンセーショナルな題材を、爽やかな後味にするにはどうすればいいんだろう?」
と思いました。
皆さんは重たいモチーフやテーマを扱う場合、何か気を付けている事はありますか?
それだけでなく、短編を数本完成できるくらいの力を付けた方が良いよ、とも書いていただきましたが、僕は短編を書いたことがないので、何か気を付けておいた方が良いことはありますか?
長編小説との違いなど教えて下されば幸いです。
読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?の返信
投稿者 手塚満 投稿日時: : 1
個人的にお悩みの内容自体にはなんとも回答のしようがありません。小説をどう書くかという点ですと、同好の者としまして、少しは申し上げられるかもしれません。
お書きの小説では、まず文章として読めない旨の指摘がありましたよね。私もそう感じます。
しかし、回答者1人からではありますが、竹牟礼さんの文章成功例があったわけですね。文章で気持ちがよく伝わった。どこでぐっと来たかもピンポイントで言ってもらえるものだった。
ここで感動した、と言ってもらえた2文の前後も見てみますと、感動した部分以外でしっかり準備されているのが分かります。それだけでなく、フォローもある。
以下、あえて一人称主人公のフィクションと考えてみて、どういう効果が生じているか、私見ながら説明してみます。
> うらやましいです。(9字)
まず、簡潔に相手(読者)に対する己が心情の吐露ですね。言葉を削って言いたいことだけに絞っているため、ある種のインパクトが生じます。同時に、簡潔すぎるので「どういうこと?」という疑問も生じ、続きを読みたくなります。
> 自分が自分のままでいられる場所にいられるなんて素晴らしいことですね。(34字)
少し文字数を増やして、心情吐露を続けている。読んでいて、なるほど、という納得が生じ始めます。
> 僕の住む世界は、「あんたの得意なことはあんたが勝手に探せばいいんじゃないの?その件にしては関知しないし、私たちが支援するのは、【普通の健常者】並みでなくても良いからまっとうに働けるように、あんたを普通にすることだけ。それ以外は手伝わない」というスタンスの家族や支援機関に囲まれた矮小な世界です。(170字)
急に長くなりました。正直なところ、目が滑りそうです。自分の住む世界をよく理解した風な、駄目出しする風な、嫌な感じもあります。急に長くなったことも災いして、なんとなく反発を感じ始めてしまいます。
> それに僕は余りにも多くの罪を背負い過ぎた。(21字)
が、急に字数が減り、しかも責める方向が主人公自身に向かい始めた。短いからよく分かりますし、再び「おや?」と疑問に思い、また続きを読みたくなります。引き寄せたり、押しのけたり、うまく読者を揺らしています。
> 家庭内の不仲が原因で精神的に追い詰められて、両親の財布から札束をパクったまま家出して一日ホームレス生活したり、キャンプ中にはしゃいで箸を振り回して間違って他人の目を突いちゃったり。大声で説教されたことで聴覚過敏が限界に達し、家で大暴れして精神病院に入院したり。数え上げれば枚挙に暇がありません。(149字)
そしてまた長くなる。これも目が滑りそうですし、大変そうだなという気はするものの、一生懸命読みたい内容でもない。飽きて来て、続きもこんな調子ならと思うと、読むのをやめたくなってくる。
> 悪気はほとんどなかったとはいえ、僕はその罪を今償っています。(30字)
ところが、また字数が減る。ここさえ読めば一人称主人公がどう思っているか分かるし、前段が経験例であることも分かります。前段はしっかり読まなくても大丈夫だった、と安心して読み進められるわけですね。
こんなの読んでいて大丈夫かな、と思ったら安心させる。これも、読者をうまく揺らしています。
> また道徳的な罪を犯せば、どのみちホームレスかムショ行きです。(30字)
突如としてショッキングな未来予測を、字数少なく簡潔に提示しています。読んでいて「そうなったら大変だ」と、すっと分かる、感じることができるわけですね。
