小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順4ページ目

元記事:リアリティがなくても面白い作品

学園ハンサムってゲームの超展開だらけの荒唐無稽なストーリーに爆笑して感銘を受けたんですが、リアリティがなくても面白い作品を目指すには何を心がけたらいいでしょうか?
荒木飛呂彦さんはジョジョ4部で岸辺露伴に「面白い作品にはリアリティが必要不可欠」と言わせていましたが。
というか「この作品の世界は気まぐれな神様がしょっちゅう戯れで世界の法則をいじくり回しています。だからキャラの言動・思考がおかしかったり、急に性格が変わったり、弱かった奴がいきなり強くなったり、以前に提示された世界の法則と矛盾していたりしても何もおかしくありません。言うなれば全てバグではなく仕様通りです。」みたいな設定を作ってあらかじめ明言しておけば、「この展開おかしい。整合性が取れてない。リアリティがない。」とか言われず、「そういう世界観ならいい。この作品の世界では何が起きようとリアルなんだな。」と納得してもらえるでしょうか?

上記の回答(リアリティがなくても面白い作品の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

リアリティとリアルは異なるもので、リアルに近いからリアリティが出るわけではありません。リアリティはテクニックで出すもので、目的は読者の感情移入です。ですので、確かに必須でしょう。しかしリアリティは細部に宿るものでして、こうすればいいというものではなく、個々の作品から学んでみるしかなさそうです。以下、その辺りを少し説明してみます。

1.リアリティは真に迫るものであって真ではない

岸部露伴ってよく引き合いに出される気がしますが、あくまでもリアルの作家の荒木飛呂彦さんが創作した、作中の漫画家です。その仮想の創作家の創作論は、あまり当てにするべきではありません。

しかしリアリティ自体は、どうやって出せばいいかのコツがいろいろ語られてまして、大事であるのは間違いないでしょう。リアリティを訳すならば迫真性。真に迫るということですね。迫るんだから真ではない点は重視する必要があります。

「学園ハンサム」はゲーム未プレイ、アニメ未見でして、ちょっと自分には語れない作品です。が、ネットで画像を見てみると、顎がとがった奇妙なキャラが多く、コミック/アニメ的ということを踏まえても、ちょっといそうにもないキャラ性を表しているように感じます(ギャグ系にはよくあるとはいえますが)。

2.リアリティはキャラや世界に実在感を与え、感情移入を容易にするもの

その作品でスレ主さんは爆笑できたわけですね。笑えたからには、どこがどうおかしいかは分かり、実感もできたはずです。言い換えれば、作品世界がどうなっているか分かり、その世界に住むキャラがどのようなスタンダードを持ち、笑える部分はそのスタンダードからいかに外れたかが分かったはずです。

簡潔に言えば、「作品世界とキャラが実在するように感じられた」となります。それがリアリティです。リアル(我々の現実世界)と近いからリアリティが生じるわけではありません。生じさせるのは、いかに突飛であろうと、その作品世界の実在感です。

3.「ねじ式」の事例

例えば、シュールな有名古典漫画の短編「ねじ式」(つげ義春著)。海でクラゲに刺された主人公が医者を探し、手当てを受けた、というストーリーです。が、医者に行きつくまでの道中が現実世界とは思えない代物になっています。が、読んでみると異様な感動が生じます。おかしな世界が実在するように感じ、主人公の視点でその世界をさまよっているような感覚が生じるからです。

それもリアリティゆえです。リアリティは細部に宿るとも言われまして、小さいけれど具体的な描写が大事になります。決して、物語背景とか、世界設定からは生じません。「ねじ式」であれば、例えば作中に描かれるモノの1つ1つは、写真から模写したもの多々で(今だとトレスの指摘受けるかも)、実際に存在するものが多い。しかし主人公がさまよう道中では、それらの組み合わせは奇妙になっている。主人公の目の前のモノに違和感を抱かせず、存在していそうに感じるよう引き込んでおいて、超現実的な世界が実在するよう感じさせるテクといえます。

4.リアリティの対義語は違和感;感情移入の阻害要因

この「ねじ式」で、個々のアイテムも「見たことも聞いたこともないようなモノ」にしてしまえば、超現実度自体はさらに増すでしょう。しかし仮に冒頭で「この世界は気まぐれな神様がしょっちゅう戯れで世界の法則をいじくり回しています」みたいな前置きを入れたとしても、作品世界が実在するかのように感じるのは難しいでしょう。未就学児がなんか熱心に語ってる、くらいの印象しか生じない恐れが極めて強くなります。

いくら作者が「奇妙だけど、そういうもんです」と言っても無駄です。なぜならリアリティが感じられないと、感情移入や作品世界への没頭が起こせませんから。「気まぐれな神様がしょっちゅう戯れで世界の法則をいじくり回し」の世界なら、その世界が実在するかのように読者に感じさせないと、「全てバグではなく仕様通り」と納得してもらうのは難しい。たいていは、3分読んだだけで退屈され、投げ捨てられます。

まず主人公が、その作品世界で違和感がないようにする必要があります。最も簡単な手の1つとしては、「キャラの言動・思考がおかしかったり、急に性格が変わったり、弱かった奴がいきなり強くなったり、以前に提示された世界の法則と矛盾していたり」するのを見た主人公が混乱すること、でしょうか。例えば、急に異世界に飛ばされたとしたら、使える手です。

