追記
元記事を読む
読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?の返信(元記事)
とある方は「これを『文字として一切書かず、読者の心に届ける』それができて、かつ読後感をさわやかにできれば飯を食えるよ」と仰っているわけですから。
そんなに簡単にアドバイスできるようなことではないし、ご自身で模索してつかみ取らなければ意味が無いのでは?
ですが、袖振り合うも多生の縁。せっかくなのでヒントくらいは考えてみます。
……と言っても、別に偉そうにヒントを与えるとかいうことではないですよ。私だって正解なんて分かりませんから、自分の今後のためのヒントということでもあります。
>重たくてセンセーショナルな題材を、爽やかな後味にするにはどうすればいいんだろう?
端的に言えば、「気持ちを切り替えて、前に進む」でしょうか。
人間なんて不完全な生き物。何をやっても上手くいかないことばかりです。しかし前進しなければ事態を好転させる可能性は閉ざされるので。
成長、ということをよく言いますが、物語のラストで読者に見せるのはそんな大袈裟なものではなく「変化の兆し」くらいで十分なんじゃないかと私は思います。その方がリアルだし、成長って少し暑っ苦しくもありますから兆しくらいの方が爽やかです。
>僕は短編を書いたことがないので、何か気を付けておいた方が良いことはありますか?
>長編小説との違いなど教えて下されば幸いです。
長編なら一から十まで書くところ、短編は最も重要と思われる一つのモチーフに焦点をしぼる……かな? それと起承転結というのは長編より短編に当てはめやすい気がしています。
大阪本町 糸屋の娘
姉は十六 妹が十四
諸国大名は 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す
これは頼山陽が起承転結を弟子に理解させるために示した俗謡だそうですが、確かに3行目と4行目が見事です。短編はこの呼吸で。
追記
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
もう一度、『聲の形』に話をもどすと。
あの主人公の不幸は「居場所を失った」ということなんですね。物理的な居場所ではなく、人との繋がりという意味での居場所です。
そしてラストでは、主人公が居場所を取り戻すことができるかもしれないという希望を見せていました。そこに一筋の爽やかさがあるのだと感じます。
* * *
皆が正しくて僕が間違っている。それが僕の世界のルールです。
これも居場所がないということです。だってそれが「僕の世界」なんだから逃れようがないんですね。
『聲の形』の主人公が居場所を失ったのは、小学校時代に皆(周囲の生徒や教師)が保身のため彼を裏切ったからです。
しかし、そんな皆だって自分の居場所を守るために必死なんですよ。
人間は誰だって自分の居場所を失うのは恐い。内心では怯えているんです。
それは「健常者」だって同じ。ただ「多数派」であるため居場所を確保しやすい立場にいるというだけなんです。しかし、いつかその有利な立場から転落する可能性があることを心のどこかでは感じていて、ひどく怯えているんです。
それが「皆の裏切り」の本質。いじめっ子が一瞬でいじめられっ子に転落することがあるメカニズムです。
* * *
>皆さんは重たいモチーフやテーマを扱う場合、何か気を付けている事はありますか?
私の場合、やりたいことが基本エンタメですからね。
しかし、考えてみると単純なバトルものまで含めても、物語の根底には「居場所」の問題はあるような気もします。
正義の味方と悪って、つまるところ「居場所を守りたい者」と「居場所を壊したい者」なんですよね。
人間は社会的な生物です。
しかし蟻や蜂は本能で社会を作りますが、人間は本能の壊れた生物なので「知性」という不完全なもので代用して社会を作っています。だから上手くいかないことがたくさん出てくるし、あっちこっちで人は変なことばかり仕出かすんです。善意と善意の間に争いが生じることも有るし、悪が生まれもします。
そうして発生する波乱をいかに乗り切るか。そこを考えるのが物語というものなのかなと。
* * *
竹牟礼さんが実体験を書きたいなら、私はそれもいいと思いますよ。もともと作者と主人公が一緒に成長したい、ASDに悩む人のための物語を書きたいと仰っていたのですから。エンタメを目指す書き手と方向が違うのは当然のことです。
そもそも日本の文学史には私小説という伝統もあって、かつてはそういう姿勢が一つの王道と考えられていたんですね。今は古臭い考え方として否定する人が多いかもしれませんが、竹牟礼さんがそれをやりたいなら他人がとやかく言うことではありません。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?