小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:凄く納得しました!

う~ん、なるほど、謎が解けた気分です。
要するに箇条書きにすると。
・自分が書きたいことに無理な力を入れすぎていて、くどすぎるので要改善。
小説は作者に読まれるためのものではなく、読者に読まれるためのもの。
・自分しか感動出来ないものを、他の人にも感動できるように調整するのは止めた方が良い。
・お化け屋敷の主よろしく小説という名のお化け屋敷をどう上手く作って、お客さんを喜ばせるかを考えた方が良い。
こういうことですね。
長編と短編の違いがよくわかりました。
まさか、掌編の説明までして下さるとは思いませんでした。
ヤフーの知恵袋でいえばまさしくベストアンサーです!
ありがとうございます。
あと、僕が書いた小説をご覧になってくださった、ということですが、例えばどの辺が痛々しい、もしくは読みにくいでしょうか?
改善点を指摘して下されば幸いです。
引用して下さって結構ですので教えて頂けませんか?

上記の回答(凄く納得しました!の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

追加のご質問に誠実に回答しようと書いてはみたものの、著しくきついものになりました。

ボロカスにこき下ろす内容でも読める、受け止められるとお思いになれない場合、以下は読まないようにしてください。

―――――(注意)以下、非常に辛らつです――――――

「白きエルフに花束を」でよろしいでしょうか。この作品はもう前から批評、感想をこちらで貰ってお出でのはずで、アドバイスもずいぶんたくさんあったはずです。私は読もうとはしたものの、途中で挫折しました。無駄、冗長、分かりにくい等々があり、少なくとも楽しみのためには読めるものではありませんでしたから。

「楽しむため」というのは、読者の大事なポイントですから、きっちり押さえておいてください。つまらなかったら読まないし、感想も言わないのです。自分の場合ですと、読み始めて、30秒~3分くらいで判断します。ただ、小説を改善したいということでしたので、かなり読みはしたんですが。しかし、読んだところまででは作品の狙いなどが見当がつかなかった記憶があります。文章的にもよく分からなかったせいか、内容もほとんど覚えておりません。

しかし、ご要望がありましたので、改めて拝読しました。申し訳ないのですが、「白の章(壱)」で挫折しました(正確には、「白の章(弐)」出だしまで読んで、この後も同じ調子だろうと判断した)。とだけ言っても、どうしてなのかは伝わらないですよね。「白の章(壱)」から、少し説明してみます。

まず出だし。

> 「オラァ、レイヤァ‼汝ゃー真っ昼間までー寝んとーんぐわーしーがぁ?(オラァ、レイヤァ‼てめえ真っ昼間までねているつもりかぁ?)そーそー起きれェ‼(さっさと起きろォ‼)」

激しい台詞で始めるのは、「なんだろう?」と思わせる効果を出しやすい。だけど、意味が分かりません。カッコ内を読むと分かりますが、何も知らない読者がどう読むか、想像されたでしょうか?

こんな感じになるんです。

> 「オラァ、レイヤァ‼汝ゃー真っ昼間までー寝んとーんぐわーしーがぁ?
(なんとなく昼間、寝ている、くらいしか分からない。)
 ↓
> (オラァ、レイヤァ‼てめえ真っ昼間までねているつもりかぁ?)
(カッコに気が付けばですが、翻訳されているらしいと思うが、確信はなく不安)
 ↓
> そーそー起きれェ‼
(また分からない。カッコはどこかと目が泳ぐ)
 ↓
> (さっさと起きろォ‼)」
(起こしているらしいと思うが、台詞が分断された感じで、カギカッコ全体で何を言っているか把握するのが難しく、読み直す必要が生じたりする)

台詞回しについては、指摘があったんじゃなかったでしょうか。なぜ、最初に読み解くのが難しい台詞を入れたままなんでしょうか。この後は、父親の台詞でも分かるように書いているものが多いですよね。
何らかの方言そのままのほうが雰囲気やリアリティが出るとお考えなら間違いです。分からないものに雰囲気は感じられませんし、読むのに苦労する文章にリアリティは生じません。

続いて見てみます。

> 朝一番だというのに、父親に重い一撃を腹に叩き込まれた。
> 『剛柔流空手・足刀蹴り』

たぶん、『 』内は技の説明代わりでしょうか。剛柔流空手使いと説明するため? でも、この出だしで必要でしょうか? 剛柔流と分かると、何らかの効果が出ますか? おそらく出ないですよ。「ああ、空手の流派ね」くらいです。どうでもいい。
大事なのは、いきなりの暴力ではないんですか? 突発で劇的な出来事をなぜくどくど説明するんでしょう? 読者に何を伝えたんでしょうか。