この場合、主人公に自然に生じる目的が「その世界(の法則性)を理解すること」になります。そうなると、読者も主人公を通して、作品世界を理解したくなり、読み進めてもらうことが可能になります。

5.ジョジョシリーズの事例

荒木飛呂彦さんの「ジョジョ」シリーズですと、今アニメ放映中なのが「ストーンオーシャン」ですね。主人公の徐倫は、物語開始以前ではスタンド能力とは無縁で、序盤早々にスタンド能力を得ます。そこからは、スタンド能力を理解するように話が運ばれます。それまでのジョジョシリーズも、たいていは同じような序盤です。奇妙な能力や現象に遭遇して、それが何かを確かめて行って、奇妙が奇妙でなくなるにつれて、敵との戦いに本格的に突入していく。

決して「奇妙」を奇妙のまま放置してないなわけです。それが荒木飛呂彦さん流のリアリティの出し方なんでしょう。有名なジョジョ立ちもうまく活かしています。キャラが、ある意味突拍子もないことを言ってるんだけど、そのときに取るスタイリッシュでいて奇妙なポーズが気になり、台詞の奇妙さが目立たなくなっています。絵を使う描写ならではのミスディレクションな手法です。

6.リアリティは細部に宿るゆえに個々の作品に学ぶくらいしか手がない

具体例については具体的に語ることが可能ですが、一般論として「こうすればリアリティが出せる」ということは語れません。上述しましたが、細部に宿るからです。物語って、要は嘘です。大嘘であるほど面白い。しかし嘘と感じさせないのがリアリティで、これが細部に宿ってる。しかし細部は大枠(の大嘘)がなければ出て来ようがありません。リアリティの出し方について、一般論があると思うべきではありません。

ですので、「学園ハンサム」なり荒木飛呂彦作品なり、ぶっ飛んでいるのに感動できた、キャラに感情移入できた作品がどうなっているか、分析するところから始めてはどうかと思います。そこから、スレ主さんが構想する作品でのリアリティの出し方、言い換えれば読者の感情移入を誘って面白がってもらえるやり方のヒントが見つかることが期待できるでしょう。

7.細部の事例:魔術的リアリズム

> 「たとえば、象が空を飛んでいると言っても、ひとは信じてはくれないだろう。
> しかし、4257頭の象が空を飛んでいると言えば、信じてもらえるかもしれない」
> (ガルシア=マルケス「想像力のダイナミズム」『すばる』1981年4月号)

上記は、あり得ない状況を描写しているのに、なぜか目の前に見えるように感じる、と評価される作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの言です。確かに「象が空を飛んでいる」と言われても、ピンときません。しかし「4257頭」と付け加えると、なんだかあり得そうな気がします。

もっとも「4257頭の象」なんて、大平原を想定してもありえないくらいの大群です。この数字自体もなんだかあり得ない。しかし「4257頭の象が空を飛んでいる」は目の前に見えるような気がして、「それでどうなった?」と聞きたい気が怒ったりします。

1つには「4257頭」は数字として大きいけれど、約4千頭などとは異なり、具体的で厳密ということがあるようです。細かいところまで言うからには正確に違いない、正確なら本当なんだろう、という思い込みが生じやすいわけですね。

それにしても「4257頭」と付け加えるだけで、いかにも象が空を飛んでいるはずと思える点はなかなかのものです。こういうことがありますので、一般論にはしにくいわけです。

カテゴリー : その他 スレッド: リアリティがなくても面白い作品

この書き込みに返信する >>

元記事:言葉足らずだったので補足

>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」

このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。

上記の回答(言葉足らずだったので補足の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

サタンさんへの返信だし、サタンさんから的確な回答が出てるんだけれども、どうも気になりまして、少し差し出口をお許しください。

作中で主人公がモブ含む他のキャラ見殺しをするのは薄情ではないとお考えなわけですよね。その証拠として有名、人気既存作で見殺しにする描写が多々あるけれど、読者/視聴者から薄情と悪評価は受けていない。もっとも他作品、特に話題にならない不人気作で見殺しがどう評価されたかは分からないわけですが。

つまり「ある作品で見殺しは薄情とのの悪評価はされないのに、ある自作での見殺しを薄情と酷評されるのはおかしい」。これは論理的には有名な誤謬です。創作的にはよくある間違いです。今の場合、創作面のほうが大事ですね。

見殺しは現実的にはできれば避けたいものとされるのはご存じでしょう。仕方ない、とはされても褒められることは稀です。逆に見殺しにせずに救った(例えば線路に転落した人を救う)、なんてのはニュースで取り上げられ、警察から表彰されたりするのはご存じのはずです。つまりヒーロー扱いですから、フィクションに取り入れて問題ない。

逆に欠点になる、なりやすいポイントを「あの作品でも『許されている』」から取り入れても大丈夫だろうと考えるのはリスキーです。なぜ許されているか、よく分析しないと悪評価されるポイントだけを高確率で取り入れることになります。

主人公が誰かを見殺しにして納得されるとして、見殺しにするシーンだけで納得が生じるわけがありません。必ず前後の支えがあるんです。見殺しシーンの前段では、例えば「この主人公なら困った人を助けない(、そこが魅力だ)」というイメージが既に生じていて、その期待通りに誰かの危機で主人公は見殺しにする。