> だから今のままの自分を愛して許すなんて甘ったれた事、だあれも許しちゃくれないし、望んでなんかいないんですよ。(54字)
ちょっと長くなり、しかも愚痴。あんまり読みたいものではない。ただ、「だあれも」と口語的な点が印象的で、読者を引き留める要素はあります。
> いつだってそう。(8字)
そして、出だしとほぼ同字数の最短の8字で断言。体言止めであることが断言性を強めてもいます。愚痴りたい状況が常態化していることが伝わります。
ここまでで、読んでいて嫌な感じがするものがあるわけですが、嫌な感じがするからこそ、この一文が活きています。「読んで感じた嫌な感じが、いつもあるんだ」と感じられるわけです。
> 皆が正しくて僕が間違っている。(15字)
少し長くなるもたかが15字で、対比(皆 vs 僕)がうまく使われていて、すっと入ってきます。
> それが僕の世界のルールです。(14字)
なるほどそう主人公は思うのか、という読者理解に14字で追撃、主人公視点での「皆と僕の世界」を浮かび上がらせています。
> どうすればいいんでしょうね、いや、どうしたらよかったんですかね。(32字)
そうしておいて、主人公の意思決定の話に持っていく。しかし、主人公には分からない。ここも対比が使われていて、これからどうするか、と考えてから、いや問題は過去にあったかもしれない、としているわけです。読者も考えが揺れて、主人公とシンクロが生じやすくなります。
極めの2文について、段取りとフォローがこうなっているわけです。だからその2文で感動できる。テンポ、緩急、文意の方向等がなかなか見事じゃないですか。
しかし、竹牟礼さんは、引用したようでいて改変してしまい、せっかくの読者から失望されてしまいましたね。
あくまでも私が受けた印象ですが、受けた個所を強調しようと、文を長くしたことが大きく災いしたように思います。要は、ここが良かった、と言われたら、そこを声を大にして言ってしまった。
竹牟礼さんの小説にも同じことが言えるかもしれません。文章が分かりにくい点は置いておきます(上記のように分かりやすく書けるんですから、同じようにやればいい)。
受ける、受けたいと思う箇所のみに注力し、くどくなって読みたくないものになってしまう。段取りやフォローということに手間暇かけない。自分が感動したことのみを、くどくど言い立てる。
そうではないんです。竹牟礼さんが感動した内容ではなく、感動に至る経過を書かないといけないのです。でないと、作者が感動したという感想に感動させるという、ほぼ不可能な試みになってしまいます(大勢が大好きでよく知っている有名人なら、あるいは誰もが知る大事件などなら、それでもいいけど)。
自作小説の主人公が、作者の自己投影でも構いません。しかし、作者が自己投影し、感情移入している気持ちのままで主人公を描くのは避けるべきです。少なくとも序盤はダメです。
序盤では、どうして自己投影できたか、感情移入できたかを書くべきです。そうしてもらえると、読者としても主人公に感情移入できるかどうかの判断ができます。感情移入できそうなら、読み進めることもできます。
間違っても、「この主人公は凄いぜ、どうだ!」といった感じで、心情や活躍を読者に叩きつけてはいけません。そういうのは、読者を鞭打つに等しいといっていいくらいです。痛いだけですから、読者は逃げます。
長編と短編の違いについてお尋ねでしたので、私見ですが少し。
掌編;アイデアを語り、スパッと落とす。キャラは情景の一部でしかない。
短編:イベントを通じて、最後に主人公のキャラを立てる。
長編:キャラを立てて、ストーリーでキャラの活躍を描く。
短編の続きが長編みたいになりそうですが、そうではありません。短編では、ラストの続きを書いたら、せっかく立てた主人公のキャラが台無しになるくらい、ラストで目いっぱいにするのがいいと思います。
言い換えれば、話の矛盾とか主人公キャラの難点とかを、物語の後に隠してしまうということになります。「完」と書いたら、後は野となれ山となれ、ですね。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?