> 「ぐふぶぇっっ」

ようやく反応です。遅いですよ。重い一撃と説明する前に、この悲鳴ではないでしょうか。

> 嗚呼、また止めどない暴力と、不条理に満ち満ちた一日が始まってしまった。

この語りが読者には分かりません。語り手(この時点では一人称か三人称か不明、後述します)は「嗚呼」と言い、何らかの感慨を込めている。

いきなり感慨込められたって、分かりません。読者はまだ、作中のどのキャラとも赤の他人、見ず知らずの状態です。キャラ周囲の状況(場所、時代等々)だって分かってない。

現実世界で見ず知らずの人がいきなり殴られている、蹴られているのを見たらびっくりします。ですが、その直後に被害者が「嗚呼、また止めどないい暴力と」と言い出したとしても、何が起きているか分からないでしょう? 暴力が一度ならずであることくらいは分かる。ですが、どの程度なのか、不条理に満ちたってどういうことか、分かりはしません。

作品に戻りまして、だけど作者には分かっている。キャラを作り、どういう状況か設定しているから、いきなり感慨込めたって分かる。しかし読者にはまだそういう情報は伝わっていない。何も知らないことについて、いきなり感想聞かされているわけです。そういう感想が出たのはなぜなんだ、をまず語らないといけません。

> 起きないと更に暴力を振るわれそうなので、布団を蹴り飛ばし、飛び起きる。

ここで分からなくなります。最初の「足刀蹴り」です。普通、横蹴りを想像しますよね。だけど、主人公は寝ている。どうやって蹴り入れたんだと。実は最初の段階でも(父親が起こそうとしたらしいので)奇妙に感じるんですが、ここではっきり疑問になります。

横たわっている人間に横蹴り。何をどうしたんだ、と。そもそも寝ている状況だって分からない。布団か、ベッドか。ベッドなら高さがあるから、横向きに寝ていれば蹴れるかも。そんなことを考えないとシーンが成り立たないわけです。しかも、「ぐふぶぇっっ」と呻くほどの一撃だったはず。なぜ飛び起きられるんでしょうか。鍛錬しているなら、とっさに行動できるかもしれない。そういうことも想像しないと、何がどうなっているか分からなくなります。

あれかこれかと迷うようなことを読者にさせてはいけません。読者に演出を任せすぎてはいけない。全部、作者の仕事です。

>「ったく、こうでもしねえと起きねえんだもんな?くぬふらーが!(この馬鹿が!)

また、カッコ付きでないと分からない台詞を入れている。それだけではないです。ここまで読んで分からなくなる点がまだあります。

主人公は本当に寝てたんでしょうか? 起こしに来た父親の台詞、動作を細かく説明できてますよね。眠っていたとしたら、そんなことできるわけがない。起きていて、しっかり聞き、はっきり見ていないと、一人称だとしたら描写はできない。普通、何が起きたか分からない、となるはずです。

だとすると三人称か、と思うわけです。だけど、この後の《2》に入ると、地の文で「僕」と言っている。となると、《1》も一人称のつもりで書いたわけですよね。《2》で一人称と気が付くと、分からなくなります。シーンイメージも想像しなおしになります。

作者は分かっているから自分の文章読んでも分かるし、自分が分かるから読者も分かると思いがちです。でも違うんです。読者には分からない。物凄く平易に書いてもらわないと、分からないんです。どのくらい平易にすればいいかですが、おおむね「十歳の子に読み聞かせても分かるくらい」が必要です。読むんじゃなくて、聞いて分かる程度ということですね。

> さっさと飯食って学校に行け!」

なぜか台詞途中で改行があります。他の部分と比べても長いわけではなく、読みにくいわけでもない。かえって、改行を入れたためにどこまでが台詞か、直感的には掴みにくくなっています。可読性を下げてしまっている、ということです。

> 急いで階段を駆け下りる途中で、妹とお母さんが神に祈っているのをちらりと見かけたが、見なかった事にしよう。

ここで「見なかった事にしよう」の通りなら、まだ大丈夫だったかもしれません。もっとも、それでもキャラ紹介は避けたほうがいいでしょう。のっけから何人も新キャラが出てくると、読んでいて大変なんです。
これも作者は分かっているが、読者には分からない、あるいは負担になります。