あるいは見殺しにされるキャラに相当な悪印象を生じさせておいて、危機に陥っても助けてもらえないことが天罰みたいに感じられるようにする。

そうでなく、「ここで主人公がこのキャラを助けるはず」と期待できるのに、見殺しにして、読者に「あれ、なぜだ?」と疑問を生じさせるやり方もあります。その場合は、後段でなぜ主人公が見殺しにしたかを描くことになります。必ずしも見殺しを納得できる運び(例えば主人公の隠れた本性が露わに)ばかりとは限りません。主人公に後悔させるために、見殺しにする運びにあえてしておくこともあります。

いずれも、見殺しにするシーンではないところで、見殺しを支えているということです。見殺しの前段で準備し、後段でフォローする必要があります。見殺し以外でも同じです。例えば「決め台詞」ってあるわけですよね。繰り返しパターンを用いる作品で頻出し、言えばジーンと感動するのが「決め台詞」です。

しかし、その決め台詞を全く関係ないシーンとか、冒頭で叫んでも決め台詞の効果は得られません。その決め台詞が出るべき段取りを整えないと効果は出ない。例えば、これから目の前の敵に立ち向かうときに発する決め台詞を、食事の前の「いただきます」の代わりに言わせても、決して燃えるものは発生しません。やはり敵を目の前にしないと。

ですので、

> 「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」

については、

「見殺しの前後が違っているからだ」

となります。他作品の該当するシーンだけ見倣って、そのシーンだけで考えても無駄なんです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

この書き込みに返信する >>

元記事:許される見殺しと許されない見殺しの違い

「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」をテーマに「異世界転移した主人公が『だり~めんどくせ~わけわかんね~』とか言いながら異世界に興味を持たずさっさと元の世界に帰りたいとしか考えず、最後は放置しておいたら異世界の人間が何人も死ぬような問題が残っていても全く関心を持たず元の世界に帰っていく」という話を描いたら「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
心当たりとしては「他の異世界転移ものは主人公が異世界に関心を持ってなんやかんやするって話が多いから、ここまで主人公が異世界に無関心で帰れるようになったらさっさと帰るって話はウケが悪いのかも」と思ってるんですがどうなんでしょうか。
ついでに聞かせてもらうと、ドラクエ8のストーリーを「賢者の子孫見殺しツアー」とか揶揄する人がいるのはなぜでしょうか?
あれだって漫画版デビルマンが許されてることを思えば何もおかしくないと思うんですが。

上記の回答(許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信)

投稿者 手塚満 : 3 人気回答! 投稿日時:

結論から申せば、異世界ほったらかして元の世界に帰る、なんて当たり前すぎて面白くないからです。以下、少し説明してみます。

1.現実問題として帰りたいのは自然なこと

そもそも論として、この世界に生きている人間が突然異世界に飛ばされました、として喜んでその世界に残りたがるかという問題があります。飛ばされた先が中世欧風だとしておきましょう。現代的なアイテムはありません。スマホない、PCない、ネットない、ゲームない、コミックない、アニメない、ラノベない、カラオケない、あるわけない、なぜなら電気すらない。普段使ったり遊んだりしていたものが一切ない。

何か魔法が使えたりはするかもしれない。しかしそれで元の日常生活とバーターになりはしないでしょう。友達だって元の世界と切り離されて、いちから作り直し。さらに治安悪い、ヤバいモンスターうようよ、変な病気ある、不衛生、トイレ汚い等々。

2.帰るつもりなら行った先のことは気にしなくて当たり前

異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前。御作では実際、元の世界に帰りたい主人公なわけですよね。元の世界に帰るんだから、飛ばされた先の異世界がどうなるかなんて関係ない。例えば現実で考えると、戦乱の外国に突然連れて来られたとして、戦乱を収めてから帰りたくなるわけないです。その場にいても対岸の火事、まずは難を避けたいとしか思わないはずです。

3.当たり前のことをそのまま提示しても感動するわけない

繰り返しですが、異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前、異世界の問題なんて元の世界に帰ってから思い出すかもしれない程度です。異世界に飛ばされて変えるだけの主人公は物凄く自然です。だから受けないんです。当たり前のこと書かれても、当たり前だとしか思わない。分かり切ったことで感動するわけない。

物語を読むのは、やっぱり奇跡が見たいからなんです。奇跡って普通は見かけないものです。見たこともないものを見たいからフィクションの存在意義があります。現実では起きないこと、起きそうもないことを、いかにも起こり得るように見せられるのがフィクションなわけですから。

4.読者は問題の核心は教えてくれない

異世界転移・転生ならば、普通は帰りたくて当たり前のところを、なぜか異世界で踏ん張り、その世界を救いさえする主人公のドラマを見たいのは当然です。異世界ほったらかして、サクっと元の世界に帰る主人公では肩透かしです。しかし読者は不満の核心を正確には教えてくれません。自分(読者)の期待したものとの差を言ったりします。それが「薄情」と表現されることもあるでしょう。

しかし、十中八九、原因は奇跡を見せてもらえなかったからです。異世界転移・転生作品が数多と出て、異世界で踏ん張る主人公が当たり前になっちゃいまして、そのほうが「当たり前」な感じがするのは分かります。が、依然として現実には起こりそうもないことがフィクションでは起きているわけです。

