ドストエフスキーとヒトラーの「神々の黄昏」
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主人公がいない!の返信(元記事)
たとえば、有り得ない話として、主人公が知略やらチームワークやらで、ラスボスを打ち負かしたとしても、バトルモノとして、そこにカタルシスがあっても、私が書きたい物とはずれているように思えます。彼を本当の意味で負かすには、単に実力が上回っていればいいわけではなく、「一等の人類」を否定できるテーマがないといけない。
今の私にはそれが思いつけない、というのも主人公を考えられない理由の一つかもしれません。
ドストエフスキーとヒトラーの「神々の黄昏」
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
『悪霊』のスタヴローギンか。『罪と罰』のスヴィドリガイロフというのも不思議な人物像でしたね。
ドストエフスキーには確かに超人思想が見受けられますが、彼の作中人物は物理的な力を持つわけではなく哲学的な超人なんですね。究極の自由を得ることによって善悪を超えるみたいな。違うか。善悪を超えることによって究極の自由を得るのかな?
とまれ物理的な力と超人思想が融合すると、冷酷な暴力に行きつきかねません。ドストエフスキーよりも、ワグナーに憧れたアドルフ・ヒトラーに近いかもしれません。
というあたりで、「一等の人類」を否定できるテーマになりませんか?