> うちの妹は、十二の齢にしてキリスト教の敬虔な信徒なのだ。

妹の紹介を始めてしまっています。このシーンに必要ないですよね? 「十二の齢にして」というもったいぶった言い方もしており、せっかく考えたキャラだから早く出してみたいんでしょうか? 情報を詰め込まれては読むのに苦労します。

> おまけに聖書の【創世記】の始めから【ヨハネの黙示録】の終わりまでだけでなく、アポクリファまでも既に全て暗記していて、その敬虔深さと知識量が認められて、牧師の資格を持っている。

聖書に詳しいと印象付けようとしていますが、そのことをこのシーンで使ってませんよね。これも、設定したことだから書いておきたい、でしかありません。次に聖書が出てくるのは、いつでしょうか。当面は見当たらないようです。

当面は活躍もしない妹を、聖書で強調している点、読者に叩きつけていると同時に、無駄に読ませてしまってもいます。竹牟礼さんはそういう癖がおありのようです。考えたことは書いてしまう。

ここまで、たった445字です。原稿用紙換算で1枚ちょっと超えた程度。なのに、問題点がこれだけあります。しかも、問題点を全部洗い出せたとは思いません。

キリがありませんので、《2》まで飛ばしまして、特に《1》と同様、目につく無駄についてだけ少し。三角形の中心に『要石の祠』の描写です。その問題を出したのが誰で、どういう人で、問題はこういう小問に別れてて、解き方の手順まで書いてある。

これが思わず「おお、そういうやり方があるのか」と驚くような、パズル的な面白さがあるならいいです。でも違いますよね。三角形の中心というだけ。そこに『要石の祠』があるというだけ。『要石の祠』は大事なものらしいですが、読者はまだそんなこと知りません。興味の持ちようがないのです。これも設定作った作者との差異です。『要石の祠』が何かを知っている作者しかワクワクできないのです。
(続きます)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?

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元記事:凄く納得しました!

う~ん、なるほど、謎が解けた気分です。
要するに箇条書きにすると。
・自分が書きたいことに無理な力を入れすぎていて、くどすぎるので要改善。
小説は作者に読まれるためのものではなく、読者に読まれるためのもの。
・自分しか感動出来ないものを、他の人にも感動できるように調整するのは止めた方が良い。
・お化け屋敷の主よろしく小説という名のお化け屋敷をどう上手く作って、お客さんを喜ばせるかを考えた方が良い。
こういうことですね。
長編と短編の違いがよくわかりました。
まさか、掌編の説明までして下さるとは思いませんでした。
ヤフーの知恵袋でいえばまさしくベストアンサーです!
ありがとうございます。
あと、僕が書いた小説をご覧になってくださった、ということですが、例えばどの辺が痛々しい、もしくは読みにくいでしょうか?
改善点を指摘して下されば幸いです。
引用して下さって結構ですので教えて頂けませんか?

上記の回答(凄く納得しました!の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

続きですが、この返信もボロカスにこき下ろす内容でも読める、受け止められるとお思いになれない場合、以下は読まないようにしてください。

―――――(注意)以下、非常に辛らつです――――――

一番大きな問題点は「思いついたことを書いてしまう」癖だろうと思います。自分が思いついたことを書くのは面白いものです。自分がイメージしたこと、考えたことが文章になるわけですからね。自分には良く分かるし。自分が工夫したことだから充実感などもある。

だけど、読者と共有できるものではないですよね。作者の内面や努力なんですから。読者に提示するのは小説本体だけです。

読者は、「すらすら読めて分かり、苦も無くイメージできて、しかも面白いもの」しか求めていません。勉強するつもりで読むのではないですから、当然です。読者は作品を改善したいとも思わないし、作者の力量を上げようとも思わない。ただただ、「面白いものが欲しい」としか思ってないんです。

だから、作者が考えたことを知ってもらおうとしてはダメです。読者が知りたくなること、読者が意外に思うことを与えてください。面白いこと思いついても、人に話してみると面白がられない経験はあるはずです。思いついたことの99%くらいは他人は面白がってくれない。ですから小説を書くときも、考えたことのうち、最高の1%しか書いてはいけないのです。

しかし、いきなり最高の1%なんて書き出せませんよね。だから推敲するんです。主に削りに削る作業になります。自分の書いたものだから惜しむ気持ちが起こりますが、「神に遭うては神を斬り、仏に遭うては仏を斬り」(捨てるのが惜しいものほど、捨てなければならない)でやらないと、他人が読んでくれるものにはなりません。