5.異世界から帰れない理由を作る必要性

何も悩まず異世界になじむ主人公は多くなったものの、以前ですと帰還の望みを断つ設定やドラマが入れてあるのが通例でした。元の世界では既に死んでいる、帰還方法が不明(それが作品テーマのことも)、ゲーム世界ならログアウトできない。異世界に引き付ける方法としては、元の世界では無能だが異世界では無敵のスキルが付与された、異世界のヒロインに一目ぼれ、異世界が入れ込んだゲームの延長みたいになってる等々があります。

そういう作品の作者は現実の常識を弁えていたわけです。突然変なところに放り込まれたら、まず抜け出して自分の家に帰りたくなるもんだ、ということですね。しかし、繰り返しですが、それでは当たり前で、主人公に目を引き付けることができない。異世界なんて設定したのは、主人公に四苦八苦して奇跡を達成してもらうため。ですので、「帰れない」「帰りたくない」理由をきちんと作ったわけです。そうすれば主人公が逃げずに奇跡を達成させることができる。

6.元の世界に帰還するなら、それが最大の奇跡であるべき

そうした「異世界転移・転生物語が成り立つ理由や工夫」を度外視して、異世界で頑張る主人公の逆張りをしても受けません。仮に元の世界に帰る大事な理由を設定しても、おそらくは無効でしょう。そんなものなくても帰りたいんですから。元の世界に帰るストーリーが成り立つとしたら、異世界が真剣に好きになったのに、どうしても元の世界に帰らねばならない主人公の苦悩を描いた(※)、とかでしょう。

※ 「異世界のアイテムを持ち帰れば、元の世界で死ぬ運命の妹を救える」、「異世界に主人公が居座ると異世界が滅ぶ」、「異世界ヒロインの悪事の濡れ衣をあえて着て、元の世界へ逃亡」等々。

異世界から元の世界へ帰るなら、その帰還が奇跡となるような物語を描く必要があります。何度も繰り返しますが、よく考えたら当たり前、を物語にして読者に差し出すべきではありません。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

この書き込みに返信する >>

元記事:口調について。

「また下らない事を」「考え過ぎ」などと思わないで、まずは話を聞いていただけたらと思います。

キャラクターの「口調」についてです。ゲームやアニメだと、声優さんによって演じ分けられるので、差別化は簡単に出来るのですが、単に文章で表現するとなると、意外と厄介です。
私の場合、主人公は男性で、ぶっきらぼうで無愛想なタメ口が基本なのですが、ヒロインが複数の場合、それぞれの個性を出す為に、口調を変える必要があると思います。例を挙げると、

ヒロイン1=基本タメ口。
ヒロイン2=お嬢様言葉。「~~ですの」「~~ですわ」など。
ヒロイン3=丁寧語。
ヒロイン4=武人言葉。「私は~~だ」など。

と、言った具合なのですが、女性の場合は1と3の違いが微妙なので、結構ですが考えたりします。
また、異種族がヒロインの場合、特にエルフやドワーフなどは空想上の存在なので、当たり前ですが実際にどんな言葉遣いをしているのか解りません。

それと、異世界やファンタジー世界を舞台にした作品で結構あるのが、「なぜか、方言を使うキャラクター」の存在です。

東北弁や関西弁を話すキャラクターは、しばしば見かけます。だけど、日本では無い異世界(特にファンタジー世界)で、日本特有の方言を話すのは、良く考えるとかなりおかしいのではと思います。
それともそこは、「あるんだから仕方無い」で、強引に押し切ってしまうべきなのでしょうか。

私はどうも、方言を使うキャラクターを登場させるには抵抗があるのですが、「使っても平気平気」と言われる方がいらっしゃれば、「本当に大丈夫かな?」と、改めて伺(うかが)いたいと思います。

正直、東北弁で話す田舎者のエルフが居たら、結構面白いのかもと考える事があります(ドワーフは結構使うみたいですが)。

とにかく、キャラクターの差別化を図る上で、口調というのは個性と言う点でも重要だと思うし、複数人で会話するシーンで、現在誰が話しているのか明確にする意味でも、大事だと考えます。

それで、口調のタイプや方言の可能性を質問してみました。よろしくお願いします。

上記の回答(口調について。の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

ご質問それぞれ、くだらなくはないと思います。ちょっと視点を変えて見てみるといいかもしれません。以下、項目別に少し説明を試みてみます。

1.キャラの口調による描き分け

役割語と呼ばれる、現実の会話/口語では観測されない言い方があります。女性的とされる末尾が「よ/わ/ね」等、老人的とされる末尾が「じゃ」とか自称が「わし」等々です。便利ですから使わない手はありません。

しかし女性キャラが複数いるとして、描き分けをどうするかということですね。ゲームやアニメ、コミックですと話し手の姿が描かれるのが通例です。ですので、口調や語彙はあまり差別化しなくても分かる。しかし我々は文章表現でやろうとしていますから、絵は読者の想像に頼るしかない。文章で話し手が誰かを想起してもらう必要がある。

従って口調、ということになります。「とある魔術の禁書目録」ですと、常に描かれる主人公の口調は普通で際立った特徴はありません。主人公ですから「これは誰か?」という疑問が生じにくいからですね。重要サブキャラですと「一方通行(アクセラレーター」なら居丈高で乱暴な口調です。