そうまでしても、つまらないと言われることは多いと思います。ですが、「どこがつまらないのか?」と尋ねてはいけません。何かがつまらなくしているなら、「惜しいなあ」とか「せめて、ここはこうしてくれたら」と言ってくれます。

「つまらない」って、たいていは「面白いところがなかった」です。なのに、「どこがつまらない?」と聞かれたら困ります。喩えてみると、白紙を見せられて「ここには何が書いてない?」と聞かれるようなものです。

「つまらない」とだけ言われたら、面白いところがなかったと覚悟してください。ただ、感想は読者ごとですから、過剰に心配する必要はありませんが(感想を気にし過ぎると、方向性を失って迷走するリスクがある)。

私自身、以上のことが全部、充分にできているとは到底言えませんが、読者(これは日本語が読めれば充分)として感じ、書くのができる人の話も加味して、こうしたほうがいいという意見をまとめてみました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?

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元記事:学園異能バトルものはオワコンなのか

はじめまして。藤村と申します。
最近、ファンタジー学園ものはありますが、学園異能バトル(現代)ものはほとんど見かけません。
なので、もうすでにブームは去っていて、書き手としてもそれは避けたほうがよろしいのでしょうか。
回答、お待ちしております。

上記の回答(学園異能バトルものはオワコンなのかの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

学園異能バトル(現代)ものと表現されるほどのジャンルとなったわけですが、要素の組み合わせですよね。それぞれが何かということは、考えておく必要があるように思います。

・学園:舞台であり、基本的なフォーマットが分かりやすい。範囲が自然と限定されもする。
・異能:誰もが欲しくなるような常人にない能力であり、キャラの分かりやすい個性・特徴でもある。
・バトル:見せ場が戦いであることを意味している。
・現代:時代区分であり、現代は歴史的知識もほぼ不要で最も分かりやすい。近未来も現在の延長で分かる。

学園物がオワコンということはないですよね。現役中高生に対しては身近で分かりやすい舞台ですし、それ以上の年齢層でもほとんどが元中高生であり、誰もがよく知っているし、懐かしく思う人も多い。

異能もオワコンではないですよね。魔法、超能力が使えたらと思う人は多いし、本当にあると信じている人も古代からいるし、現代にもいる。それくらい欲しいものであるわけです。

バトルがオワコンということもないですよね。戦う物語が廃れたなんて話は全く聞きません。相変わらず燃える分野のはずです。

近未来含む現代劇だってオワコンではない。TVドラマなんかだと現代劇は分かりやすいだけでなく、作りやすいこともあって相変わらず多い。

どれもオワコンではない。しかし、仰ることも正しいですよね。学園異能バトル現代劇だと、新たに大きくヒットした学園異能バトル現代劇が思い当たりません。要素を考えると廃れる要因がどうも見当たらない感じなのに、なぜそうなっているのか。

そもそも学園異能バトル現代劇って、どうして流行り始めたのか。そのジャンルで思い当たるのは、現在もアニメが放映されている「とある魔術の禁書目録」があります。アニメ化もスピンオフ含めて、いくつもある。「最弱が凄い」というのも、「とある」シリーズで広まった手法ではないかと思います。「最弱」も一時はいろんな作品で盛んに取り入れられました。

おそらく、オワコンになって来たのは「とある」類似作ではないかと思います。「とある」が気に入った人が、似たような作品を求め、その需要に応えて追随者が作品を供給してきたわけですが、直接的なバリエーションがそろそろ尽きてきた可能性が考えられます。「とある」初出が2004年ですからね。14年も類似作が出続ければ、そういうことになってもおかしくありません。

バトルがメインではない同時期のものとしては、「ゼロの使い魔」(2004年~2017年)が思い浮かびます。バトルはメインでないけれど、異世界転移ものです。「ゼロの使い魔」をそのまま踏襲した作品は多くないと思いますが、異世界転移の書きやすさを知らしめる効果はあったんじゃないかと思います。なにせ、現代の若者の感覚で記述していいんですから。

作者ヤマグチノボルさんの病没は痛恨でした。他の作者でシリーズは完結はしたものの、同じ路線をジャンルにまで引き上げられなかったのは、ヤマグチさんが書き続けられなかったことが大きいように思います。

異能がないけどバトルが凄いのが「フルメタル・パニック!」(1998年~2011年)でしょうか。もう何年も前に完結していますが、アニメはつい最近も作られ、放映されました。これの直接的な類似作は、やはりあまりないように思います。SF要素も濃いですからベースとなる科学考証もシビアになりますし、軍事関連も詳しく記述しないといけません。かなりの勉強量を要しますから、容易に真似ができない。

こういった人気作の中で、「とある」はフォーマットが確立され、かつ平易でもあったので見様見真似もしやすかったといえるように思います。だから、追随者が出て、ジャンルとなり栄えた面があるように感じます。だけど上述しましたように、「とある」を意識的、無意識的に追う人が十数年出ていれば、やはり「とある」以外は淘汰されてしまうんでしょう。

ですので、繰り返しになりますが、オワコンになったのは「とある類似作」であって、学園異能バトル現代劇という括りだと、オワコンということではないと思います。単に追随したくなる新作が出てこないだけです。

言い換えれば、学園異能バトル現代劇に付加するべき、めぼしい新機軸が出てないということですね。私は自分にオリジナリティがないことを自覚していますので、学園異能バトル現代劇を狙ったら失敗するのは確実ですが、アイデアが出せる人はオワコンかどうかなんて気にしてないんじゃないでしょうか。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 学園異能バトルものはオワコンなのか

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元記事:書きたい話があるんです。

初めまして。ちょっと相談したいことがあります。ここの利用者の方で、書きたい話があるから創作を始めたという方はいらっしゃいますでしょうか。

自分はまだ一つも作品を作ったことがありません。ですが、書きたい話があります。
10年くらい前から、自分で作ったキャラを頭の中で動かしたり、競わせたりという遊びをやってきました。
最初は眠れない時の為の暇潰しという感覚でしたが、続けているうちにキャラクターにも愛着がわいてきまして。
で、そいつらを使った話を作ってやろうと決めたはいいものの、ストーリーがなかなか決まりきらず。そうして執筆開始をずっと先延ばしにしてきたのですが、ここ3年程でストーリーの大まかな流れがやっと決まり始めました(遅いですね)。
構想を進めていったのですが、その中には、自分でも納得のいく出来の話もいくつかは作れました。

ですが、ストーリーの約半分くらいが出来たところで、(冒頭からラストまでの流れの中で、構想できてる部分が半分くらいという意味です)ストーリーを作っていくことに不安を感じるようになってしまいました。

理由としては、これまで作品を作ったことがない未熟さも考えられますが、もう一つ、構想に時間をかけすぎたということが考えられるのです。

これまで、暇な時にはキャラを動かしたりするということを、10年くらいしてきました。おそらく、これを欠かした日は少ないと思います。結果として、この話は自分の人生の中でも特に大きな要素となってしまいました。

もしこの話が完成してしまったら、自分の人生は終わってしまうのではないだろうか、という不安を、いつからか感じるようになってきてしまいました。
もちろん他にやりたいことはありますが、大目標であるこれを達成してしまったら、クリア後のゲームの世界を生きているようになってしまうのではないだろうかという感覚があります。

他に作りたい話が特にあるわけではありません。キャラクターやネタのストックも、思い付くものは全てこの話に還元してます。ですので、この話が完成したら他の話を書くという可能性は低いと思います。

それでも、この話だけはいずれ完成させたいと思ってはいるのですが。

前置きが長くなってしまいましたが、ここで相談です。

これまで作品を完結させること、あるいはそもそも執筆を始めることに抵抗を感じてきた方。それをどのように克服されましたか。

答えていただけたら幸いです。

上記の回答(書きたい話があるんです。の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

自分の全てを出し尽くす結果に対する不安って、小説だけではないですね。本当に出し尽くせるのか、ということは置いておきます(その点については、既に優れた回答もありますから)。

例えば、作曲でも同じようなことを親しく聞いたことがあります。ある方(極めて優秀な方です)が今まで学んだこと、優れた曲をいくつもなんども聞いて感じたこと等々、自分にあるすべてを投入して曲を作るつもりだから、その後はもう曲は作れなくなりそうだ、とのことでした(加えて年齢的になこともあったけれど、まだ引退するような歳ではなかった)。

自分は己が半人前であることもわきまえず、「いや、音符一つ一つが選択の結果でしょう。選ばなかった音符だったらどうなっていたかと考えたら、終わらないんじゃないですか」と申し上げてみました。その方はそれに対して特に何も仰いませんでしたが、その後もときどき話をするようになりました。