女性サブキャラでは、出演率が高い御坂美琴は割と普通。しかし御坂美琴にべったりな白井黒子の口調(呼びかけが「お姉様」、一人称が「わたくし」、語尾が「ですの」等)は特徴的にしてあり、分かりやすくなっています。

おおむね、重要だが出演率が低いサブキャラは特徴的な口調にしてあり、現実では決して聞かないような喋り方のキャラが頻出になっています。文章の会話で一目で誰かを分かってもらう工夫です。このためアニメ化ではちょっと変な感じがすることもあります(が、原作と外れると雰囲気壊しかねない)。

これらは「作品世界広しといえど、たった1人しかいないキャラ」という前提の差別化です。キャラが女性とか、大枠から考えて行こうとすると詰まると思います。キャラ口調のベースを決めたうえで、女性キャラなら女性っぽい雰囲気を出すのはどうするかという演出になります。

2.異種族キャラ

現実にいない種族は作者の想像次第です。いかように決めてもいい。言葉遣いが分からなくて当たり前です。存在してないんですから。作者が「エルフはどう喋るか」を決めるんです。

3.異世界で日本語の方言

既に良回答で指摘がありますが、そもそも異世界なのに日本語で会話してますよね。最近ではそれで当たり前になってますが、以前だと異世界転移に当たって神などから異世界言語能力を付与される描写があることもありました。

しかし、例えば我々は外国の映画を吹き替えで観たりするわけですよね。全キャラが日本語でしゃべることはもちろん、田舎のキャラが「〇〇だべ」とか言っても、特にどうとも思わず受け入れている。

異世界も同じだと考えていいでしょう。日本人読者向けに翻訳されているんです。異世界の言語で(標準語があるとして)方言があれば、日本人読者が類推しやすい日本の方言に翻訳されている。食道楽や金にうるさいキャラだと大阪弁だと分かりやすかったりします。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 口調について。

この書き込みに返信する >>

元記事:主人公の目標の有無について

「○○王になる!」のような主人公が絶対的な目標を抱き、そこへ向かって邁進する作品がある一方で
巻き込まれ型と言われる平和なときは特に目標のない、トラブルが発生するまで立ち止まる主人公もいます

どちらも結局のところは、その都度トラブルを解決していく物語になりますが
前者と違い、後者は主人公の最終目標が分からず何かと批判されがちだと思います
しかし後者って本当に駄目なんでしょうか
こうやって作品論を語るときは大体「ないよりあった方がいい」的な結論に至りますけど、世の中の作品を見れば目的意識に欠けた巻き込まれ型主人公って多く存在しますよね

要は
家族に身の危険が迫ったから助ける→仲間に身の危険が迫ったから助ける→世界を脅かす存在に立ち向かう
などと小さなトラブルから徐々に大きなトラブルへ移行し、そして締めに入っていく構成を用意してやれば
これで読者は別に不満を抱かないというか、主人公の目標の有無をそんな気にしていないのではないかと疑問を覚えました
みなさんは主人公に絶対的な目標を抱かせるべきだと思いますか?
それとも、あってもなくても気にしないですか?
ご意見を聞きたいです

上記の回答(主人公の目標の有無についての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

どういうタイプの主人公なのかは、物語世界がどうなっているかに依存しますので、「主人公に目的あるべきか否か」の前提となる、世界観を考えてはどうかと思います。以下、少し説明してみます。

1.「とある魔術の禁書目録」は巻き込まれ型主人公が受動的に活躍する

「とある魔術の禁書目録」の主人公:上条当麻が、仰るような巻き込まれて大騒動になっていく主人公でした。現在の「とある」は既にエピソードを重ねて上条当麻の立ち位置は意味があり、目的も生じていますが、最初の「学園都市編」の出だしから第3巻までは主人公は無目的の巻き込まれ型です。

これはひとえに主人公の性格によるもので、「目の前に困っている人がいると助けずにいられない」から。かつ、どこまで助けたいかといえば「その人が平和な日常生活に戻れれば充分」という非常につつましいものです。決して「王侯貴族になりたい」みたいな望みには応じない。

2.正ヒロインに巻き込まれる

出だしは、ずっと後まで控えめな正ヒロインとなるインデックスがベランダに引っかかっているところから。主人公:上条当麻はとりあえず飯を食わせてやる。しかしインデックスが三千冊の魔導書を暗記させられ、その記憶の維持のために定期的に魔導書以外の記憶を消去させられていると知る。

上条当麻は、それはさすがに気の毒(せっかく出会えた友達も忘れる等)として記憶の消去をさせないようにしようとしたら、裏で魔術組織が絡んでいて、そいつらを何とかしないとインデックスの記憶を守れない、となって騒ぎが大きくなっていきます。

3.サブヒロイン(のクローン)に巻き込まれる

それがなんとかなったら、サブヒロインの御坂美琴の妹と称するそっくりさん(御坂妹)と出会い、姉(美琴)と違ってどうにも頼りないんで手助けしてたら、実はクローンだと分かり、実験のため2万人も作られたと分かり、しかももう半数は殺害されていると分かり、殺害しているのが一方通行(アクセラレーター)なる能力者だと分かり、殺害を指示しているのが大組織上層部だと分かり、ということで騒ぎのインフレになります。