小説の完成前には、完成後のイメージがブレているという問題があります。まず、イメージできる完成結果は、しばしば可能性の塊になっています。主人公含む各キャラは、常に何かから選択して行うという、意思決定を行っています。ですので、「もし選ばなかった選択肢を選んでいたらどうなったか」という疑問が残されます。しかも多数です。

ちょっとお金で例えてみます。自由に使ってもいい一万円を持っているとします。いくら自由だからといって、何に使おうか考えますよね。美味しい食事もあるでしょうし、映画を何本も観てもいいし、映像ソフト買うとか、普段は手を出さない高額の書籍等々、組み合わせも含めて、一万円の使途は数多とあります。

何にしようか考えているときにはワクワクします。だけど、実際に使うときには、たった一通りでしか使えません。一万円のステーキと一万円の映像ソフト両方というわけにはいかない。一万円を使う前のワクワクは「1万円×選択肢の数」です。使うときには一万円の価値のもの一つしか手に入りません。物凄く落差があります。

全力を出したらもう何も残らないんじゃないかという不安は、おそらくは使う前の一万円の評価です。まだ作品が(最終の)形になっていないので、可能性の塊全部を見て、やりつくしてしまうと感じているのはないでしょうか。

実際に形にできるのは、非常に具体的な一例にすぎません。「主人公がこのときこうしていたら」という、書かなかった選択肢は膨大に生じます。物凄く上手く書けても、膨大な可能性の中に一つに過ぎない。可能性の一つを実現したら、他の可能性がどうしても思い浮かんでします。書いたらお終いどころか、終われないのが業であるのが小説ですし、創作一般はたいていそうでしょう。

もちろんそうらならない可能性は考えられますね。サタンさんがいい例を挙げていらっしゃいます。「風と共に去りぬ」ですね。実質的に自伝なのでは、別作品が書けないのも道理です。作品完結以降の自分の経験が溜まらないといけないんですから。

では、同様のことがTourdionさんにも起こるか、と考えると、どうもそうなりそうにありません。なぜなら、書こうとしている小説のキャラクターは想像で作り上げ、活躍も想像してできてきたものですよね。ご自身の経験も加味されているでしょうけど、大半が想像の為せる業のはずです。だったら、ネタは尽きません。

しかし、ネタ切れで書けないってよく聞きますね。やっぱり、全力を尽くしたらネタ切れになるのか。知ってることも、考えられることも使っちゃうわけですから、不安にはなります。しかし、想像の産物なんです。知ってることは生きていれば増えるし、勉強すればさらに急速に増えます。知ってることが増えたら、考えられることも増えます。

それでも、勉強しているようだし考えてもいるらしい人(本人もそう思っている)がネタ切れと言うこともあります。荒木飛呂彦さんによればですが、興味が尽きるとネタも尽きるんだそうです。ネタが尽きたんじゃなくて、興味が尽きるわけですね。

その場合、書けなくても問題はないでしょう。もう興味がないんなら、やりたいと思ってないわけです。仕事だったら解決策を考えないといけませんが、趣味でやっているのなら問題ないでしょう。他の面白いことをやればいいだけなんですから。

結局、全力を傾けて書き上げてみても、問題になるようなことは起こりそうにありません。書き上げてみたらもっとできると思うか、もう充分やれたと満足するか、どちらかなんですから。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書きたい話があるんです。

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元記事:「名前だけ借りた別物」の是非の返信の返信

はいせんせい( ゚Д゚)ノ
ヴァンピールは吸血鬼ハンターDだと思うの。カムパネルラならぬ「ヴァンパネラ」だったはず。ググったらとんでもエロアニメに誘導されたけど(笑)

上記の回答(「名前だけ借りた別物」の是非の返信の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

読むせんさん(No.5)へ

横から申し訳ありませんが、ご指摘は必ずしも正しくはなく、多少混乱しておられる恐れがあるように思います。

・ヴァンピール:「ポーの一族」では、ポーの一族(バンパネラ/ヴァンパネラ)とは別系統の吸血鬼種族。登場キャラではファルカがいる。

・ダンピール:東欧などの伝説に登場し、吸血鬼と人間の間に生まれた者。「吸血鬼ハンターD」でも登場(主人公もダンピール)。

私は上記のように理解しておりますが、いかんせん知識が断片的ですので、もしかすると分類がいろいろあるかもしれません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「名前だけ借りた別物」の是非

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元記事:不死者の戦闘でどう緊張感を出すか

不死身の主人公の戦闘の時、「こいつは死なないから」みたいな安心感でなく、命のやり取りをする戦闘特有の緊張感をどう出せばいいのか。どうやって戦えばそれを出せるのか、聴きたいです。

上記の回答(不死者の戦闘でどう緊張感を出すかの返信)

投稿者 兵藤晴佳 : 0

常識で考えたら物理的に不可能な状況を作るのもひとつの手です。
菊池秀行『吸血鬼ハンターD』で分かりやすいのは、もちろん「血戦・ひとり15秒」という、人質を取られてのタイムアタックです。
しかし、他にも、ミドウィッチの蛇女との対決などもひとつの例になります。
妖艶な女たちの身体に四肢を絡めとられて身動きが取れない状況で、レーザーの光も斬り落とすといわれる剣をどうやって振るうのかという点に読者の興味は集中します。
つまり、「ミッション・インポッシブル」への興味ですね。これが緊迫感を掻き立てます。
先述したタイムアタックにも、「いかなる勝算ありや」という煽り文句が入っているのはそのためでしょう。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 不死者の戦闘でどう緊張感を出すか

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投稿日時:

元記事:文章を書いてみました

1年位前に文章力について相談した時「どんな文章を書くのか実際に読んでみないとわからない」と言われたのを思いだして、プロローグ相談所に投稿してみました。
既に結構な数の意見を頂いているのですが、その時の方々にも見ていただきたいと思い、ここに張り付けてみます。
見ていただけると幸いです。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/prologue/novels/show/225

それと、その時最後にレスしてくれた方にお詫びいたします。
スレッドが埋もれてしまい、このサイトの使い方が良く分かっていなかったのでトップページ見れなくなったスレッドを探すことができず、気づきませんでした。気づいた時には古いスレッドを上げるのは良くないと思い、書き込むのをためらってしまいました。すみません。
そして返信ありがとうございます。その時は「わかっちゃいるけどそれができないんだよ」と思いましたが、今では言われた事を実践できるようになった気がします。ありがとうございます。

上記の回答(文章を書いてみましたの返信)

投稿者 あまくさ : 1

>「わかっちゃいるけどそれができないんだよ」

ですよね~(笑
私もアマチュアの駄文書きなので、その感じはけっこう共感します。それなりに経験はつんできたので何をするべきかは多少は分かるのですが、やりたい事とできる事の間に深くて暗い川があるんです。

で、読ませていただきました。

文章はどうかという質問ならば、過不足のない良い文章だと思います。
エンタメ小説に名文や、凝った比喩のたぐいは不要。むしろ目障りで読む気が失せます。読みやすく内容が正確に伝わるのが何よりというのが私の持論ですが、同意してくれる方は多いのではないかと思います。
拝読した文章は変なクセがなく、文意がよじれてつっかえるような所もなく、内容が自然に頭に入ってきました。こういう文章は普通は初心者に書けるものではなく、ポイントが高いと感じました。

問題点があるとすると、平坦すぎることかと。
初めから終わりまで平らな道を同じ速度で歩いている感じです。もう少しアクセントを意識した方がいいかなと。

「わかっちゃいるけどそれができないんだよ」と言われそうですが。

私とて深くて暗い川があるヤツなのでなかなかできやしないのですが、まあ、私の場合で言うと意識的に文章にケレンをまぜたりはします。やりすぎると爆死しますが、それでもやらないよりはいいとは思っています。

他に気がついたことを、いくつか。
文章のことから少し離れますが、時系列については、あそこはあれでいいと個人的には思いました。
別に何かの創作本に書いてあるような「初心者は時系列を乱すな理論」を金科玉条にしなくてもいいですが。

1)まず、とろそうな少年(?)に出合い、

2)とろそうすぎるのが、ちょっとフラグになっていて、

3)再登場した少年が意外な姿をみせる。

こういう流れなので、1を回想にしてしまったら意味がなくなってしまいます。
ということで構成的には妥当と思いましたが、どうせなら文章でもちょっとぐらいは引き立たせたいです。

>ミリタリーコートに、目深に被った帽子。手には光り輝く曲がった棒を持っていた。いや違う。棒なんかじゃない。あれは剣だ。ギラリと鋭く輝く刀身の、モンスターを真っ二つに切り裂いた剣だ。