しかし、いずれも主人公:上条当麻の勝利条件は「目の前の困っている人に平和な日常を」で変わりません。敵の強力でデカい組織を倒そうとか、そのトップになり替わろうとかしない。「もし敵が手を引いてくれたら、それでいいのに」でやろうとして、結局、全面対決に至ります。

4.巻き込まれるのは主人公の望みも力も小さいから

そういう主人公:上条当麻にそぐうよう、設定および作中の公称では「最弱」とされています。「とある」は異能者が当たり前の世界ですが、上条当麻は無能力とされており、唯一隠し持ってる能力が「右手で触れば異能系の能力・現象を封じられる」という相手が先手を打たないと何もできない受動的ななもの。自分から事を起こせる能力ではないわけですね。巻き込まれ型に徹するため、そこまで設定されているわけです。

5.弱さを売りにするのが流行ったほどの人気パターン

「とある」は第1巻当初から人気が出て、類似の作品がプロ、アマとも多数出ました。一時期は「学園異能バトル」のジャンルを成したほどです。ですので、お考えのタイプの主人公はあったし、人気ですらあったわけです。流行りが別に移っていきましたので、今は目立たないだけで、巻き込まれ型主人公は実績ある人気要素であるわけです。

6.ゲームモチーフでは能動型主人公にするしかない

ゲーム由来の「勇者と魔王」フォーマットが流行り、ゲーム内の中世欧風の剣と魔法の世界が流行り、異世界ブームになっていったわけですが、ゲームってプレイヤーが能動的に動かねば何も起こりません。ゲームを模したフィクションも自然と自分から動く主人公になりやすい(ゲーム設定取っ払ても、作風的には残る)。

「学園異能バトル」が大本の「とある」シリーズ以外が廃れてきますと、世界観がゲーム的であるものが相対的に増え、ゲームプレイヤーを意識した能動型主人公が目立つこととなり、巻き込まれ型/受動型主人公が減ってきた感じになります。

7.主人公のタイプは世界観の要請で決まる

が、物語世界のモチーフの問題が大きいといえます。言い換えれば、ゲーム的な世界観ではない世界観を作れば、巻き込まれ型/受動型主人公は今でも充分あり得るはずです。主人公に目的意識が必要か否かは、物語の世界観に依存する部分が大きいわけですから、世界観がどうかということで、お考えになってはどうかと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公の目標の有無について

この書き込みに返信する >>

現在までに合計311件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全63ページ中の4ページ目。

ランダムにスレッドを表示

一次選考落ちていたときのメンタル回復手段を教えてください……

投稿者 半額オソーザイ 回答数 : 15

投稿日時:

 こんばんは……今回は軽いノリの質問で、そこまで深刻な話でもないです()  近いうちに初めて出した新人賞の一次選考の結果発表が... 続きを読む >>

登場人物の数について

投稿者 元々島の人 回答数 : 6

投稿日時:

よく、昔からお話を作る鉄則の1つとして(主人公の仲間や周りにいる人等の)、「メインキャラクターはお話に最低必要な分だけにしてなるべく... 続きを読む >>

初めての執筆について

投稿者 回答数 : 2

投稿日時:

はじめまして㎜というものです。 今回初めて小説を書こうと思ってたのですが、いざプロットを書いてみると既視感のある構成になってしまい... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:キャラクターの性別について

はじめまして。
私は異世界もの?の小説を書こうと考えているものです。
主人公とその相棒の性別をどうするか迷っています。
主人公はかなりのコミュ障の高校生。パペットになりきることでなんとか会話ができるレベル。で、主人公が千と千尋の神隠しみたいな魔法界に飛ばされて、そこで出会った、落ちこぼれの魔法使い見習いと共に、最強の魔法使いを目指す話です。
また、彼らの間に恋愛感情はないです。書きたくないから。
少女同士、少年同士、主人公が少年で相棒が少女、またはその逆の中で、どれがいいでしょうか?理由とかもあったら教えて欲しいです。

上記の回答(キャラクターの性別についての返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

作品の傾向、読者層の想定、作者の好み・書きやすさ、もろもろで最適解は180度違います。
ですが、男女の組み合わせで4パターンすべてが候補に入ってるってことは、つまりどれでもいいと考えてるってことで、ようするにどれがいいのかわからないから誰か背中を押して、という悩みかなと推察してみます。

まず主人公の性別について、年齢と含めて想定する読者層と近いものにするのが良いと思う。
読者が主人公をどう見るかによって違うけど、作者としてどう見て欲しいかで考えて問題ない。
なので冒険心を失ってほしくないという意図があるなら童心に返ってもらうために読者層よりずっと若めの少年にするのも良いし、男性から見た理想的な少女像(と言うと何か誤解がありそうだが)として見て欲しい場合は男性ターゲットでも女性主人公にして良いと思う。
逆に主人公に憧れを抱いて欲しい場合は読者層より若干高めの年齢に。
そうした作品意図が一切不明なので、ニュートラルに「読者層に近いものが良いと思う」としか言えない。
ただし、これは続く話にも言えるけど、この判断は「作者の好み」より上位に来るものではないです。
あくまで「どうでもいいんだけど、どれも決定打がないんだよね」という場合の一押しの判断でしかないです。