ここ、少し文章を変えてますよね? ケレンが必要と書きましたが、少しケレンが入っています。それは正しい判断だと思いますが、もう少し大袈裟でもいいんじゃないかと。(やりすぎると爆死しますが)
それと、直前あたりにちょっとタメを作る呼吸。

>モンスターが迫る。逃げようと後ろを向くと、何かがものすごい勢いで迫ってきた。速すぎて何かわからなかった。新手のモンスターかと思った。すぐに目の前に迫ってきた。
>終わった。思わず目を瞑る。

工夫は分かるのですが、文章の調子そのものは前後とそう違わないので、これだと埋没してしまってたぶん読者は気がついてくれません。

>何かがものすごい勢いで迫ってきた。

この文章は読み飛ばされると意味がないので。
うろ覚えですが、ソードアート・オンラインの1巻。キリトのピンチをアスナが救うシーンで、アスナとは書かずに「白い稲妻が駆け抜けた」みたいに描写していたと思います。ここぞというところは気取りましょう。

それと。
完全に構成の話になってしまいますが、冒頭がただの状況説明になっているのは、やはりつまらないです。
ただ、俗に「最初に死体をころがせ」と言いますが、あまりわざとらしいのも興ざめ。闇雲に派手なシーンを書いても読者の頭はまだ白紙なので、「なんのことやらわからん!」となりかねません。
なので難しいところですが、少なくとも状況説明よりは、ちょっとしたことでもシーンと行動を書く方がいいとは思います。

主人公について。

>ヒロインのキャラ付け(正義感が強過ぎて少々めんどくさい性格にするか

それは伝わりましたが、ここまでのところただの初心者にしか見えない感じ。ちょっと弱い気がします。
思うにポイントは、仕事をすぐに受けなかったことと、他に何か当面の目的を持っていそうなこと。それは何となく分かったので、もっと目立たせてフラグを立ててやると読者に興味を持たせることができるんじゃないかと。

つまり、問題点は文章そのものではなく、どこを目立たせて読者の注意を引くかという作戦が不足している点ではないかと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 文章を書いてみました

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元記事:没案への未練を捨てる方法

はじめまして、東口前です。私は最初のアイデアから幾つかパターンを考えてその内一つを採用しているのですが、どうしても没にした案を書きたくなることがあります。ですが私は複数の話を並行して書ける性分ではありません。
採用案と設定が矛盾するものなど話に組み込めない案への未練をすっぱり切り捨てたいのですがなにかいい方法はないでしょうか。

上記の回答(没案への未練を捨てる方法の返信)

投稿者 サタン : 0

あらすじやプロットにしてしまいましょう。
原稿用紙1~3枚程度でオチまでしっかりまとめて、小説としてではないが、物語として完成させてしまう。

未練は、形になってないからこそ「形にしたい」という欲求から生まれてくるので、形にしてしまえばいいという話です。
「出来なかったこと」に未練があるのは「出来なかったから未練がある」わけで、出来てりゃ未練なんかないでしょ?
創作の目指すところは「形にすること」なので、未練があるということは望む形になってないってこと。

「アイディアから~」という表現をしてるあたり、これは案があるだけ。もっと言えばフワッとしたイメージがなんとなーくあるだけ。
例えしっかりした設定があるんだとしても、それを物語に落とし込めてないので、物語としての形にはなってないし、そのアイディアを形にした場合どうなるのかも判断できないまま、没ネタを採用してたら面白くなってた”かもしれない”というフワッとしたイメージで未練を感じてしまいます。

だったら、単純に未練を感じてるアイディアを形にしてしまうのが一番です。
そして、その方法として最も手っ取り早いのは原稿用紙数枚であらすじを書いてしまう事でしょう。
あらすじを書いて「やっぱコレ面白いじゃん」となったら、優先して書いてしまうのもいいし、例え微妙な出来栄えになっても、とっとけばどこかで役に立つこともあります。
例えば、多少アレンジを加えて別作品のサブプロットに流用してしまう、とかね。
没ネタのあらすじをストックしておけば、「新ネタを考えたもののサブキャラのエピソードが思いつかない」なんて場合に没ネタから流用することでスッと話が出来たりします。
ちなみに、
>採用案と設定が矛盾するものなど話に組み込めない
こういうことが起こるので、あらすじは設定を書かないのがコツです。
そもそも「物語」のあらすじだからね。設定は書くだけページの無駄。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 没案への未練を捨てる方法

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ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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