次に組み合わせ。
少女同士の場合、二人のうちどちらかは比較的活発な少女にならざるを得ないと思う。
内気な二人では話が進まないし、物語を進行させることを意識したキャラ設定にしないとどうにもならない。
王道で言えば「活発なアクセル役」と「冷静なブレーキ役」の組み合わせですね。
例えるなら、「相方が洞窟に入ったきり出てこない、どうすれば!」という場面で「覚悟を決めて洞窟に飛び込む主人公」という選択ができないキャラだと行動に不自然さが出るし話を展開しにくい。
もちろん、話の中でそういう勇気を持つに至る、という流れを作っても良いのだけど。
でも、その「女性らしさ・少女らしさ」は一種の「弱者の象徴」でもあるので、これが「勇気を持って友達を助けに行く」となった時の展開は男キャラ以上に盛り上がります。
そうした「女性であること」を上手く扱えるなら少女同士の設定は強い武器になると思う。

少年同士の場合、前向きにバカであっても不思議じゃないのが少年なので、少女よりも前述した問題は軽く、比較的その場のノリで動けるため性格は自由になる。
また、これは少女同士にも言えるけど、同性の場合は恋愛要素が無いので(書きたくないと書かれているが、それについては後述)それ以外の「人間関係(ドラマ)」を書く必要がある。
少年二人でよくある王道はと言うと、少年漫画を見りゃわかりますが、主人公と相棒は最初は不仲で相性が悪い、それが次第にベストなコンビになっていく、というものですね。
少女同士にするか少年同士にするかは、ぶっちゃけこの「人間関係」のドラマに何を当てはめるかで最適解は大きく変わるかと思います。女性っぽいテーマなら少女のがいいだろうし、男性っぽいテーマなら男性のが良い。
しかしその裏を書いて男性っぽいテーマで熱い戦闘を繰り広げる魔法少女という例もあるので、そこは作者のセンス。これは面白いという作者本人の確信が大事。

主人公と相棒とで異性の場合。
主人公の男女の違いは先に書いたので、残りはまとめて。
といっても、やはり異性の出会いというのは「ボーイ・ミーツ・ガール」というジャンルもあるように、その出会いから物語が始まる以上は多少の恋愛は切り離せません。最終的に恋人になるかどうかはともかく。
ちなみにここでいう「多少の」は、「一緒にいるところを友人に見られ、あとでからかわれる。それを照れながらも否定する」と、ベタだけどこの程度のモノを言ってます。
二人きりになって少しドキッとするとか、まあ正確には恋愛の手前あたりの事だね。
で。
それを書かない場合、「同性同士」で問題に上げたものと同じ話になるので、「恋愛」に代わる「人間関係」が必要になります。
まあ、普通はその人間関係のトラブルが解決することで恋愛となるんだけど、書きたくないなら別に無理してトラブルの解決を恋愛に繋げなくても良いので、人間関係の問題解決の答えが「恋愛でないもの」になれば良いでしょう。
例えば「良い友人になれた」とかでも良いと思います。
少年漫画でありがちなのは「いがみあう仲の悪い二人」から「切磋琢磨しあう良いライバルになった」みたいのじゃないかな。
ようするに、「恋愛」を書かないなら「恋愛」に代わるものをちゃんと考えましょう。

魔法世界で旅をするのか宿屋で強制労働かはわからないけど、結局のとこ主人公と相棒が一緒に強くなる話なので、それを考えてそこに一番噛み合うものをと言ったら少年同士の設定でしょう。
主人公少年・相棒少女でもいいと思うけど、そこは前述した「恋愛に代わる人間関係」の話ですね。
同性なら「ライバル」って枠組みで腕の競い合いが出来るけど、異性だと性別が違う時点で正確な競い合いが出来ない(読者的に納得いく形を取るのが難しいと思う)。
なら少女同士でも良さそうに見えるし、事実それだけを問題にするなら少女同士でも良いと思う。
それこそ某魔法少女みたく熱いバトルの魔法少女でいいと思う。
けど、まあ、作風も作品の雰囲気も何もわからないので、最強を目指す話なら少年のほうが合うんじゃない? という程度の話。

で、最初のほうに書いたけども、これらは男女の設定に関わるものはすべて「作者の好み」より優先されるものではないので、えらい長く書いてしまったけども、気になる箇所があれば参考にしてくれたら書いた甲斐がありますが、基本、こういうのは作者が書きたい内容やモチーフ・テーマなどから決めてくものですから、例えば「勘違いしたウザ主人公をぶっ飛ばしてく魔法少女(恋愛にはならない)を書きたいな!」となりゃ、それが正義です。
作者の好み、書きたいこと、そういったのが全てです。それらがわからんと第三者には勝手に妄想して回答するか、思いつく限りに当てはまるベターであってベストではない回答しか用意できません。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターの性別について

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:『黄金バット』のような主人公を作りたい

2016/05/13 クリエさんの質問

黄金バットを知らない方が多いかと思いますが…?

私は昔のアニメの『黄金バット』のようなキャラを主人公としたライトノベルを書きたいと思っているのですが、黄金バットが大好きな私でもなぜ彼があれほど魅力あるキャラとして皆に愛されているかが分からないのです。

黄金バットのアニメを見た方なら分かると思いますが、黄金バットはライトノベルのタブーを犯しまくっているような造形やキャラです。見たことのない方のために書けば……
・顔が骸骨というおどろおどろしい造形
・最初から最後までまったく苦戦しないという、敵がかわいそうに感じられるほどの強さ
・サイタマのような無敵系ヒーローとも違い何らかの欠点もない
・最初から完成されていて常に絶対的でわかりやすい正義

たいていのライトノベルの本には「主人公には欠点を設けろ」とか「何らかの成長要素を入れろ」と書かれてありますが黄金バットはそのことごとくを無視しています。そして何故か人気があり、話自体も非常に面白くできています。(少なくとも面白くないと言ってる意見はほとんどないです)

一体なぜ黄金バットのようなキャラクターが皆に人気が得られているのでしょうか?
そのようなキャラクターをライトノベルで主人公にするのは無謀なのでしょうか。というより、ライトノベルでそのようなキャラを出した成功例はあるのでしょうか?

上記の回答(『黄金バット』のような主人公を作りたいの返信)

投稿者 よしはむ : 1

2016/05/13 リック・ドMさんの意見

 黄金バットは、もともとは悪役として創作された黒バット(黒衣の骸骨面、不死身とされる)を、最終回で倒すためのゲストキャラとして設定されたものですね。黒バットと似たデザインで、金色で正義を表そうとしたようです。強さは似ていて、気持ちは反対、といったところでしょうか。

 それが当時は子どもに大受けしたので、急遽、黄金バットシリーズを始めたんだとか。1930年代だそうです。この当時だと、骸骨であることに違和感を持つ人は少なかったのではないかと思います。「骸骨面は強い」という印象があったでしょうから。

 今、話題にされているのは1960年代の実写版映画やアニメ版ではないかと思います。実写映画版の黄金バットは一応は台詞を喋るようですが、アニメ版になるともう「アハハハハハ」の高笑いしかしないそうで。

 黄金バットの目の前でヒロインに敵の毒牙が迫っても「アハハハハハ」、強敵が大斧を黄金バットの喉元まで押し込んで絶体絶命でも「アハハハハハ」。ほとんど対話不能で、主人公たちがピンチに陥ると「アハハハハハ」で必ず現われて、「アハハハハハ」と笑い続けたまま敵をあらかた殴り倒し、「アハハハハハ」で飛び去ると。毎回、そういう話だったようです。(※←イメージです、実際とは異なります)

 ほぼ同時期に現われたヒーローがウルトラマンです。ウルトラマンもほとんど「シュワッチ」のみで誰とも対話はせず(初回と最終回に少し喋ってはいる)、ラストにのみ現われて、さっさと怪獣を倒して飛び去って行く。黄金バットと似ています。

 どちらも一話完結的で、事件が起きて解決まで、たった30分で描かれます。シリーズを通してのストーリー的な展開はありません。

 アニメなら何でも凄かった、怪獣の特撮なら何でも凄かった、といった時代です。そして、事件を解決(?)するヒーローですが主人公ではありません。問題全部をぶち壊すという、ほとんど天災に近い存在、デウスエクスマキナ的ともいえると思います。ストーリー、設定などはよく言えばシンプル、悪く言えば大雑把、強引です。

 現代で受けるようなものではないと思います。もちろん、放映当時に子どもだった人(主に男性ですが)が、「当時は、黄金バットやウルトラマンを面白がって観ていたなあ」とノスタルジックに回顧することはあると思います。でも、現代で通用するとは思っていないでしょう(記憶が風化かつ美化されているようなケースは除く)。

 もし黄金バットが今でも通用するほど面白いのなら、時代背景を考慮する程度でストーリーを大きく改変せずにリメイクして受けるはずです。でも誰もやらない。ウルトラマンだと、まだ再放映が後々まであり、ウルトラマンの後継も作られ続けていますが、黄金バットはそれがない。

 黄金バットのキャラが今でも魅力的なら、ストーリーを改めたリメイクや後継は出てくるはずですが、実際にはない。
(もしかすると、仮面ライダーが出たために黄金バットがリメイクされない、仮面ライダーが黄金バットの事実上の後継ともいえる、ということかもれません。思い付き程度で、ちょっと自信はありませんが。)

 でも、やはり「正義の空飛ぶキンキラ骸骨男が問答無用で暴れまくる」わけですから、予備知識無しに今見たとしても、いや前もって知らないからこそ、「ぶっ飛んでるなあ」という感想は出てくると思います。見た目の奇想天外さは、他の追随を容易には許さない感じです。

 それなら、今でも通用する面白さの基準ですね。「ぶっ飛んでる」と言われるようなアイデアはなかなか出ません。(期せずして)今見ても「ぶっ飛んでる」を出せただけでも敬意に値する、といえるかもしれません。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 『黄金バット』のような主人公を作りたい

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:面白い社会派作品の描き方

「日本のアニメはダメダメ。社会に無関心すぎ。サウスパーク見習うべき。」みたいな意見をネットで見たので社会派な作品を描こうと思うんですが、面白い社会派な作品を描くには何を気を付けたらいいですか?下手したら「作者の声高で野暮ったい主張がウザイだけの作品」とか「『俺って社会派だろ?』とアピールしたがる作者が痛々しい」と言われませんか?

上記の回答(面白い社会派作品の描き方の返信)

投稿者 大野知人 : 0

あまり詳しくないんだけど、「シャングリ・ラ」みたいに「架空の世界のはなし」と言いつつ、割かしハッキリとリアリティのある個々の問題に突っ込んでいく、とかどう?

カテゴリー : その他 スレッド: 面白い社会派作品の描き方

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